緋山酔恭「B級哲学仙境録」 釈迦とイエス・釈迦と日蓮 ①



B級哲学仙境論


釈迦とイエス

釈迦と日蓮






釈迦とイエス・
釈迦と日蓮 ①





まず、最初に言っておきますが

釈迦が正しいとか、イエスが間違えているとか

日蓮がおかしいとか

そんな話をするつもりはありません


3人に個人的な好き嫌いはありますが

それを言うつもりもありません



日本人は、釈迦やイエスが出てくるだけで

彼らの思想を知らずに、ただありがたがっています



そこで、釈迦とイエスと日蓮の相違点

またたがわぬ点を明らかにし

仏教の本質 さらには宗教の本質を明確にしていきます



釈迦もイエスもムハンマドも親鸞も空海も日蓮も・・・

みんな一緒で、平和を願い、人々の救済を目指した

なんていうくだらない一般論は書きませんよ(笑)







釈迦は哲学者



まず、イエスという人は「神の子」という立場をとり

神の言葉を聞いて人に伝えた

つまり「シャーマン系統の人」なのです



シャーマンとは、霊媒師のことで

神や霊といった超自然的存在と交信し

神や霊の言葉を語る者で


邪馬台国の女王 卑弥呼も

シャーマンだったとされていますし


現在でも、東北の「イタコ」や

沖縄「ユタ」といった女性のシャーマンが

日本では広く活動しています




こういう人はめずらしくないのです



現代においても

「神仏の声を聞える」とか

「自分は釈迦の生まれかわりだ」とか

「自分は救世主だ」とか語っている人間は

掃いて捨てるほどいる 腐るほどいるのです



オウムの麻原教祖もそうです

幸福の科学の大川さんも

江原啓之なんていう霊能者もそうです



イエスやムハンマド(イスラム教の教祖)も

そういった系統の人間です


シャーマン系統の人です



7世紀初めにイスラム教を創始した

ムハンマド(マホメット)は


「モーゼやキリストも預言者の一人ではあるが

彼らは神の言葉を誤って解釈した


このため慈悲深い神が

最終的な啓示(おつげ)を自分に与えた」

と主張し


自らを"最後の預言者"と位置づけています






これに対して、釈迦という人は

どちらかというと哲学者系統の人間なのです


釈迦の考えを書くと

【 お金があり、地位も名誉もある

豪邸に住み、健康で毎日おいしい物を食べて

家族仲良く円満である


このような人たちは、物心両面の長者といる


だが、このような人たちでも

生まれながらにそなえていて

逃れることができない

「根源的な苦」がある 】というのです



それが、≪生老病死≫です



そして釈迦は、この「苦」の原因をつきつめ

長い修行の末

その答えとして"執着(執著)"を見いだしたとされます



人は執着する結果、苦を生む

ゆえに執着を離れれば苦は消滅すると悟ったのです



さらに、全てが「空」

(くう・一瞬一瞬変化している 変化してやまない)であることを悟り

執着を離れて苦を克服する道を見いだとされます



空を悟ると、なぜ執着から離れられるのか?



