緋山「B級哲学仙境録」 仏教編 チベット仏教とは? タントラとチベット仏教 ②



B級哲学仙境論


仏 教 編


 




タントラと
チベット仏教 ②





カギュ派



なお、2001年1月には

カギュ派の最高位の活仏 カルマパ17世(当時14歳)が

中国支配のチベットを脱出、厳冬期のヒマラヤを超えて

インドダラムサールのダライ・ラマのもとへ逃れ、世界に衝撃を与えました


カルマパが死ぬと、次のカルマパが即位するまで

その下の4名の活仏が集団指導体制をとるそうですが

カルマパ17世の認定のときに意見が対立し


カルマ・カギュ派は、多数派と少数派のふたつに分裂し

2人のカルマパ17世が存在することとなったといいます


ダライ・ラマのもとへ逃れたのは多数派のカルマパ17世でした




カギュ派は、ゲルク派、ニンマ派、サキャ派とともに

チベット仏教の四大宗派の1つで

カギュとは「伝統」の意味です



カギュ派は、インドに留学し

ナローパ〔ビクラマシー寺院の大学匠であったが

のちに学究的な僧院生活に疑問を抱き

在家密教行者の ティローパを訪ね、その法を嗣いだ

弟子に アティーシャがいる〕に学んだ

マルパ(1012~97)と


彼の弟子で宗教詩人の

ミラレパ〔1052~1135・チベットで最も有名な仏教修行者・聖者の1人

ブッダの境地を成就したヨーガ行者として多くの信仰を集める〕

が開祖とされます


また、マルパの孫弟子の

ガムポパ(1079~1153)が教団を確立といいます




中期密教では、大日如来(法身仏)が教主とされ

大日は五仏(五智如来)の中心的存在とされましたが

後期密教では、五仏を超える根源的な存在として

「本初仏」が立てられます


この「本初仏」には

金剛薩埵〔こんごうさった・ヴァジュラ・サットバ

純密では大日の教えを受けた菩薩にすぎない。後期密教において昇格〕

法身普賢(普賢王如来。クントゥ・サンポ。普賢菩薩の如来形)

金剛総持(ヴァジュラ・ダラ)の三尊がいます


このうち、どれを特に信仰するかは、宗派によって異なり

ニンマ派では法身普賢

カギュ派では金剛薩埵と金剛総持

ゲルク派では金剛総持をとくに崇拝するそうです


本初仏とは、一切の仏が存在する前の原始仏で

全ての仏の父母で、仏の覚りそのものであり

具体的な形相をとらないが、方便として曼荼羅などに描かれるといいます





また、カギュ派は、マハームードラ(大印契)

