緋山酔恭「B級哲学仙境録」 神とはなにか? キリスト教編 ①



B級哲学仙境論


神とはなにか?編


 




神とはなにか?

キリスト教編 ①




キリスト教の神



「あなたは神を信じますか?」と聞かれても →

いったいあなたの神ってどんな神なんですか? って話です(笑)


多神教の神と一神教の神では全然、違います


またカトリックとプロテスタントでは

「神の救い」に違いがありますが

信仰の最も根本となる「神の救い」に違いがある以上


両者では、神の内容が違う つまり違う神である

と言わざるを得ませんよ(笑)



「プロテスタント三原則」をみれば

カトリックと、プロテスタントの

「神」に対する考え方の違いがよく分かります






「 プロテスタント3原則 」



① 信仰義認



人間の努力(功績)によって

神に救済されることはない

信仰によってのみ義される 〔義(ただ)しい人間と認められる〕

という考え



カトリックにおいては

功績(仏教でいうところの善行)も、神の救いの助因になる

とされています


プロテスタントが誕生した当時は

免罪符を買うことも功績であるとされていましたた






② 聖書中心


聖書に書かれていないことは認めないという考え


例えば 、マリアに原罪はないとして (マリアの無原罪)

マリアが単にイエスの母ではなく、神の母とする (マリアの神聖化)

とする教えや


「信徒は、教会を通じてしか神の救いを受けられない」

といった教義は


聖書にはなく、ローマカトリックのねつ造であるとして

プロテスタントでは認めません




ちなみにカトリックのマリア崇拝は、多神教世界がキリスト教という

一神教に移行するにあたり


多神教の大地母神への信仰と

処女崇拝という2つの要素が取り込まれて成立したと考えられています


マリア崇拝は5世紀頃成立したようで

431年のエファソス(トルコ西海岸)公会議で

マリアが単にイエスの母ではなく、神の母であることが決定しています




なお、聖書中心主義は、「福音(ふくいん)主義」ともいいます


キリストの福音(言行)にのみ、救済の根拠があるとして


律法主義(モーセの十戒の厳守を

信仰の根本とする立場。ユダヤ教の立場)


また儀礼、伝統、サクラメント(秘跡)などを重視する立場


を否定します




ちなみに、福音とは、本来 「よい知らせ」の意味で


イエスの説いた人類の救済と神の国に関するよろこばしい知らせ


メシアが人類に救いの道を開き

サタンの支配が破られ神の支配が始まるという知らせ


を意味し


イエスの生涯や言行をも福音といい

それを弟子が記録したものを福音書といいます




聖書中心主義は

プロテスタント3原則の中で最も重要といえます






③ 万人祭司


カトリックは、ローマ法王を頂点するピラミッドを形成し

底辺に教会の神父がいます


一般の信徒は、さらに下におかれ

教会を通してでなければ

神の救いは受けられないとされているのです



これに対し、プロテスタントでは


教会のみちびきなどいらない

万人が直接「神」とつながった祭司であり

信仰によって、神の救いを直接受けられる という考えにあるのです





キリスト教徒なんかは

≪神に敬虔(けいけん)≫どころが【傲慢】ですよ(笑)


わけの分からない存在である「神」について

「こうである」と断定しているのですから(笑)




言葉とはモノやコトを区別するためにあります

区別しないと、みんな一緒ということになって、わけ分かりません



もそもと、別のモノやコトと区別されたときの「神」

つまり、もともとの「神」という言葉の概念を考えると


「困ったときに救ってくれる存在」とか

「平等に管理してくれる存在」(信じる者が救われる)とか


あるいは

「人智を超えたなんらかの働き」とか

いった程度のものだったはずです



それが、教会を通してして神の救済を受けられないとか


サタンの支配を終わり、最後の審判(イエスのジャッジ)によって

信じる者だけが天国に行き、あとは地獄に行く

なんて話は


誰かがいい思いをするために

もともとの概念の上に積み上げた


言葉のバーチャルな世界に決まっているじゃないですか(笑)



つまり、人間を言葉の世界にひきずり込んで

よろしくやるために創造された「神」ということです




シャーマニズムのような宗教は非理性的で

キリスト教のような教義がしっかりした宗教が理性的である

というのが一般的なかんがえで


ニーチェの話もこの考えもとに組み立てられていますが

とんちんかんの大間違えです(笑)




言葉のバーチャルな世界にさらに

言葉のバーチャルな世界を積み上げることで

人間を言葉の世界にひきずり込み


言葉のバーチャルな世界で組み立てられた思考でしか

ものごとを考えられない人間をつくる

という意味においては


シャーマニズムよりもキリスト教の方が非理性です


その証拠に「魔女狩り」なん大量虐殺がおきています(笑)



すなわち、それだけキリスト教信者というのは

言葉への依存度が高い=非理性 ということです







三位一体説




キリスト教には、イエスが全人類の罪をあがなって

十字架の刑で死んでいったという

≪贖罪(しょくざい)の愛≫という考えがあります


イエスが、救世主(メシア)として、全人類の罪を背負い

自ら十字架の刑に身を捧げたというもので


この教義こそ、キリスト教の根幹中の根幹で

この教義を根拠とし


キリスト教はユダヤ教のような民族宗教を超えて

世界宗教へと成長、発展していったわけです




ちなみに、世界宗教へとなった外的要因としては

当初、キリスト教はローマ帝国の弾圧を受けますが

それでも教勢を拡げてゆく


そこでローマ帝国は、帝国の立て直しに利用しようと考え

キリスト教を公認、さらに国教としました


これにより帝国各地に普及したことが

世界宗教へのきっかけとなったとされています





イエスは、あくまでユダヤ人でありユダヤ教徒です


キリスト教はイエスの死後

「復活したイエスと出会った」と主張する

弟子たちによってはじめられた宗教です



そこで問題になるのが

イエスとヤーウェ(ユダヤ教の唯一絶対神)との関係です



それを説明するものが「三位一体説」です



カトリック、東方正教会(ギリシア正教やロシア正教)

プロテスタントが、正統教義として認めている

キリストについての解釈が「三位一体説」です



なお、ものみの塔(エホバの証人)が『異端』とされるのは

神はあくまでエホバだけで、イエスはエホバの使い、天使である

天使の一人、ミカエルと同一である と主張するところにあります




「三位一体説」とは

「ヤーウェ」と「イエス」と「聖霊」は、唯一神の位格(ペルソナ)で

この3者に優劣はないというもので

"3つのペルソナ、1つの本質"と言われます



このうちヤーウェ(ヤハウェ)とは

ユダヤ教の唯一絶対神で

宇宙の創造主であり、全知全能の神です


キリスト教ではエホバとも呼ばれ、父なる神と呼ばれる存在です





なお、旧約聖書のモーセの十戒には

「神の名をみだりに唱えてはならない」とあり

今日でもユダヤ教徒はこれをかたく守っています


このため、ユダヤ教徒は

神の名を YHWH(四聖文字)つまり子音のみで

また無関係な母音符合を付して記してきたといいます


また、口に出すときは、多くの場合、神の名の代わりに

アドナイ(ヘブライ語でわが主の意)を用いられてきたといいます


このため、YHWHの発音が

なんと忘れ去られることになったそうです



YHWHが、Yahweh(ヤハウェ・ヤーウェ)であると判明したのは

19世紀以降だそうです


そしてこのユダヤ教の習慣をキリスト教会が忘れたことから

16世紀以降、ヤーウェは、エホバ(Jehovah)

