緋山酔恭「B級哲学仙境録」 仏教編 密教とはなにか? まるわかり 密教 Ⅰ



B級哲学仙境論


仏 教 編


 




密教 Ⅰ




雑密(ぞうみつ)



密教の成立課程をみると

雑密 → 純密 → 左道(タントラ) となります


雑密とは、招福除災、現世利益のみの密教


純密は、即身成仏を説く密教で

日本の真言宗(真言密教)と天台宗(天台密教)はこれにあたります


左道密教は、はしょっていうと

男女交合の体験、すなわちオーガズムが即身成仏とする密教です

チベット仏教で盛んに行われました





●  即身成仏


衆生が凡夫の身のまま仏になること

大乗仏教は、利他を行じて仏になることを目指すものであるが

当初、歴劫修行〔りゃっこうしゅぎょう・

何度も生まれ変わって長大な期間修行すること〕して

仏の相(三十二相や八十種好)をそなえて仏なるとされていました


その後、そんなに長い期間をかけなくても現世で成仏できるはずだと

いう考えが求められ、それが密教で「即身成仏」という形で成立したとされる





護摩を焚いて、真言や陀羅尼〔だらに・

一般に真言よりも長い呪文というが、真言との区別はあいまい〕

を誦すという方法で

様々な願望に応じた祈祷がなされ、護摩の燃し方

壇の作り方、印の結び方などの細かい儀礼の規則がととのえられた

「雑密」(ぞうみつ)が、インドに誕生したが6世紀頃とされています




日本では、空海(774~853)以前から雑部密教が

山岳修行者の間で広く行われていたようです


空海は入唐以前から山岳修行者と交わっていたことから

真言を重んじていたと考えられ

入唐以前に、徳島県の太竜ヶ岳や高知県の室戸岬などで

虚空蔵菩薩を本尊とする「求聞持法」(ぐもんじほう)を修したとされます




●  求聞持法

虚空蔵菩薩を本尊とし、記憶力を高めるために行う密教の修法(しゅほう)

聞持とは見聞きしたことを持しておく意

虚空蔵菩薩の真言100万遍を

50日または100日間で唱える修法で、最も難行とされるが

成就すれば、見聞きし学んだことは全て忘れないという






また奈良時代の官職に

呪禁師(じゅごんし・呪文を唱え邪気や虫などの害を除く者)

というのがあったようです


日本書紀には、飛鳥時代 敏達天皇のとき、百済(くだら)王から

呪禁師が献じられたとあるそうです


この呪禁師には、仏教系と道教系があり

仏教系は雑密による祈祷を行ったと考えられていて


呪は真言・陀羅尼の意、禁は真言の行者でない者が修することを禁じる意

ではないかと考えられています


平安時代に入ると、陰陽師(おんみょうじ)や

真言密教の僧侶に役割が移り、呪禁師の名は消滅したといいます



要するに、空海以前にすでに日本に密教が存在していたわけです





それから、紀元1世紀頃に成立したとされる初期大乗経典の

法華経の第26品は、陀羅尼品といいます


この品(ぼん)で、薬王菩薩、勇施(ゆぜ)菩薩、毘沙門天王

持国天王、十羅刹女(じゅうらせつにょ・鬼子母神の10人の娘たち)が

神呪(陀羅尼)を唱えて法華経の行者を守護することを釈迦に誓っています


十羅刹女は「若し我が呪に順ぜずして

説法者を悩乱せば頭破(こうべわ)れて七分に作(な)ること

阿梨樹(ありじゅ)の枝の如くならん」と述べています



ちなみに、日蓮の曼荼羅本尊の左肩には


"有供養者福過十号"〔うくようしゃふくかじゅうごう・

曼荼羅を供養する功徳は、十号(仏の10種の尊称。如来・世尊など)

を具えた者(=仏)を供養する福よりも優れる〕


右肩には

"若悩乱者頭破七分"(もしのうらんしゃずはしちぶん)

