『アダムスミスの見えざる手』・『ドラッカーのマネジメント』について

 
 日本100名山 南アルプス(赤石山脈)南部主峰 赤石岳。左奥は100名山 荒川岳




アダム・スミスの
見えざる手


ドラッカーと
マネージメント





アダム・スミスの見えざる手



酔恭  経済学には、使用価値と交換価値という概念がある

初期の経済学では、"水は人間にとって必要だが値段が安い

これに対して、宝石はそれほど必要でないが高価である"


これを説明することが難題とされていたようだね




竜太  そこで、水は交換価値は低いけど、使用価値は高い

これに対して、希少性の高い宝石は使用価値は低いけど

交換価値は高いという考えが生まれたというよね


「収集家が減って切手の価値が下がっている」というのも同じだね


モノ自体に価値があるといった唯物論的な考えでは

供給が需要に対して下回れば希少性が高まり価値が上がる

逆に供給が需要を上回れば価値が下がる




酔恭  それから生産されたものは、使用価値をもっているが

それが交換されないかぎり、主観的な価値にすぎない


これが交換されて商品になったとき

はじめて客観的な交換価値となる

というのが古典派経済学とマルクス経済学の立場だという


また、魚とりんごでは、性質が全く違うから

本来、数量的に比較することはできないはずだ


だが、魚という商品1匹と、りんごという商品2個とは

同じ交換価値をもつというように、価値として比較できるわけだ





竜太  ケインズ(1883~1946・イギリスの経済学者

ジャーナリスト、思想家、投資家、官僚)は知っているかな?



酔恭  20世紀最大の経済学者と称される人だね



竜太  ケインズ以前は

フランスの経済学者 セイ(1767~1832・実業家)という人が唱えた

「セイの法則」が、経済学の基礎をなしていた


セイの法則とは「供給が需要をつくる」というものだよ


つまり、商品は作りさえすれば

価格調整機能が働いて、売れ残ることはない


供給が増えても価格が下がるので

ほとんどの場合、需要も増えて、需要と供給は一致するという考え



しかしこの法則は、現代では、戦争などによって

市場への供給が足りない場合と

好況などによって潜在需要が十分にある場合にだけ

成り立つとされている



セイの法則は、生産手段が未成熟な時代にはよかったんだけど

産業革命がすすみ


世界恐慌〔1929年の10/24のニューヨーク株式市場の

株価大暴落に端を発した世界的な恐慌

世界的な農作物や工業製品の生産過剰などが原因とされる〕

がおこり

失業者があふれるという事態にむかえた


つまりセイの法則では説明がつかないことがおきたんだ




酔恭  そこに、ケインズが登場し

「有効需要」という概念を打ち出し

「需要が供給をつくる」と唱えたんだんだね



竜太  ただすでに、アダム・スミス(1727~90)の

「国富論」に見られる概念だというよ



酔恭  例えば、人々に車が欲しいという欲望があっても

お金がなければ自動車を買わないから、自動車の生産は刺激されない


だから、欲しいというだけでなく

実際に貨幣の支出という裏付けをともなった需要が

有効需要だね






酔恭  アダム・スミス(1727~90・哲学者)は

イギリスの経済学者で「経済学の父」と呼ばれる人だ


市場でのモノの価格が自然と決まってくることを

「神の手」と言ったんだろ


だいこんが、豊作でできすぎてしまったら、値段が安くなるし

みんなが鍋ものをする冬の時期に

供給が追いつかなくなれば値段が上がるというように

価格は需要と供給のバランスで自然に決まってくる




竜太  じつは、アダム・スミスが

価格の調整機能を「見えざる手」と言ったとか

価格の調整機能を「見えざる手」と解釈できると

書いている教科書や資料集がたくさんあるんだけど

そういった事実はないそうだよ



酔恭  アダム・スミスの「国富論」は有名だね

"個人の利己心が社会全体の富を生む"という内容らしいけど…



竜太  個人の利益の追求が、意図せざる結果として

社会全体に利益をもたらす という内容だね


意図せざる結果をアダム・スミスは「見えざる手」と表現したそうだよ



【 「見えざる手」という言葉は

1000ページを超える国富論に一度しか出てこないが

あまりにも有名


「神の見えざる手」とも言われるが

「神の」という言葉は国富論にはない 】




酔恭  どうして個人の利己的な利潤の追求が

社会全体の利益になるのかな?