〔性瑜伽を含む身体的ヨガである密教の大印契と

ガムポパが確立した顕教の大印契がある

顕教の大印契とは、本来の心は清浄であるとし

心の本質を観想するものという〕という瞑想で知られています





13世紀後半から14世紀前半は、サキャ派から帝師が選出され

サキャ派は莫大な布施を受けて、実質的にチベットを支配しました


元朝と共に衰退したサキャ派からチベットの政権を引継いだ

パクモドゥ派は、カギュ派の1つです


パクモドゥ政権は1358~1480年にかけて、チベットを支配しています




カギュ派は支派が分立して統一した組織を欠いていたそうですが

20世紀後半に、ダライ・ラマ14世により、カルマ派(カルマ・カギュ派)の

カルマパ16世が、カギュ派全体の管長に任じられてたといいます




カルマ派(カルマ・カギュ派)は、カギュ派の主流で

最高位の活仏は

カルマパ化身ラマ〔カルマ黒帽ラマ、ギャルワ・カルマパともいう〕で


他に、シャマル・リンポチェ

〔カルマ紅帽化身ラマ、カルマ赤帽化身ラマともいう〕

シトゥ・リンポチェ、ゲルツァプ・リンポチェ、パオ・リンポチェ

という4人の活仏がいるそうです


カルマパが死ぬと、次のカルマパが即位するまで

その下の4名の活仏が集団指導体制をとるわけです







ブータンのチベット仏教



ブータンは

インドとチベットの中間、ヒマラヤ山脈中の王国で

チベット語を公用語とする唯一の独立国あり

世界で唯一チベット仏教を国教とする国でもあります



ブータンの国教となっているのが

「ドゥク・カギュ派」(ドゥク派)です


この派は、カギュ派の祖 ガムポパ(1079~1153)の弟子

ドルジェギェルポ(パクモドゥ・カギュ派の祖)のさらに弟子の


ツァンパ・ギャレー(1161~1211)と

イェシェー・ドルジェに始まるといいます


ドゥク派は、12世紀頃にはチベットから

ブータンに伝わっていたといいます



ドゥクは、チベット語で「竜」を意味します

ツァンパ・ギャレーが

中央チベットに僧院を創建したさい、大きな雷の音が

三度鳴り響いたということからとか


またツァンパ・ギャレーと弟子たちが

後に僧院が建つことになる地に

たどりついた時、9匹の竜が天に昇るのをみたとか


いった伝承に由来するらしく

竜は、ブータンの国旗に描かれています




ドゥク派は1616年に、16代教主の座をめぐって内紛を起こし

南ドゥク派と北ドゥク派の2派に分裂します


この政争に敗れた南ドゥク派の シャプツゥン・ガワン・ナムギャルが

南方のモン地方に移り

そこにおいて政権を樹立したのがブータン国家の起源だそうです



ガワン・ナムギャルは国家の統一をすすめ

法王 シャプドゥン・リンポチェとなりましたが


彼が没すると、執権が誕生し、政治的支配者となり

法王(活仏を兼ねた)から俗権が離脱したといいます



この聖俗2人の支配者による体制は、1907年まで続きますが

ブータンでは各地方に有力な領主が存在していて


同年、トンサ地方の領主

ウゲン・ウオンチェック(現在の王朝の初代)が

法王をかねる国王となり、活仏制度廃止しています




住民の60%がチベット系で、ドゥク派と他のチベット仏教を信仰


30%がネパール系で

インド仏教の面影を伝えるネパールの仏教やヒンズー教を信仰


10%が少数民族だといいます







モンゴルのチベット仏教



チベット仏教の国であるモンゴルの最大の活仏が

ジェプツンダンパ(聖尊者)です


の活仏は、チョナン派の活仏です


モンゴルには同時期に

なんと243人もの活仏がいた記録があるようです




チョナン派の名は、中央チベットのツァン地方チョモナンの地

に14世紀に建てられた

チョモナン寺(現在はゲルク派)に由来するそうです


クンパン・トゥジェ・ツォンドゥ(1243~1313)のときに

チョナン寺が建立され、独立した宗派として成立したといいます



ドルポパ・シェラブ・ギェルツェン(1292~1361)が教義を大成し

サキャ派やゲルク派を脅かすほどの宗派となったとされます



このチョナン派は「他空常堅」の如来蔵思想を唱えます


他空常堅とは、全ての存在の本質に如来蔵の存在を認め

その他の煩悩や汚れのみが空というものです


チベットでは1642年のダライ・ラマ政権成立以後

邪教として禁圧されたそうです



如来蔵=仏性 の存在を認めた仏教が邪教となると

日本の仏教は、全部、邪教ということになりますね(笑)


確かに、全ての人間が仏性を具えているという教えは

人々に理解されやすく

教勢拡大していく上で、かなり有利であったはずです




チョナン派の高僧であった ジェツン・タラナータ(1575~1634)は


清の保護のもと、東モンゴルに教勢を拡げ、多くの寺院を建立

チョナン派に関する多くの論書や

インド仏教史〔タラナータ仏教史

後期インド仏教の歴史を伝える貴重な資料〕を著し

「ジェプツェンダンパ」などと称されたといいます



タラナータは、死後、ハルハの王族に転生するとされ

〔東モンゴルの一部族で、現在のモンゴル国住民の大多数がハルハ族〕

以後、代々の転生者が「ジェプツンダンパ・ホトクト」

として今日に至るといいます



ジェプツンダンバ・ホトクト8世は

ボグド・ハーン政権の皇帝として1911~24年まで

断続的にモンゴルを支配しました


外モンゴルのハルハ地方の諸王侯が

ロシア帝国の力を頼りに、清から独立

ジェプツンダンバ・ホトクト8世を君主とする政権を誕生させたとされます



しかし17年、ロシア革命によりロシア帝国が崩壊すると

中国(中華民国)が外モンゴルの勢力回復に乗り出し

19年にモンゴル人国家は壊滅します


20年になると、ロシアの白軍(革命時に赤軍と内戦を戦ったロシア軍)が

モンゴルへ侵入し、中国(中華民国)軍を駆逐して

ボグド・ハーン政権を復興させました


〔なお、赤軍は、ソビエト共産主義者の軍隊

白軍は、多数の共和主義者と少数の専制主義者の軍隊〕



21年には、共産党の国際組織コミンテルンと

ソビエト赤軍の指導と支援を受け、中国(中華民国)軍と白軍を駆逐します


そして、ジェプツンダンバ・ホトクト8世を

君主とするモンゴル人民政府を樹立させます



24年にジェプツンダンバ・ホトクト8世が死去すると

モンゴル人民政府は君主制を廃止し

政治体制を社会主義に変更します


モンゴル人民共和国

(ソビエト連邦に次ぐ世界で2番目の社会主義国家)