と書かれています




また、法華経の分別功徳品(第17品)は

法華経の肝心とされる如来寿量品(第16品)を聞いた

菩薩たちが得る功徳について書かれています


その功徳とは


不退転の境地を得る

聞いた教えを忘れない能力を得る

相手の楽(ねが)うことに従って自在に説法できる


煩悩を分離させ菩提(ぼだい・悟り)へと転換できる

不退転の法を説くことができる

清浄の法を説くことができる


多くの菩薩たちが8回生まれ変わったのち悟りを得ることができる

多くの菩薩たちが4回生まれ変わったのち悟りを得ることができる

以下同様に3回、2回、1回生まれ変わったのち悟りを得ることができる

というもので



このうち、聞いた教えを忘れない能力を得るというのは

聞持(もんじ)陀羅尼を得る


煩悩を分離させ菩提へと転換できるというのは

旋(せん)陀羅尼を得る というものです




つまり、大日経や金剛頂経といった純密の誕生以前はおろか

雑密成立よりずっと以前の大乗仏典のなかに

すでに陀羅尼や呪が混入しているということです







真言(マントラ)



密教は、釈迦の否定したバラモン教の呪術を根本とします


たとえば護摩〔ごま・火中に護摩木や供物を投じて

諸尊を供養するとともに、煩悩を焼尽する行法〕は

バラモン教の行法ホーマーが仏教に取り入れられたものです



釈迦の当時、バラモン教ではホーマーがいけにえの儀式とともに

盛んに行われていたといいます



この火の祭儀により

火の神アグニが、火に投じられた供物を天上の神々にとどけ

人々の願望をかなえ霊魂を浄化させると信じられていたわけです


むろん、釈迦はこのホーマーを厳禁しています



原始仏典に、“バラモンよ。木片を焼いたら清らかになれると考えるな

それは単に外側に関することであるからである

外的なことによって清浄になれると考える人は

じつはそれによっては清らかになることはができない

と真理に熟達した人々は語る

バラモンよ

わたくしは木片を焼くことをやめて、内面的にのみ光輝を燃焼させる

永遠の火をともし、つねに心を静かに統一していて

敬われるべき人として、わたくしは清浄行を実践する”


(NHKブックス中村元・田辺祥二著「ブッダの人と思想」)


とあります





また

真言(マントラ)という呪文を唱え

除災招福を祈ることもバラモン教時代から存在しましたが

原始仏教教団ではマントラによる招福、病気直し

延命などの呪術もきびしく禁じていました



さらに指先を組み合わせて

仏や菩薩の悟りや誓いを表現する

「印」〔印契(いんげい)・印相・密印ともいう。仏像、菩薩像にもみられる〕も

釈迦は、厳禁していたのです




例えば、富豪の息子 ケーヴァッタが「比丘たちに神通力を披露させれば

信者がもっと増えるのではないか」と言ってきたとき


釈迦は「魔術のごときもので奇跡を見せらて集めた者は

それに冷めると去っていく。自分は説法で奇跡を見せる」

と述べたことはよく知られています


〔 原始仏典の一つ

ディーガ・ニカーヤ(長部経典)のケーヴァッタ・スッタ

漢訳仏典は、長阿含経の堅固経 〕




真偽はともかく


阿闍世(あじゃせ)王から

仏教とバラモン教との違いを尋ねられた釈迦は


「バラモン教では、手相占い、人相占い、夢占い

火を使う護摩の祈祷、呪文をとなえて行う運命判断

家相判断、悪魔払いの祈祷、花嫁を嫁がせる吉日を予言すること

人を不幸にする呪術、鏡を使う呪術

神懸かりした少女の言葉による予言術・・・


こうした卑しき法を戒めるのが私の教えです」


と述べたというような話(伝説?)もあるようです





しかし、仏教は、しだいに

バラモン教が変貌して成立したヒンズー教の圧迫をうけるようになり


さらにイスラム教の侵入

(8世紀頃より始まり多くの寺院や仏像が破壊された)により衰退します



こうした要因から

バラモ教やヒンズー教の呪術的要素を取り込んでいきます


その結果、大乗仏典に、「陀羅尼」〕や「呪」がみられるようになり


後期大乗仏典である密教では

真言や陀羅尼による呪術的実践が中心となってしまったわけです






真言(マントラ)とは、仏の真実の言葉の意味で

呪(咒とも書く)、密呪、密語などとも訳されています



仏、菩薩、明王、天部 (帝釈天や毘沙門天王など)

