緋山酔恭「B級哲学仙境録」 フロイトとユングと潜在意識 ①



B級哲学仙境論


フロイトとユング


 




フロイトとユング
と潜在意識 ①





潜在意識



潜在意識は、一般に「無意識」と言われます


西洋における無意識の研究は

オーストラリアの精神科医の

フロイト(ジークムント・フロイト・1856~1939

国際精神分析学会の創設者)

が起点となっています




“人間は意志の自律によって「最高善」に至れる”という

道徳論者のカント(1724~1804・ドイツの哲学者)は

認識能力の「理論理性」(純粋理性)とは別に

人は、先天的・先験的な意志能力として「実践理性」を有するとしました


〔 先験とは経験に先だってということで

カント哲学においては、先天的・先験的な能力をアプリオリという 〕



なお、実践理性というのは、意志そのものではなく

意志を規定する道徳原理、道徳法則です



また、自己に内在する良心の声に従おうとする理性

=実践理性ではなく


「~しなければならない」という良心の声そのものが実践理性です



なぜ、良心そのものが「理性」なのか?

というと、この理性で考えれば、なにが正しいかが分かる

「~しなければならない」が正しいことが分かるからだといいます




例えば、川で子供がおぼれているのを見て

「あの子はいずれ死ぬだろう」

「助けに飛び込んだら自分も死ぬかもしれない」と

自然の法則に従ったものの見方をする働き=認識能力が「理論理性」



この「理論理性」(純粋理性)が

我々がふつう「理性」と呼んでいる理性です


カントによると「理論理性」も

先天的・先験的能力として、人間は有しているといいます




これに対して「なんとかして救いたい」

さらに「救わなければ」とかいう」という

内なる≪良心≫が「実践理性」というわけです


そして、カントは自然法則や他人の支配から解放され

この道徳法則に従って生きることを「意志の自律」と呼び


意志の自律=自由 と説いています




なお、「純粋理性」(理論理性)が

我々がふつう「理性」と呼んでいる理性です

と書きましたが


「純粋理性」も

カントのいうような認識能力などではなく

価値判断の結果であり

意志に近いものです





これに対し マルクス(1818~1883・

ドイツの共産主義運動の理論的指導者、経済学者、哲学者)

