緋山「B級哲学仙境録」 仏教編 禅思想まるわかり 本来の面目、教外別伝・不立文字



B級哲学仙境論


仏 教 編


 




禅宗の思想




漸悟(ぜんご)と頓悟(とんご)



瞑想や禅定(ぜんじょう)は

古代インドのバラモン教から行われてきましたが


禅宗の祖 達磨〔菩提達摩(ぼだいだるま)・?~530?〕は

禅定をもって、中国で一宗をおこします




【 達磨(?~530?)… 菩提達摩。サンスクリット名 ボーディダルマ

生涯については伝説的なところが多いが

南インドの香至国の第3王子で、中国に入り

少林寺で壁に向かって9年間坐禅し〔面壁九年(めんぺきくねん)という〕

悟りを得たとされる


第二祖の彗可(えか)が、達磨の前で

「達磨大師の弟子になるまで動かぬ」と

腰まで雪に埋もれながら立っていたが、それでも入門を許されず

自分の腕を切り落とし、決意の固さを示し

達磨に入門がようやく入門を認めたというエピソード

「雪中断臂」「慧可断臂」もよく知られている 】






中国禅宗は、5祖 弘忍(こうにん・601~74)の弟子

神秀(じんしゅう・605?~706)と

慧能(えのう・638~713。6祖)により分かれます


前者は中国北部で行われ北宗(ほくしゅう)

後者は南部で盛んとなり南宗と称しました


唐以後は南宗のみが栄えたそうです


ちなみに日本天台宗の祖 最澄は中国で北宗の禅を学んでいます




また、南宗は、慧能の弟子 南岳懐譲(えじょう・677~744)と

青原行思(せいげんぎょうし・671~738また740)の2系統に分かれ


前者から臨済宗〔祖は臨済義玄(ぎげん・?~866)〕が

後者から曹洞宗〔祖は洞山良价(どうざんりょうかい・807~69)と

弟子の曹山本寂(そうざんほんじゃく・840~901)〕が誕生しています




日本の臨済宗の開祖が、栄西(えいさい・ようさい)で

曹洞宗の開祖が、道元です



法然(ほうねん)の浄土宗、親鸞と浄土真宗

日蓮の日蓮宗とともに鎌倉仏教の代表です


鎌倉仏教は、現在では

もっともなじみ深い仏教となっていますが

当時は新興宗教です




北宗と南宗の違いは

北宗は漸悟(ぜんご)、修行によって

一定の順序を経て悟りに到る

低い悟りから高い悟りに到るという立場をとり



これに対して南宗は頓悟(とんご)

頓証菩提(とんしょうぼだい)といって、段階的な修行を経ずして

ただちに悟る、突如として悟るという立場をとったことにあります






段階を踏まないで高い真理をただちに悟ることなんかあるのか?


最初に頓悟説を唱えたのは

道生〔どうしょう・354~434。中国浄土教の祖 慧遠(えおん)や

妙法蓮華経の訳者 鳩摩羅什(くまらじゅう)に師事し

羅什門下の四哲とされた〕といいいます



道生は、悟りを求める心がなく

成仏する機縁のない不信心者である

一闡提〔いっせんだい・梵語 イッチャンティカの音写で

断善根、信不具足、極欲、大貪(だいどん)

焼種(しょうしゅ・焼いた種のように仏性の芽が出ない意)

などと意訳される〕の衆生も

成仏できるという

「一闡提成仏説」を唱えたことでも知られます



道生は、建康(現 南京)で

法顕(ほっけん)訳の涅槃経(6巻)を研究し

一闡提成仏説を唱え、建康の仏教界を追われますが


のちに曇無讖(どんむしん)訳の涅槃経(40巻)が伝わり

そこに一闡提の成仏が説かれていたことから

皆 道生の先見の明に服したとされます



また善浄法輪(在家者のための教え)

方便法輪(衆生の性質にもともと違いがあるとする立場から

声聞・縁覚・菩薩がそれぞれの悟りを得るための修行を説いた教え)

