緋山酔恭「B級哲学仙境録」 日本人の起源 ハプログループ




B級哲学仙境論


日本人の起源

ハプログループ


 




日本人の起源

ハプログループ




ヒトのY染色体は、男性から男性へと遺伝するので

Y染色体をたどることにより

男性の共通祖先へとたどり着くことができます



こうして約19万年前のアフリカの男性にたどり着いたそうです

この概念上の人物が、"Y染色体アダム"です


Y染色体アダム近いグループ(民族)=変異の少ないグループほど

古くから存在していたということになります





以下は、知り合いの大学の教授から

送られてきた話です




日本人に、古代から伝わる遺伝子は


ハプログループDという

Y染色体の分類になるのですが


このY染色体を持っている人が多くいる地域が

日本、チベット、インド洋アンダマン諸島

に限られております

(どれも微妙に異なるのですが)














この分布から、元々グループDは

東アジアと東南アジアを中心に

住んでいたのではないかと考えられています


しかし現在、日本やチベットで残っていて

近隣諸国に残っていないってどういうことでしょう?


ちなみに、中国や朝鮮はグループOに分類されます

全く異なるグループです






日本が、大陸から離れてから

何かの病気で、ハプログループDをもつ人たちが

絶滅したと考えるには

チベットで残っているのが問題となります


地殻変動が原因で絶滅したというのも

日本やチベットで絶滅していないことが不自然です


と考えたら

日本が大陸から離れてから何者か(グループO?)

がやって来て

グループDの民族を絶滅させたか

チベットに追いやったと考えるのが自然です

〔その前からグループDの民族間内で

争いを起こしていた可能性ももちろんありますが〕





動物の進化や

各民族が共通の祖先(=Y染色体アダム)から

どのようにして生まれたかは

塩基配列がどのように(突然変異で)書き換わっていったかを

調べることで分析しています


グループDとかグループOとかは

一致度が高い塩基配列を持つ民族の集まりです

(当然、同じグループでも塩基配列が全く同じ人はいない)




これらのグループがいつ誕生したかは

Y染色体アダムとどのくらい違っているか

が大きく関わっていて

違いが少ないほど大昔に

違いが大きいほど比較的最近に誕生したことになります



塩基配列が大きく異なるためには

それだけの時間が必要になるからです

このことを古い、新しいと言っています



そしてアルファベットが早いほど

古くから存在するグループなので

グループDの方が古く

グループOは、後から誕生したグループになります





1、Y染色体アダムから突然変異で

グループAとグループBTが誕生した


2、グループBTから

グループBとグループCTが誕生した


3、グループCTから

グループCFとグループDEが誕生した


4、グループCFからは

グループCとFが

グループDEからは

グループDとEがそれぞれ誕生した


5、グループFから

3つのグループG, H, IJK が誕生し

と続き

グループIJKから突然変異を繰り返して

グループOが誕生しています

(ちなみに、各グループ内でも細かくグループ分けされています)





というわけで

グループDの民族の方が、先にこの世界に誕生しているので

グループDが、東アジアや東南アジアの先住民族と考える方が自然です

(2つの誕生には3万年ほどの違いがあるとされています)



また、上記のようにグループOは

グループDから変化してできたグループではないので

別の場所で誕生して東アジアに来たのか

移動しながら誕生したのか のどちらかになります


グループOが、どのタイミングで東アジアにやってきたか?

は分からない部分で


日本が大陸から離れてからなのか、陸続きのときなのかは

はたまた両方にまたがる時期なのか実際には分からないです



私の予想は大陸から離れてからグループOが来た

ですが、外しているかもしれません


なぜなら、説明できない部分がいくつかあるのです


というのは

別に日本にグループOの人がいないわけではないのです


O1bと、O2という種類が主なのですが

これとDがそれぞれ一定の割合います


Y染色体の系統的には多民族国家なのです




ちなみに

中国(漢民族)はO1bとO2が

15%と55%くらい

朝鮮はO1bとO2が

30%と45%程度

どちらもDは5%未満



これ対して日本は

DとO1bとO2が

40%, 30%, 20%って感じ


これを見ると、Dがやってきて

次にO1bがやってきて、最後にO2がやってきたっぽいです




中国では、O1bがDを制圧して

O2が、O1bとDの両方を制圧したっぽい


朝鮮でも同じことが起きようとしていたのかもしれないですが

O1bが持ちこたえたというところでしょうか


もしくは中国から押し出されて朝鮮半島に移り住んだ?