などの唯物論者は


真の存在は物質だけだと考え

神、霊魂、精神、意識などを認めず


意識は高度に組織された物質(脳髄)の所産であり

認識は脳髄による反映であるとし


私の思考を決定するのは、物理的条件であると考えたわけです




これに対し、フロイトは、「私」を動かしているのは

“「私」の意識の中には無い何もの”と考えました



今でこそ、人の意識は

一般に意識と呼ばれている顕在意識は1割で

9割が潜在意識(無意識)である


と信じられるようになっていますが

当時としては斬新でした




デカルト(1596~1650・

フランスの哲学者・近代哲学の父)は


生得観念〔しょうとくかんねん・

生まれながらにして(=先天的) 心に具わっている観念

神や自我についての観念など〕

の存在を主張しました


(自我とは他者や外界から区別して意識される自分




これに対し

イギリスの経験主義哲学者のロック(1632~1704)は

デカルトの生得観念の存在を否定し


「すべての観念は、白紙(タブラ・ラサ)の心に

経験によって(=後天的) 得られる」

という有名な言葉を残しました


〔 なお、観念とは、あるモノやコトについての意味内容で

概念(共通認識)に近いですが、概念より主観的なものです 〕



ロックは「意識とは、心が自分自身の経験を直接知ることである」

と主張しました



しかし、現在では、意識の領域は、顕在意識ばかりではなく

潜在意識にわたっていることが分かっています





デカルトが「我思う、ゆえに我あり」と述べたように

哲学の分野では、意識=自己(主体) ととらえてきましたが


現代では、精神分析学や心理学の発展から

自覚できない精神=無意識をも主体に認めています



人間というのは、じつはほとんどの場合

自分の意志で行動しているわけではないのです


人間の行為や行動が、意志だけで決定されるとしたなら

これほど楽なことはないのですが、現実はそうはいきません



不安や心配ごとがあると寝ようとしてもなかなか眠れない

好きな女の子のの前ではその子を意識してうまくしゃべれない

人前で話をしようとすると緊張してしまう


タバコやギャンブルをやめたいと思っていてもやめられない

痩せようと思っていても本気でダイエットに取り組めない


このように人の行動は

潜在意識によって大きく左右されているのです



潜在意識を「無意識」とも言いますが

意識しすぎて緊張してしまったりするのですから


無意識というより

意識ではコントロールできない強い意識という感じですよね




潜在意識には2つのあるようです

1つは

「表層意識では気づいていないが

自分の言葉や行動に大きく影響を及ぼしている意識」


1つは

「表層意識では気づいていないが

自分の言葉や行動に大きく影響を及ぼしている意識」


トラウマが関わる行動なんかがこちらでしょう


野球で、頭部にデッドボールを受けてから

内角の球が打てなくなった


ボクシングでハードパンチャーのパンチで

眼窩底骨折してから慎重になってしまった


これらは意識では「なんともない」と思っていても

無意識が記憶しているということです




もう1つは

≪意識しないようにしても、意識しすぎて緊張してしまう≫

といったように

「表層意識にのぼってくるけど

表層意識ではコントロール不可能な意識」



後者には、無意識という言葉は適切ではないのかもしれません





人間が、意志によって行動できるのはほんの表層的部分にすぎず

その下には深海のような無意識層が存在しているとされています


いわば顕在意識はその海に浮かぶ氷山にすぎないのです


なので、意識や意志の力で

潜在意識は、治めることはできないと言われています



カール・ユング(1875~1961。スイスの心理学者・精神医学者

分析心理学の創始者)は


“人の意識は、潜在意識のめし使いにすぎない”と述べています


今、働いている潜在意識を意志の力で

屈服させることはできないということです





ただ、苦手なことにあえて挑戦し、慣れることによって

潜在意識を抑制することはできるとされています



例えば、車の運転もはじめたばかりのときは

運転に気をとられて

他のことに意識がまわりません


しかし、上達してくると、会話しながら運転できます


人は「慣れる」ことによって

できるかぎり意志の力だけで行動しようと努力します




また、ふだんは、意識の下に隠れていますが

潜在意識はつねに働いているそうです


表層意識(顕在意識)とは別次元で四六時中働いているそうです





トラウマ(心的外傷)は、過去の記憶や感情が