が成立したのです


この国家は、ソ連の強い影響下にあったそうです



大勢力を誇ったモンゴルのチベット仏教は

革命後の反宗教政策により

ほとんどの僧侶が還俗し、衰退したといいます



80年代後半、民主化運動が高まり

1990年には、社会主義が崩壊し

大統領制と議会制へと移行しています







チベット仏教の経典



タントラとは、縦糸(スートラ・経)に対して

横糸(タントラ・緯)を指すといいます


このため「経典」というのはふさわしくないですが

便宜上、わかりにくいのでそのように表現しました




タントラは、インド仏教の最後の期間にあらわれた経典群です



インド仏教の滅亡は、歴史的には1203年のイスラム教徒による

密教根本道場 ビクラマシー寺院の破壊とされています



〔 ビクラマシー寺院は、東インドビハール州のガンジス河岸に存在

著名な顕密(顕教と密教)の学僧を輩出。遺跡は今日も発見されていない 〕





チベット仏教では、密教経典を

所作タントラ〔雑密にあたる〕

行タントラ〔純密の大日経〕

瑜伽(ゆが)タントラ〔純密の金剛頂経と理趣経〕

無上瑜伽タントラ〔左道・後期密教〕に分類します



しかし、本来の意味において「タントラ」と呼べる密教は

無上瑜伽タントラだけです





「無上瑜伽タントラ」は

さらに

≪方便・父(ヨーギン)タントラ≫

≪般若・母(ヨーギニー)タントラ≫

≪不二タントラ≫に分けられます




≪父タントラ≫は

父タントラは「生起次第」(瞑想による本尊との合一)

に力点をおくものの

最終的には、大印(女性パートナー)の性の力=シャクティによって

大乗仏教の煩悩即菩提の理念を実現しようとする立場にあります


経典としては

「秘密集会(しゅえ)タントラ」がとくによく知られています


大印(女性パートナー)との「性瑜伽」の他

「五甘露」(糞、尿、人肉、精液、経血)による諸尊の供養

「五種供養」(人肉・牛肉・犬肉・象肉・馬肉)などが説かれています


なお、集会とは

タントラ行者の「身口意」の三秘を一体化することの意味といいます




≪母タントラ≫は

ヒンズー教のシャクティ派の影響が顕著で

大印(女性パートナー)の性の力=シャクティによる「大楽」を

全面に押し出した経典群です


経典では、9世紀後半に成立したとされる

「ヘーヴァジュラ・タントラ」「サンヴァローダヤ・タントラ」

が重視されているといいます




≪不二タントラ≫は

父タントラと母タントラを総合した経典で

「カーラチャクラ・タントラ」〔時輪タントラ・11世紀に成立〕

がよく知られています


「時輪タントラ」では、宇宙(マクロコスモス)と

人体(ミクロコスモス)の対応を徹底し

その双入不二を説くといいます



時輪タントラの身体論は、ヒンズー教のタントラと同様に

脊柱の脈管に6つのチャクラを置き

これに頭頂部と生殖器のチャクラが加わるというものだそうです




また、仏教を信奉する

カルキが治める秘密の王国 シャンバラと

イスラム教徒との最終戦争の預言があり

イスラム教徒の侵攻に対し、金剛乗(密教)のもとにインド宗教を統合し

備えることが主張されているそうです


なお、時輪タントラは、シャンバラのヤシャスが編集し

インドにもたらされたそうです




シャンバラは

もともとはヒンドゥー教のプラーナ文献

に登場する理想郷であったそうで


カルキは、そこでは釈迦のカースト制度批判によって

揺らいでしまった社会秩序を正し

カースト制度を立て直すために


ビシュヌ(ヒンズー教の最高神)の10化身の

10番目として登場した存在であるといいます





「時輪タントラ」では

シャンバラの王カルキは、人民を仏教に教化して

「金剛のカースト」という1つのカーストに統一し

カースト制度を解消させるとなったそうです



なお、金剛界五仏の一仏である阿閦(あしゅく)如来は

中期密教まで金剛界曼荼羅の東方に置かれていましたが

後期密教では大日如来に取って代わそったそうです


時輪タントラでも

本初仏として阿閦金剛仏たる阿閦如来が主尊だそうです



    

