緋山酔恭「B級哲学仙境録」 文化論 Ⅰ 食べて食べられガラガラポン 永遠に○○民族



B級哲学仙境論


文 化 論


 




文化論 Ⅰ




食べて食べられ
ガラガラポン





永遠に○○民族



自分の信念や良心においては

全てが自由というか勝手です



それは誰がどうしたというのではなく

生命の仕組みとして自然にそうなっているのです



私自身、生命の永遠性

(霊魂や阿頼耶識などの存在)を強くではないですが

どちらかというと信じています 


というか信じたいという欲求があります




人間は、人間の五感で認識でないことは利用できません


電気を「雷」「静電気」として認識できたから

こうして利用できているわけで

存在はあっても認識できなければ、存在しないのと同じなのです



それゆえ、人間が科学で説明できるのは

宇宙の法則は、ほんのわずかだと考えられています



なので、生命の永遠性を信じるから

というだけでは、非科学的とは言えないでしょう





とはいえ、物理的な思考をも

つまり、ガラガラポンのような思考をも

一緒にもっていないと


宗教の信者のように

自分の信じたいコトを信じた

というだけの人生で終わってしまいます




人が死に土葬されたなら

小動物や昆虫や微生物によって食べられ

分解されたりして、その生物の体の一部となります


火葬ならば、灰となり、土にまかれれば、土の一部になるし

また植物に肥料として吸収されてその一部となります


その植物また、他のモノに食べられることで

その一部となってゆく・・・




このように分子や原子は、福引きさながら

ガラガラポン=ランダム という法則もと


カエルの一部となるときもあれば

人間の一部として生まれてくるときもあるし

土の一部や草の一部になるときもあります



また、自分の身体の原子や分子は、宇宙のチリだったり

太古の地球の海だったり、恐竜の血液だったり

した可能性もあるのです





「わたし」や「あなた」を構成している1つの1つの原子は

あるときは王様の体の一部だったり

またあるときは奴隷の体の一部だったり

またあるときは星の一部だったり

またあるときはカエルの一部だったりするのです



つまり1つ1つの原子は、王様だったときにはいい思いをし

奴隷だったときには悪い思いをしてきたというように

いい思いも悪い思いも経験しているのです


原子にいいも悪いもへったくりもないかもしれないですけど(笑)




いずれにしてもそうした原子のあつまりの

≪自分とあなた≫と考えれば


会社の社長のAさんと

リストラされたBさんに差なんてない


つまり、原子レベルからいっても差はないわけです






また、ガラガラポンのような共通認識をもたない限り

ユダヤとアラブのような宗教対立は、いつまでも解決しません



イスラエルの人は、自分は永遠にユダヤ教徒であり

ユダヤ民族として神に救済されると思っているし


パレスチナの人は、自分は永遠にイスラム教徒であり

アラブ民族として神の救いを受けられると思い込んでいます




民族主義、宗教の独善主義の根源にあるのは


自分は永遠に○○民族であり続けられる

また、自分は永遠に〇〇信徒であり続けられる


という思い込みですが


私から言わせるとそうした思い込みからくる

≪日本民族の誇り≫なんてものは

結局、≪しらけないためのもの≫なのです



こんなこと言うと

日本の精神を尊ぶ右翼の人とかに

怒られてしまうかもしれませんが(笑)





今年の運動会では、自分は赤組になったけど

来年の運動会では白組になるかもしれない

「だから赤組を応援しても意味ないや」

なんて言ったらどうですか?


しらけちゃうでしょ



「今は日本人でも、ガラガラポンで

いずれは中国人だったり

アメリカ人になったりするんだ」


「だから、日本人の誇りなんていらない

だから文化なんていらない」


なんて言ったらしらけちゃうのです



オリンピックはもり上がらないし

人生そのものがしらけちゃうのです




そこで、運動会で「赤勝て、白勝て」ともりたてるように

日本人でいるときは

「日本人としての誇りを持ちましょう」

「日本の文化を大切にしましょう」


「国際舞台で活躍する日本人を応援して

しらけないようにしましょう」

というたてまえ、というか理屈が


≪日本人としての誇り≫なんていう

バーチャル的な精神です





空にある星が急に明るくなったかと思ったら

爆発して消滅しちゃうなんてことはよくあります


その星の光が届くまで○○光年かかるというから

地球でそれを見たときは

その星はずっとずっと昔に消えてしまっているのです



そのとき私たちはどう思いますか?