と誤読されてしまったそうなのです



これにより、エホバが

ヤーウェの文語訳(文章だけに用いる言葉遣い)となり

口語訳(日常的な生活の中での会話で用いられる言葉遣い)

の聖書では、ヤーウェを「主」と訳しています






話をもどすと

重要なのは、イエスがヤーウェより出ていて

ヤーウェが上、イエスが下というのではなく

ともに1つの神から現れたものであり

ヤーウェとイエスには優劣がないというところです







聖霊と東方正教会




聖霊とは、一言でいうと、神の働き

あるいは神のエネルギーといってよいでしょう



本来、「父なる神ヤーウェからのみ出る」とされていた聖霊を

後にローマ教会が「子のイエスからも出る」としました



1054年に、古代キリスト教会が

東西両教会すなわち

東方正教会(ギリシア正教やロシア正教)と

ローマカトリック教会へ分裂した

教義上の最大の対立点は


「父なる神ヤーウェからのみ出る」とされていた聖霊を

ローマ教会が「子のイエスからも出る」としたことにあります





なお

東方正教会とカトリックの教義的な違いは

聖霊の見解の他


正教会が

煉獄の存在を認めないこと

〔煉獄とは、カトリックの世界観で

天国と地獄の間にあり、小罪を犯したが

地獄に行くまでもない死者の霊が

天国に行く前にここで火によって浄められる場所〕


マリアの無原罪を言わないこと


聖歌は楽器を用いず無伴奏で歌うのを原則としていること


イコン(キリスト、マリア、聖者、殉教者の聖画像)

の崇拝を重視すること


くらいしかありません


つまり聖霊の見解以外は根本的な違いはないわけです




イコンについては、8~9世紀にかけて

キリストを描いたイコンは偶像崇拝にあたるという批判が

教会内部からおこり


ローマ法王 レオ3世(在位795~816)が

イコンの破壊を命じ

教会だけでなく社会全体をまきこんだ

イコノクラスム(聖画像破壊運動)が展開されています



後に神は偶像化できないが

キリストは神が人間として現れたものであるから

偶像化できることとなっています






381年のコンスタンティノープル公会議で採択された

ニカエア・コンスタンティノープル信条では

聖霊の発生は父からとされていました


ところがローマ教会が、9世紀になって勝手に

「フィリオクエ」(ラテン語で子からも)を付け加えたわけです




なお、古代教会は、全教区が

エルサレム(イスラエル)

アレクサンドリア(エジプト)

アンティオキア(シリア。現在はトルコの南東端の都市)

コンスタンティノープル(東ローマ帝国首都

のちにオスマントルコの首都にもなった)

ローマの五大教区に分けられていましたが


1054年の大シスマ(シスマは分裂)は

そこからローマだけが分離されたのです


互いに破門しています




1438~39年のフィレンツェ(イタリア)公会議で

東西の和解が成立するも


この和解は、東ローマ帝国(ビザンチン帝国

1453年にオスマントルコにより滅亡)が

オスマントルコの圧力に対し


西欧諸国の軍事援助を望んだことからなされた

政治的動機による統一であった為

長くは続かず1472年に再分裂し、今日に至っています




フィレンツェ公会議での和解の内容は

カトリック側へ東方教会側が譲歩したものとなっています


東方正教会は、聖霊が子からも発生すること

ローマ法王を全教会の首位とすること

酵母を使わないパンによる典礼・煉獄を

承認、または容認しています



これに対し、カトリックは

東方教会の

「パンとぶどう酒がキリストの体と血にかえられますように」

という祈りと


ヘシュカスモスを容認したのにすぎません







へシュカスモス



東方正教会のへシュカスモス(静寂主義の意)は

アトス山(ギリシア正教会の聖地)の修道士たちにより

14世紀から盛んになった神秘主義です



神秘主義とは、そもそも神との合一を目指す立場で


へシュカスモスは

インドのヨガに似た身体の制御と、不断なイエスへの祈りによって

心の平静(ヘシュキア)の状態を作りだし


神の「非創造の光」(主イエスが変容した際、弟子が見たという光)を

肉眼で見て神と合一するというものらしいです



主イエスの変容とは、新約聖書の

マタイ・マルコ・ルカの各福音書にみられるものです


イエスが高い山に弟子たちを伴い、旧約の預言者である

モーセとエリヤと語り合いながら

白く光り輝く姿を弟子たちに示したとう出来事です






●  エリア


旧約聖書の列王記に登場する預言者

北イスラエル王国7代目王 アハブ(在位・前869~850)は

シリアの王女 イゼベルを妻に迎え、イゼベルは

シリアのバアル(嵐と慈雨の神)崇拝をイスラエルに導入した


エリヤが、サマリヤ(北イスラエルの首都)を去り

ヨルダン川東岸に住んだ3年間、王国には雨が降らず

人々は飢餓に苦しんでいた


彼は王国に戻ると、アハブに求めて

バアルの預言者450人

アシラ(豊穣の女神)の預言者400人と対決した


エリアとバアルの預言者は

カルメル山(イスラエルの525mの山)に祭壇を築き

それぞれの神に祈願した


その結果、エリアだけが奇跡をなして勝利したので

エリアはバアルの預言者を捕らえてみな殺しにした


こののちに雨が降った


これに怒ったイセベルが、エリアを殺そうとしたので身を隠した



イゼベルは、アハブの死後も

8代目アハズヤ、9代目ヨラム(8代目の弟)のときも権力を握った

〔旧約聖書にはイゼベルが母であるとの明言はない〕



しかし、イエフ王朝を開いたイエフにより

ヨラムとともに殺害されている


イゼベルは城門から突き落とされ、遺体は犬の餌にされた


これは、イゼベルが、ナボトという男のぶどう畑を望み

無実の罪を着せて不当にこれを奪い

ナボトを殺害したことの報いとされる



エリアは、神からイエフが王になる預言を受け

ナボトが殺害されると

アハブに会い、ナボテの畑を取ったことを責める神の言葉と

アハブの家(6代目にはじまるオムリ王朝)が滅びる預言を伝えている






へシュカスモスについては

14世紀前半に異端かどうかをめぐり大論争があり

東方教会では、主教会議が開かれ、正式に認められましたが

ローマ教会は異端であるとしていたそうです



ヘシュカスモスは、正教会の世界全体

とくにロシアに広まっていたといいます


ロシアにおけるヘシュカスモスの一つの形態として

イエス・キリストの名を

真言のように心のなかでくり返し唱えるものもあったようです


これは、大衆のためにつくられた修行というか信仰らしいです







正統派教義の確立



三位一体説とともに

正統派の根幹中の根幹をなす教義が

キリストの神性と人性についての考えです


"イエスは神性と人性の両方を持つ。両性は混合せず分離せず"