のサンスクリット名の最初にオン〔唵・オームの音写

南無(ナマス)と同じで帰命の意〕


最後にソワカ〔薩婆訶・蘇婆訶・娑婆訶。スバーハーの音写

成就、吉祥、円満の意で、願望の成就を祈願する語〕

を付したものが多いようです



弥勒菩薩(マイトレーヤ)の真言は、オン・マイタレイヤ・ソワカ

観音菩薩(アバローキテーシュバラ)の真言は、オン・アロリキャ・ソワカ です





大乗経典の中には意味の分からない部分があります

それが真言(呪)の部分です


真言は、文法的に正しいサンスクリット語ではないので

正確な意味は分らないといいます



般若心 経で言えば

「羯諦。羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶」

〔ガテー・ガテー・パーラガテー・パーラサンガテー・ボーディ・スヴァーハー〕

の部分です


正確な意味は分かりませんが、学者の研究を通して

「往き往きて悲願に到達せし者よ。まったき彼岸に到達せし者よ

悟りあれ、幸あれかし」 と 訳されているのです



文法的に正しいサンスクリット語ではないので

正確な意味は分らない


分かりやすくいうと

「がちょーん」 「あいーん」は、日本語ではあるのですが

文法的に正しくないので、正確な意味は分らないといったところでしょうか





また、胎蔵界大日如来の真言

オン・アビラウンケン(阿毘羅吽欠)・ソワカは

とくに有名ですが


アビラウンケンのように

地水火風空を象徴するなどといった教理的解釈はあっても

実際の意味が不明なものもが多いといいます




ちなみに、鎌倉時代の仏教説話集の「沙石集」

〔しゃせきしゅう・10巻。著者は、臨済宗の僧 無住道暁(むじゅうどうぎょう)〕

には、老婆が、アビラウンケンを「油売ろうか」とおぼえて

祈祷したところ、大変、功力(くりき)があったが

僧から間違えを正されてからは

全く功力がなくなったという話がみられるそうです




【 アビラウンケンは、胎蔵大日如来の真言の一つ

バザラダトバンは、金剛界大日如来の真言の一つ


アビラウンケンは、そのまま「アビラウンケン」

オンをつけて「オン・アビラウンケン」

さらにソワカを付して「オン・アビラウンケン・ソワカ」

また「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・アビラウンケン」

と唱えることが多く



バザラダトバンは

オンをつけて「オン・バザラ・ダト・バン」

と唱えるのが一般的だといいます 】





光明真言も真言密教における代表的な真言で

無量の功徳があるとされています


[オン・アボキア・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・

ハンドマ・ジンバウ・ハラバリタヤ・ウン]


【 不空なるもの=不空羂索(ふくうけんじゃく)観音よ

毘慮遮那(びるしゃな)よ

大印を有するものよ、摩尼(宝珠)と蓮華よ

光明を放ちたまえ の意味とされる 】



土砂にこの光明真言を108遍唱えることを「土砂加持」(どしゃかじ)といい

加持した土砂を、死者の遺骸、墓、塔などに撒くと

土砂の功徳により、西方極楽浄土に往生し悟りを得るとされています

(不空羂索神変真言経に基づく)



