100万円払っても 聞く価値はある 「成功論」 世にあふれんばかりの≪成功本≫というのがあります 成功する秘訣を書いた本です 世にあるほとんど全ての 「成功本」「自己啓発書」は ジェームズ・アレン(1864~1912・イギリスの著作家)の 「原因と結果の法則」を源流としていて その焼き直しと言えます アレンの書は、世界で、聖書の次に読まれた書である という話もなされています (事実かどうかは知りませんが) 成功哲学の祖と言われる ナポレオン・ヒル(1883~1970・アメリカの著作家)の 「思考は現実化する」も アレンの≪心の中の「思い」が原因となり、結果をもたらす 成功するには、目標をもち、単に成功したいと思うだけではなく 欲望を犠牲にし「自分はそれを達成できる」という信念をもって 努力をしなければならない≫といった話に、その原点がみられます アレンの言葉に ≪私たちは思っている通りの存在になります 思いつづければ、その通りの自分でありつづけるのです≫とか ≪成功や失敗は、私たちがめぐらせる思いの直接的な結果です≫とか ≪あなたは、あなたが夢見た人間になるでしょう あなたの理想は、あなたの未来を予言するものにほかなりません≫とか ≪ ビジョンとは、いつかそうなるという約束です 理想とは、いつか実現するという予言です≫ とかあります ヒルの言葉にも、≪強い人が勝つとは限らない すばらしい人が勝つとも限らない 私はできる、と考えている人が結局は勝つのだ≫ とあります そもそも ニューソート(新思考)という 19世紀アメリカ合衆国で始まった キリスト教の一種の異端的思想が原点としてあります ニューソートは、聖書をこれまでとは違う立場から解釈したもので 内容としては 「人間の生命や意識は宇宙と繋がっている」 「原罪は存在せず、あらゆる人々がキリストの力を内包している」 「人間は内なる「神」を顕現し、無限の発展している」 「正統的宗教哲学は数百年間過ちを犯し続けてきた」 といったものだといいます このニューソートには 思いは現実になる (思考の傾向性が、健康や経済状態として現実となる) という考え=積極思考、ポジティブ・シンキング、引き寄せの法則 を含むことから 現代の自己啓発や、成功哲学書・ビジネス書の源流となり 日本人にも大きな影響を与えてきたとされます 結局、ほとんど全ての 「成功本」「成功哲学書」「自己啓発本」 に書かれているのは 自己に内在する「無意識」(潜在意識)の力を借りれば 成功できるという話なのです 「思いは現実になる」 ≪人間はなりたい自分になれる (というか なる)≫ ≪人は潜在意識が想像した範囲に収まるようにできている≫ という理屈から 目標というか想像を高くもちなさいといったような話なのです またその具体的な方法として 「成功ノートをつくりなさい 自分の目標や夢をノートに書いて置きなさい」とか 「自分は社長になるぞ」などといった 自分の目標を毎日、口に出して言いなさい」とか いったことが書かれているのです 心理学によると 人には、意識に強くアピールされたものだけを選択して記憶し その他のことは忘れる 「セレクティブメモリー」 (選択した記憶・人の記憶は都合よく修正されること) という機能が具わっているそうです 例えば、占いなんかは セレクティブメモリーを利用していると言われています これによって1つ2つでも当たっていれば、他が間違えていても 「あの占い師はびっくりするほどよく当たる」となるというわけです それから人間には 一度文字にした考えは変りにくい という心理現象があるそうです さらに、脳は、言ったことや思ったことに対して 勝手につじつま合わせをするそうです 例えば「今日は体調がいいなぁ」と言葉にすると→ 「昨日よく眠れたから」とか「今日は天気がいいから」とか・・・・ 自分の目標や夢をノートに書いておくと実現するいうのは こういった潜在意識の特徴を利用した1種の暗示です じつは、人間の行為や行動が 