釈迦に言わせると

苦は、執着することによって生じるが

自分を含めたあらゆるモノやコトが「空」である事実は


あらゆるモノやコトは一瞬一瞬変化をしていて

「実体」をもたないということである



財産も地位もさらには自分自身も

変化してやまないモノやコトであり

実体がない存在と知れば

それらに執着することは無意味である



実体がないのだから、欲求するに値しないのである

生死(しょうじ)させ同様である

という話です




これが釈迦の「悟り」なのです


この「空」悟って

釈迦は「仏」(ブッダ・覚者)になれたわけです




なお、釈迦は実践として

苦行主義にも快楽主義にも偏らない

「中道」を説いています


苦行であれ快楽であれ極端に偏るということは

執着することに他ならなりません


それゆえに苦を生む

中道こそが悟りに至る道であるということです






また


当時、バラモン六派(バラモン教の代表的な6つの学派)の

サーンキヤ学派と、ヴァイシェーシカ学派は

それぞれ、因中有果と因中無果の説を立てて

論争していたのです



因中有果とは、麻の実から油が搾れるように

原因の中にすでに結果の性質が存在しているという説です



因中無果は、土という原因が

必ず器という結果になるとは限らないように

原因に結果の性質は存在していない

結果はいくつかの原因が集まって生じているという説です




仏教=因果応報説 と認識されていますが

因果応報説というのは、釈迦のアイデアでなく

インド古来の宗教観なのです


因果応報について、釈迦の時代

バラモン教の因中有果と因中無果が論争をしていたということです



これらに対し、釈迦の因果応報説が「縁起説」です



縁起説とは

原因があって、結果が生じるものの

原因が、直接的に、結果を生むわけではなく

そこに、間接的な因(助因・要因)である「縁」が加わって

はじめて、結果が生じる

という立場です




例えば、花が咲く因は種であり

縁は水、太陽の光、土の養分、花を管理する人などとなります



また、一方通行の道を車で走っていると

向こうから車が逆走してきたので

喧嘩となり、殴られてけがをした とします



けがをした因は、自分の怒りっぽい性格

縁はその道をその時間に車で走った理由とかで


例えば、雨だったので車で通勤したとか

他の道が工事していたからこの道を通ったとか

寝坊して時間がなかったからなどということになります





このように、釈迦は、宇宙の全てのモノやコトが

「因」と「縁」によって生起している

神により創造されいるのではない

と考え、絶対神や創造神の存在を否定したのです



ちなみに「縁起」と「空」は一体です


ある「果」(結果)に、ひとたび新たな「因」や「縁」が加われば

たちまち変化をし、この変化を繰り返しているということです




また、釈迦は、幸・不幸の原因を

自己に内在する「因果の法則」

(よい行為がよい結果を生み、悪い行為が悪い結果を生む)

にもとめる

自分の教えを「内道」(ないどう)と呼びました 仏教のことです



これに対して、幸・不幸の原因を

神や先祖といった自分の外にある存在に求め

それらに救いを求める教えを「外道」(げどう)と呼んで区別したのです







キリストよりも500年も前の人だから

釈迦がホントのとこどういう人物であったのか

なんて誰も知ることができません


まぁ、小乗部派の用いた原始仏典にみられる

釈迦の言葉なんかからすると

こういう人であったろうと考えられるだけです



しかし、教団をつくって

弟子や信者に瞑想なんかされていたことなんかを思うと

もっと霊能者的な人物だったのかもしれません



ただ私は、宗教家じゃないから

「釈迦がこうでなきゃこまる」とか

「こうであってほしい」なんてことは全くないのです(笑)



