緋山酔恭の「B級哲学仙境録」 本能・本質・仕事・幸福・文化の統一理論



B級哲学仙境論


本能・本質・仕事・

幸福・文化の統一理論






本能・本質・仕事・
幸福・文化の統一理論





「力」には、揚力、浮力、圧力、表面張力、遠心力など

さまざまなものがありますが

基本的な「力」は4つしかないそうです


全ての物質は、素粒子からできているので

全ての「力」は、究極的には、素粒子間に働く「力」に還元されます


その「力」は4つしかないという意味です



4つというのは

「重力」・「電磁気力」・「弱い力」・「強い力(核力)」です


このうち「重力」は、素粒子同士が互いに引き合う力です

物質をまとめて天体を作り、天体をまとめて銀河を作っています




「電磁気力」とは、電気の力と磁気の力で

プラスの電荷とマイナス電荷には引力

プラスとプラス・マイナスとマイナスには斥力(せきりょく)


またN極とS極には引力

NとN・SとSには斥力という電磁気力が働きます



原子は、原子核とその周りを回っている電子でできていますが

原子核(プラスの電荷)と電子(マイナスの電荷)を

結びつけているのがこの力です


原子同士、分子同士をくっつけているのもこの力です



「 弱い力」は、原子核内のプラスの電荷をもつ陽子同士を

つなぎとめている力で

多くの放射線はこの力によって生じているそうです



「強い力」とは、陽子と中性子の中でクォークをまとめ

原子核の中では陽子と中性子をまとめている力です





≪物理学最大の理想≫とは

この4つの力を1つの理論で統一することなのです


4つの力を1つに統一できるということは

1つの理論で全ての物理的現象が説明できるからです


しかし、いまだ実現されていません




そこで、ちょっとした

「遊び心」からですが


本能・本質・仕事・幸福・文化という

5つの概念、原理を

ここに統一してみようかと思います





欲望というと

ふつう、食欲や性欲などといった「本能的欲求」と

金銭欲や名誉欲といった「社会的欲求」に分けます



すると、前者が、本能的・動物的欲求であるのに対し


後者は、本能的な部分もあるにせよ


おおざっぱでいうと、人間的欲求・、思考的欲求

「自分にはこれが必要だ」とする思い込みからくる欲求

と言えますね



しかし、よく考えてみますと

食欲や性欲にも、思考的部分を内包しているはずです


美味しいものを食べたいというのは

本能に近いかもしれなませんが


グルメや美食なんてところまでいくと

明らかに本能だけではないですよね



食欲のどこまでが本能的要求で

どこからが思考的欲求なのかよくわかりません


両者をきっちり分けられないのです




さらに性欲は

食欲よりもっと思考的な部分が大きいと思います


世の男性は、なぜ女性の胸に

欲情するのかってことを考えてみるといいです


アフリカなんかの裸族の女性は

素っ裸で生活していますけど

あれを見て欲情する人はいないですよね



もし、男が、女性の胸を見て欲情するように

進化の過程により作られているとしたら

裸族の女性の胸にだって欲情するはずです



よくよく考えてみると

胸というのは肉が盛り上がっている部分にすぎません



なのに、小太りの男性がブラジャーを付け

胸のところだけを写真に撮り


写真をちょっと加工して

それをあなたに見せたら


あなたは女性の胸だと思い込んで欲情するわけです(笑)



このように、性欲の多くの部分が思考的欲求

想像からくる欲求なのです


思考的な欲求とは、人間の本質です


そして思考的な欲求は、本能的欲求にのっかっている

ということなのです





本能的・動物的な欲求は

主体がその欲求に対して受動的です


それゆえ受動的欲求と言えます



これに対し

思い込み的・人間的欲求は

主体がその欲求に対して能動的に働きます


それゆえ能動的欲求と言えます



人間は本質として、能動的欲求を持つのです

それゆえ 人の欲望に際限がないのだと思います



これで、「本能」と、「本質」(思い込み)の統一はできたました

つぎに「仕事」と「幸福」を統一し、4つの原理の統一します





食欲というのは、あらゆる欲求の根源だと考えられます

なぜなら食べないと生きていけないからです


そこで、仕事や幸福もそこから始まったんじゃないか

と想像がつきます



最初、人類は、木に登って、木の実や果物なんかを採っていた


そこへ魚を獲る者が現れた

すると、木の実と魚とを交換することが生まれた


こうしてだんだん「役割分担=仕事」が分化し

多様化していったんだろうと思います


つまり仕事とは、役割分担と言えます



木の実を採っていたころの人間は

その日、木の実が収穫できて

食にありつけたことに感謝し

幸福を感じていました



ところが、幸福というのは

満たされないものが満たされたときに起こる感情なので


食べることが満たされてしまうと

食べることに幸福を感じなくなってしまいます



昔は、田畑を鍬(くわ)で耕し

汗水流して米や野菜を作っていました


ところが、耕運機が発明され、化学肥料が登場します


すると、誰もが米や野菜を

たやすく手に入れることができるようになります


こうして、食べることが満たされてしまったわけです




白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が「三種の神器」

カラーテレビ、クーラー、自動車が「新三種の神器」

なんて言われた時代は

それを手にすることで幸福になれました



でも、今のように、なんでも安く買えるようになると

生活必需品を手に入れることだけでは

幸福になれなくなってしまったのです



それが、日本が、豊かさの指標とされるGDP(国内総生産)