     
 転 写   転 写 







明 王



不動、降三世(ごうさんぜ)、愛染などの「明王」は

密教特有の尊格で「真言」や「陀羅尼」から発生したとされます


明王の明とは≪明呪≫ ≪真言≫ ≪陀羅尼≫のことで霊的な力を意味し

この力に優れた者が明王です


大日如来の命をうけ、また密教の五仏の分身として

忿怒(ふんぬ)の姿で、教化しがたい衆生を畏怖させて従わせ諸悪を退治する


母のように衆生を教化する菩薩に従わない者を

父のように威怒(いぬ)して教化するとされます


ヒンズー教の諸尊のように多面多臂(ためんたひ)の忿怒相が多く

ヒンズー教の影響のもとに誕生したとされます




なお、孔雀明王は

他の明王とは異なり忿怒相をとりません


1面2臂か4面6臂で、手に孔雀の羽を持ち

4面6臂では孔雀に乗ります


毒蛇を食す孔雀が尊格化されたもので

一切の害毒を除く尊格として信仰されるそうです



インドでは、猛禽類や孔雀は

蛇を食べると解釈されていたといいます




 正暦(しょうりゃく)寺蔵  (奈良県文化財)






●  愛染明王


愛染明王の梵名は、ラーガラジャー

ラーガは、情欲や愛染、また赤を意味し、ラジャーは、王者を意味する


図像はふつう身体が赤く、3眼6臂の忿怒相で頭上に獅子の冠をのせ

日輪の光背を持ち、蓮華座の上に坐す


蓮華座は、宝瓶の上にある

6臂の中央左右の手には弓と矢を持つ



 東京国立博物館蔵  重文



日本では中世以降、縁結びや美貌を与える神

また、愛欲から生じる人間男女の悩みを救う神

として信仰され

近世には遊女の守護神にもなり、愛染参りが盛んであったという







純 密



招福や除災、現世利益ばかりでなく

即身成仏を目指す大日経や金剛頂経が誕生します

これを「純密」といいます

純密の誕生は7世紀半ば~8世紀頃とされています



「純密」の根本は、曼荼羅本尊に向かい

手に印〔印契(いんげい)・印相・密印〕を結び(身)

口に真言を唱え(口)、心に本尊を観じる(意)ことで


仏の身口意(しんくい・意は心のこと)の働き

〔これを仏の三密という〕が修行者の身に入り


修行者の身口意の三業が仏の三密と相応合致し

つまり衆生の信と仏の慈悲により、衆生と仏とが結ばれ

行者がそのまま仏となるというものです(即身成仏)


これを≪三密加持≫とか、≪三密瑜伽(ゆが)≫といいます



「即身成仏」とは、凡夫の身のまま仏になることです

歴劫修行〔りゃっこうしゅぎょう

・何度も生まれ変わって長大な期間修行すること〕して


仏の相(三十二相や八十種好)をそなえて仏なるという考えとは逆で

本来 歴劫修行して悟れるはずの真理を

その身のままで悟り、仏(覚者)になれるということです




純密の究極の目的を簡単にいうと

宇宙の仏である大日如来と一体化する

というのことなわけです




日本の伝統仏教には

真言宗〔真言密教・東密。京都の東寺を拠点としたことから〕と

天台宗 〔天台密教・台密〕という2つの密教が存在します

ともに平安時代初期に成立しています




真言宗の開祖は、弘法大師 空海(774~853)です

空海が留学した当時の唐では、密教が大変流行していたらしいのです


それでもまだ、インド、中国では統一した教義が整備されていたわけではなく

形としては他宗寺院での兼学となっていました


空海が、密教の教義を集大成、体系化して、真言宗を立宗したわけです


つまり真言宗は、空海によりはじめて単独の宗派として

日本で成立したのです




一方、天台宗の開祖は、伝教大師 最澄(さいちょう・767~822)です


中国の天台宗は、法華経をよりどころとする宗派で

修行の根本は「止観」(しかん)で、密教的要素は多くないといいます



●   止観

対象に心を集中し、その本質を観察(かんざつ)すること

中国天台宗の祖 天台大師 智顗〔ちぎ・538~598〕は

禅定によって精神作用を静止する「止」自体には意味がない

ものごとを明らかに見る「観」を働かすための「止」であるとしている




ところが、日本の天台宗は、最澄以来、法華経や天台大師の思想に

真言三部経〔大日経、金剛頂経、蘇悉地経 (そしつじきょう)〕を

はじめとする密教経典や

それらの注釈書から、密教の要素を徐々に取り込み


ついに円仁〔えんにん・慈覚大師

3代天台座主。天台宗山門派の祖〕の弟子

安然〔あんねん・841~?。名利を欲せず著述に専念

このため餓死したという伝説も生じている〕のとき

完全に密教化したとされます


またそれまでに、円仁と

円珍〔えんちん・智証大師。5代天台座主。天台宗寺門派の祖〕が

入唐して密教を学び、台密の確立を押し進めています







天台密教とは?