意志だけで決定されるとしたならこれほど楽なことはないのです そうはいかないのです 不安や心配ごとがあると 「寝よう寝よう」と意識してもなかなか眠れない 好きな女の子の前では その子を意識してうまくしゃべれない 人前で話をしようとすると緊張してしまう タバコやギャンブルをやめたいと思っていてもやめられない 痩せようと思っていても本気でダイエットに取り組めない このように人の行動は、無意識(潜在意識)によって 大きく左右されているといいます 人の意識は、一般に意識と呼ばれている顕在意識は1割で 9割が潜在意識(無意識)だという話もあります 潜在意識の方がはるかに大きな力をもちます そこで 潜在意識の特徴を活用することで成功できるというのが 「成功本」の根幹なのです 確かに 「今日は3時間で 仕事を終わらせなきゃならないのか・・・」 というときと 「今日は5時間あるから楽勝だ」というときとでは むしろ3時間しかないときの方が多くの仕事ができたりします これなんかも潜在意識が影響しているはずです あとは、自分(著者)のセミナーに参加した人の 体験談をのせて射幸心をあおる これが成功本お決まりの構成です さらに、最近の成功本には より現実味をもたせるためなのでしょう 自分が向いてることはなんだろう(才能) 自分が本当にやりたいことはなんだろう(夢) 自分とはいったいどういう人間なんだろう(自己認識)から 目標というか自分の目指すべきゴールを決めなさい なんてことが書いてあります だけど考えてみれば、そんなことあたりまえですよね ≪ たんぽぽの綿帽子が風が吹いて飛んでいって 落ちたところにたまたま日があたれば花が咲く ≫ このような ランダム(無作為)的の生き方をしている人が多いはずです 「なぜこの会社に就職したの」→ 「働く時間帯や休みの日などの勤務形態がよかったから」とか 「自宅から通いやすかったから」とか・・・ 「なぜこの人と結婚したの?」→ 「結婚より先に子供ができてしまった」とか・・ そこへもってきて≪目標をしっかりもち≫ ≪欲望を犠牲にして≫というのですから(笑) そもそも「成功ノート」なんてものは じつは小学校のときに習ってるのです 先生が、夏休みの前に 「みなさん、夏休みにする自分の課題をノートに書いてください」 というやつです 成功ノートも この≪夏休みの課題帳≫も本質は同じです だから小学校のときに 「課題を書けば、それが実現するんだな」と その意味に気づいていたならば 大人になって、なにも何10万も払って 自己啓発セミナーなんて行く必要はないのです(笑) さて、成功を求めるなら ピラミッドの頂点に、自分のやりたいことを置き そのピラミッドを完成させるためには なにを積み上げてゆけばよいのかを思考するといいですよ また、ものごとをなしとげるとき めくらめっぽうメッタ切りのように 刀をぶんぶん振り回して進んでゆくのも情熱的でいいですが それだけでは疲れてしまうし、隙(すき)も多くなります 剣豪と呼ばれる人たちは 自分は柳生○○流でどれくらいの腕である といった自分の力量と 相手は○○一刀流でどれくらいの腕である といった相手の技量を比較し こう刀を振ったら、相手はこういうふうに動いてかわし こういうふうに刀を振ってくる そしたら、自分はこうかわし 刀をこう振ったら相手を斬ることができる とか計算して、必ず相手が斬れるとみなければ動きません 例えば、喫茶店で、自分の飲んでいたジュースを うしろの席に座っている人に、頭からかけたらどうなりますか? 