「ホントの釈迦の教えはこうだ」なんて

アホみたいなことで論争する時間も惜しい


実際の釈迦がどうあれ

キリストと明確に違う釈迦がモデル化できること


そこから仏教とキリスト教の本質的な違いを一言で示せること

このことこそ重要なわけです





釈迦の思想を深く知るには

釈迦と同じ反バラモンの自由思想家の人たちの立場


さらには、バラモン教やヒンズー教の考え方をも知る必要があります


これらを一つ一つ述べていきます







釈迦とブッダ



釈迦(シャーキャ)は

釈迦の出身部族であるシャーキャ族


またはその領国であるシャーキャ国に由来するといいます


釈迦牟尼(シャーキャムニ)は

「シャーキャ族の聖者」という意味です



本名は、ゴータマ・シッダールタ


ゴータマ(ガウタマ)は、釈迦の「姓」です


この姓は、本来

インド神話に登場するリシ(仙人)の一人

ガウタマの後裔を意味するものであり

アーンギラサ族のものであって

この姓をもつもののバルナ(カースト)は、バラモンです



釈迦族のバルナは

クシャトリア(王族・武士階級)であることから

「釈迦族の先祖は養子だった」など諸説あるようです


古い仏典には

釈迦がアーンギラサ族であったと

書かれているものもあるといいます



なお、パーリ語の仏典(原始仏典)では

釈迦の父方の従兄弟の

アーナンダも、ゴータマと呼ばれておいて


釈迦の母の叔母で養母の マハー・プラジャーパティーは

ゴータマの女性形であるゴータミーと呼ばれています



名のシッダールタは「目的を達成した人」という意味であり

意味が出来過ぎていること

また古い仏典に、ブッダの本名に対する言及がみられないことから

後世に付けられたもので、本名ではないという説があるようです





ブッダは、サンスクリット語で「目覚めた者」のことであり

漢訳の意訳は「覚者」

漢訳の音写は「仏陀」で、その略が「仏」です


但し、ジャイナ教の教祖 ヴァルダマーナも

「ブッダ」と呼ばれていたとされ

仏教教団のみの称号ではなかったようです




また、日本語の「ほとけ」の語源は

ブッダが中国で、仏陀、仏駄、浮屠(ふと)

浮図(ふと)などと音写訳され


日本ではこのうちの浮屠、浮図に

その道の人を意味する家(け)が付されて

ホトケになったという説が有力で


他に、煩悩より解放された者を意味する

解(ほどけ)からきたとか


日本に仏教が伝来したときに、熱病が流行していて

熱気(ほとりけ)からホトケという言葉が生じたとか


遺骨の容器(缶・ほとき)からきたとか

漢訳の仏(ぶつ)の音の変化からホトケになったなどの説があります




753年、薬師寺にある仏足石歌碑(ぶっそくせきかひ)に刻まれた

「保止気」(ほとけ)が

「ほとけ」が「ブッダ」の意味として使われた初見のものとされます



「ほとけ」が「死者」の意味として使われるようになった例は

後撰和歌集(平安時代中期の第2勅撰和歌集。20巻)などにみられ

10世紀中頃のようです







六師外道



釈迦と同じ反バラモンの自由思想家の人たちって

どんな思想を説いたのか?