真実法輪(法華経)、無余法輪(むよほうりん・涅槃経)という


原初の教相判釈

〔きょうそうはんじゃく・教判と略す

経典の勝劣を立て自宗の優位を主張すること

仏教の経典は、成立した時代や地域により内容に

多くの相違や矛盾があるが

これらを全て釈迦の対機説法(衆生の機根に応じた説法)とし

釈迦の教説として認めた上で、勝劣を論じるものが多い〕

をしたことでも知られます





道生の頓悟説は、悟りは分割されない

悟るときは真理の全体をただちに悟るという立場から

段階的悟りを否定したとされます



これに対して南宗禅では

今世において究極の悟りを得るという

密教でいう「即身成仏」(そくしんしょうぶつ)的な立場から

頓悟説が立てられたようです




●  即身成仏



衆生が凡夫の身のまま仏になること

大乗仏教は、利他を行じて仏になることを目指すものであるが

当初、歴劫修行〔りゃっこうしゅぎょう・

何度も生まれ変わって長大な期間修行すること〕

して、仏の相(三十二相や八十種好)をそなえて仏なるとされていました


その後、そんなに長い期間をかけなくても

現世で成仏できるはずだという考えが求められ

それが密教で「即身成仏」という形で成立したとされる





また、禅によって

真理を悟って仏に至るという

「始覚思想」的な「漸悟」(北宗)に対して


もともと衆生は仏性を具え

本来的には悟っているという「本覚思想」から

「頓悟」(南宗)が主張されたのではないか

との考えもあります




「始覚」(真理をさとって、はじめて仏になる)

という考えに対し

「本覚」とは、本質的には「仏」であるのということです


なので修行の目的は

本来、自分が仏であることを知る=悟る こと

であったり

自己に内在する仏性を顕現していくこと

となるのです





日本の禅宗でも

≪平常心是道≫

〔あたりまえの心がそのまま仏の道〕である


あれこれと心を労し、善だの悪だの、美だの醜だの

悟りだ迷いだのと分別をおこす必要があるだろうか


平常のありのまま、そのままでよいではないか

外に何も求める必要はない


などと言われますが

これはあきらかに

「もともと仏で本来的には悟っている」

という立場にありますよね






究極的に突如として悟るにも

それに応じた機根(能力)になっていなければ悟れないです


このようなことから、禅宗ではゆきすぎた頓悟への反省が生じ

のちに頓悟漸修も唱えられたそうです






釈迦の言葉に


≪ ある人が旅の途中で大洪水の河に出会った

どうしてもこちらの岸は危険であぶないが

あちらの岸は安穏で恐ろしくないとしよう

あちらの岸に渡りたいが、舟も橋もない


そこで彼は考えた

わたしは草・木・枝・葉を集めて筏(いかだ)を作り

それによってかの岸へ渡ろうと

そして彼は材料を集めて筏を作り、安全にかの岸へ渡った


そのとき彼は思った

「わたしはこの筏に乗って河を渡り得て

かの安全な岸に着くことができた

この筏は実に有益なものであった

さあ、わたしはこの筏を頭にのせ

あるいは肩にかついで、この旅をつづけよう」と


修行僧らよ。この人の考えを汝らはどう思うか -

左様この人の考えは人はまちがっているであろう

しからば、彼はどうしたらよいであろうか

「たしかにこの筏は有益であった

しかし、この筏の役割は終わった

この筏を岸辺において、旅をつづけよう」と


修行僧らよ

わたしは汝らが執著をはなれるようにとこの筏のたとえを説いた

このたとえを知った汝らは、法をも捨てなければならない

いわんや非法をや ≫


(原始仏典のマッジマ・ニカーヤより)



「筏」というのは、低い悟りを意味しているわけで

この話は、あきらかに段階に悟っていくことを示しています



さらに、すべてのモノやコトは「空」(実体がない)

という立場から


法(究極的な悟り) を、実体があるとみて、執着してはいけない

ということを明確に示しています







看話禅と黙照禅



日本の曹洞宗(そうとうしゅう)の祖 道元(1200~53)は

入宋し、臨済宗大慧派の諸寺を歴訪しますが満足できず

入宋2年目に天童山の如浄に師事します



そして、宏智正覚(わんししょうがく・1019~1157)

