緋山酔恭「B級哲学仙境録」 穢多・非人と同和問題



B級哲学仙境論


穢多・非人と同和問題


 




穢多・非人と同和問題




穢多・非人 ①



日本の近世の身分制度はいつできたの?


秀吉が身分統制令という法令により

武家の奉公人が百姓や町人になること

百姓が耕作地を放棄して商業や日雇いに従事すること


主人のもとから脱走した奉公人を

他の武士が召し抱えること

の3つを禁止したことがきっかけのようです



この法令と

検知(土地の測量調査

全国的規模で統一的におこなったのは太閤検地が最初)

刀狩(農民から武器を没収)によって「兵農分離」がなされたわけです




それまではどうだったの?


武士は農村を根拠とし、荘園(所有地・太閤検地により廃止)をもち

農民を直接支配し、生産にも関わっていたといいます


また、農民が武士になることもあり、兵農は未分離だったとされます



秀吉の「兵農分離」の内容は

個々の武士が個々の農民を個別に支配しない

また、武士は農業生産に直接関わらない

武士は農村から離れ、支配者階級として

城下町に集まって居住し、生産物や地代を搾取する


大名は、年貢米を中心とした生産物を取り立て

これを商人を通じて換金し家臣を養う というものです


これにより農民が被支配者であることが明確になったのです



これが江戸時代にいっそう強化され

≪士農工商穢多非人≫という身分制度を生んだとされます






工商を町人といいます

それから、貴族や僧侶や神官は士に準ずる身分

とされていたといいます


また、農工商の順ですが

実態は、農民がもっとも厳しい支配をうけたのです





穢多(えた・けがれが多い意)と、非人は、賎民身分で


穢多は、死牛馬の処理、皮革のなめし

竹細工などの雑業的な手工業

染色業、清掃、死体の埋葬などを行い


また、刑場の下役をしたり

岡っ引きや目明しの手先として村をスパイし

一揆弾圧に貢献したといいます




非人は、主に物乞いを基本とし

大道芸や雑芸によりわずかな報酬を受けたり

大きな寺社に隷属し寺社の域内や道路の清掃をしたり

葬式の下役をしたといいます


罪人の市中引き回しや刑場での下役などにもあたったようです



また、江戸周辺では死牛馬の処理権をもつ穢多のもとで

実際の仕事は主として非人がしたといいます



加賀藩のように非人の物乞いを禁じ

手工業や新田開発の日雇いに従事させる藩もあったといいます





服装なんかも差別されていたの?


穢多・非人は、百姓や町人との婚姻はゆるされず

たばこの火さえ彼らに与えてはいけないとされていたといいます


雨の中でも、かさやげたを使用できず

一見して区別できるように、髪形・服装まで制限されていたそうです



それから穢多・非人は、奴隷ではないのです

奴隷以下、人間ではない存在とされていました




百姓と一口に言っても、庄屋から下人までさまざまいます


百姓を大ざっぱに分けると

本百姓、分附(ぶんつけ)百姓、下人となります



本百姓は、年貢を直接おさめる義務をもつ農民


分附百姓は、次男や三男で

田畑を本家から借りて耕作し、年貢を本家におさめる農民



下人は、本百姓や分附百姓らに

親の代から飼い殺しになっている農民で

馬小屋に馬といっしょに寝かされ、食事も土間でとり

ものとして扱われ、売り買い自由とされていました


つまり奴隷です







穢多・非人 ②



えたの語源は明確ではないようですが

鷹や猟犬の餌肉の採取に従事した餌取(えとり)に由来するとか


死牛馬の処理や皮革のなめしに従事した人をかわた(皮多)と呼び

かわたへの蔑視が強まって穢多となったなどと言われています



彼らは河原者と呼ばれ、河川敷に住んだそうです



非人には親子代々の非人の他

天災や戦乱により土地を追われた者

貧窮・孤独な病人、ハンセン病患者、障害者なども含まれていたようです



親子代々の非人を非人素性(すじょう)といいます


他に、生活の困窮により乞食浮浪の身となった

無宿非人、野非人(のびにん)



犯罪を犯したり心中をし損じて非人の身に落とされた非人手下

〔ひにんてか・心中未遂は男女ともに晒(さら)し刑にされた後

男は斬首、女が非人手下に落とされた〕が存在したといいます




それから、非人居住区(部落)を「散所」といったそうです

散所は、都市の周縁部や河川敷に設けられていたようです






非人は、穢多頭(えたがしら)の弾左衛門家

〔弾左衛門は襲名。関東一円、甲斐、駿河

陸奥の一部の被差別部落を管理するとともに

幕府から全国の被差別部落に号令する権利を与えられていた〕

の下に置かれ

直接的には、各地の非人頭が支配したといいます



江戸の非人頭には、浅草の車善七(くるまぜんしち)