身口意具足時輪(カーラチャクラ)曼荼羅







●  ヴィシュヌ


バラモン教時代は太陽神の1つで

大きな神格ではなかった

土着民の最高神と習合をかさね

シヴァと並ぶヒンズー教の最高神に至ったという



シヴァが山岳と関係が深いのに対し、ヴィシュヌは海洋と関係が深い


ヴィシュヌの指揮のもと、神々は、乳海を攪拌し(攪拌は1000年間続く)

不死の飲料 アムリタ(甘露と訳す)を得たが

その過程で、海中より、シュリーラクシュミーが出現し、これを妻とした



また、悪神 アスラ(阿修羅)と戦うため

様々に化身し地上に現れ、世界を救済する


〔 化身説から千の異名を持つとされるが

それらの異名の多くが

各地、各民族の土着の神であったと考えられている 〕



カルダと友情を結び、カルダを乗り物とする

チャクラ(チャクラム・投げ輪)を武器とする

図像は一般的に四臂



仏教には、那羅延天(ヴィシュヌの別名 ナーラヤナから)あるいは

毘紐天(びちゅうてん・ヴィシュヌの音写)として取り入れられ


また、大力の神として、那羅延堅固王(ならえんけんごおう)となり

密迹金剛力士(みつしゃくこんごうりきし)とともに

金剛力士(仁王)の1人となったたが

仏教では、大きな尊格になることはなかった



なお、仁王は、開口の阿形(あぎょう)像=那羅延像と

口を結んだ吽形像(うんぎょう)=密迹像の2体を一対として

寺院の表門などに安置する






●  ヴィシュヌの10化身


化身の数や種類は宗派によって様々なようだが

10化身が広く普及している


① マツヤ

マヌ〔旧約聖書のノアの箱船のノアにあたる人〕

に洪水を知らせ、人類を救った魚




② クールマ

乳海攪拌の際

攪拌棒に用いられたマンダラ山を海底で支えた亀




③ ヴァラーハ

大地(プリティビー)を海の底へ沈めた

ダイティヤ族(アスラの一派)の王 ヒラニヤークシャを

打ち破るために遣わされた猪


海中に没した大地を牙ですくい上げ

これを邪魔したヒラニヤークシャを

1000年に及ぶ戦いの末に倒した。




④ ナラシンハ

苦行をブラフマー(仏教に梵天として取り込まれた神格)に

認められ、不死身の身体をもらった

アスラ(阿修羅)のヒラニヤカシプを

素手で引き裂いて倒した

ライオンの頭をもつ半人半獅子




⑤ ヴァーマナ

インドラの都アマラバティを占領し

三界(天上界、地上界、地下界)を手中に収めた

アスラ(阿修羅)の王 マハーバリを屈服させた小人


ヴァーナマに望む物をたずねてきたマハーバリに対し

自分が3歩あるいた分の土地を求め

その程度ならとマハーバリは承諾する


するとヴァーマナは巨大化し、1歩目で大地を踏み

2歩目で天を踏み、3歩目が下ろされる前に

マハーバリは自分の額を差し出し

ヴァーナマによって踏みつけられた


マハーバリの心に感心したヴァーナマは

地下世界をマハーバリのために残した




⑥ パラシュラーマ〔斧を持つラーマ〕

森に棲む賢者

邪悪な士族を退治し、神々・ブラフマン・人間を救った




⑦ ラーマ

インド2大叙事詩の1つ「ラーマーヤナ」の主人公

コーサラ国王の長男。悪魔を倒す英雄


ラーマーヤナはコーサラ国の王子 ラーマが

魔王ラーバナに奪われた王女を奪還する話




⑧ クリシュナ

インド2大叙事詩の1つ「マハーバーラタ」の主人公

悪魔を退治する英雄



マハーバーラタは

前10世紀のアーリア人の部族間の戦争がテーマです


バラタ戦争を舞台にしたもので

伝説では、ビヤーサ仙人の著とされます



第6巻の23から40章は