怒るでしょ おそらく9割の人は怒る 1割の人はとまどったり おどろいてなにも言わないかも知れませんが・・・・ 自分がこうしたら 相手は絶対にこう動くはずだと先を読んで また悟って 崖を少しずつよじ登ってゆくように あるいは匍匐(ほふく)して進んでゆくように 一歩一歩確実に進んでゆくことを考えるといいとかもしれません 宮本武蔵のようなすぐれた剣豪は 刀を振らずして相手を負かすことができます これは、強いカードをもっているってことです 例えば、がんこおやじのラーメン屋さんと ふつうのラーメン屋さんを比べてみます がんこおやじのラーメン屋は おやじが「いらっしゃいませ」 「ありがとうございました」も言わないのに、行列ができている 一方、ふつうのラーメン屋は ペコペコ頭を下げ、出前までして 次の日には食器を取りに行かなければならない しかも、がんこおやじのラーメンの方が 値段がずっと高かったりします これは、がんこおやじのラーメンが 「うまい」というカード 「おいしい」というジョーカーをもっているということです 商売として、また人間としては ふつうのラーメン屋さんの方が 正しかったり、立派だったりするのかも知れませんが 体が大変です 体というものは年齢とともに衰えてゆくものです だから、強いカードを手にすることが、人生において必要です また、同じ失敗をしても美人は許され、ブスは叱られる これは男性の本質からくるので仕方のないところもありますが 職場というのは、みんなでメシを喰っていくための共同体です だから「仕事ができる」というカードを手にしさえすれば いじめられることはありません また、人というのは≪ないものねだり≫ですから お金のない人はお金に魅力を感じ 愛情に飢えている人は愛情に魅力を感じます だから、そこに人の集まる要素があるのです お金、愛情、知識、カッコよさ・・・・ なるべく多く社会で認められている価値を 自分に作っていく 自分にその価値が多ければ多いほど、色んな人が集まってくる そして、人は生まれながらにして労働力というものをもつので 人が集まればお金も集まるということになります 「ブランドなんて無駄だ」 確かに、宇宙の真理からしたら無駄です。いらない ただ、カッコよさが、社会で認められている価値の1つで そこに人が興味を示すことを考えると 「お金を得て成功したい」と思うなら そうした世界にあわせていくことも必要である ということです 詐欺事件があると、テレビやマスコミは 被害者が、どのような手口にひっかかり どれだけの投資し そしてどれだけの損害をこうむったかをしきりと報道します 「こうした話にひっかかるのは ≪自分の人生は特別な幸運に恵まれるべきである≫ と欲求している人たちである」と 心理学者は言います 「自分の人生には "カモがネギしょってくる" "棚ぼた"みたいな幸運がめぐってくるに違いない」と 思い込んでいる人が、だまされるのだ 有識者は言います 「そんなうまい話あるわけがない」 「儲かるなら自分でやっているはずだ」 「そんなの詐欺だ」と、まとも人は考えます 私も今の今まで 「絶対に儲かるなんて話にひっかかるやつは馬鹿だ」 と思っていました ところが「でもちょっとまてよ」と感じたのです 仮に、経営者としての資質、センス、能力なんかを 判定する第3者がいたらどうでしょう? 「絶対に儲かる」→「馬鹿だな」と思うまともな人たちは ≪普通の人≫ ≪失格≫と判定されてしまうんじゃないのか とことに気づいたのです 『絶対に儲かる』という話につられて、損をする人を 網に追いこまれていく魚に譬えます ≪普通の人≫ ≪まともな人≫は 魚が網に追い込まれていくのを観察して「馬鹿だな」と結論します 「だまされる魚(人たち)は、こんな言葉にそそのかされ こういうふうに動き、そして網にかかっちゃうんだな」 と理論で考え→「馬鹿だな」と結論するわけです 前述したように 詐欺事件があると、テレビやマスコミは 被害者が、どのような手口にひっかかり どれだけの投資し そしてどれだけの損害をこうむったかをしきりと報道します つまり、我々≪普通の人≫の思考に沿った形で どのような勧誘を受け、どのように踊らされ そしてどれだけ失敗したかを報道します それに対し≪普通の人≫は、「馬鹿だな」とか 「俺ならだまされないのに」とか 「私も甘い言葉には気をつけよう」とか 「だまされる方も悪い」なんて思うのです 成功する人の思考はそうではありません 