以来継承されてきた

曹洞宗の「黙照禅」(もくしょうぜん)を

天童如浄(てんどうにょじょう・1163~1238)より受け

学ぶこと3年で悟りを得たといいます



如浄が居眠りする僧を叱責するのを聞き

たちまち「身心脱落」

(心身へのとらわれから脱すること=分別を超えること)し


自己に森羅万象があらわれてくるのである

という悟りを得たといいます

このとき25歳です



「正法眼蔵」出家功徳巻には

“仏道をならふといふは自己をならふ也

自己をならふといふは自己をわするゝなり

自己をわするゝといふは、万法に証せらるゝなり

万法に証せらるゝといふは

自己の身心をよび他己の身心をして脱落せしむるなり”

とあります






大慧派の祖 大慧宗杲(だいえそこう・1089~1163)は

公案を用いる「看話禅」(かんなぜん)の大成者とされます



大慧は、曹洞宗の宏智正覚

(わんししょうがく・1019~1157)の禅を


「黙照禅」(もくしょうぜん・黙照邪禅。黙々と坐禅することで

全てが足りると考える誤った禅)と批判しました



これに対して、宏智は、この言葉を逆手にとって

「黙(坐禅)にこそ照(智慧)があり

黙照禅こそ釈尊より正しく伝えられてきた禅である」

と主張し


「只管打坐」〔しかんだざ・

只管はひたすらの意。ひたすら坐禅に徹すること〕

を唱えたといいます




中国において

黙照禅が教勢を拡げることはありませんでしたが


道元は看話禅に満足できず

黙照禅を、天童如浄より受け



さらに、坐禅は悟りを得るための手段

迷いから悟りに到る手段ではなく


坐禅そのものが目的であり

坐禅する姿が悟りそのもの、仏そのものであるという


「修証一等」〔しゅしょういっとう・修証不二ともいう

修行と証(悟り)が一体。修行のなかに悟りがあること〕や


「本証妙修」〔ほんしょうみょうしゅ・修証一等と同義で

本来的な悟りの上での修行〕を唱えました




但し、日本でも初期の曹洞宗を除いては

基本的に「看話禅」であり、多くの公案が創作されたようです


なお、道元は、現実世界をそのまま公案とする

「現成公案」(げんじょうこうあん・見成公案ともいう)

を主張したといいます







看話禅と公案



看話禅(かんなぜん)とは?


公案〔こうあん・古則公案(こそくこうあん)ともいう

参禅者を悟りに導く課題。テキスト〕により


疑問や迷いを生じさせ、そこから悟りへと向かわせる禅です


公案工夫によって自己の仏性を目覚めさせる

というのが臨済宗の立場です




公案にはどんなのがものあるの?


一番有名なのが「趙州狗子」(じょうしゅうくし)とか

「趙州の無字」とか「狗子仏性」(くしぶっしょう)

とか呼ばれているもので



無門関〔むもんかん・中国臨済宗の

無門慧開(むもんえかい・1183~1260)が

名僧の語録から48話を選び、これに解釈を加えた公案集〕の第1則



従容録〔しょうようろく・宏智正覚が編集した百則の公案集に

宗代の万松行秀(ばんしょうぎょうしゅう・1167~1246)が

解釈を加えた公案集。曹洞宗で用いられる〕の第18則

となっている「公案」です



ある時、1人の僧が、趙州(じょうしゅう)和尚に

「犬には仏性が有るでしょうか、無いでしょうか?」と質問した


これに対し趙州は「無」と答えた

という話です


ちなみに趙州従諗(じゅうしん・778~897)は

中国唐末の禅僧だそうです



してその心は?


そもそも仏教では、衆生=生きとし生けるもの全てに

仏性(仏の生命・仏になる種子、可能性)があるとしています


だから質問した僧は、そんなあたりまえの答えを求めて

質問したわけではありません


趙州のいう「無」は、有無の無ではなく

それを超えた自他不二を意味するとされています


要するに一元論を一言で語った

というわけです





一番、難解な公案として有名なのが

「南泉斬猫」(なんせんざんみょう)で


無門関、従容録や


碧巌録〔10巻。雲門宗4世の

雪竇重顕(せっちょうじゅうけん・980~1052)