潜在意識にすりこまれたものといいます


過去の事実に、恐怖や不安の感情が強く結び付けらて

潜在意識に、記憶として留め置かれたものだといいます



仏教では「阿頼耶識」(あらやしき)という無意識層に

全ての行為〔(身、口、意(心)の業〕が

トラウマのように蓄積されているとされています




人間は、膨大な量の記憶を脳に刻むそうです


そうした膨大な記憶は、ばらばらに存在しているのではなく


脳は、感覚的、感情的、意味的に記憶する連関構造や

グループ構造を持っているそうです


これは、連想が、記憶の想起をうながすことから明らかだといいます



このような構造のなかでは、どのような記憶であっても

再生、想起される可能性は完くゼロではないそうです


ただ大部分の記憶は、生涯、再生されないそうです



科学的には、大脳の神経細胞ネットワークのどこかに

刻まれてはいるが


生涯、再生されないような記憶をも

「意識でない領域」=「無意識」と考えるそうです







潜在意識の特徴としては


① 時間と空間の認識ができない

過去、現在、未来がなく、常に今であるということ

過去にあったつらいことを思い出すとつらくなる

楽しいことを思い出すと、楽しくなるというように

過去の感情がよみがえってくる

1ヶ月先のスピーチのことを考えると

未来のことなのに、今 緊張する



② 想像と現実の区別がつかない

ケーキを想像したり、見ただけで唾液が出る

ケーキを食べても食べなくても唾液が出る

スポーツでイメージトレーニングが効果を持つ



③ 自分と他人の区別ができない

相手が楽しいのを見ていると、自分も楽しくなる

ドラマの悲しいシーンを見ていると、自分も悲しくなる

涙目の犬や猫の写真を見ると、自分の目もうるんでくる



④ キーワード検索機能があり、答えが出るまで答えを探し続ける

ど忘れしたことや言葉を、何日かたって思い出す



⑤ 論理的な判断ができない

正しいとか間違っているとかの判断ができない

太るのが体によくないのを意識では判っているのに

体重が増えてしまう

夜更かしすると明日がつらくなると知りつつしてしまう



⑥ ホメオスタシス(恒常性)をもつ

ダイエットがなかなか成功しない

性格がなかなか変えられない



この他にも、言葉の意味よりイメージに強く反応するとか

顕在意識が低下すると、潜在意識の割合が大きくなり

催眠状態に近づくなどの特徴があるそうです






「能力開発」や「自己開発」系の本、さらには「成功本」

また「自己啓発プログラム」というものの多くが

潜在意識をテーマにしたものです


潜在意識には、意識ではハッキリと自覚出来ない巨大な力がある


その心の奥にある巨大な力に

自己の改革、能力開発、そして目標達成に向けて協力してもらう

という話が中心です




宗教団体がやっているような「自己啓発セミナー」では

「あなたは宇宙とつながっています

本来的な自己、大いなる自己に目覚めなさい」

とか


「良いことを考えれば良いことが起こり

悪いことを考えれば悪いことが起こる

これが潜在意識の法則です

成功者に共通するのは

潜在意識を利用するのが上手だったのです」

とか


「無意識こそが本来の自己です

そこに意識が一致しないところに自己否定がおきます

だから意識を無意識に一致させなさい」

とか


「自分で自分をほめましょう」みたいな話をし

マインドコントロールのきっかけとしているようです







フロイトのリビドー



フロイトは「神経症」とくに「ヒステリー」を研究し

その治療法を開発します


これをのちに「精神分析」と名付けたそうです


そんなフロイトは、人の心理は

無意識層にひそむ抑圧された「性衝動」に基づく

と考えたといいます



人間に生まれながらにして具わっている本能的なエネルギーを

「リビドー」(「衝動」「欲動」と訳される)と呼びました



フロイトは

動物の場合、自分を生かそうとす

「生存欲」(自己保存の欲求)と


自分の子孫を残そうする「生殖の欲求」という

2つの原則というか本能で生きている


これに対し、人間の場合

動物的な「本能」ではなく


たとえ「痛み」(不快)があっても

現実に従って生きようという

「自己保存の欲動」(=現実原則)と


ひたすら「痛み」をさけ「快楽」を求め続けるという

「性の欲動」(=快楽原則)

という2つの「欲動」で成り立つ

としました



のちに

動物の生殖の欲求は、すべて他者に向かうが

人間の場合、自分を愛する部分があると考えて


対象リビドー」(対象愛)と

自己に向けられた「自我リビドー」(自己愛)