品川の松右衛門(まつえもん)、深川の善三郎

代々木の久兵衛 といった人たちがいたようです



このうち車善七(襲名)が最有力で

弾左衛門家とは支配や権限をめぐってしばしば対立し

訴訟をおこしたようです




また、江戸時代の賎民は、穢多、非人を根幹とし

その他にも賎民視された種々雑多な被差別民がいたのです



乞胸〔ごうむね・江戸に限って存在し、町民身分でありながら

乞胸頭のもと、大道芸を演じたり、雑芸をして各家をまわり

わずかな銭や物をうけて生活

乞胸頭は浅草の非人頭の支配下に置かれていた

乞胸業界を離れると町人に戻る〕



鉢屋〔はちや・竹細工を主な生業とし、鉢やひさごをたたいたり

ささらを鳴らして歩き、茶筅などを行商

茶筅やささらなどとも呼ばれた〕



猿飼(さるかい・猿回し)



青屋〔あおや・藍染を生業とし

京都町奉行のもと牢舎の監視や処刑場の清掃などの労役を課せられた〕



夙〔しゅく・主に近畿地方に住み、農業に従事する一方

竹籠や箕(み)や土の器などをつくって行商したり

また三味線などを弾き雑芸能を行なった〕など

その数は数十種に及ぶようです







穢多・非人 ③



どれくらいの賎民はがいたの?


幕末の段階で、穢多は28万余

非人は2万3千余、その他8万の賎民が存在していたとされます


江戸時代の人口は2600万人くらいだというから

穢多は1%強。非人にいたっては0.1%にもみたなかったことになります



ちなみにはっきりした資料は存在しないそうですが

江戸時代の武士階級は、たった1割しかいなったと考えられています


その武士を7割~8割の農民が食べさせていたのです

〔仮に、武士が2割いたとすると、この制度を維持できなかったという〕



このような制度を300年も維持させたのは

武士へと向かうべき反発のエネルギーを

農民が、穢多・非人といがみ合うことで相殺させていたこと


それから、農民から学問を遠ざけることで

支配しやすいようにしていたこと という説もあります




つまり、弱い立場の者を力と頭脳で支配していたわけです

8割の農民が団結すれば、武士に負けないのに

それに気づかせないないために・・・




穢多の身分は末代まで続くとされていたのに対し

穢多より下位の非人には、3代を経た者

また10年以上非人小屋で暮らした者は

平民に戻れる「足洗い」という法律があったといいます


これによって穢多と非人が連帯することをはばんでいたといいます


優越・劣等を巧みに利用して、支配していたということです







穢多・非人 ④



明治になると賎民制度は廃止されましたが

部落差別が残存し、長きにわたって社会問題となっていました


いわゆる「同和問題」です



明治、大正と時代が進むなか

部落民の児童がかよう部落学校も

一般の小学校に統合されていったのですが


部落が存在する地区の学校へは子供を行かせられないとして

他の地域の学校に入学させる越境入学が続いたといいます



奈良県内のある中学校では

30%以上が越境入学による生徒なんてこともあったといいます



また、大阪市へは3万人を超える越境入学者があり

大阪市の教育委員長が越境入学を許した非を認めた

なんていう事件もありました




今では考えられないですが

婚姻や就職でも差別されたていたのです



壬申戸籍(じんしんこせき)というのが

部落解放令(賎民身分の廃止)の翌年の

1872年〔明治5・壬申(みずのえさる)の年〕に編まれました


日本初の近代的な戸籍です


現在の戸籍簿や除籍簿からさかのぼってゆけば

壬申戸籍にたどりつくことができます



すると、穢多や非人といった

部落民の血を引くかどうかが簡単に分かってしまうのです



1968年(昭和43)には壬申戸籍の閲覧が禁止されたましたが

その後も、部落地名総鑑(部落の所在地5600ヶ所が記載)

がひそかに出回り

大企業や銀行などが購入したことが明らかになっています


部落地名総鑑に似たようなものは数種あり

購入した企業が200社を超えることも明らかになっているそうです




細木数子のような占い師が

「先祖は自分の根拠であり、先祖を粗末にするから不幸になる」

なんていうデタラメを言って、よろしくできるのも


人間という存在が「根拠」(アイデンティティ)を欲し

その根拠は、他者を差別することで満たされるからです



人間とは、このような哀れな生き物なのです




奴隷貿易にたずさわった人たちのほとんどが

熱心なキリスト教徒だったいいますし



つい最近まて、欧米では

≪奴隷にされたことで

アフリカ内部で頻発している戦争に巻き込まれなくてすむし

アフリカにいたときよりもはるかに文明的な生活をすることができる

それになによりキリスト教に改宗できたのだから

むしろ彼らは幸福だった≫

という考えも根強かったとされます




また「拝金主義はよくない」とか言いますが


こうした人種、民族、部落、また身分に対する差別が

許されなくなり


その当然結果として

人が、お金という存在に根拠を求める比重が高くなっていった

と言えるのではないでしょうか?