が百則の公案を選んだものに

臨済宗楊岐派4世の

圜悟克勤(えんごこくごん・1063~1135)が解釈・批評を加えたもの

臨済宗で最も重要な公案集とされる〕

にみられるそうです



ある時、南泉普願【 なんせんふがん・748~835・

臨済宗の源流となった洪州(こうしゅう)宗の祖

馬祖道一〔ばそどういつ・

日本に伝わった禅の実質的創始者〕の法嗣 】

という名僧が

一山の僧を率いて草刈をしていた


そこに1匹の猫があらわれた


ものめずらしさからみなでこれを追い回して捕らえた


ここで東堂の僧たちと西堂の僧たちとが

猫について言い争いになった


南泉は猫をとりあげて言う


「僧たちよ、禅の一語を言い得るならば

この猫を助けよう。言い得ぬならば、斬り捨 てよう」と



誰一人答える者はなかった


南泉は草を刈る鎌で猫を斬って捨てた



夕刻になり

南泉の高弟の趙州(じょうしゅう)が帰ってきて

師匠(南泉)からこの話を聞くと


趙州は、はいていた履(くつ・はきもの)をぬぎ

自分の頭にのせて出て行ってしまった


南泉は「ああ、あのとき趙州がいたなら

猫を斬らずにすんだものを」と言った という話です




その心は?


色んな解釈がなされています


東西の僧が争ったのは、猫の所有をめぐってのことであり

その執着、迷いの根源を断つために

南泉が猫を斬ったという解釈もあります


また、趙州がはいていた履をぬぎ

自分の頭にのせて出て行ってしまったことについては


泥にまみれた汚い履を頭にのせることで、菩薩道の実践を表現し

猫を助けるべきだったということを示したという解釈があります



また、東西の僧が争ったのは

猫の所有をめぐってのことではなく


「狗子仏性」がそうであるように

この猫に仏性があるかないかということであって


南泉は、そんな有無の二元論にとらわれている弟子たちに

猫を斬ることで、禅の一元論を諭したという解釈もあります



道元もこれについて

猫に仏性という実体があるのでもないのでもない

生きている姿そのものが仏性なのであると語っているといいます



この場合、趙州がはいていた履をぬぎ

自分の頭にのせて出て行ってしまったことについては

履という頭と離れているモノを頭にもってくることで

有と無を超えることを表現したと解釈されるわけです






一般世間では、真意のつかみにくい言葉のやりとりや

とぼけた受け答えを「禅問答」といいます


例えば、“インスタントラーメンを

ラーメンとして食べてはいけない

インスタントラーメンはラーメンにすぎない

それがわからないと

インスタントラーメンを

インスタントラーメンとして食べることはできない”


といったような訳の分からない話を

よく「禅問答のようだ」と言います




中国禅宗の一派 雲門宗の祖

雲門文偃(うんもんぶんえん・864~949)は


ある僧に「仏とは何ですか」と問われ

「乾屎橛」〔かんしさつ・橛は杭(くい)の意で

乾いた棒状の糞(くそ)のこと〕と答えています


その意味は

乾いた糞も真如法性(一元的な宇宙の原理)の現れであり

仏の姿であるということなのでしょうか?



2つに切れたミミズの

どちらに仏性があるのかなんて公案もあります(笑)



禅では「その心は何か?」などと質問をし

修行者の答えから

その者の悟りの段階を確かめるなんてことをやります


これが禅問答です



つまり、言葉に執着するな、理論を離れろと言いつつ

最も言葉あそびが好きなのが、禅宗だってことなのです


これでは、気のきいた言葉 で表現することが得意な者が

名僧ということになってしまいますよ(笑)







本来の面目




禅では、自己に具している仏性を顕現している姿

つまり成仏した姿を「本来の面目(めんもく)」といいます


また、仏性そのものも「本来の面目」といいます



但し、禅は一元論ですから


真如法性などという宇宙の仏、宇宙の仏性

宇宙の根本原理、宇宙の究極的の法則と


自己が本来、一体であるという意味から

自己に仏性が内在している ということになります



なので、禅の悟りとは


座禅により自己の心を徹底して見極め

心が仏性(本来の面目)そのものであると悟るのと同時に


究極的には、身心脱落(心身へのとらわれから脱すること)し

分別を離れ(自己と世界の対立を離れ)