というのが正統派、すなわちカトリック、東方正教会

プロテスタントの解釈です



なお、神性のみを説くのが、単性論派教会で

エジプトのコプト教会(信徒はエジプト人口の10%にすぎないが

アラブ世界最大のキリスト教会)

エチオピア教会(単性派最大。エチオピア人口の55%)

シリアのヤコブ派教会、アルメニア教会などがあります





「三位一体説」と

"イエスは神性と人性の両方を持つ。両性は混合せず分離せず"

という「両性論」が正統とされるまでの経過を述べておきます



この2つの教義が【正統】とされるまでには

父なる神とイエスの関係、およびキリストの神性と人性をめぐって

神学者たちによるさまざまな説が唱えられ

論争が繰り広げられています



そして敗れた神学者たちは、公会議で追放処分をうけています


中世だったら、異端者として火刑に処されていたところですから

この時代は、追放なのでよかったと言えます(笑)




まず2世紀以後

グノーシス主義的ドケティズム

〔 キリストを霊的な存在とみなし

キリストは真に肉体の姿をとったのではなく

死の苦しみを受けたのでもない

キリストの受肉(誕生)と十字架による死は

見かけの現象(仮象)であるという立場〕に対して


イエスは、唯一神のロゴスであるという説が登場しました



ロゴスとは本来「言葉」を意味するとされていますが

今では、根拠、概念、定義、説明、理由、論証、論理

思想、意味、言語、理性、真理など

様々な概念を意味する言葉として使われています



つまり、唯一神のロゴスとは、唯一神の属性ということでしょう


とくに属性のうちの「受肉」と考えられたようです



3世紀後半には

「イエスは神の子ではない。神に従属し、神の主権のもとにある」

というモナルキアニズムという考えが

シリアのアンティオキア教団より登場し

ロゴスによる受肉を否定しました



後にこれが

「イエスは神の子ではなく人間であった

神の働きである聖霊によって養子になった」という養子説


「ヤーウェが自らイエスとして現れた

イエスの受肉は、ヤーウェの受難である」

という天父受苦説に分かれたとされます




その後、イエスが神へ従属する立場にある

ことを強調する アリウスと


父と子は同質であると主張する

アタナシオスの間に大論争がまきおこり


その結果、アリウスの説は、325年の公会議

最終的には381年の公会議で排除され

ここに「三位一体説」が確立しました



アタナシオスは、こうして

「教父」(カトリック教会の称号の1つ

2~8世紀の神学者のうち、正統教義を唱えた精神的指導者)

となったのです



なお、アリウス追放後も

彼の説の信奉者たちが政治勢力と結びつき

論争をくりひろげたとされます


また、近代キリスト教諸派の1つ ものみの塔(エホバの証人)は

アリウスに近い立場をとります





それから、この公会議のとき

イエスの人性を否定した アポリナリウスも排除されています


アポリナリウスの説は

「イエスは人間として肉体と魂をもつが

イエスには人間の霊でなく、神のロゴス(霊)が宿る

イエスの理性にあたるのが神のロゴスで

イエスの人性には固有の意志はない

それゆえ肉体と魂から起こる迷いや誤りはない」

というものです


これはイエスの人性を不完全なものとする説だとして

362年の主教会議、最終的に381年の公会議で排除されました



しかし「イエスの人性は普通の人間のそれとは違う」

という考えは根強く。その後もしばしば同様の異端が登場し

のちに単性論派教会が誕生していったといいます





次ぎに、キリストの人性を強調した ネストリウスが登場します


彼は、神性と人性の一致を否定します

また、マリアを神の母と呼ぶことも否定しています


ネストリウスの説は、431年の公会議で異端とされ

彼は追放処分をうけています


なお、この公会議で、マリアが単にイエスの母ではなく

神の母であることが決定しています




彼の信奉者は、ローマで迫害をうけましたが

シリアでネストリウス派キリスト教団を設立します

〔この教団は、ネストリウス自身の創設ではない〕



ネストリウス派は、ネストリウスの説を発展させた宗派で

キリストの人性と神性の結びつきを

道徳的なものとみなしたといいます


ペルシアを中心に6世紀初頭から活発な宣教活動を行い

7世紀には中国、アラビア、南インド

さらにシベリアまで教勢を拡大したとされます



中国では、景教(景は光り輝く意)

また 大秦(たいしん・ローマ帝国の意)景教

と呼ばれ

唐王朝の保護をうけ

各地に教会にあたる大秦寺〔はじめ波斯寺(はしじ)といった〕

が建てられ栄えたといいます





451年の公会議で追放処分となったのが

単性論派教会の祖 エウテュケスです


彼はネストリウスに対する反論から

イエスの神性を強調する説を唱えます


彼の説は

「イエスは受肉以前には

神性と人性の両方をもっていたが

受肉後は、人性が神性に吸収された」

というものです



エウテュケスの説は異端とされるも

エジプト、シリア、パレスチナなどの諸教会が支持します


東ローマ帝国の度重なる弾圧と懐柔にも応じませんでした



しかし、単性論派の諸教会の方も統一に動かなかったため

アラブのイスラム化が進むなかで衰退していったとされます



エウテュケスが追放をうけた451年の公会議において

"イエスは神性と人性の両方を持つ。両性は混合せず分離せず"

という「両性論」が正統派の根幹と決定しています





ちなみに、歴史的に諸教会は

単性派とされてきましたが


これら教会は

「自派は、単性論(エウテュケス主義)ではなく

合性論である」と主張しています



合性論(一性論)とは

イエスの神性と人性は合一して一つ(一性)にはなってはいるものの

二つの本性は分割されることなく、混ぜ合わされることもなく

変化することなく合一していると説くものだといいます


これなら、正統派の「両性論」の範疇(はんちゅう)で

なんとか解釈できると言えます



単性派諸教会は

キリストに神性と人性の両方があることが確認された

カルケドン公会議(451年)を否定して生じた派であることから

非カルケドン派ともいいます







グノーシス主義



仏教は、自己の外(そと)の阿弥陀仏の存在を信じ

死後、阿弥陀の恩寵により極楽浄土へ往生することを願う

念仏宗(浄土宗や浄土真宗)に対して


天台、華厳、禅などの各宗派では

「己心 (唯心)の弥陀」「己心 (唯心)の浄土」といって

阿弥陀も浄土も自己の心にあるとしています




日本人の中には「神は心の中に存在する」

なんて考えている人も多いですが

そうした考えは一神教の世界では受け入れられません




ところがキリスト教にもかつて

神が自己に内在するといった思想がありました




釈迦当時のバラモン教では

自己の本質であるアートマン(我・霊魂)が

宇宙の最高原理であるブラフマン(梵)と

本来 同一であると悟り


これにより梵と我が合一 (梵我一如)すれば

輪廻転生を超越できる 解脱できるという考えが

主流となっていたようですが


〔 梵我一如は、バラモン教が変貌したヒンズー教において

今日でも、神への信愛(バクティ)とともに解脱への道として

根本的教義の座を占めています 〕



このような考えが、キリスト教にも混入したことがあったのです

それが「グノーシス主義」です




人間の本来的自己は、肉体、国家、さらには

宇宙、とくに人間の運命を支配すると考えられてきた「星辰」

(せいしん・太陽、月を含めた星々)によって害されているとし


本来的自己が、宇宙を超越する神と本質的に同一であると

認識することにより、神の内に入るという思想です



人間は本来、神の内にあるとし

それが何らかの原因で地上に堕ちて肉体の中に閉じ込められた

これは人間本来の姿ではない


本来的自己が「神と同一である」という叡智(グノーシス)