理論ではないのです もっと単純です 「棒切れでバシャと川面をこう叩けば 魚がこうして網に逃げていくのか・・・」 「じゃ俺もそうしよう」といった思考をするのです つまり、≪人間は、こう叩けば、こう動いてくれるんだな≫ ≪じゃ、俺もそうしよう≫と考えるのです ≪普通の人≫は魚の視点で ≪成功する人≫は棒で川を叩く人の視点で 思考するということです また、≪普通の人≫は いつも≪受動的な立場で理論的に思考する≫から 「俺もだまされないようにしよう」とか 「私も甘い言葉には気をつけよう」 という結論しか導き出せません これに対し≪成功する人≫の思考は ≪単純に構図をあぶり出し、能動的に働く≫ だから「俺もそうしよう」ということになるのです それから ≪普通の人≫の思考は だまされた人への評価を中心とするのに対し ≪成功する人≫の思考は だまされてしまう人の心理へと目が向いています もちろん詐欺のようなことをして 長く懲役をくらうようなことは、誰だって嫌ですよ ただ、スピード違反よりも少ない罰金刑ですむ ようなことならどうでしょう 詐欺というのは、だまされた人が 深刻な被害にあうので、刑罰が重いのです また、スピード違反というのは 他者の生命をも奪いかねない危険な行為なので 罰金が高いのです これに対して 立ちションのような軽犯罪では 罰金はあってもないに等しいし 被害届をだす人なんていませんよ だから、警察官に注意されることはあったとしても 起訴されるようなことはありません ≪普通の人≫ ≪まともな人≫は こんな微罪にさえ 「自分はそんな危ない橋はわたりたくない」 そんな思考しかもてないのです そんな思考しかでてきません 爆撃される危険性が高い場所に とどまろうという人はいますか? 餓死するような生活をしていて 現状を変えようとしない人っていますか? 現状を変えようとは思わない 現状を変えようとはしない というのは 今いる自分の場所に 火の粉が迫っているのに気づいていないからです いや、薄々は気づいているのでしょう だけど、≪普通の人≫ ≪まともな人≫は パラダイム〔しきたり・しがらみ、常識・人気など〕で ものごとを測り 「人として、正しく生きたい」と願っているので というか そうしていれば「安全である」と信じているので 橋を渡ると 「滑って落ちるかも知れないから渡りたくない」とか 「橋が壊れて落ちる可能性があるから渡りたくない」とか いった思考しかもてないわけです ≪成功する人≫の思考は違います 「焼け死ぬ前に、渡らなくては」 「俺はこんなところで終われない」なのです いずれにせよ、これだけは言えるのではないでしょうか 「お金よりも家族と過ごす時間が大切事」 なんて言っている人 つまり、≪お金をなめている人≫のもとに お金はやってはこない ということです それと、ついでに書いておきますが マルチ商法の根幹は、顧客を増やすのでなく プレーヤーを増やすことです つまり、≪プレーヤーこそが顧客≫ということです だから「幸運を得たい」と願う射幸心をあおってくるのです 射幸心をあおるという意味では、宗教の勧誘と同じなのです 攻守理論 竜太 日本の弱腰外交を見ていて 「攻守理論」っていうのを思いついたよ 例えば、外交に有利なカードを 日本が1枚、中国が3枚もっているとするね そこで、日本が弱気の姿勢でのぞみ、中国が強気に出ると 中国にカードが1枚ふえて、1:3のはすが1:4になってしまう 逆に、日本が強気に出て、中国が弱気に出ると 日本にカードが1枚ふえて 2:3となり外交を有利にすすめることができる また、互いに強気の場合は、ドローで1:3のままということ 酔恭 なかなおもしろいね 竜太 これはなにも外交ばかりに通じる理論じゃないよ ふだんの人間関係において大いに役立つ理論さ 人はつねに、強気(攻)・弱気(守)という2つのカードを持っていて どちらかを切ることで、自分に有利なカードをふやすことができる ということだからね