さて、戦後は、被差別部落は

同和地区と呼ばれるようになります


また、部落民の社会的、経済的問題を解決する政策を

同和政策と呼ぶようになりました



同和の意味は?


戦前には、部落開放政策を融和政策といい

そのなかで同情融和、同胞融和などの

言葉が用いられてきたそうです


同和とはこれらの言葉に由来するようです



1975年(昭50)の政府の発表によると

被差別部落の全地区数は4300を超え


同和関係者の人口は約112万で

近畿以西で86.8%を占めていたといいます



但しこの発表には、北海道や東北など

13もの道県からの報告が得られていなかったとされます




さらに、アイヌ民族、僻地住民、障害者、女性

在日朝鮮人、旧植民地民などへの差別も

近代日本における重要な問題だったとされます








穢多・非人 ⑤



同和に関しては、近年、≪逆差別≫が問題になっています


ウィキペディアの「同和利権」には

【 被差別部落の環境改善対策として

巨額の予算が計上されてきた同和対策事業に関わる活動により

同和団体が政治家・役人・暴力団と結託し

公共事業に便乗して手に入れる、巨額の利権をさす語である 】

とあります




また広義の「同和利権」には


教育現場への同和教材の大量販売等



「選考採用」【 京都市が現業職員採用の際に用いていた採用方式

部落解放同盟や全国部落解放運動連合会などの

部落解放運動団体の推薦した人物を職員として採用


2001年度まで約30年間も続いたため

約6000人もの職員がこの選考で採用されたと見られる


数々の不祥事が明らかとなり

2007年10月から、まち美化事務所、土木事務所

農業指導所、公園管理事務所などにおける

現業職員らの仕事ぶりを市民がチェックする

オフィスモニター制度が導入されることとなった 】


現業職員とは、国および地方公共団体の

非権力的な業務(管理職的でない業務)のようです



「同和加配(かはい)」【 同和地区の公立小中学校や保育所などに

他よりも多くの職員を配置(加配)する優遇措置


本来の趣旨は、多くの教員を配置することにより

同和地区出身の生徒の学力を高めることや

多くの給食調理員を配置し、豊富な栄養を取らせることなどだった


しかし、同和加配によって送り込まれる職員は

部落解放同盟など運動団体の活動家が多く


同和団体に忠実で、校長や教頭の指示に従わなかったり

放課後の同和地区出身児童・生徒対象の補習にのみ出席し

通常時間帯は全く授業を行わない「幽霊教員」の問題など

教育現場でのトラブルが絶えなかった 】


といったことも含むとあります






アメリカにも

「同和問題」と同じような≪逆差別≫がのさばっているようです


知り合いの教授から以下のメールをいただきました



【 日米問わずマスコミが、このことを一切報道しない

これが一番の問題


黒人への人差別だけが報道されて問題だとされているが

白人への逆差別を取り上げない限り


偽善の白人人種主義者は

同じ白人から陰で叩かれることになります



本質(白人差別)に目を向けずに、黒人差別だけを声高に叫ぶ

これでは民族対立を(静かに)あおることになります


白人が声高に差別を訴えることはしない(できない)ので




実は米国では有色人種への差別の撤廃を謳うあまり

有色人種(特に黒人とヒスパニック系)への

優遇措置が行き過ぎていて

白人の中で不満がくすぶっているのです



例えば、Wさん(白人)とBさん(黒人)の二人がいて

会社の採用試験を受けているとします


このとき、多少、Wさんの方が能力的に高くても

雇用機会均等法があるためにBさんを採用するケースが多い



というのも

黒人の採用率を白人の採用率に近づけることが

法律で義務付けられているからです


よほどの差がない限り、Wさんが採用されることはない



そもそもの教育格差のために

普通に能力で採用すると法律違反の状態になってしまうので

こういう状況は日常的に起こります



それどころか、採用の場面だけでなく

社内の昇進についても同じことが起こります



当然、Wさんは結果を不満に思う訳ですが

法律上このようになっているので

不満をぶつける先がないわけです



能力で選べないって、普通に差別だと思うんですけどね




正直な話、必ずしも教育環境のよくないアジア系の人たちは

成績が大変よく、普通に米国で活躍しているので


教育格差は黒人の言い訳でしかなく

そういったことも白人の不満としてあるでしょう


(加えて、アジア系にとっても白人と同じ理由で不満を持っています

自分たちは努力で採用を勝ち取っているのに

黒人は努力もせずに制度によって優遇されている、ということで)





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