「バガバッド・ギーター」という戦争開始の部分で


戦争にのぞむ一方の雄のアルジュナ王子が

同族との争いをためらうのを


ビシュヌが

クリシュナとなって出現し


王族の義務と、正義の必要性と、神の恩寵の偉大さなどを説いて

戦いに向かわせる話で、広く親しまれているといいます




⑨ ブッダ

仏教の開祖 釈迦

偉大なる聖典 ヴェーダを悪神(アスラ)から守るため

邪教(仏教)をとき悪神を退治した




⑩ カルキ

カリ・ユガ(世界が崩れ行く時代。現在もこの時代にあるとされる)

の最後(西暦428899年という)に現れ

頂点に君臨する魔王 カリをはじめとする全ての悪を滅ぼし

新たな世界を築くとされる英雄


カリとその勢力と戦うために

白い駿馬に乗ってくると言われている






●  乳海攪拌


ドゥルバーサというリシ(ヨガのの苦行者)が


インドラ(バラモン教の初期には最高神であった。軍神

仏教に取り入れられて帝釈天)

のもとを訪れ

インドラの首に花輪をかけて祝福した


その直後、インドラが乗る象が花輪に興味を示したため

インドラは何気なくこれを与えてしまう


そこへドゥルバーサが戻ってきて、それを見て怒り

インドラたち神々に呪いをかけて能力を奪ってしまった


この機をとらえ、アスラ(阿修羅)が天へ侵攻してきたので

神々はなすすべがなかった


インドラは、シヴァ、ブラフマーに救いを求めたが

彼らにもドゥルバーサの呪いは解けない



ビシュヌが「アムリタを飲めば失われた力を取り戻せる」と言い

神々だけでは不可能なので

アムリタを半分与えることを条件にアスラにも援助を求めた



こうして、乳海攪拌が始まる

巨大亀 クールマ(ビシュヌの化身)に、大マンダラ山を乗せ

大蛇 バースキを絡ませ、神々はバースキの尾を

アスラはバースキの頭を持ち

ひっぱり合いをして山を回転させ、海をかき混ぜた



海に棲む生物が細かく切られ砕かれして、やがて乳海になった

バースキが苦しんで口から毒を吐き、世界が滅びそうになると

シヴァがその毒を飲み干した



さらに1000年間攪拌が続き


乳海から、太陽、月

7つの鼻と4つの牙をもつ白象(インドらの乗り物となる)

七つの首をもち空を飛ぶ白馬

翼をもつ白い牝牛(子はシヴァの乗りものである白牡牛ナンディン)

宝石、願いを叶える樹、聖樹、水の精たち

ラクシュミー(仏教に取り入れられて吉祥天。仏教では毘沙門天の妻)

などが次々と生まれ


最後に、天界の医神 ダヌバンタリが

アムリタの入った壺を持って現れる



アムリタをめぐって神々とアスラが争い

アスラに奪われかけたが、ビシュヌが美女に変身し

アスラたちは美女に心を奪われアムリタを手渡す


しかし、神々がアムリタを飲むさいに

ラーフというアスラが密かに口にする


それを太陽神スーリヤと月神チャンドラが見ていて

ビシュヌに報告したので、ビシュヌはチャクラでラーフの首を切断した


ラーフは首から上だけが不死となり

頭は告げ口したスーリヤとチャンドラを恨んで追いかけて

飲み込むが体がないためすぐに外に出てしまう

これが日食・月食






●  ソーマ


バラモン教では、ソーマ(蘇摩や素摩と音写)

という神酒が祭で供物として用いられ

これを火の神アグニが天上の神々に届けるとされていた


植物のソーマはガガイモ科の2種類であるそうだが

インドでは入手が難しく様々な植物が代用されてきたようである


これをひきつぶし絞った汁を羊毛の布のふるいで漉し

水や牛乳などを混ぜ、発酵させたものが神酒のソーマだという


ソーマ酒は、アムリタ(アミリタ・アムルタ。阿弥哩多と音写)