ほとんどの場合、強気のカードを切ることがよい結果をもたらすけど 周囲の同情を引く場合なんかは 弱気のカードを切った方がいい場合もある 竜太 じつは自分が攻守のカードをもっていることにすら 気づいていない人が多いんだよ 酔恭 気づかずに、他人にいいように使われている人が じつに多いということだね 竜太 カードに気づいてすらいないと はじめからカードをもたないのと同じだよ 攻守カードは0枚だね すると1:1からはじめられるはずの交渉が はじめから有利なカードが相手に1枚ふえて 0:2からスタートしなければならなくなっちゃうわけさ 竜太 それと、喧嘩の口論でもそうだけど こっちが強気で引かないと 相手は「めんどくさいな」と感じ 暗に「折れ線」を出してくるんだよ 酔恭 相手が「わかった。じゃこの線で折れてやるから それであんたも鉾をおさめろよ」というものだね 竜太 そう。相手が折れ線を出してきたタイミング それにのっかれば、こっちが有利にことを運べただけでなく 相手のメンツを立てるわけだから、相手と仲良くなれるわけさ 酔恭 絶対、喧嘩に負けない方法だな(笑) ボスザルの資格とたてまえ みな「お金」さえあれば 人を従わせることができると思っていますが、そうではありません なぜなら、お金というのはあっても 人にあげられるものじゃないですからね そうではなく、人間の社会において ≪ボスザルになる資格≫は、お金よりも仕事 メシの種を割り当ててあげられるかにあります 最近の研究によると、ピラミッドは、権力の象徴として 奴隷にむりやり造らせたのではなく 公共事業として建設されたことが明らかになっています これなんか実にうまいですよ 賃金として渡すお金は、もともとは税金です お金をとるだけじゃ、庶民は「へへ-」と頭さげませんが 仕事をくれて、その代価としてお金支払ってもらえるから 「へへ-」となり、王様を敬うのです あらゆることは 自分のためになるように 人のためになるように for誰・誰 です その考え方にそって答えを出せば 人間の世界のことは 結局、誰・誰が[メシ]を食うためであって それが、人間にとっての ≪正解≫ ≪真理≫ということです 神父さんは「このお金は、私がもらうのではありません 神様にお渡しするのです 神様のところに行くのですよ」 といって寄付を受けます お坊さんなら 「仏様とお寺をお守りするためにいただくのです」 「あなたは大変な功徳を積みました ご利益(りやく)がありますよ」といってお布施をもらいます つまり、彼らは、神とか仏とか あるいは教祖とかいった超越的な存在を ≪たてまえ≫として、ご飯食べているのです 「このお金は、私がキャバクラ行くのにもらうのですよ」 なんて言ったら 「着服だ」 「流用だ」 「横領だ」 「詐欺だ」 って話になり、お布施する人もなくなります(笑) でも「神にお渡しするのです」ともらっておいて あとでキャバクラ行けば 「着服だ」 「流用だ」ってことにはならないのです(笑) みんな、そうして≪よろしくやってる≫わけです これが、人間の世界です 人間というのは、自分だけお金もちになりたいし 自分だけがうまくやりたい そこで支配層が生まれ トランプの[大貧民]のように 自分たちがずっといい思いをするための≪構造≫をつくったわけで 下部構造の者にも、逆転のチャンスが与えられている [資本主義]という政治思想は そのための≪たてまえ≫なのかもしれないですよ(笑) 世の中のこと全てに、表もあって裏もあります 例えば、宇宙科学も、量子力学も、哲学も 「意味がない」「必要ない」「ムダだ」「いらない」 と言ってしまったら それに携わる人は仕事を失ってしまいます そこで「宇宙科学は未来に役に立ちますよ」 「今こそ哲学が必要な時代です」と ことさらに、自分の職業の必要性を言い広めるわけです 「ロケット飛ばしたって お金ばかりかかってエネルギーをムダにするだけだ」 なんて言ってしまったら NASAの人たちはご飯を食べられなくなってしまいます 宇宙飛行士の人たちは 