結局、天台密教って何なの?


一言でいうと、法華経(正しくは天台大師の思想)と

密教=大日経・金剛頂経などを結びつけたものです



たとえば、真言密教が、大日と釈迦を別仏とするのに対して

天台密教では、釈迦も大日も一仏であり等しいとしたり



密教と法華経にはともに

一念三千の理〔一年三千は、天台大師が法華経の法門より説き明かした

天台宗の根本的法理〕が説かれていて

理の上で等しいが

密教には成仏の具体的方法(印と真言)が記してあるので

事(実践面)では密教が優れている(「理同事勝」という)などとしたものです





それから真言密教が、大日経と金剛頂経を基礎とするのに対し

天台密教では、これに第3部として

蘇悉地経〔そしつじきょう・善無畏(ぜんむい)訳〕を加えています


蘇悉地とは、妙成就と意訳され、この上もない深い悟りの意味だそうです


この上もない深い悟りとは

胎蔵界と金剛界の究極が不二(一体不離)ということらしいです

また、秘密の祈祷儀礼を説き明かしているともいいます



大日経は理の胎藏界を説き、金剛頂経は智の金剛界を表すものとされ

真言密教では、両経は表裏一体をなすものであるとしています


これに対し、天台密教では、両経はそれぞれ独立していることを認めつつも

理と智とが≪不二≫(2つにして2つでない)

である神秘を示しているのが「蘇悉地経」であると主張しているようです




また、善無畏は「大日経義疏(ぎしょ)」(大日経の解説書)のなかで

胎藏曼荼羅は「妙法蓮華経最深の秘慮」であると書いているそうです


このようにもともと密教の阿闍梨(高僧)たちに

金剛頂経は華厳経の深秘であり

大日経は法華経の深秘であるという考えがあったといいます


こうした考えの影響から、天台密教では

金剛頂経よりは法華経の深秘を説く

大日経を重視する風潮があるといいます



また、台密(天台密教)が三部立てとなったのは

円仁(3代天台座主)や円珍(5代天台座主)が入唐した頃には

唐で三部の密教が行われていたからだといいいます



●  善無畏

ぜんむい・637~735。80歳になって、インドから唐に入り

大日経系の密教を伝えた。大日経や蘇悉地(そしつじ)経を漢訳







両界曼荼羅



大日如来との合一のときに用いるのが

一大総合曼荼羅である両界(両部)曼荼羅の

「胎蔵(たいぞう)界」と「金剛界」の2つの曼荼羅です


胎蔵界・金剛界いずれも大きさは、縦横1~3m余りで


大日如来を中心に仏教のあらゆる諸尊を描いていて

その数、胎蔵界曼荼羅400尊を超え

金剛界曼荼羅1400尊を超えるといいます

(諸尊の数は文献によって多少の違いがあるので正確に決まっていないのか?)