全世界と自他不二になる(本来の面目になる)ということなのです




禅と華厳は、思想的に近く

華厳では「一即一切・一切即一」

(1個と全体とは本来全く同じ存在である)と表現されます




「本来の面目」は

臨済宗よりも、曹洞宗で言われています



道元の『傘松道詠』【 さんしょうどうえい・

道元が45歳の初雪の歌から

54歳(1253)の中秋にかけて詠んだ和歌60首

〔道元が亡くなったのは

建長5年8月28日(1253年9月22日)〕


江戸中期の曹洞宗の僧 面山瑞方(めんざんずいほう)が

1747年に編集・刊行


「傘松」とは、越前大仏寺(後の永平寺)の山号「傘松峰」から 】に


『本来面目』という題がつけられた歌があります


「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」

(春になれば花が咲き、夏にはほととぎすが鳴き、秋には月が美しく

冬には雪が降って身がひきしまる)


世界の対立を離れた悟りの境地=本来の面目

について詠んだ句ということです



『正法眼蔵』の「弁道話」の巻には

「もし人一時なりといふとも、三業に仏印を標し

三昧に端座するとき、遍法界みな仏印となり

尽虚空ことごとくさとりになる」という言葉があります


〔もし人がひとときであっても

その身・口・意(心)の働きを、仏の相に合わせて

坐禅に安住すれば

そのとき全世界はことごとく仏の相となり

虚空全体は悟りになるのである〕





また、道元の師である中国の禅僧

天童如浄(てんどうにじょ・1163~1228)の言葉に


“渾身口(こんしんくち)に似て虚空に掛かれり

東西南北の風を問わず、一等に他(かれ)が為に般若を談(だん)ず

滴丁東了(てきていとうりょう・チチンツンリャン)、滴丁東了”


〔 風鈴はその全体が口に似ていて、虚空にかかっている

東風・西風・南風・北風の別を問うことなく、風があれば

一様に口全体でいのちのはたらきを語り尽くす、チリン、チリンと 〕


とあります



東西南北に立て分けられた風は

人間の分別する心

(いのちそのものを観ずに物事を区別してしまう心)です


風鈴がどの風にもチリン・チリンと鳴る姿は

本来の面目を意味しているといいます


そして、この歌は

本来の面目は、分別を超えて

いのちの限りを尽くしているということを意味しているとされます


また、風鈴が、虚空にかかるのは

その姿が、全世界、虚空全体そのものであることを意味するとともに


いのちのはたらきは

固定的実体ではないこと=空 を意味しているとされます







教外別伝・不立文字



禅宗によると

ある時、釈迦が一枝の花房を手にとって弟子たちに示したところ

迦葉(かしょう)だけがその意味を理解して破顔微笑したといいます



【 迦葉… サンスクリット名 マハーカッサパ

舎利弗(しゃりほつ)、目連に次ぐ釈迦の高弟

舎利弗と目連は釈迦より前に没し、釈迦没後の教団指導者となった 】



これを「拈華微笑」(ねんげみしょう)といいます



禅宗ではこの迦葉を初祖として

真実の教えが≪以心伝心≫(いしんでんしん)により

代々伝えられ


28祖の達磨(だるま・禅宗の祖)に至ったと

主張しているのです




なお「拈華微笑」の話は「大梵天王問仏決疑経」

(だいぼんてんのうとうぶつけつぎきょう・2巻。訳者不明)

にありますが


この経典は、唐代の経録(全ての翻訳経典の目録)である

開元録(730)や貞元録(800)に見られないことから

それ以後、中国でつくられた経典であると考えられています




禅とはもともと

「拈華微笑」を歴史的な根拠とし


≪釈迦の本意は、釈迦の言葉(すなわち経典)によって

伝えられてきたのではなく (仏祖不伝)


経典とは別に以心伝心により、代々受け継がれてきたのである


言葉では真実の教えを表現することができないし

言葉は真実そのものでもない

経文は役に立たないので用いない≫という


「教外別伝・不立文字」(きょうげべつでん・ふりゅうもんじ)

を主張します


これが本来の禅宗です



つまり、釈迦の言葉(教説)を否定するところに特徴があるわけです




そして、教外別伝・不立文字を根拠に

実践(坐禅)による

「直指人心・見性成仏(顕性成仏・見性得達)」

〔自分の心が本来、仏性そのものである

それを見極め、悟りに至ること〕を主張するのが、禅なのです





しかし現実には、達磨自身が

楞伽経(りょうがきょう)を注釈した

楞伽経疏(りょうがきょうしょ・5巻)を著し

楞伽経を依りどころとせよ としています


不立文字は、どうなっているんだ

ということです(笑)