という考えを打ち出し


自己保存の欲求(現実原則)を、対象リビドーに含め

人間の欲動を「性の欲動」に一本化し


その中の「対象リビドー」と「自我リビドー」という構図

にあらためています







死の欲動



後期には、今度は「対象リビドー」と「自我リビドー」は

どちらも生きるための欲動であるとして


2つを「生の欲動」(エロス)としてまとめ

これに対する「死の欲動」(タトナス)という構図を唱えています




「死の欲動」は、攻撃・破壊の衝動だといいます


死の欲動に関しては、よく解りませんが


男性の「愛」には

犯したいという攻撃と破壊の衝動が含まれていますし


その愛を受け入れる女性には、自己破壊の欲求が含まれています



また、他者と一体となる性行為を

自己の破壊ととらえれば、性行為への衝動は、死の衝動と言えます





我々の祖先が、単細胞生物から

多細胞生物へと進化するとともに

無性生殖から有性生殖に移行したことによって


自分の全ての遺伝子を

子孫に伝えていけなくなったという事実は


進化とは、種のレベルにおいては「生の衝動」ですが

個のレベルにおいては「死の衝動」になるのかもしれません


そうなると、男女の生の営みである性交渉

さらに、異性を愛するという「愛」という感情は


個のレベルからは、自己保存であり、生の衝動ですが

種のレベルからいうと、 死の衝動なのかもしれません







フロイトの自我



フロイトは、精神を

「自我」「エス」「超自我」の3つの構造で説明しました


フロイトの定義する「自我」(エゴ)とは

「エス」と「超自我」とを仲介し

人格全体を統合して、現実への適応を行わせる精神の側面です


「エス」は、「イド」ともいいます

リビドーが発生している無意識とされ、快楽原則に従います



「超自我」(スーパーエゴ)は

〇〇しなければならない。〇〇してはいけない

〇〇すべきだといった道徳的心理です


良心(自我理想)に似ていますが、無意識的に働くとされます


自我は、エスと超自我からの要求を受け取り

環境に関係しようとするときの心理(機能)だそうです







エディプス・コンプレックス



有名な「エディプス・コンプレックス」は

フロイトの「性衝動」を理解する上で、欠かせない概念とされます



コンプレックスというと日本では劣等感を意味しますが

本来は、複合化された感情をいい「複合観念」と直訳されます



例えば、劣等感のコンプレックスの場合

ただ単に人より劣っているという感情=劣等感に


怒りや悲しみなどの体験、あるは強い嫉妬や憎悪などの感情が

無意識的に結びついた心理状態をいうそうです




「エディプス・コンプレックス」とは

フロイトの造語で、ギリシア神話のエディプス(オイディプス)にちなみます


男の子が無意識のうちに母親に愛情を持ち

自分と同性の父に敵意を抱く心理


無意識のうちに、父に代わって

母と性的な関係を結びたいとする欲望 だそうです




フロイトによると

男子は、幼児自慰がさかんになるおよそ3~6歳にかけて

父に敵意を抱き、母を性的に求めるといいます


この時期をエディプス期または、男根期と呼び、父に敵意を持つため

父から報復として去勢されるのではないかという恐怖

=「去勢コンプレックス」「去勢不安」(フロイトの用語)を抱くといいます



このコンプレックスは

男子の成長に重要な役割を果たしていて

父に憧れ、父のようになろうとすることによって克服されるそうです


また、この経験により、思いどおりにならないことがあることを悟り

欲求を抑制する「超自我」を形成していくといいます





また

思春期に性的衝動が強まってくると

再び オイディプス的欲求があらわれるそうですが


性的衝動が、他の異性に向けられることによって

オイディプス的欲求は克服されるそうです



神経症の患者は

去勢コンプレックス(またエディプス・コンプレックス)の克服に

失敗した者であるそうです





一方、女子には「ペニス羨望」という概念を立てています


女子は、幼児期に、自分の身体に、ペニスがないことを発見し

本来、もっていたペニスを母に奪われたと空想する


やがて「男子になりたい」「男子のようにペニスをもちたい」

とうらやみ


また、ペニスを与えてくれなかった母親を敵視し

父親の愛情を独占しようとする そうです



ペニス羨望は、やがてペニスと等しい価値となる