但し、全ての諸尊は、大日如来の悟りが形を変えて現われたもので

全ては大日如来一尊を由来すると考えられているようです





胎蔵界曼荼羅が大日経、金剛界曼荼羅が金剛頂経の説をもとにして

それぞれ胎蔵界と金剛界を図で表したものだといいます


金剛界が大日如来の智慧を

胎蔵界が大日如来の慈悲をを開示するといいます



胎蔵界曼荼羅は「大悲胎蔵曼荼羅」といい

大悲とは慈悲のことです


胎蔵とは、母胎内で子供を育てるという意味で

仏菩薩をはじめ、森羅万象は

中央の座にいる大日如来から生じているとされます




また、金剛界が大日如来の智法身(ちほっしん)を示すのに対して

胎蔵界は大日如来の理法身(りほっしん)を示すとされます


智法身は、大日如来の主体的な智慧です


これに対し

胎蔵とは、如来蔵(全ての衆生が仏性を具している)と同義語で

諸法(全ての事物・事象)に平等に仏性が具わっている

(これを理平等という)という客観的な真理を意味し

理法身は、大日如来の理性(りしょう。真理の性質)です




 
金剛界曼荼羅     胎蔵界曼荼羅


法会では、右(東側)に胎蔵界曼荼羅を

左(西側)に金剛界曼荼羅を掛けます




     
金剛界曼荼羅     四印会


金剛界曼荼羅は「金剛頂経」に書かれた

28種類の曼荼羅の中の9つをまとめたものといいます


金剛界曼荼羅を簡略化したものが、四印会(よいんえ)です



密教の行者は、金剛界曼荼羅を

上転、下転の2つで観て、解釈してゆきます



つまり、降三世三昧耶会から上にあがり

左回りに内側へ入り中央の成身会に到達する

「従因至果」〔じゅういんしか・従因向果。向上門

修行の結果として悟りへと向かう面〕と



成身会から下にさがり右回りに展開して降三世三昧耶会に至る

「従果向因」〔じゅうかこういん・向下門

悟りの智慧から迷いの世界へと向かう面。衆生救済へ向かう面〕

によって、観想の追求力を高めていくそうです


心に1つの画をつくりあげていくなどと言われています




なお、降三世会(ごうざんぜえ)は

仏菩薩が忿怒の姿を現したもので


代表して金剛薩埵(こんごうさった・密教では

大日如来と衆生を結ぶ重要な菩薩)