また、日本の臨済宗(臨済禅)では

楞伽経の他にも

首楞厳経(しゅりょうごんきょう)

円覚経、金剛般若経を用いてきたようで


現在では、大般若経、金剛般若経

般若心経などが読誦されているといいます




一方、曹洞宗(曹洞禅)でも

道元(1200~53。日本曹洞宗の祖)が

「正法眼蔵」(しょうぼうげんぞう)を著しています



また、般若心経、観音経〔法華経の第25品の

観世音菩薩普門品(ふもんぼん)を独立させたもの〕


大悲呪〔だいひじゅ・千手観音大悲心陀羅尼

大悲無礙(むげ)神呪、悲神呪などともいう

大悲心陀羅尼経にみられる千手観音が説いた

陀羅尼(だらに・梵語の呪文)で、無量の功徳があるという

檀家の仏事にもよく唱えられている〕


なんかが読誦されているらしいです




【 正法眼蔵・・・・ 禅の真髄を漢字仮名交じり文で書いたもの

道元は一説によると100巻本を目指したとされるが

87巻(新草と呼ばれる12巻本と

それ以前に編集された旧草と呼ばれる75巻本)

を編集したところで没した

12巻本と75巻本は重複しないのであわせて用いる 】





それから禅宗では

語録〔高僧の行履(あんり・日常の言動)、弟子に行った説法

他の禅僧と交わした問答などを口語のまま記録、編集したもの〕

が盛んにつくられ、読まれています



こうしたことから

「禅宗は文字を立てないと言いながら

言っていることとやってることが違う。自語相違である」とか


「釈尊の経文は信じないのに、祖師の語録を信じている」とか

他宗派から批判されてきたわけです



日蓮は、釈迦の教説を否定し

「悟った」などと語る禅宗に対して「禅天魔」と破折しています





禅宗では

【 不立文字は、誤解を受けやすいが

本来、「悟りの真髄は、言葉や文字に表すことができない」

「言葉や文字はモノを区別するものであるから

それにとらわれずに

いのちそのものをみよ」ということである 】 

などと言われていますが


結局、自分や自分の心を含めた森羅万象全てが

本来、真如法性という宇宙の仏、宇宙の仏性

宇宙の根本原理、宇宙の究極的の法則の波がしらにすぎない

という一元論を

心(仏性)を通して悟りなさい ということであり


以上のように、言葉や文字に簡単に表すことができます(笑)





なお、禅の特徴に「無」がありますが

これは、分別をなくす=一元論を悟る ➝

自と他との境界がなくなる=自分は無である ということです



釈迦の無我説は、のちに「我は存在しない」と曲解されますが

「変わらない我はない=我に実体が無い」ということです

つまり「空」のことです



すなわち、釈迦の縁起説=空 なのに対し

禅の隨縁真如説=無 ということで、全くの別モノなのです







一字不説と冷暖自知



それから「教外別伝・不立文字」の教説は

「一字不説」(いちじふせつ)という法門をもとに立てられたとされます


一字不説とは、釈迦は悟りを開いてから入滅するまでに

一字も真実の法を説かなかった


釈迦一代の教説は方便にすぎないというものです



「一字不説」は、いくつかの経典にみられますが

楞伽経(りょうがきょう)が有名で

楞伽経には「我れ何等(なんら)の夜に大菩提を得


何等の夜に般涅槃(はつねはん)に入り、此の二の中間に

一字をも説かず、亦(ま)た己説、当説、現説せず」

とあります



そこで、禅宗では「四十九年、一字不説」

(釈迦は悟りを得てから没するまでの49年間

一字も真実の教えを説かなかった)

といいます



そして、教外別伝・不立文字が説かれたのは

実践・体験を重視するところからであると主張し

仏の教え(経典)を頭で理論的に理解することを

「学解」(がくげ)といって批難してきました



但し、ときに、禅教一致

行解相応(ぎょうげそうおう・相応は互いに通じ合っていること

互いが依りどころになっていること)といった

実践修行(禅)と学解の一体不離も主張されたといいます





こうした禅の体験を重視する言葉として

「冷暖自知」(れいだんじち)があります

直訳すると"水を飲めば冷たいとか暖かいとかわかる"