Dは、少しずつ日本に押し出された可能性も?



日本はグループOが、一度に大量にやってくる

ことがなかったのかもしれないですね


少しずつ入っていって

グループDの生活に同化していった可能性が高い

そうでなければ大陸と同じことが起こるはずなので


どちらにしても

それぞれの系統が一定の割合で混在しているところを見ると

日本では一方が他方を武力で制圧した可能性は

あまり高くないと思います




なお、日本のグループDは、D1bがほとんど全てで

他の細かいグループが混ざっていないんですよね


となるならば、Dのメンバーが味方うちで殺されたと考えるのは

少なくとも難しいです



このような状況のなか

DとOとの間で殺し合いがあった

と考えるのも、無理がありません?




ちなみに、アイヌはグループOがほとんどいないので

グループOが来た経路は九州・沖縄経由で間違いないです

(大陸側から見ると、中国南部か朝鮮半島を経由して来た)


それと、朝鮮半島には10000年前~5000年前の5000年間

人がほとんど住んでいなかった可能性が指摘されています


この年代の遺跡が朝鮮半島からは出てこないのです

そして、その年代に日本で稲作が始まっているのです





さて、中国や朝鮮って

時代(王朝)が変わると前王朝の文化を全て破壊します


2000年にわたる中国の属国だった朝鮮半島はともかく

中国なんて古くからの歴史がある割に

古代遺跡がないのはそのためです


長安(現在の西安)なんて見るも無残です

ただの地方都市


だから、中国人は

京都(=平安京=長安をモデルにした都市)に来て

「唐の影響が色濃く残る文化」

に感動すると同時に落胆するそうです

「何故中国にはないのか」と


話がそれましたが

日本人には「徹底的に破壊」というマインドがないので

理解しがたいと思いますが


大陸では「徹底的に破壊」が

遺伝子に組み込まれているかのごとくに普通に行われます


現代だって例外ではありません

中国共産党は文化大革命において

中華民国時代を清算しています


このとき、文化財の破壊・略奪だけでなく

文化人(お金持ちや僧侶などの宗教家)の大虐殺を行っています


中国共産党の発表では死者数40万ですが

実際には1000万規模と考えられています

4000万と考えている研究者もいます




それが、昔々に

グループDの人間に対して行われていたとしても

不思議ではないと思います


実は、中国・朝鮮だけでなく

敵対グループを徹底的に殺す方が

世界的には普通なのかもしれませんが・・・・






以下、クリックすると画像が拡大表示されます












なお

ミトコンドリアDNAハプログループも

出アフリカ後の移動ルートとして

南ルート、北ルート、西ルートに3分できるそうで

これはそれぞれ、オーストラロイド

モンゴロイド、コーカソイドに相当するといいます


非出アフリカ(ネグロイド):L0,L1,L2,L4,L5,L6,M1

南ルート(オーストラロイド):M29´Q,O,P など

北ルート(モンゴロイド):M7,A,B,C,D,E,F,G,N9 など

西ルート(コーカソイド):S,H,V,J,T,I,W,Ⅹ など







●  コロボックルと日本人の起源



「コロボックル」は、アイヌの説話に登場する小人

地面を50センチくらい掘って、屋根をかけた竪穴住居に住むという


また、コロボックルとはフキの葉の下に住む人の意味で

フキの葉の下に2~3人(10人とも)入れる大きさだという


漁が得意で、笹の葉を合わせて作った舟で漁に出て

多くの舟が力を合わせてニシンなどを捕り、クジラも捕る


北海道の原住民で、アイヌの家にやってきて物品を交換したりする



人類学者の 坪井正五郎〔1863~1913・東大理学部教授

日本人類学会の創設者〕が、1887年(明治20)に

「コロボックルは日本列島の先住民で、アイヌに追われた」

と主張し


「日本人の先住民はアイヌである」(当時の主流の説)