を獲得すれば、肉体を脱して神のもとへ帰れるという思想です



この思想は、キリスト教誕生と同時期の紀元前後に

ローマ帝国の圧政下にあった属州のパレスチナ、シリア

エジプト、ペルシア、小アジア (トルコ)において登場し


世界最古の一神教であるゾロアスター教、ユダヤ教

キリスト教などに寄生し

2~4世紀には、ローマ帝国ほぼ全域に普及したといいます


その後、キリスト教の攻撃により次第に消滅していったとされています




グノーシス主義のおもしろいのは

古代ローマでは、星辰を神格化し

星辰をその運動の規則性から秩序や倫理の象徴と考えてきたのに対し

星辰、宇宙をも悪魔的存在とみなしているところです


霊魂を善、肉体および物質的存在を悪とする霊肉(れいじく)二元論は

多くの宗教にみられますが


本来的自己と、星辰を含めた宇宙の全てとが対立する

反宇宙的二元論というのは珍しいです




キリスト教との対立点は


星辰を含めた宇宙の全てを悪とする立場は

唯一絶対神の創造した世界の否定となる点


人間の魂が神の創造物ではなく神と同質とする点


人間が神と同質ならば、人間は本来的には救済されていることになり

キリストによる救いは無用のものになりかねない点


人間の肉体を悪とし、キリストの肉体的要素は仮象であるという

「ドケティズ」 〔キリストを霊的な存在とみなし

キリストは真に肉体の姿をとったのではなく

死の苦しみを受けたのでもない

キリストの受肉(誕生)と十字架による死は見かけの現象であるという考え〕

の立場をとる点。すなわちキリストの人性を否定する点


であるとされています







エホバの証人と千年王国説



エホバの証人(ものみの塔)は

1884年に、アメリカのチャーズル・ラッセルが創始した教団です


三位一体説を否定し、神はエホバ(ヤーウェ)だけで

キリストは天使にすぎない(大天使ミカエルと同一とする)

という立場にあり

正統派からは異端とされている



特徴としては


聖書の研究に熱心なこと

千年王国説を唱えていること


兵役の拒否

刺激物を口にせず質素にくらすこと


人間が人間を支配することを認めないと

いう理由で選挙に行かないこと


輸血の拒否 (いかなる生き物の血も食べてはいけないことから)

武道をしたり見たりしないこと

などがあげられます




ハルマゲドン(終末)は差し迫っているとし

その後はものみの塔がキリストとともに世界を支配し

それ以外の教会はサタンに支配されて退けられると説きます



第一次世界大戦(1914~18)のはじまった

1914年を、サタンの支配がはじまったときとみて

1914年以前に生まれた人すべてが死ぬまでに

世界の終末(第1次)がおとずれるとしていました



エホバの証人の別称である ものみの塔の意味は

神のいましめに対して、人間がどのように答えるのかを

神が見張り所(ものみの塔)に立って見ているという意味だそうです



なお、輸血の拒否は「全ての生き物の命は血のなかに存在する

ゆえにそれ(血)を食べてはいけない」という

旧約聖書の言葉が根拠となっているといいます






●  千年王国説



千年王国説とは

ヨハネ黙示録20章の字句をそのまま解釈したものです


世界最終戦争のハルマゲドンに先立ち、キリストが再臨する



ハルマゲドンがおこるとキリストは地上に降りて

悪魔(サタン)を鎖につなぎ、地上に王国を建設する


罪人(つみびと)は地獄に落ち


義(ただ)しいキリスト教徒や殉教者は

復活(第1の復活)し、不死の身体を与えられ、幸福の生活を送る


この地上の王国が千年続く



王国の終わりにあたり悪魔は自由となり

神と戦い、悪魔は闘争の末に決定的に滅びる



そこで全ての人間が復活(第2の復活)し

キリストによる最後の審判が行われ

罪人(つみびと)は火の池に投じられ

義しい人間は神の国(天国)で永遠の幸福を得る


というものです



それからナチスは、自らの帝国を、神聖ローマ帝国

ドイツ帝国(プロイセン王国がドイツ諸邦を統一して建設)につぐ

「第三帝国」と称していますが

この第三帝国を千年王国とも称していました



エホバの証人(ものみの塔)や

モルモン教なんかが今でも千年王国説を唱えています




キリスト教では

イエスの贖罪(人類の罪を背負って十字架にかけられたこと)