世界第2位を実現させながら

多くの人が幸福を感じられないという要因の1つでもあるのです




日本では蛇口をひねればいつでも水を飲むことができます


だから、水のありがたさを認識する機会がない


でも、水の不足している国で、井戸から水が出たとき

そのときの人々の嬉しそうな表情を見れば

いかに水がありがたい存在なのか

そして幸福とはどんなものなのかが想像がつきますよね






結局、人間ってやつは

欲望(幸福)が満たされちゃうと生きていけないのです


意地、しがらみ、コンプレックス

金銭欲、名誉欲なんてのがあるから

気張って生きていけるのです



ある欲望(幸福)が満たされると、エネルギー源がなくなってしまう


なので、新しい別の欲望(幸福)を作って

エネルギーをそこへ向けていかなければならない


そして、そのずっと続いている過程が

人生そのものであり、さらには人類の歴史そのものでもあるのです


なので、その意味からも

人間の欲望に「際限のない」と言えます




釈迦は「執着を捨てよ」とデタラメなことを言いましが


欲とは生きるための機能です


本能的欲求が解決すると

思考的欲求が生まれてくるようになっています



食べるという1つの欲望が満たされていくと

今度は、グルメや美食とかいった欲望へと広がっていくのです





そして、新たな欲望(幸福)が生まれれば

そこにまた新しい仕事が生まれる


このように、欲望の分化・多様化が

仕事の分化・多様化をもたらしていきます



人間は、欲望が満たさてしまうと生きていけない


そこで新たな欲望が生まれる


こうした際限のない欲望(幸福)が、新しい仕事を生むわけです



これで、本能・本質・幸福・仕事という4つの原理が統一なされました





また、生産効率がよくなると

コミュニティー(共同社会)の中で

仕事にあふれる人が出てきてしまいます


例えば、かつてスーパーのレジうちは

専門職で、女性の花形職業でした


しかし、バーコードが登場し

昨日まで中学生だったような女の子でも

こなせるようになりました


電車の切符にパンチを入れる仕事も

自動改札機が登場し、いらなくなって消滅しました



そうやってある仕事がなくなると

その仕事で食べていた人たちの人数分

新たな仕事を創造しなくてはならなりません



このときおもしろいものを考えないと

必要とされないから、おもしろいものを考える

こうして仕事はどんどん複雑化していくのではないか

とも思われます






野良犬や野良猫は、食べ物にありつき

食べるという原欲求(本能的欲求)を充たすことに必死です


犬はそのために群をつくって争うこともします


人間も渇いていると、主義主張の群をつくって争ったりします



では、餌を与えられ、お腹がいっぱいになった飼い犬や飼い猫は

次に何をするかということです



YouTubeなんかの動画で観察していると

寝転がってたり、人間とたわむれていたり

それにも飽きてしまうと、つまんなそうな顔をしていますよ


つまり「暇つぶし」をしている


このように動物というのは

原欲求が満たされてしまうと暇つぶしを始めるのです




日本人も今は原欲求が満たされてしまって

飼い犬・飼い猫状態にあるのです


例えば「怖い」という感情は

生物にとって本来「得」ではありません


だけど、わたしたちはホラー映画を見て楽しみます

ジェットコースターなんかにも乗っても楽しみます


あまつさえ、バンジージャンプまで楽しむのです


全て暇つぶしです

文化の本質は、暇つぶしなのです



ただ同じ「暇つぶし」をしてたって飽きてしまうので

充たそう充たそうとして、次々と新しい「暇つぶし」を考えます


そこにお金を得るチャンスも出てくるのです



だから「暇つぶし」が、新たな仕事、新たな文化を作っていくのです


これで、本能・本質・幸福・仕事・文化という

5つの原理が統一なされました





「文化」の本質が「暇つぶし」だってことが分からないと

民族の違いなんかで殺しあったりすることになります


仕事も同じです


例えば、ある人が、ラーメン屋を開業し成功を収めたとします


そこで従業員を増やしました


するとそれまで、スープ作ったり

麺をゆでたりなんかしていた経営者は


その仕事を、新たに増やした従業員にまかせることができる


そうなるとこの経営者は、仕事がなくなり「暇」になる



そこで「暇つぶし」として新しい仕事を見つけなければならない


結局、経営者のすることといえば、店舗の拡大しかないのです



そこで、自分の「暇つぶし」を

「会社を大きくするのはみんなの幸せのため」

とかいう話にすりかえ


劣悪な環境で働かせたり

長時間労働を強いたりと、従業員を苦しめるのです



中国の故事からきた

「小人閑居して不善をなす」 (小人が暇をもてあますと悪事をする)