と主張した

小金井良精〔よしきよ。1858~1944・東大解剖学部教授

日本解剖学会の創設者〕

と激しい論争を展開した



これを「コロボックル論争」

「アイヌ・コロボックル論争」という


この論争によって、日本人の起源の研究が飛躍的に進歩したという



小金井は、人骨の実証的研究から坪井の間違えを証明し

彼の「アイヌ先住民説」は、修正をなされながらも現在に至っている




但し、小金井は、本州の先住民であった縄文人が

弥生人(日本人)が海外から渡来したことによって

北へと追いやられてアイヌとなったと考えたが


これはその後の研究によって

弥生人も基本的には

縄文人に由来することが分り、間違えとされている





縄文人は、本州では

大陸から農耕文化が入ることによる生活様式の変化や

西からの遺伝的影響によって体質を大きく変えて弥生人となったが


北日本では、北からの遺伝的影響を受けながらも

漁猟採集を中心とした生活が続き

本州ほど体質を変化することなくアイヌとなったというのが

現在の見方のようである



つまり、弥生時代に渡来人がやってきて

日本列島を征服し、支配したわけではなく

渡来人の血が少しずつ

先住民(縄文人)の中に受け入れられ


先住民は率先して

渡来人のもたらした稲作を選択したことで

人口爆発をおこした

彼らの子孫が、弥生人となった

という話です




なお、縄文人は、2~3万年前(後期旧石器時代)に

アジア大陸から陸橋を渡ってやってきたモンゴロイド系の集団が

海面が上昇したことで、日本列島に長期に亘って閉じ込められ

その結果、特殊化したものだという






●  日本人バイカル湖畔起源説



抗体(免疫グロブリン)を決定する遺伝子(Gm遺伝子)

の集団内で占める割合が

民族ごとに固有の値を示すことから


東アジア、東南アジアを中心に130の集団から

約2万人の血液資料を採集調査した結果


≪日本人の起源は、北アジアで

特にシベリアのバイカル地方の可能性が高い≫

と主張されます



この説によると

≪ 日本人のほとんどは北方系で

南方系モンゴロイドとの混血率は7~8%以下

北海道から沖縄に至るまで、基本的に北方型の遺伝子を持つ


但し、アイヌと、沖縄・宮古の人々は

他の日本人集団よりも北方型遺伝子の1つの頻度が高く

南方型遺伝子の1つの頻度が低い



朝鮮民族は、日本人以上に南方遺伝子の頻度が高い

中国人(漢民族)は、北方系、南方系の両方の存在が考えられる



日本民族に高頻度に見られるGm遺伝子パターンは

バイカル地方をピークに、四方に流れていて

モンゴル、朝鮮、日本、アイヌ、チベット、イヌイットに高頻度である


このことから

日本人の源流はバイカル地方とするのが妥当 ≫ということです




また、「日本人バイカル湖畔起源説」の中にも

別に、本土の日本人は、アイヌや沖縄の人、チベット人と近く

韓国人や中国人とは離れているという研究もあります



「日本人バイカル湖畔起源説」によって

かつて盛んに唱えられていた

日本人南方起源説が否定されたわけです




それから、考古学の見地からの

「日本人バイカル湖畔起源説」もあります


これは、細石器が、約4万年前頃(2~3万年前とも)

世界にさきがけてシベリアのバイカル湖付近で発生し


中国東北部、朝鮮半島あたりを南限として

北方アジア、アラスカまでまたたくまに広がっていったという

証拠から立てられたものです



それによると「細石器は革新的技術で

各地で自然発生したとは考えにくい

バイカル湖近辺から

この技術が人の移動とともに日本へと広がった」といいます


つまり、バイカル湖から日本人の祖先が

細石器文化を携えて渡来したということです



【 細石器・・・

長さ2~3cmの微細な石器。三角形、三日月形、台形など

木や骨に付けて、槍、銛(もり)、ナイフ、釣針などとして使用


日本では、旧石器時代

(人類が日本列島へ移住してきた時に始まり

終わりは1万2千年前)の最終に登場

〔北海道では2万年前に登場したとされる〕

縄文時代(1万2千年前~前3世紀頃)の草創期まで使用された 】





古代史の嘘 Ⅰ




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