によって


イエス以前の人類の罪は赦されたが

イエス以後に冒してきた罪は赦されていないので


いずれ最後の審判の日がくる

なんて話になっているのです







終末論とメシア



古代イスラエル王国は、前10世紀に

北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し


北イスラエルは前722年にアッシリアによって

南のユダ王国は前586年に新バビロニアによって

滅ぼされています



ユダヤ教では、ユダヤ民族は

唯一絶対神 ヤーウェ(エホバ)によって選ばれ

神と契約を結んだ「神の選民」とされています



かし、いっこうに理想が実現化されず

異民族の侵略にさらされる現実にあたって


ユダヤ人の中からメシア(救世主)が登場し

彼の統率のもとユダヤ民族が世界を治める

神の国が実現するという終末論が登場したとされます



これがキリスト教では拡大され

罪とけがれのこの世が滅びる


死者は復活し

再臨したイエス・キリストに審判を受ける


神意にかなう者は神の国に生まれ

悪人は地獄に生まれるなどといった終末論

に至ったわけです





メシア(救世主)は、もともと

油を注がれた者という意味のヘブライ語だそうで

油を注ぐことは、ユダヤの伝統で、聖別を意味したそうです


キリストという言葉は、ヘブライ語のメシアが

ギリシア語で「クリストス」と訳されたことに由来してるとされます




ユダヤ教では、民族の苦難のなか

古代イスラエル王国の2代目王 ダビデ

〔在位 前997頃~前966頃・近隣諸国を征服し

エルサレムを得て都とし

北はユーラテス川から南は紅海に及ぶ大国家を築いた〕

の子孫から


メシアとしての王が出現し、他の民族を追放し

再びイスラエル建国が実現して

繁栄がもたらされる という思想が生まれたとされます



但し、ユダヤ教のメシアは

宗教的リーダー、宗教的救済者というより

政治的指導者、民族の解放者という性格が強かったといいます


これに対してキリスト教のメシアは

人類の罪をにない自ら犠牲となる宗教的救世主です


これによりキリスト教が

他民族の救済をも可能な宗教となったのです




イエスをメシアとする根拠となったのが


ユダヤ教で三大預言者の1人とされる

イザヤ〔前8世紀後半。旧約聖書のイザヤ書は

イザヤの名のもとに集成された預言書

内容は主に、預言者が民族の危機を警告し

悔い改めて唯一神への信仰に帰しなさいというもの〕

の言葉です



イザヤは、アッシリアの侵略に対し

歴史は、唯一神 ヤーウェが支配するものである

ヤーウェを信じていればエルサレムは守られるとし

外国との軍事同盟を批判します


しかし、これを王は拒否します


そこで、イザヤは≪ダビデ王家に代わり≫

正義によって国を治め

平和を実現させるメシアの王をヤーウェが下すと預言しました



のちにこれを根拠に、原始キリスト教団が

イエスの誕生はヤーウェが

イザヤを通して民に約束した預言であるとしたようです




また、イザヤと同じ8世紀のユダ王国の預言者で

旧約聖書の「ミカ書」の著者である

ミカは

エルサレムの破壊や

ベツレヘム(エルサレム北方。イエスの生誕の地)から

将来のユダヤの指導者が出ることを預言しています


ミカの預言を、キリスト教では

イエスのベツレヘム降誕と解釈したといいます



但し、「ミカ書」のこの預言は

ダビデ家出身の王による国土回復の希望であると

主張されることも多いそうです







イエスとクムラン教団



新約聖書において

「イエスの敵」「偽善者」とされたのは

ユダヤ教の「パリサイ派」(ファリサイ派)の人たちです


パリサイ派は

ユダヤ人でありながら律法を軽視するイエスを

「大飯ぐらい、大酒飲み、取税人や罪人の仲間」

と攻撃したとあります



このパリサイ派は

イエス時代のユダヤ教三大教派の1つで

名称は分離派を意味します


律法を守らない人たちから

自分たちを分離する意味だといいます



しかし、サドカイ派

〔サドカイは、前10世紀のソロモン時代の祭司

サドクの子孫の意である説があるがはっきりしない〕が


モーセ五書(律法書)のみを正典とし

口伝(くでん)律法の権威を認めず

聖書の字句に固執して


霊魂の不滅、死者の復活

天使の存在などを否定したのに対し


パリサイ派は進歩派で

口伝律法の集成であるタルムードを重視し

律法を形骸化させないためには

つねに新しい解釈が必要であるとして


ダビデの家系のメシアの出現、死者の復活、最後の審判

神が、天使や霊をもって人々の生活に介入するなどといった

モーセ五書にはない教義を認めたそうです



結局、サドカイ派が移りゆく時代の中で

民衆の要求に応えられず消滅していったのに対し


パリサイ派の思想は

今日のユダヤ教正統派に継承されているといいます



このようなことから

新約聖書においてパリサイ派の排他的な面が誇張された

とも言われています




イエスが属したのは、パリサイ派でもサドカイ派でもなく

エッセネ派(エッセネは、敬虔なる者・聖なる者の意)

だと考えられています



エッセネ派は、世俗のけがれを嫌い

共同生活を営んだ教派だといいます



前250年頃に、インドのアショーカ王が

派遣した伝道師によって伝えられた仏教の思想を

採用したとも言われています



エッセネ派には、結婚と財産の私有をかたく禁じる集団と

一部認める集団があり、4千人の信徒がいたようです


また、3年間の試験期間を経て入会が許されたといいます




1947年から56年にかけて

死海北西(ヨルダン川西岸地区)のクムラン

という都市の近くにある洞窟(クムラン洞窟)の11ヶ所から

「二十世紀最大の考古学的発見」と言わる

死海文書(クムラン文書)が発見されています


若い羊飼いによって発見されたそうです




死海文書は、紀元前2世紀~1世紀

にわたってつくられた

写本群の総称で、約850巻あるそうです




このうち

およそ30%が旧約聖書の正典

およそ25%が正典に含まれない外典と偽典

これらは旧約聖書の最古の写本とされます



その他のおよそ30%が

「宗教文書」と呼ばれるもので

エッセネ派をはじめとする

いくつかのユダヤ教宗派の信条や規則や

入会条件や儀式に関する文書だといいます


また、聖書の注釈や

ユダヤ人のローマへの反乱(132~135)

を指導したバル・コフバに関する資料などもあるようです



残りの15%はまだ判明していないといいます


保存状態が良くないものも混じっていて

いまだ全ての翻訳がされているわけではないようです




死海文書は、羊皮紙やパピルス紙、銅板の巻物で

蓋(ふた)付き円筒形土器に収められいたそうです


羊皮紙やパピルスの場合はインクで書かれ

銅板には字が彫られているといいます



またこれらのほとんどはヘブライ語で書かれたもので

わずかにアラム語(シリア地方やメソポタミアで使われていた言語)や

ギリシア語のものもあるといいます





死海文書に、エッセネ派の戒律、思想、聖書の解釈を

述べたものがあったことから


これらの文書を書きのこし隠したのは

クムラン住んでいたエッセネ派に属する共同体

(クムラン教団)ではないかと言われてきました


〔但し、サドカイ派の共同体だという説もある

さらには、地球外生命体によって書かれたという話まである〕




クムラン教団の財産共有による共同生活、共同の食事、独身主義

そして、信徒が「終末の時期は差し迫っている」と信じていることが

初期キリスト教団のあり方と同じであることから


イエス、さらにイエスに洗礼をさずけたバプテスマのヨハネは

エッセネ派、またその一部を構成したクムラン教団の出身ではないか

と考えられているわけです



イエスはヨハネのよびかけに集まった1人で

のちにヨハネの思想を継承しつつ独自の道を歩みはじめた

とも考えられています







パスカルとジャンセニズム




パスカル〔1623~62・

フランスの哲学者、物理学者、数学者〕は


≪ 人間は水辺に生える葦のように自然の中で最も弱い存在である

これに対して、宇宙は一滴の水によって人間を殺すことができる


しかし、宇宙は何も知らないのに、人間は死ぬことと

宇宙が自分以上の存在であることを知っている

人間は、自らの悲惨を理解している

だから宇宙よりも偉大である ≫


また、≪ 宇宙は空間により人間を1つの点として飲み込むことができるが

人間は思考によって宇宙を飲み込むことができる

ゆえに、人間は宇宙よりも偉大である ≫


ということから

「人間は考える葦である」


という有名な言葉を残していますが


さらにこう続きます



≪ こういった人間の偉大さと悲惨さ・

卑小さを知っているのが真の宗教であり

それはキリスト教以外にない


モンテーニュ(1533~92・フランスの哲学者。懐疑論者)は

人間の卑小さだけを見て

偉大さに眼を向けなかった。ゆえに救われがたき懐疑に陥った


人間がもつ悲惨と偉大という矛盾は

人性と神性の両面をもつイエス・キリストにしか解決できない


だから、哲学者は人間が持つこの矛盾を解決しようとしてはならない

人間は自分の悲惨を知っているゆえ偉大ではあるが

かといってそれで救済されるわけではない ≫


≪ 哲学すなわち人間学的次元では、人間の救済は実現しない

信仰によってはじめて実現するのである

神を直観できるのは、理性ではなく、心情すなわち信仰であるからだ ≫



パスカルの

「われわれは理性によってのみではなく、心によって真実を知る」

という言葉もわりとよく知られています





●  パスカル


パスカル(1623~62)は

フランスの哲学者、物理学者、数学者で

貴族出身である


業績には

円錐曲線における定理の発見。確率論の創始

微積分学における先駆的業績。自動計算機の発明

真空の存在を立証する実験

パスカルの原理〔密閉した容器内で静止している流体(気体・液体)