という意味です




「冷暖自知」は

≪悟りはその人だけに知れるもの≫だとか

≪悟りは他人にはうかがい知れないもの≫だとか

≪悟りは自分自身で悟る以外にない≫だとか

いった意味に使われてます







大疑団と大信根



≪信じることが宗教だと世間の人は思っているが

禅は違う。まずは「疑え」(疑団)である

大疑のもとに大悟あり

疑わざる、これ病なり≫

なんていいますが


禅というのは、答えが決まっているのです(笑)



答えとは、一元論ということですから

全てが、大きな海(宇宙の根本原理・宇宙の仏の働き)

の波がしらなのです



答えが決まっているのですから

結局、これを信じるしかないのです(笑)



そこで「大疑団」とともに「大信根」と

「大勇猛心」(大噴志・悟るまでやりとおす意志)が、必要なわけです




「自分の考えること、行動すること

日々の生活のすべてが

そのまま、お釈迦様の行であるってホントかな?」


なんて、「大疑団」が湧きます



これを支えるものとして「大信根」と

「大勇猛心」があるのです



「大信根」とは

まず、宇宙に根元的な原理の

「真如法性」(宇宙の仏の働き)なんてのを信ずること


つぎに釈迦や歴代の祖師が

これを悟り、「真如法性」に住していることを信ずること


そして、全ての人間は、仏性を具有しているのだから

自分も真剣に修行すれば

これを必ず体得できると信ずること


だそうです




悪人も、正しい人と同じように

究極的には仏性をもっている

という生命観ならわかりますよ


禅の場合は、悪人と善人、醜い女性と美人

さらに人間と石までもが

本来、宇宙の根本原理の波がしらとして、一緒であるという話です



なので、分別によって立て分けてはいけない

これを修行によって悟りなさい!!

というものなのです





禅は「そのまま」「ありのまま」とかいう言葉が好きですが

分別(区別)というのは、いいとか、悪いとかいうものでなく

人間に機能として、もともと備わっています



例えば、男性ならば、女性をみれば

「あいつはブスだ」とか、「まぁまぁじゃねぇ」とか

「あいつとやりたい」とか

つねに価値判断してしまうのです



分別することこそ「そのまま」「ありのまま」ですよ(笑)





また、科学とは、ある結果に対して、その原因を見つけ出したり

ある原因に対して

どのような結果が生じるのかを見極める学問です



つまり、因果関係を調べる学問

原因と結果の法則の上に成り立つ学問です



因果の法則の上に成り立つという意味では

仏教と科学は対立しません



しかし、禅の立場からすると、原因と結果を立て分ける科学は

分別世界のものということになります


つまり禅においては、仏教と科学は対立的なものになるのです





究極的な話をいうと


禅では「言葉に執着するな、理論を離れろ」

と言いますが


≪大疑団≫ ≪大信根≫ ≪大勇猛心≫

≪宇宙の根元的な不滅の法≫

≪宇宙の仏の働き≫ ≪心が仏≫

≪日常すべてが、そのまま、お釈迦様の行≫

≪いのちそのものを看よ!≫


なんて言葉により

人間を言葉のバーチャルの世界に

ひきずりこんでいるのです(笑)




もう1ついうと、禅宗は

「悟り」にとらわれすぎです

≪悟り≫という言葉の世界に、執着しすぎです




「究極の正解」「究極の真理」なんて話をするなら

宇宙の法則、全て理解しなければ、語ってはいけないはずです



ところが、人間は五感で認識できるモノやコトしか利用できない

電気も「雷」や「静電気」を、我々の五感でとらえることができたから

利用できたのです



五感で認識できないモノやコトは存在としてあっても

人間にとって存在しないのと等しいのです


なので科学で分っている宇宙の法則など

ほんのわずかだと言われているのです



だからどんな「法」を収めても「正解」にならないのです

間違えのない(=真理)の生き方にならないということです



「真理や価値は人によって違う」といった

≪相対主義≫を言っているのではなく


そもそも≪正解=真理=悟り≫を出せないと言っているのです

正解がないのではなく、正解を出せない、決められないということです




日本の禅宗




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禅の「分別するな」は間違え





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