とも呼ばれていて

神々はこれを飲んで不死を得るとされる



ヒンズー教神話ではアムリタは、神々が太古に乳海を攪拌して得

これを飲むことにより25歳の若さを保ちつづけるとある


このアムリタが中国で不死と訳された


また中国では名君があらわれるとき瑞兆として

天から甘露が降ることから、これと結ばれて甘露とも訳されたという



釈迦が悟りを得た後

「耳ある者どもに不死(甘露)の門は開かれた」の不死(甘露)とは

輪廻転生からの解脱の意味と言えよう


また、アムリタは、ギリシア神話の神酒 ネクタルに相当する

ギリシア神話では、神々はネクタルを飲むことで不死を得る







無上瑜伽タントラの修法



無上瑜伽タントラの実践には

「生起次第」(しょうきしだい)

「究竟次第」(くっきょうしだい)

があります




「生起次第」とは

観想法により、曼荼羅の主尊と一体となることです


これは、真言密教における

金剛頂経の五相成身観(観想法)や

大日経の五字厳身観(観想法)によって即身成仏する

というのと全く同じです



なお、真言密教の場合、本尊は、大日如来ですが

チベットのインド後期密教系では

男女合体尊となることがあるそうです


さらに、曼荼羅の本尊と一体となった行者が

主尊の妃から曼荼羅を構成する諸尊が生起する過程を

印、真言、観想によって体験するといいます



ただ、チベット仏教はこれが最終ステージではなく

前段階なのです


究極の教え= 究竟次第 を受ける準備ということです




なお、密教では

世界は仏の現われであると考えます


なので仏たちが参集する曼荼羅は

森羅万象、現実世界そのものを象徴しているわけです


現実世界で輪廻する生きとし生けるもの全てが

曼荼羅を形成しているのであって

主尊と一体になるとは

それを悟ることだそうです





「究竟次第」とは、性的ヨーガ≪性瑜伽≫のことです

仏の世界と、我々凡夫の身体が対応しているという

認識にもとづいて


女性パートナー(大印)との性瑜伽により

低次元な性的快感を、悟りの境地(般若大楽)に高めるのが

「究竟次第」だといいます







左道の灌頂



チベット密教では

「生起次第」や「究竟次第」を行うための

4つの灌頂(かんじょう・イニシエーション)を立てています



1、瓶灌頂

真言密教で行われているものと一緒

行者に目隠しさせて曼荼羅上に華を投げさせて本尊を決めたり

瓶の聖水を頭からかけたりする

これにより「生起次第」の実践が許させる




以下は、「究竟次第」をそのものを段階的に示したもので



2、秘密灌頂

行者が、阿闍梨(マスター)に

大印(ヨーギニー・若い女性)をプレゼントする


阿闍梨が、大印と性瑜伽する


阿闍梨が、金剛杵(こんごうしょ・男性器)の中に蓄えられていた

菩提心(精液)を取り出し、行者の口中に投入する

これによって行者に菩提心を植え付ける


男女の涅槃の意識=菩提心は

滴(精液)として現れるということから

菩提心=精液ということらしい




3、般若智灌頂

行者が阿闍梨から与えられた大印と性瑜伽し大楽を得る

行者は射精しないままで

菩提心の上昇と下降により四歓喜を得るという


四歓喜については快感の段階的高まりとみる説と

死における意識の解体の4段階とみる2説があるという



4、第四灌頂

行者が阿闍梨から

「究竟次第」の修行の意味や目的、真理を明かされる






●  純密の灌頂


灌頂とは、本来、頭頂に水をかける儀式をいう


結縁(けちえん)灌頂

弟子灌頂、許可(こか)灌頂、伝法灌頂などがある



① 結縁灌頂は、在家信徒に仏縁を結ばせるためのもので

眼隠しをして、敷(しき)曼荼羅の前に立たせ

投華得仏(とうげとくぶつ)を行う=

華を投げさせ落ちたところの尊格の印と真言を授ける



② 弟子灌頂は、密教の修行をはじめようとする者

弟子になる者に、修行法や有縁の尊格の印と真言を授ける



④ 許可灌頂は、一定の修行を終えた者に、それ以上の修行を許す



⑤ 伝法灌頂は

阿闍梨〔あじゃり・弟子を指導する師匠の意。真言宗と天台宗の僧位〕

になるための修行を終えた者に、密教の奥義を伝える


伝法灌頂では、師匠の大阿闍梨が戒を授け

続いて投華得仏がなされ有縁の尊格が定められる


そのあと師匠が散杖(さんじょう)で

五瓶(仏の五智を象徴)の水を頭頂に注ぎ

有縁の尊の秘密の印と真言を伝授し、金剛杵などを与える


この灌頂を終えた者は、伝法阿闍梨となり人を教示できる





タントラとチベット仏教 ①




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