の一部に圧力を加えると

その圧力は同じ強さで流体のどの部分にも伝わる〕の発見

などがある





パスカルは、熱烈な「ジャンセニズム」

〔ヤンセン(1585~1638)という神学者が唱えた

キリスト教の立場の1つ。神の恩寵を重視し

人間の無力を強調。ローマ教会より弾圧され消滅〕

の支持者で


のちに、神を疑う者を信仰に導くために

「キリスト教弁証論」を書いています



これは未完のまま没しましたが、メモ書きが彼の死後にまとめられ

「パンセ(瞑想録)」と題して出版されています



「人間は考える葦である」というのはそこにみられる言葉です


ちなみに、パンセは、パスカルが遺したメモ書きの順序をめぐり

多数の版が登場したらしいです






アウグスティヌス(354~430)は

初期キリスト教会最大の思想家にして

教父(カトリックの称号の1つ。2~8世紀の神学者のうち

正統教義を唱えた精神的指導者)です



彼は、神の恩寵を重視し

人間は神の絶対的恩恵のみによって救われる


救いへの願いがおきて、それが維持、完成されるのは

全て神の恩寵であり予定

(神によりあらかじめ定められていること)であるという

「予定論」を唱えています



人間の救いを求める意志によって、祈りがおこり

救われるのではない


キリストの恩寵によって祈りがおき、それによって救われる

(ここは、親鸞の思想にそっくりである)


この原理がキリストを信じる者にあらかじめ定められている

というのがアウグスティヌスの予定論です





ジャンセニズムとは、このアウグスティヌスの思想を実践しよう

という立場や宗教運動です



オランダ出身で、スペイン領フランドル(現ベルギー)

のルーバン大学教授の

ヤンセン〔1585~1638

フランス語でジャンセニウス。神学者。司教〕が

死ぬ直前に完成させ


彼の死後に出版された「アウグスティヌス」(1640刊)は

多くの人に読まれ、彼の支持者たち(ジャンセニスト)を生み

ジャンセニズムという立場、さらには宗教運動を生み出したとされます



カトリックの1種の宗教改革運動という人がいますが

プロテスタンチズムのような新たな神学運動ではなく

もともとの教えを厳格に実践せよという運動です



とはいえ、教会組織の改革なども含まれていたことから

フランスでおこったジャンセニズムは

ヨーロッパのカトリック教会に論争をまきおこしたといいます



また、ジャンセニズムがおこった背景には

カトリック信徒が、ルネサンスと

プロテスタントの宗教改革に衝撃をうけたことがあったとされます





1549年、イエズス会士の

フランシスコ・ザビエル(スペインのナバラ王国の貴族)により

日本に始めてキリスト教が伝道されます


このイエズス会は男子修道会で

宗教改革によって失墜したカトリックの権威回復と

失った信徒を再び入信させる目的でパリに設立されています


布教者の育成は軍隊式で知られ

世界の果てまで布教しぬく精神を育てるというものであった

といいます



イエズス会は、カトリック復興運動の先頭で活躍し

多くの信徒をカトリックにとどめましたが


内部の腐敗に対する非難が再三にわたり各地から寄せられ

またブルボン王家の絶対王政主義との対立もあり


18世紀後半にはローマ法王により解散させられ

会士は追放処分を受けています (40年後に復興を許された)





ジャンセニズムは、イエズス会が、ヒューマニズムと妥協し

近代主義的傾向が強かったのとは対極にあり

イエズス会との論争を激化させていきます




パスカルは

「田舎の友への手紙」(プロヴァンシアル)という

18通の手紙形式の文を発表(1656~57)し

イエズス会を攻撃しています



最初の3通は

パリ大学の神学博士であった

アルノー(ジャンセニズムの指導者)が

大学から処分を受けたため

アルノーを弁護する目的で書かれたとされます



4~10通は、アルノーのパリ大学除名後に書かれたもので

イエズス会の腐敗と道徳観を批判したものだといいます



また、第10通までは、パリの1人の青年が

田舎の友人へパリの事情を報告する形で書かれたものですが

第11通からは、直接 イエスズ会士にあてて書いているといいます





なお、イエズス会の恩寵論を「モリナ主義」といいます


モリナ主義(モリニスム・モリニズム)は

スペインのイエズス会士

ルイス・デ・モリナ(1535~1600年・神学者)が唱えた

人間の自由意志による救いを強調する立場です



アウグスチヌスの「予定説」を

自由意志との相互関係で説明したもので


神の恩寵(救済)は

人間の自由意志による自発的な協力を通じて

効果的に働くとする説です


意志はあくまで、自主性、独立性を保持するというわけです




イエズス会のモリナ主義は

ドミニコ会(カトリック修道会の一つ)との間に

論争をまき起こしています



ドミニコ会は、神の恩寵は

人間の意志の内面に働きかけ、意志を先定するというものです



ローマ法王により、互いに妥協することが命じられ

論争することは禁じられています






アウグスティヌスとモリナ主義は

日本の仏教でいうと

浄土真宗の開祖である 親鸞(しんらん・1173~1263)