「子供がほしい」という願望に変化することで克服される


しかし、ペニス羨望が克服されずに残ると

神経症患者、女子同性愛者


また男性への競争心が非常に強い

男性コンプレックスの所有者になる としています







なお、ユングによって提唱された

女児のエディプス・コンプレックスと言えるものに

エレクトラ・コンプレックスという概念があります



女児が父親に対して強い独占欲的な愛情を抱き

母親に対して強い対抗意識を燃やす心理とされます



但し、女性の場合は

マザー・コンプレックス(母親に対し強い愛着・執着を持つ心理

母親の考えや言動に左右されやすい状態)が強いので

エレクトラ・コンプレックスが働く余地がないという説もあります



一方、女性の場合、マザー・コンプレックスが強く

エレクトラ・コンプレックスが働く余地がないという考えに対して

現実に即しているとは言い難いという立場もあるようです




エレクトラ・コンプレックスの エレクトラも

やはりギリシア神話に登場する人物です


父 アガメムノン(ミュケナイの王)を殺した母 クリタイムネストラと

姦夫 アイギストスを、弟の オレステスとともに

討ち取り復讐をなしとげた女性です







【 オイディプス 】



デーバイの王 ライオスと、その妻 イオカステの子


ライオスは「男子が生まれると、その子に殺される」

という神託を受けたが

酔ったおりに妻と交わり、男児をもうけてしまう


ライオスは、男児を殺そうと考えたが、殺すには忍びなく

男児のかかとをブローチのピンで刺し、従者に山中に捨てさせた


しかし従者も殺すのに忍びなく、男児を羊飼いに渡し

男児は羊飼いから子供がいなかった コリントス王 ポリュボスと

その妻である メロペに渡されて育てられた


男児はプース(かかと)がはれている(オイディン)ので

オイディプスと名づけられた


あるとき、オイディプスは、自分が王の子ではないことを知り

真実を知ろうと、デルフォイのアポロン神殿に神託をうかがいに行く


「自分がポリュボスとメロペの実子であるか」を聞くと

アポロンは彼の問いに答えず


「父を殺して母を妻にするから、故郷へは近づいてはいけない」

という神託を下した


そこでポリュボスとメロペとを実の両親と信じるオイディプスは

コリントスには帰らず、旅を続けた


旅の途中、馬車の一行と道の譲り合いで喧嘩となり

相手の従者が、オイディプスの馬を殺したので

これに怒り、相手とその従者を打ち殺してしまう

(谷底に突き落として殺したとも)


相手は、実の父の ライオスであったが

それとは知らずに殺害してしまったのである


その後、スフィンクスを退治する


〔 スフィンクス・・・・

顔は人間、身体はライオンの怪物。翼を持つこともある

エジプトに起源をもち、エジプトでは王権の象徴、死の神

ときに太陽神の化身とされた


ギリシア神話では、美女で翼を持つ

フィキオンの山で、なぞなぞを出し

これを解けない人間を次々に食べていた〕



スフィンクスのなぞなぞは

「1つの声を持ち、4足、2足、3足になるものは何か?」

というもので


オイディプスが「人間」

〔赤児は4足ではい、成人は2足で歩き、老人は杖をつく〕

と答えると


スフィンクスは恥じて

(神託になぞが解かれたときに死ぬとあったことからとも)

山より身を投げて死んだ



ライオスには後継者がいなかった為、王妃イオカステが国主となり

その実弟 クレオンが摂政として国政を担当していた


クレオンは、スフィンクスの謎を解き

退治した者にテーバイとイオカステを与える

という布告を出していたので


オイディプスは、デーバイの王位と

イオカステ(実母)をもらい受け、2男2女をもうけた


オイディプスがテーバイの王になって以来、不作と疫病が続き


クレオンが、デルフォイのアポロン神殿に神託を求めると

「不作と疫病は、ライオス殺害のけがれであるから

殺害者を捕らえて、テーバイから追放せよ」という神託を得た


そこで、調査をすすめていくと、真実が明らかになり

イオカステは首を吊って自殺し


オイディプスは自分で目をえぐって盲人となり

デーバイを去り、諸国をさまよって死んだという







【 阿闍世(あじゃせ)コンプレックス 】



日本の精神分析の草分けとされる

古澤平作(こざわへいさく・1897~1968)と

その弟子 小此木啓吾(おこのぎけいご・1930~2003)