が忿怒の相を示した

降三世明王を描いたものといいます


降三世三昧耶会は

降三世会を、三昧耶形(諸尊の持物や印契)で描いたものです



降三世明王は、大日如来に従わず

三世界(三千世界・あらゆる世界)の主であると自称した

従来の諸天の主 大自在天

〔ヒンズー教の最高神 シバが仏教に取り入れられたもの〕を降伏させたという

密教神話に由来する明王です


三世界の主と名乗る大自在天を降伏させたことから降三世といいます


後期密教のさきがけに登場した新明王だといいます





また、成身会はこの一会をもって

金剛界曼荼羅全てを示しうる曼荼羅とされ


天台密教では、成身会を独立させた八十一尊曼荼羅を

金剛界曼荼羅として主に使用するといいます



 
 八十一尊曼荼羅






なお、成身会の主役は、金剛頂経に明かされた三十七尊です

三十七尊とは


1、金剛界の五仏


2、金剛波羅蜜・宝波羅蜜・法波羅蜜・羯磨波羅蜜の四波羅蜜菩薩


3、金剛薩埵・金剛王・金剛愛・金剛喜・金剛宝・金剛光・金剛幢・

金剛笑・金剛法・金剛利・金剛因・金剛語・金剛業・金剛護・

金剛牙(が 口に金剛牙を持ち牙で一切の魔を降伏させる)・

金剛拳の十六大菩薩


4.金剛舞・金剛鬘(まん 鬘は髪飾り?)・

金剛嬉戯(きけ)・金剛歌の内供養の四菩薩と


金剛塗(ず 大日如来を塗香で供養することから)・

金剛華・金剛焼香(しょうこう)・金剛燈の外供養の四菩薩をあわせた八供養菩薩


5、金剛鉤(く)・金剛索(さく)・金剛鎖・金剛鈴(れい)の四摂(ししょう)菩薩 です



四波羅蜜菩薩は女菩薩だといいます


波羅蜜(パーラミータ)とは、衆生を此岸〔しがん・迷いや苦の世界〕から

彼岸〔ひがん・悟りの世界。涅槃(ねはん)〕に渡す菩薩修行のことです



四摂菩薩の摂とは、衆生救済の方法のことです

各四摂菩薩の名は、魚を釣るときに、はじめに鉤針(かぎばり)をつけ

索(なわ)でひき、鎖で縛り、鈴のように喜ぶというように、衆生の心をとらえ

仏道に導き、修行に精進させ

歓喜させるといった菩薩行の一連を示しているとされます






なお、胎蔵界・金剛界の曼荼羅を、両界曼荼羅としてまとめたのは

空海の師である長安の青竜寺の恵果(けいか)です


恵果(けいか)は

金剛智〔671~714・インドから唐に入り

金剛頂経系の密教を伝えた。金剛頂経を漢訳〕

の弟子の不空(ふくう)より金剛頂経系密教を


善無畏〔ぜんむい・637~735。80歳になって、インドから唐に入り

大日経系の密教を伝えた。大日経や蘇悉地(そしつじ)経を漢訳〕

の弟子の玄超から大日経系と蘇悉地経系の密教を学び


胎蔵界・金剛界の曼荼羅を

一対の両界曼荼羅として統一したといいます




●  不空

ふくう・705~774。幼少の頃、叔父につれられ

西域から唐に入り、金剛智に師事

金剛智の死後、インド、スリランカへ密教典を求めて赴き

経論500余部を持ち帰り、金剛頂経など110部43巻を漢訳

中国四大訳経僧の1人とされる







五 仏



    
胎蔵界曼荼羅     中台八葉院


中台八葉院は、蓮華(ハスの花)を表現しています

(下が東、上が西)



なお

『胎蔵界の五仏』は、中心・東・南・西・北の順に


① 胎蔵界大日〔左右の手のひらを上にした状態で

親指以外の指を組み合わせ

親指の先をあわせる禅定印(法界定印)を結ぶ〕





② 宝憧(ほうどう・憧とは魔軍を制する仏・菩薩のしるしである旗のこと)


③ 開敷華王(かいふけおう・満開の花の王の意)


④ 無量寿(阿弥陀のこと・量ることができない寿命の意)


⑤ 天鼓雷音(てんくらいおん・雷音を轟かすように智慧を悟らせる意)






『金剛界の五仏』は、中心・東・南・西・北の順に


① 金剛界大日〔左手の人差し指を立て、これを右手で包み込む

智拳印(ちけんいん)を結ぶ〕





② 阿閦〔あしゅく・梵名アクショービヤの音訳

意訳は無動や無怒や無瞋恚(むしんに・憎しみや怒りがないこと)〕


③ 宝生(ほうしょう・宝よりうまれた者の意)


④ 阿弥陀〔阿弥陀如来には、アミタース(無量寿仏)と

アミターバ(無量光仏)の2つの梵名が知られる

チベット仏教では、阿弥陀を無量寿仏と無量光仏に分ける〕


⑤ 不空成就(不空はむなしからずの意)


金剛界の五仏は、五智如来といい、五智を対応させます




五智は

法界体性智〔宇宙の本体と本性を知る智慧〕


大円鏡智〔万象を鏡のように明らかにみる智慧

全てをあるがままに映し出す智慧〕


妙観察(かんざつ)智〔万象の差別相を正しく観察する智慧〕


平等性智〔万象が1つの真理(大日如来)よりあらわれたものであり

本来全てが1つであり、差別がなく平等あることを観じる智慧〕


成所作智〔じょうしょさち・自利(小乗)と利他(大乗)の修行を成就させる智慧〕



五仏は、密教の宇宙の根本仏である大日如来の

5種の智慧や徳をあらわしたものと言えます






印相について触れておくと

よくみられるの印相は以下のとおりです


            

(図は、転写)



施無畏(せむい)とは畏れを除き安心させることで

施無畏印は、衆生に施無畏の徳を示します


与願(よがん)印は、衆生の願いを実現することを象徴します


触地(そくじ)印は、降魔印ともいい、釈迦が悟りを開いたとき

これを妨害しようとした悪魔をこの印で退けたとされます



来迎印は、極楽浄土から阿弥陀如来が

来迎する(死者を迎えに来る)ときの印です







(図は、転写)


これらは、阿弥陀如来の印で

まとめて、九品(くほん)来迎印と呼ばれています




釈迦如来の印相は

1、施無畏(せむい)印と、与願(よがん)印のセット


2、説法印 (転法輪印)