その6人の代表を仏教の立場から「六師外道」といいます


六師外道については、パーリ語経典(原始経典)の1つ

ディーカ・ニカーヤ(長部経典)に属する

沙門果経(しゃもんかきょう)が、ほとんど唯一の資料のようです



釈迦当時の思想家たちの立場を知る上で貴重な資料とされます




① プーラナ・カッサバ


盗み、姦通、殺人、虚言などしても悪にならない

布施や祭祀や自己を制御しても善にはならない

たとえ何を行っても善業にも悪業にもならないと

因果の法則を否定する無道徳論者





② マッカリゴーサ


アージーヴィカ教の開祖

一切は無因無縁で個人の努力によって運命は変えられない

意志による解脱は不可能であると説く決定論者


人はあるがままになると説き、彼の信者は裸体で苦行したとされる


また、世界は、霊魂・地・水・火・風・空・得・失・苦・楽・生・死の

12の要素からなると主張したとされる



なお、アージーヴィカ教は

アショーカ王(在位 前268~前232)の時代には

仏教・ジャイナ教と比肩するほど栄えていたが

のちにジャイナ教に吸収されたという



アージーヴィカ教の信徒は

仏教からは「生活のために修行する者」という意味で

邪命外道と批判されている





ちなみにカトリック修道院では

農耕や酪農による自給自足を行ったのと対照的に


仏教では自己の生命を維持する手段としての労働

労働による自活を「邪命」(じゃみょう)として否定します


なので、初期の仏教徒は、乞食(こつじき)つまり托鉢

によって食を得ていたわけです



門付け(かどつけ)の喜捨(きしゃ・布施)だけで

生活していた僧侶が


しだいに信徒から食事に招待されることが多くなり

多額の財物をもらうようになり


土地の寄進により広大な土地を所有するよう

になっていったといいます



そして農民に土地を貸して小作料を得るようになっていき

世俗領主のようになって堕落していったとされます



インド仏教が滅亡した原因は

仏教が、農村社会にあまり浸透せず都市にとどまったこと


ヒンズー教の圧迫をうけるようになったこと

さらにはイスラム教が侵入してきたこと


それと同時に、教団が世俗領主のように

なって堕落していったことがあげられています





③ アジタ・ケーサンバラ


地・水・火・風の4元素が実在という

唯物論の立場から

人は死ぬと無に帰すだけだとし

現世で快楽を満喫することを説いた

唯物論的快楽主義者


このような立場は順世派と呼ばれ

インドの思想界から忌み嫌われたそうで、その祖ともされる





④ パクダ・カッチャーヤナ

人間は、地・水・火・風・苦・楽・霊魂の

7要素からできていて、各要素は不変で創造されたものではなく

互いに影響されるものではない

剣で人を斬っても7要素の間を通過するだけで

命は奪うことはできないなどと説いたという





⑤ サンジャヤ・ベーラッティプッタ・

「そうだとは考えない。そうでないとも考えない

そうでないのではないとも考えない」と説く懐疑論者で

彼の懐疑論は

つかみどころがないことから"うなぎ論"と呼ばれる



釈迦第一の弟子で

「智慧第一」と称された舎利弗(しゃりほつ・シャーリプトラ)

第二の弟子で「神通第一」と言われた 目連(モッガリーナ)は

ともに彼の弟子だったが

2人は同門の250人を引き連れて釈迦に帰依している





⑥は、「ジャイナ教」の教祖 ヴァルダマーナです

彼は、真理や価値は相対的なものである

という相対主義者です


ヴァルダマーナの相対主義は、不定相対主義と呼ばれます



不定相対主義とは

認識の違いで真理は多様に言いあらわされるので

一方的な判断や見解にとらわれず

広く考察すべきであるという考え方です


このため、ヴァルダマーナは、断定的な判断や言葉をきらい

超越神や宇宙の根本原理などを認めない立場をとったといいます






ジャイナ教(ジナ教)



釈迦と同時代の人で

釈迦同様 反バラモン教の自由思想家の一人であり

釈迦と対立した ヴァルダマーナを開祖とします


ヴァルダマーナは

仏典では ニガンタ・ナータプッタの名で呼ばれます


ニガンタとは、輪廻の鎖をとき、束縛を離れた者の意で

ヴァルダマーナがニガンタ派という宗教を学んだことからきています


ナータプッタはナータ族出身者の意です


マハービーラ(偉大な人物)とも称され

また自らをジナ(勝者。ジャイナ)と称しています



ジャイナ教では

【 霊魂は本来 清浄である

しかし人間の業(過去のの行為)によって

目に見えない物質が霊魂に入り込み

霊魂を束縛して輪廻を引き起こす


解脱するには、禁欲と苦行により

これまでに積んでいる業を消滅させ

新たな業の流入をとめなければならない 】と説きます



そのためには、正しい信仰、正しい知識、正しい行為を基本に

不殺生、不妄語(うそいつわりを口にしない)

不偸盗(ふちゅうとう・他人のものをとらない)

不淫行(性行為を一切をしない)

無所有(何物も所有しない)の5つの大誓戒を守るそうです



不殺生に関して極端な立場をとり、厳格な信徒は

採取するとき虫を殺す可能性の強い根菜類や蜂蜜を口にしなかったり


路上の生き物を踏まないようにと歩く前にほうきで道をはいたり

空気中の小さな虫を殺さないようにと布で口を覆ったりするといいます



さらに不殺生をまもるため断食をして死ぬのが最も理想的な死とされ

ヴァルダマーナ自身も断食の末に世を去っています



大きく裸行派(空衣派)と白衣派に分かれ


無所有の教えから裸行派はまったくの裸で生活し

乞食〔こつじき・托鉢(たくはつ)〕行のときの鉢の携帯も認めません


このため裸行派では、裸行を実践できない女性の解脱は認めていません



インドを超えて弘まることはありませんでしたが

中世までは全インドに勢力を誇り、盛んに造寺、造像を行い

ジャイナ美術を開花させました


イスラム教徒のインド侵入とともに衰退しています


現在の信徒数はインド全宗教の0.5% とされます (仏教は0.7%)




釈迦とイエス・ 釈迦と日蓮 ②




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