によって

日本の母子関係にみられるものとして唱えられた理論です



エディプス・コンプレックスが

母を愛するあまり、父を亡き者にしたいと願うものであるのに対し


阿闍世コンプレックスは母を愛するがために

母を亡き者にしたいと願う心理だといいます




母親と子の間における葛藤が

両者の人格形成に現れるというものです


母親は子供の出生に対して恐怖を持ち

子供はそれに対する怨みを持つという話を根拠に


理想的な母との一体感➝ 母による理想像への裏切り

➝ 怨み(殺意)➝ 怨みを超えて、許し合う

といった人格形成の過程を示したもののようです




阿闍世とは、仏典に登場する阿闍世王のことで


阿闍世とは、もともとサンスクリット語で「未生怨」

出生以前に母親に抱く怨みの事を意味するといいます




古澤による阿闍世の物語(創作・仏典にはない)は


王妃の韋提希(いだいけ)は、王子が欲しかったが

年をとり、王の寵愛が薄れていく


占い師(予言者)に相談すると

「裏山の仙人が3年後に死んで、夫人にみごもり王子となる」

という予言を受けるが


3年を待ちきれずに、仙人を殺してしまう



仙人は死ぬとき「呪ってやる」と言い残したため

王妃は怖くなり、堕ろそうともするが


結局、阿闍世を産むも塔楼から落とす




青年になった阿闍世は

提婆達多(だいばだった・釈迦と敵対し人物)から

自分の出生の秘密を知る


阿闍世は、理想に思っていた母親に失望し、殺意さえ抱く



しかし、悪腫に犯され、誰も近寄らなくなった阿闍世を

王妃は、献身的に看病し、怨みを超え


釈迦の教えを受け入れた

王妃の看病により、阿闍世の病も癒え

その後、阿闍世は名君になる というものです




なお、仏典にみられる阿闍世の話は

提婆達多にそそのかされた阿闍世は、父王を幽閉し餓死させる

食事を与えられなかった王に

その身に蜜を塗って会いに行っていた母を怨み幽閉する


王位につき、マガタ国をインド第一の大国にするも

罪悪感から釈迦に帰依し、仏教の庇護者となったといったものです








アドラー



フロイトは、精神医学における一大勢力を築いたものの

彼の考えに無理があったので

結局、アドラーやユングといった

優秀な弟子たちが離反していったそうです



但し、フロイトの弟子たちは

彼の考え方のどこかしらかを批判した上で、これを継承し

さらに独自の理論へと発展させていったわけですから

フロイトの精神医学、心理学における歴史的な功績は

大きなものとされています





また、第二次大戦前頃から大戦後にかけて

主としてアメリカを中心に活動した精神分析学の一派

「新フロイト派」によると


「エディプスコンプレックス」は、フロイトが主張するように

人類共通の無意識としてあるものではなく

父権社会にのみ認められるもので


「去勢コンプレックス」や「ペニス羨望」は

男性優位の社会における心理的産物にすぎないとしています







アドラー(1870~1937・オーストリアの精神科医

自由精神分析協会を設立)は


幼い頃には身体が弱かったこともあり

身体器官の劣等性に関心を持ったといいます


そして全ての人に、形態や機能的に劣った部分が存在し

劣等感が存在することを発見したとされます



そこで、神経症の原因について

フロイトが、過去の性的外傷(エディプス・コンプレックス)

を主張したのに対し


アドラーは、劣等感と

それを補償しようとする「権力の意志」

(人よりも優れようとする欲求)を主張したといいます



それから、女性の劣等感は、社会的地位の低さから生じるとし

神経症の原因に初めて文化的な要因を持ち込んだそうです




アドラーの最初の診療所は、遊園地の近くにあり

患者には、遊園地で働く料理人や軽業師、

芸人等が多くいたといいます


アドラーは、彼らが身体的な劣等性を克服し

むしろそれを強みにして

遊園地での仕事を得ていることを発見したそうです




さらに、客観的にみても身体的に劣っている

というような劣等性だけでなく


主観的に「自分は劣っている」と思い込む

≪劣等感≫についても、この原理は当てはまることを発見します




人は、つねに理想の自分を求める≪優越追求≫という心理と

理想が達成できない自分に対する≪劣等感≫を

もつといいます



そして、この劣等感が補償されないと


自分が優れた人間であるかのように見せかけ

偽りの優越感に浸る「優越コンプレックス」や


なにも努力もせず、自らの劣等性を言い訳とする

「劣等コンプレックス」という心理が生まれるといいます




アドラーによると

劣等感も、トラウマも

現実を肯定ための言い訳、道具にすぎないといいます


トラウマなら、自己変革を避けたいという心理から

過去に原因を求めているだけであるということです



また、そこから「変わる勇気を持ちなさい」ということと

「自己を受容しなさい」ということを説いたことから

彼の心理学は、≪勇気づけの心理学≫と呼ばれています





フロイトとユングと潜在意識 ②




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