ということわざがありますが

小人は忙しくしても不善をなしているわけです(笑)







仕事が「役割分担」だということは

それによって助け合っているということなのです


山で鳥や獣を獲る人、海で魚を獲る人、畑を耕す人がいました

そこで病気になる人が出て、医者という役割分担が生まれる


これが仕事です



重要なのは、このグループには、総量として

どれだけの鳥獣が必要か、どれだけの魚が必要か

どれだけの野菜が必要かということです


「漁師がかっこいい」といって

みんなが漁師をやったら共倒れになってしまいます


これは仕事が「分担」だという意味を理解していないのです


ラーメン激戦区なんていうはバカみたいな話ですよ(笑)




例えば、自分がパソコンの修理ができたとします


また、東京都○○区○○の1~3丁目というグループには

パソコンを修理してくれる人がいなかったとします


そこで「このグループには自分が必要だな」

と感じて、自分が担当する


これが本来の「仕事」の意味にかなったあり方なはずです




「分担」とは「助け合い」であり

「助け合う」とは≪利用して利用されること≫なのです


これは人間関係すべてに通じることです


あらゆる関係は

≪利用して利用される≫ことで成り立っているのです



これも「市場原理」「需要と供給の関係」

と言ってしまえばそれまでですが

それとはちょっと違うような気がします





「類は友を呼ぶ」といいますが

別の言葉でいえば

「同じレベルのものは、同じレベルのものを呼ぶ」

ということです


ただ、≪類友≫はあくまで結果であって

人は≪類友≫で付き合うのではなく、≪メリット≫で付き合うのです


どんな関係においても・・・



例えば、美人の子は美人の子同士集まることで

そこに1種のブランドができます


また、地味な子は、美人の子と付き合ったって

引き立て役になるだけです


メリットがないから

結局、地味な子同士、付き合うということになるのです



「助け合う」とは

≪利用して利用されることである≫なんていうと


≪人という字は人が互いに支え合って生きている姿を表したもの≫

なんていう薄っぺらな世界に漬かっている人に反発されますが


人はメリットで付き合うのです



そして、相手を利用する代わりに

こちらも利用されてあげるのが

≪助け合う≫ということです



これが判らないから

宗教家や、メディア

メディアに依存してご飯を食べているタレントや有識者

ブラック企業の経営者なんかに

だまされ、一方的に利用されてしまうのです




宗教というのは、人間を言葉の世界にひきずり込むし

メディアというのは、視聴率のためなら平気で嘘をやります








「典型的」の嘘




厚生労働省のホームページより

所得金額階級別にみた世帯数の相対度数分布

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa09/2-2.html







平均値(平均所得): 547.5万円

中央値: 427万円

最頻(さいひん)値: 250万円



【 平均値 = (データの総和)/(データの個数)


中央値 = データを小さい順に並べたときの真ん中の値

      (但し、データが偶数個のときは真ん中の2つの値の平均)

最頻値 = 最も多くのデータが取る値 】





最頻(さいひん)値というのは

頻繁の「頻」があるように

≪最も多く出た値≫です


例えば、10人のおこずかいをそれぞれ調べると


1000円  1200円  1200円  1500円

2000円  13000円  1500円  1800円

1600円  1200円


だったら、一番多く出た値の1200円が、最頻値です




グラフは所得が

100万円未満、100~200万円、200~300万円 ...

という風に100万円単位になっていて


その中で頻度が最も高いのが

200~300万円のところなので

その真ん中の値の250万円が最頻値となります




中央値というのは


1000円

1200円 

1200円

1200円

1300円

1500円

1500円

1600円

1800円

2000円

の真ん中の値

1300円と1500円の真ん中、1400円

これが、中央値です




「所得」とはさまざまな税金や社会保険料が引かれる前の金額で

所得からこれらを引いたものが「手取り」です



 所 得 税





以下、教授の話です



見ての通り、平均所得をもらっている世帯って

日本では比較的裕福な世帯です

中央値の所得でも、一般的な世帯より少し裕福です

私には最頻値の所得がある意味の典型世帯と思えます


隣接する所得帯と合わせて

100万~400万円の間に、約40%が入るわけで

典型的な世帯は、平均所得より少なくとも200万円は下と言っていい


(平均値と最頻値では300万ほどの差がある)


このように、所得分布は

「平均値=典型的な値」ではないことを知るいい材料です



マスコミにしても、有識者にしても

「平均=典型」という「嘘」を平気で言ってくるので注意が必要です


数字を使って騙すときの典型です





100万円払っても
聞く価値はある「成功論」





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