別に何も思わないませんよね


その星に何10億という人類が存在していたとしても

我々はなんとも思わないということです



まして1つの星の1民族の「誇り」とか「美徳」など

宇宙的観点からしたらなんの意味もないのです




ナチスに協力した 20世紀最大の哲学者と称される

ハイデガーもそうでしたが

本気で≪民族の誇り≫なんて言っている教授がいたら

その方は少しおつむが足りないのですよ(笑)






逆にいうと


私たちの先祖は

我々の人生がしらけないよう

色々と要素を考えてきてくれているのです


日本という国、日本人という民族

この2つのストーリーを成り立たせるために

様々と要素を考えてきてくれているのです



その要素が


日本人固有の精神〔神・善悪・美徳などに対する観念〕

日本人固有の美意識〔侘び寂や雅など〕だったり


天皇制だったりするのです




じゃがいもも「煮っ転がし」や「カレー」にすると楽しいですよね


「じゃがいもも、にんじんも、玉ねぎも、肉も、別々に食べたって

お腹の中に入れば同じだ」と言えばそれはそうなんだけど

それじゃ、しらけちゃいます


そこで、食事というストーリーを楽しむため

煮っ転がしやカレーという要素を考えたわけです


それと同じです






民族というのは、文化において成り立ち

文化の本質とは1つには

他の集団との差異、区別、もっというと差別です


千葉県浦安市では

東京ディズニーランドでの成人式が

毎年恒例となっているそうですが

日本民族の成員となるための成人式が


ディズニーランドって(笑)


政治家も、学校の先生も、参加する青年も、その親も・・・

みんな頭おかしいんじゃないのかな?



アメリカ人になるのですか ?(__!)?(!__)?



≪文化≫ってものも

≪民族≫ってものも

なにも解っていないということですよ(笑)



浦安市の属する下総国一宮 香取神宮ですべきが

もっとも本筋に近いはずです



これは、右とか左とか関係なく

中立というか、あたりまえの思考ですよ(笑)