の考えに近いです




親鸞の根本は


1つには、自力の念仏(自分の力でする念仏)によって

極楽に往生しようとする従来の念仏では

凡夫は真実の浄土に至れない


絶対他力の念仏(阿弥陀の恩寵が、人にさせる念仏)によって

真実の浄土に至れるというものです




もう1つは、有名な「悪人正機」(あくにんしょうき)です


≪ 末法〔人間の心が邪悪となり

釈迦の教えに功力がなくなった時代

日本では平安時代中期より末法に入るとされた〕

に生まれた者は

本質において皆、悪人である


ゆえに、なまじっか自分を善人だと思い込み

自力信仰に励む者より


自己の本性が悪であると自覚して

阿弥陀の本願に身をゆだねる者の方が極楽に近い存在である ≫


≪ 末法においては、念仏のみが唯一救済の道で

戒律に執着する伝統仏教を修行する者は偽善者であって


罪悪に苦しむ凡夫こそが、阿弥陀の救いを受ける

正機(教法を正しく受け入れられる機根・能力)をもつ者である ≫

というのが、悪人正機です




さらにもう1つ加えると「報恩感謝の念仏」です


≪阿弥陀の本願を信じた瞬間に極楽行きが決定(けつじょう)する

ゆえに、念仏は救いを求めて行ずるものではなく

救済の決定に対し、阿弥陀への報恩感謝として行うものである≫

という話です





自力の禅宗(臨済宗・曹洞宗)に対して

他力の念仏宗(浄土宗・浄土真宗)と言われますよね


座禅という自力で、現世で悟りを得ようとする禅

阿弥陀の恩寵という他力に、死後の救済をゆだねる念仏


さらに、親鸞は、念仏(他力)にも

自力(モリナ主義)と

他力(絶対他力・ジャンセニズム)があるとしたわけです







話を、ジャンセニズムに戻します


1653年には、ローマ教皇より

ヤンセンの著「アウグスティヌス」に

5つ異端がみられると断ぜられます


さらには、ローマ法王庁とフランス司教団が

王権と結託し

同書に5つの異端が書かれていることを認める

信仰宣誓文への署名を

フランスの全聖職者に求めたといいます



これを拒否したジャンセニズムの本拠地

ポール・ロアイヤル修道院

〔パリ南西約25キロのシュブルーズにあった女子修道院

パリ郊外に新院のポール・ロアイヤル・ド・パリが建設されてからは

旧院をポール・ロアイヤル・デ・シャンと称した〕

の修道女たちは

デ・シャン(旧院)の方に集められ


ド・パリ(新院)の方には

妥協した者たちが集められることになります



そして、旧院の修道院は、新たに修道女を入れることが禁じられ

やがて老尼ばかりとなり

1709年に解散命令が出され、その2年後には建物も取り壊されています



ちなみに、修道女であったパスカルの妹のジャックリーヌは

信仰宣誓文への署名に対し、良心の呵責にさいなまれ憤死とされます




また、フランスのジャンセニズムの指導者であった

サンシラン〔1581~1643。フランスの神学者

ヤンセンの学友で聖書や神学をともに研究〕は

38年に投獄され、42年に釈放されますがまもなく没しています



サンシランの弟子のアルノー〔1612~94。フランスの神学者

ジャンセニズムの指導者〕は


厳格な戒律の復興を唱えて

「頻繁なる聖体拝受について」(1643)を著し、イエズス会を批判


ルイ14世によるジャンセニスト弾圧により

79年にベルギーに逃れ、そこで没しています






なお、キリスト教に目覚める以前のパスカルは

社交界に出入りしていたそうです


父が没し、妹のジャックリーヌが

ポール・ロアイヤル修道院に入ることを決めると

これに反対したといいます



また、かけ事の勝負のかけ金について研究し

数学の世界に、新たに確率という分野を生み出しています




しかし、この頃から世俗への嫌悪が生じ

妹のいる修道院を訪ねるようになり


54年の11/23日の夜、10時半頃から12時半頃の

約2時間にもわたって

「恩寵の火」という神の光に出会う奇跡を体験します




パスカルはこのときの記録を羊皮紙に書き留め

衣服の裏に縫い込み、生涯身につけていいます



それは30行のメモ書きの文で


火、アブラハムの神、イサクの神

ヤコブの神、哲学者および識者の神ならず

からはじまり


続く行には

確実、確実、感情、歓喜、平和


次の行には

イエス・キリストの神


さらにその次の行に

わが神、すなわち汝らの神



最後の数行は

イエス・キリストおよびわが指導者への全き服従

地上の試練の一日にたいして永久に歓喜

われは汝の御言葉を忘ることなからん。アーメン

です



途中には、歓喜、歓喜、歓喜、歓喜の涙という文もみられる

といいます




このときの奇跡については

パスカルの死後

彼の衣服の裏から羊皮紙が発見されていなかったら

誰も知らずに終わったとされます




さらに、多くの医者にみせても治らず、症状が悪化していく

修道院附属学校にいた姪のマルグリットの涙腺炎が


ポール・ロアイヤル修道院に展示されていた

聖荊(せいけい・キリストがはりつけにされたときに

頭にのせていた荊の冠の一部と信じられていたもの)に触れて

たちまち完治するという奇跡も体験したそうです




パスカルは前述の信仰宣誓文への署名をめぐり

アルノーと対立し、この後、ジャンセニズムから身を引きます


そして、キリストの存在とその教えの正しさを証明するために

「キリスト教弁証論」の完成に取り組んだといいます


これが≪パンセ≫です







聖餐の見解



「聖餐」(せいさん)は

パンとワインを信者に分かち、イエスと一体になる儀式です


この聖餐の秘跡(サクラメント)が行われる典礼を「ミサ」と言います



イエスが最後の晩餐で

パンとワイン(ぶどう酒)を弟子たちに与え

「パンは私の体であり、杯は私の血による契約である」

と言ったことに基づきます



カトリックで「聖体」とも言います


これは、パンとワインが儀式により

キリストの体と血そのものに変化するとしているからです



聖書には、イエスがわずか7つのパンと少しの魚をさき

4千人の信徒にわかち空腹を満たしたとあり

ちぎったパンは、イエスの自己犠牲を意味するといいます




カトリック教会の神学では

エピクレーシス(司祭の祈り)で、聖霊が降臨し、聖変化が始まり

聖体を制定する典礼文(制定句)が唱えられ

キリストの記念あるいは想起(アナムネーシス)

としての聖餐が完成すると考えるようです





これに対してドイツの宗教改革者 ルター(1483~1546)は

パンとワインが、キリストの体と血に全質変化するという

カトリックの教義を否定し


パンとワインの本質を維持したまま

キリストの体と血となるという実体共存論を唱えました




また、スイス北部のチューリヒで宗教改革を完成させた

ツヴィングリ(1484~1531・

スイス内のカトリック勢力との戦いに敗れ戦死している)は


パンとワインはキリストの体と血に変化しない


ただキリストの体と血を象徴する記号にすぎず

聖餐はイエスの受難を記念して行うものであると主張しました





宗教改革に反対し、ルター派を弾圧する

神聖ローマ帝国(ドイツ)の

皇帝 カール5世(スペイン王でもある)

に対抗するべく


ドイツ新教派と、スイス新教派が軍事同盟を目指し

ヘッセン(ドイツ西部)方伯フィリップの仲介もと

「マールブルク会談」がなされました



この会談には

ルター、ツヴィングリ他、おもだった改革指導者が集いました



しかし、ルターとツヴィングリが聖餐の見解で一致せず

プロテスタント同盟は不成立に終わっています




なお、ルターと並ぶ宗教改革者で

スイス南西部のジュネーブで活躍した

カルヴァン(1509~64)は


聖餐についてルターとツヴィングリの中間的思想で

変化はしないものの信徒は

キリストの体と血の効力にあずかるとしています





また、イギリスの神学者で、宗教改革の先駆をなした

ウィクリフ(1320頃~84)は


「聖餐論」(1381・

スコラ神学の集大成者であるトマス・アクィナスによる解釈)にある


≪祈りにより、パンとワインの実体がキリストの肉と血に変わり

形、色、味などの属性だけがパンとワインとして現れる≫

というカトリックの「化体(かたい)説」を否定し


パンやワインの性質は

それをうける信徒の信仰によって決定する と主張しています



【 ウィクリフ・・・・ ローマ教会の権威を否定

教会の財産の保有を批判

78年、カトリック教会の大分裂(1378~1417)により

ローマとアビニョンでそれぞれ法王が選出されると

法王をアンチキリストとした


82年には、彼の24の論のうち10が異端で

他はあやまりであると断じられたが無事に生涯を終えた


しかし、1415年の公会議で正式に異端とされ

墓があばかれ、遺骸は焼かれ、灰は近くの川にまかれたという 】






それから、東方正教会(ギリシア正教・ロシア正教など)