いくつかの形がある


3、禅定印 (法界定印)


4、触地印 (降魔印)  です




胎蔵界の四仏の印は

宝憧如来が、与願印

無量寿如来が、禅定印

開敷華王如来が、施無畏印

天鼓雷音如来が、触地印



金剛界の四仏は

阿閦(あしゅく)如来が、触地印

宝生(ほうしょう)如来が、与願印

阿弥陀如来が、弥陀定印

不空成就が、施無畏印

をとります







種 子



          
 金剛界大日如来    胎蔵界大日如来
     
     
 金剛界大日の種子(バン)    胎蔵界大日の種子(ア)
     
     
荘厳体の種子(バーンク)     荘厳体の種子(アーンとアーンク) 



種子(しゅじ・種字)は、尊格(仏・菩薩・明王など)を象徴する

梵字の一文字です


〔 阿頼耶識を説く唯識派の「種子」(しゅうじ、しゅじ)とは無関係 〕


重字は、ふたつの梵字を組み合わせたもので

基本的には、諸尊の種子として用いられるもので

「荘厳体」ともいいます


「呪」の効果を高めることを目的に

種子を装飾することが、平安時代頃から行われ

それによって生まれたのが荘厳体のようです



「カン」と「マン」のふたつの梵字を組み合わせた

不動明王の種子「カンマン」は、特に有名です


         
 カーン    カンマーン(荘厳体)   カンマン(荘厳体) 







曼荼羅の形象的な分類



なお、曼荼羅の形象的な分類としては


1、諸尊の姿をそのまま描いた大曼荼羅の他に

3つの形式があります



2、諸尊の持物や印契(いんげい)を描いた三昧耶(さんまや)曼荼羅


    金剛界曼荼羅の三昧耶会と

降三世三昧耶会は

このタイプです

左は、東寺所蔵国宝「両界曼荼羅図」の

金剛界曼荼羅の降三世三昧耶会

(下が東、上が西)
三昧耶会   



三昧耶とは、梵語で「約束」「契約」などを意味する

サマヤから転じた言葉で

どの尊格をどの象徴物で表現するかの「取り決め」に由来するそうです


例えば、不動明王なら利剣(倶利伽羅剣)、聖観音なら蓮華

虚空蔵菩薩なら如意宝珠が、三昧耶形(さんまやぎょう)です




【 尊格の持物には、輪宝・宝塔・刀剣・

金剛杵(こんごうしょ)・蓮華などがある



輪宝〔法輪・宝輪〕はもとチャクラという円盤のような武器

敵を粉砕することを煩悩や邪説を破ることに譬え

仏が法を説くことを転法輪という



金剛杵は、本来 バラモン教の最高神 インドラ(帝釈天・軍神。雷神)の武器

鉄や銅の金属製で

杵(きね)のように中央に握り手があり両端はとがっている


先端(鈷)が3つに分かれているものを三鈷杵(さんこしょ)

以下、五鈷杵、九鈷杵となる

分れいてないものは独鈷(どっこ)杵という






金剛は、ダイヤモンドのことともされるが

実際にダイヤを指したかは不明

仏教では煩悩を打ち砕く堅固な智慧にたとえる


金剛杵も煩悩を砕く仏の智慧を意味し、法具としても用いられる 】





3、諸尊の真言・

種子〔しゅじ・尊格(仏・菩薩・明王など)を象徴する梵字一文字。種字〕

を描いた種子曼荼羅


     
金剛界曼荼羅   胎蔵界曼荼羅





4、曼荼羅を平面的な絵画ではなく

仏像を伽藍内に配置して伽藍を曼荼羅にみたて

諸尊の威儀・動作を表した羯磨(かつま)曼荼羅


〔羯磨とは、カルマ・カルマンのことです 業、行為の意味です

そこから、所作や作法という意味に転じたようです〕




立体曼荼羅とも呼ばれます



これらをあわせて四種曼荼羅といいます




密教 Ⅱ




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