「宇宙科学は平和の学問です」 「宇宙から地球をながめれば、こんなちっぽけな地球で 領土をめぐって争うことが、いかに意味のないことかが理解できます」 とか言っていますけど もともとはロケット開発というのは 軍事目的だったでしょ(笑) もちろん、ヤクザ屋さんよりは 大学の教授の方がやってる仕事は立派で 未来に役立つのかもしれませんけど 人間の意識はどっちもそんなに変わらないということです 科学者というのは、汗水たらして働きたくない 研究だけをしていたいのです それにはたまに インパクトのある話題をもちださなきゃならない インパクトのあることを言って 国から研究費をぶんどる必要がある 国からぶんどるというのは 結局、国民からぶんどるということです そこで NASAは 「今世紀中には世界の人口が 100億人を突破することは避けられそうにない」 とか言って「火星移住計画」なんてのをもち出しました その後、あんまりバカバカしいものであったからなのか 話題にされなくなりましたが 他にネタがないのか、近年、再び登場してきています どんな方法で実現させるのかって? 火星の温度は低く(平均表面温度は-43℃で、最低温度は-140℃) 移住するには、火星の温度を上昇させる必要があるし 水や酸素が必要らしいのです 火星の南極には ドライアイス(二酸化炭素の固体)の氷があるから フロンガスを放出させ その温室効果によって、ドライアイスを溶かすそうです すると二酸化炭素の温室効果で 火星が暖められ、雨が降り、海ができる そしたら、シアノバクテリア(藍藻)という単細胞の藻類を海に放ち その光合成によって酸素を作り さらに樹木を植え、緑の星にするそうです ドライアイスの氷を溶かす方法として 他にも、核爆弾により小さな天体を衝突させる案や 巨大な鏡によって集めた光を用いる案も語られています 物理学でいうと ≪アインシュタイン≫ ≪相対性理論≫ というのが、神仏と一緒です この上もない≪たてまえ≫ ≪こじつけ≫ ≪口実≫なのです この≪たてまえ≫ ≪口実≫ ≪こじつけ≫といった ニセの正解を 正解であると価値判断を誤らせるのが ≪見栄≫や≪はったり≫や≪こけおどし≫です 神道では、祭神の霊魂(みたま)を ロウソクの火を移すように無限に 勧請(かんじょう・分霊のこと)することができ しかも神威が損なわれないということになっています ならば、宇佐八幡宮(八幡宮の総本社)の八幡神と そこいらの八幡神社に祀られている八幡神とに 神威の差はないということになります しかし、そこらの神社は、年に1度、初詣に行くくらいで ふだんは犬なんか散歩させて 犬が玉垣におしっこひっかけてもなんとも思いません ところが、宇佐八幡宮とか明治神宮とかになると 「お尻むけたらバチがあたる」とか言って、お賽銭もいっぱい払うのです どちらも「神を祀る」という本質において同じなのにこのように違うのです これは 大きさ、つまり≪見栄≫や≪はったり≫で 世の中というものが動いているのも、事実であるということです 宗教団体が立派な会館を建てるのも そうすることによって、人の価値判断を狂わせるためなのです 見栄やはったり、こけおどしや門構えが 人間でいうと地位や名声、あるいは学歴などといった「肩書き」です えらいお坊さんがお供をぞろぞろつれて歩いてくれば みんな道をよけ、ありがたがって拝んだりします ところが托鉢僧が、店の前にきて、お経なんか唱えだすと 「仕方ないから100円くれとけ」なんてことになります これも人間の性(さが)なのです 名前が売れている芸能人なんかが、ちょっと面白いことを書くと 「それはすごい」ってことになって 本がいっぱい売れたりします ところが、私のような人間が書くと 「あんことばっかり言っていると あんなふうになっちゃうのよ」 と、母親が子供にさとしたりするのです(笑) 天才論 ジェームズ・ウェブ・ヤングの 「アイデア論」にモノ申す 本能・本質・仕事・ 幸福・文化の統一理論 |
|