においてもカトリック教会と同様に


パンとぶどう酒の中に、イイスス・ハリストス

(イエス・キリストのこと)が実存すると理解します


しかし、カトリック神学のように

パンとぶどう酒が、イエスの聖体・聖血に

実体を変化をさせるという理解ではなく


パンとぶどう酒は、真のパンとぶどう酒であって

なおかつ真の聖体・聖血であると考えるといいます





アホみたいな話ですけど

これが「宗教」「神」というものの実態であり

世界の多くがこんなものを信じ

自己の存在の根拠としているのです





●  サクラメント


カトリックと東方正教会(ロシア正教やギリシア正教)では

「サクラメント」を重視する


サクラメントとは、イエスによって定められた

神の恩寵を受けられる儀式です


カトリックで「秘跡」(秘蹟)、東方正教会で「機密」

プロテスタントで「礼典」(聖礼典)と呼ばれています


カトリックでは、イエスの救済行為を≪原秘跡≫とし

これを教会が受け継ぐとしています



カトリックと東方正教会では


① 「洗礼」〔キリスト教徒になる為の儀式

教会にもうけられた水槽に全身を浸す(浸礼)

手で頭に水滴をつける(滴礼)

手や容器で頭に水を注ぐ(灌水(かんすい)礼)などがある〕



② 「堅信」〔けんしん・聖霊の恩寵を与える儀式

成人では洗礼のあとに行うが一般的

幼児洗礼を受けたものは思春期になってから受ける〕



③ 「聖餐」〔せいさん・カトリックでは聖体ともいう・

イエスが最後の晩餐で、パンとワイン(ぶどう酒)を弟子たちに与え

「パンは私の体であり、杯は私の血による契約である」

と言ったことに基づき

これを分かちイエスと一体になる儀式〕



④ 「告解」〔こっかい・告白ともいう。司祭に罪を告白すること

懺悔(ざんげ)のこと。洗礼前の罪は洗礼によって赦され

その後に犯した罪は告解によって赦される〕



⑤ 「叙階」〔じょかい・品級ともいう。聖職者を任命する儀式〕



⑥ 「結婚」〔信徒の婚約を認めて祝福する儀式〕



⑦ 「終油」〔しゅうゆ・重病人の目、鼻、口、耳、手、足に聖香油を塗り

病気の治癒と罪の赦しと神の恩恵を祈る〕


の7つを定めています



これに対し、プロテスタントでは聖書中心の立場から

サクラメント全般に批判的で、教派によって違いますが

一般に洗礼と聖餐だけを認めています







聖霊



イエスは、神の霊=聖霊にみたされた者とされ

イエスの中に悪霊に憑りつかれた者を

ただちに癒す力があるとされました


カトリックでは

この聖霊は、イエスが亡くなったあと

教会に与えられ、助け主・慰め主(パラクレトス)として

教会を導くとされています



美術では、十字架に架けられているキリスト

これを両手で支えるヤーウェ

その上を飛ぶ 聖霊の鳩で「三位一体」を象徴することが多いといいます




この聖霊の降臨の日は

イエスの復活(死後3日目)から50日目

イエスの昇天から10日目であるとされます

〔昇天から50日目とする見方もある〕


この日、使徒たちの説教により、多く人が洗礼を受け

集い祈っていた120人の信徒たちの上に、神からの聖霊が降り

信徒の共同体である「教会」ができたとされます



聖霊降臨祭(ペンテコステ)は、降誕祭(クリスマス)

復活祭(イースター)とともに

キリスト教の三大祝日として

復活祭から50日目=第七日曜日に行われます




カトリックでは、サクラメントの

「洗礼」〔キリスト教徒になる為の儀式〕と

「堅信」〔けんしん・聖霊の恩寵を与える儀式

成人では洗礼のあとに行うが一般的〕

によって


個人の罪が赦され

聖霊によって霊的に新たに生まれ変わる=新生する

とされています






福音派(プロテスタントのホーリネス系やメソジスト系など)は

「聖潔(きよめ)派」と呼ばれ

個人個人における聖霊の働きを強調し


内住する聖霊によって

心の中にある自我(自分中心の考え)が清められると説きます



イエス・キリストを信じた瞬間

聖霊が内住し「聖霊のバプテスマ(洗礼)」がなされる

そのことによってキリストのからだに属するものとなる

そこから永遠に漏れることがない

これは体験ではなく 客観的事実である

と説くそうです



また「瞬間的聖化」(神中心に生きる者へと変化すること)と

「漸次的聖化」(生活が少しずつ聖化され、清い生き方をするようになること)

を説くといいます




なお、ホーリネス系とは

メソジストから分派したグループで

ホーリネスとは、(神によって)「聖別される」という意味です


メソジストと同様、神学的には

アルミニウス主義(カルヴァン主義に対して、自由意志を強調する立場)をとり


聖霊体験を強く主張し、日々生きた信仰により聖化される事

さらには、神による病の癒し

キリストの再臨と千年王国を待望すること を強調するそうです



「四重の福音」を重要な教義としています


新生 (イエスを信じることで新しい命に入るという救い)


聖化(聖霊による洗礼=

罪をきよめられキリストと同じ姿に変えられていくこと)


神癒(しんゆ・イエスを信じるときに、霊肉ともに健やかになること

また神による病の癒し)


再臨(イエスの再臨が必ずあることを強調)






プロテスタントのペンテコステ派は

個人個人における聖霊の働きを強調するとともに

「異言」など神がかり的な体験を強調します


ペンテコステは聖霊降臨の意味です


ペンテコステ派は

1900年頃に、アメリカのメソジスト、ホーリネス教会のなかから

聖霊運動=ペンテコステ運動が起こり

それによってうまれた教団や教派の総称です



「聖霊のパプデスマ」(聖霊による洗礼)を唱え

これにより「異言」〔異国の言語=聞き慣れない言葉〕

を語ることを、神の恵みと説きます


「異言を語らない者は

聖霊のバプテスマを受けているとは言えない」と言います



これは聖書に、聖霊降誕のさい

聖霊が初代教会の信徒たちの頭上に炎のように降り

そこで彼らは、聖霊が話させてくれるとおりに

「他国の言葉」で語りはじめた

とされていることからです




神とはなにか? キリスト教編 ②


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