ちなみに文化のもう1つの本質とは「暇つぶし」です



まず「文明」というものがあります


これは人間が、簡便(簡単で便利)や安全に

生活を送るために発明し、発達させてきたモノやコトです


例えば、水を手ですくって飲むより、コップで飲む方が効率がいい

そこでコップというモノ=文明が生まれます



そのうちそのコップに彫刻をしたり

色づけしたりという「文化」が生まれたわけです


また、家という文明に、絵や花を飾ったり

石の置物を飾ったりという「文化」が生まれたのです



このように文化とは

≪文明に「遊び心」が加わることで、生まれる現象≫

と言えます


そしてこの「遊び心」の

地域的な差異、区別が

文化の違いということになります





また、人間にとって

暇というのは、お腹が減っているのと同じくらい辛いのです


そこで私たちは暇をうめるために

多種多様な文化を楽しむのです



「恐怖」は、本来、動物としての本能では避けます


ところが、暇つぶしに

ジェットコースターやホラー映画

バンジージャンプなんかを

楽しむ文化までが生まれたわけです







集合的無意識と文化



ユング〔カール・グスタフ・ユング・

1875~1961。スイスの精神科医、心理学者〕

の研究は


精神医学、心理学ばかりでなく、人類学、比較宗教学にまで及び

現在も大きな影響を与えています



ユングは、キリスト教や自然科学を絶対視する

ヨーロッパ中心主義に反対し


東洋に大いに興味を持ち

中国の易経〔儒教の経典。五経の1つ。占筮(せんぜい)の書〕や

日本の禅などを紹介したそうです


とくに、密教の曼荼羅は

自己を表現するものだと考え、重視したといいます





ユングは、フロイトの弟子でしたが

無意識に存在するリビドー(衝動・欲動)を

フロイトよりもはるかに幅の広いものと考え

フロイトと訣別したといいます



フロイトは、人の心理を、無意識層にひそむ

「性衝動」に基づくものと考えましたが


ユングの考えるリビドーとは

あらゆる知覚、思考、感情、衝動の根本となるエネルギーであり

それは性衝動ばかりでなく、創造的要素も含むエネルギーだといいます



そして、心は、快楽の原理につき動かされ支配されているのではなく

自律的に制御されていくと主張したそうです




それから、ユングは、自我と自己を立て分けています


意識は、自我とペルソナ(仮面)から成り、自我が意識の中心だといいます


ペルソナは環境に対処する「顔」で

自我とペルソナに不調和が生じると、心理的負担が生じるとしています


一方、自己は、意識、無意識を含めた心の中心として位置付けています



そして、≪意識は、無意識より生じ

意識と無意識は、互いに補い合っている

意識が統合性を失い一面的になると、これを補って

さらなる高次の統合へと至らしめる存在が無意識の中にある≫

とし


≪自己実現とは、このような無意識の働きを意識化していくことである≫

といったようなことを主張したようです




さらに、≪フロイトの説く「個人的無意識」は、経験に基づくものか

抑圧された願望をさし、基本的には意識できるものだ≫と主張し


その上で、無意識には「個人的な無意識」と

人類共通あるいは民族共通の≪普遍的無意識≫である

「集合的無意識」があることを主張しています



集合的無意識とは

≪個人的な経験を超えたもの≫

≪種族的に遺伝されてきたもの≫

≪全く意識されることはないが、全人格を支配するもの≫

といいます




なお、ユングの集合的無意識が具現化されたものが

「文化」ということになります



しかし、集合的無意識というのはホントにあるのでしょうか?


もしあるとするならば

なぜ西欧はキリスト教一色になり

アラブはイスラム教一色になったのでしょうか?



文化というのは

もっと単純な構造主義的なものからくるのではないでしょうか?



「構造主義」とは、個人が所属する構造

(国家・民族・歴史・言語・文化・伝統・生活様式・社会階層など)が

人間の主体性や意識(思考活動)に先行するという立場で


主体は、国家・民族・歴史・言語・文化・

伝統・生活様式・社会階層などといった

≪構造≫によって決定づけられていると考える立場です



簡単にいうと、日本という構造で生活することによって

主体に日本人という意味づけがなされているということです




よく言われるのが

サッカーの国際試合やオリンピックを例にして

≪日本人なら、日本を応援する≫ → 集合的無意識

ですが


これって単に、日本に生まれたから、日本を応援する

というだけであって


両親が日本人で、その遺伝子をもっていたとしても

アメリカに生まれ、アメリカで育ったならば

まず、アメリカを応援するはずです




しかも、これも総体的な話で、ワールドカップサッカーで

「俺は、日本よりも、ブラジルやヨーロッパのチームを応援しているよ」

という人も少なからずいるはずです



これはどんな文化においても言えます


三味線や琴よりも、バイオリンやピアノの方が好き

川合玉堂や横山大観よりも、ゴッホやルノアールの方が好き


姫路城や平等院よりも

ホーエンツォレルン城(ドイツ)やミラノ大聖堂の方が好き

という人も多いはずです




こうしたことから考えても

文化というものは

雪国や南国などといった気候風土的な影響はおいとくとしても


日本というレイアー(構造)よりも

地域的、家族的なレイアーの影響を大きく受けている

と言えるのかも知れません



例えば、ねぶたの時期には

地域住民総出で、祭りの準備にとりかかるとか


母親がピアノの先生であったことから

幼少期からピアノに接してきたとか


そういったことに、個人的な文化は、大きな影響を受けている

と言えるのではないかと思います




そうなると「集合的無意識」があるとすると

どんなことが考えられますか?



世界のどこかの国で苦しんでいる人がいても

道徳的な感情が湧いてこないのは


我々人類が「遠くの人を助ける」という経験を

進化的にしてこなかったことが原因だという人がいます



我々は、仕事でもグループ同士いがみあったりしますよね


同じ会社の仲間であっても

違うグループの人間に対し敵対意識をもちます


これも同じ理由のなのかもしれません



私たちは進化的に群れ同士争ってきたことから

そういった感情判断がなされるのかもしれません



いずれにしても

グループ意識を支えている無意識が

≪集合的無意識≫であることは間違えないはずです



戦争などがあったときは

「日本人」という意識のもとに、結束するわけですが


この意識を支え、真に結束させるのが

「集合的無意識」と言えます



また、平和なときは

幼稚園のママ友仲間で、うちの子が一番、優秀であるとか

同じ会社で、うちのグループが一番、成績がよいとか


こういった意識の底で

働いていたりするのではないでしょうか・・・・



要するに

≪自分の根拠の幸福≫に根ざしたグループ意識を支える

潜在意識が「集合的無意識」ではないかと思います




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