竜太  国富論は

国(社会)が裕福になるための方法を書いたものだけど

アダム・スミスは、その答えを「分業」だとしているよ



酔恭  確かに、分業社会になれば、1人1人の利益の追求が

社会全体に富をもたらすという結果になるよね



竜太  アダム・スミスによると、分業は

人間の英知によって生み出されたものではなく

もともと人間には物々交換する性質があり

そこから生まれたというよね



それと

アダム・スミスの時代は、重商主義〔自国の輸出産業を保護育成し

貿易差額によって資本を蓄積して国を豊かにするという考え方〕

が支配的であったらしい


重商主義とは、お金の流れ(経済)を国家がコントロールするものだ


国家権力にお金が集中するので、身分制度が維持できたり

強力な軍隊を整備できるというよ


絶対王制〔王が主権者として政治を行う制度〕や

共産主義国家がよい例だね




酔恭  スミスは重商主義を批判し、国家は必要最小限以外

経済活動への参入をすべきでないと言ったわけか



竜太  市場が自由だからこそ

Aという企業もBという企業もがんばるのさ


政治の権力者が企業Aと結びつき優遇したら、企業Bはやる気がでない

すると経済は活性化しないよね


スミスは、国が貧しいのは市場が発達していないからであり

規制を緩和・撤廃し、多くの人がその市場に参入できるようにすれば

貧困はなくなると考えたんだよ



そして市場経済においては

需要と供給のバランスが、価格をつくると主張したんだよ






竜太  アダム・スミスの著書「道徳感情論」にみられる

「共感」についての話も興味深いよ


人は他者の視線を意識し、人によく評価されることを切望している

だから他者から共感を得られるように行動する


同時に、他者に対して共感の感情をいだく本質をもつ



また、自分の中に「公平な観察者」(良心と考えてよい)を形成し

自分の行為や感情が、この公平な観察者から共感されるもの

少なくとも非難されないものになるよう努力する


このように社会の秩序は、共感によって成り立っているので

相互愛や慈善などがなくても社会は成り立つ



虚栄心を満たすには

富・高い地位を得ることで

尊敬されたり共感される「財産への道」と


徳や英知をもつことにより

尊敬されたり共感される「徳への道」がある


このうち「徳への道」を極めることで

心の平静を手に入れることができる


これは、公平な観察者の考えに矛盾しないからである





竜太  スミスのいう「見えざる手」

というのには、2つの意味があるよね


1つは、個人の利益の追求が

意図せざる結果として、社会全体に利益をもたらすということ


もう1つは、良心による自己を規律する力が

市場に働いて、富裕者は、意図せざる結果として

人々に生活必需品を平等に分配している

ということ



酔恭  どっちにしろ、好き勝手やっても

神の手によって、世の中、うまく回っていくみたいな話だな(笑)


「公平な観察者」なんてものは

自分の都合でつくりかえられてしまうしね





酔恭  竜太は、経済の意味を一言でいうとどんな感じかな?



竜太  "商品やサービスを生産して、価値を得ること"だと思うし

それによって"資源を効率的に分配すること"じゃないかと思うよ


そして、経済的な秩序だけど

"欲のバランス"で成り立っていると思うな




酔恭  欲のバランス?



竜太  例えば、ダイヤの形をしたアクセサリーが好きな人

ハートの形をしたアクセサリーが好きな人

クローバーの形をしたアクセサリーが好きな人

スペードの形をしたアクセサリーが好きな人

といったように

人には価値観の違いがある



だからこそ、1つのものを奪いあうことなく

また他のものが売れ残ることなく

社会や市場の秩序が保たれていると思うね





酔恭  誰もが、需要と供給のバランスによる

価格調整機能のことを

「見えざる手」と考えているけど

でもそれじゃ平凡な思考でつまらないな・・・


竜太が「見えざる手」と言うなら、なにをもってそう言うかな?




竜太  こんなのどうかな

"生産者と消費者の私利が、意図せざる結果として一致し

自然に価格が決まる"


という「意図せざる結果」を≪見えざる手≫と表現する



例えば、りんごのブームがきたとします


するとレモンを作っていた農家もりんごを作りはじめる


これは、農家が消費者のためを思って

レモンの生産をやめ、りんごを作りはじめたのではないよね


自分の儲けのためにりんごを作りはじめたと言える

つまり私利のためだよ



一方、消費者も農家のため思って

レモンを買わずにりんごを買うのではなく、自分のためにりんごを買う

これも私利だね



こうした生産者の私利と消費者の私利が

意図せざる結果として一致し


つまり「意図せざる結果」=見えざる手によって

自然と価格が決まるというわけさ



そしてこの「自然と決まる」というのが

何によって決まるかというと

"需要と供給のバランスによる価格調整機能"というだね



酔恭  おもしろいね(笑)



竜太  経済というのは

リアルタイムで変化する消費者の欲求に対して

生産者がアイデアで勝負するものだよね


つねに変化する世間の欲求に対する答えは

アイデアによって創造される


だから答えはいくつもある


その意味では、数学と違って法則にあてはまらないよね

だからおもしろいのかもしれないよ








お金に対する価値観



お金に対しての価値観?


「お金を稼ぐことよりもっと大切なことがある」

なんて話ではありません



世間的なものの見方では

お金持ち→ お金に汚い=お金に対する価値観が高い


逆に

貧乏→ お金が必要=お金に対する価値観が高い

となりますが


お金に対する価値観とは

そんな単純なものではありません



お金があるなしばかりでなく

家庭の事情もあったり


また、本人が浪費家であるか節約家あるか

などということもあり


お金に対する価値観は、人それぞれです



その人それぞれのもつ

≪お金に対する価値観≫を、測定し得る

ものさしは、存在しないだろうか?


というのを考えてみた

ということです




必要とするものであっても

Aさんは、100万円も貯金があるのに買うのをためらい

Bさんは、10万円しか貯金がないのに購入する



ある商品に対して

「自分ならいくらまでなら出すよ」というは

その人のその商品に対する価値観です



これに対して、持ち金がいくらあれば買う

というのが

その人の≪お金に対する価値観≫

と考えたわけです



お金に対する価値観は、「持ち金」というものさしで

測定可能ではないだろうか?

ということです



家庭の収入と財産に対して

消費の総額がどれくらいの割合か

を占めるかを調べると


その家庭の

お金に対する価値観がわかるかもしれません



また、全家庭の平均値を出すことで、国の豊かさや

国民の消費に対する意識なんかも判るかもしれません







ドラッカーとマネージメント



酔恭  経営学の発明者と呼ばれる

ドラッカー(1909~2005・オーストリアの経営学者)は


≪マルージメント(経営管理)とは

どっちが正しいかではなく、何が正しいかである≫

という有名な言葉を残している




竜太  ドラッカーは、マネジメントとは

"何が正しいかである"と言うけど


何が正しいかと問うたとき

結果(答え)は1つしか出ないんだよ


もちろん、どっちも正しいとか

どれもみな正しいとかいう考えもあるけど


それも1つの答えだよね



これはマネジメントばかりでなく

全ての事に対して言えるよ



結局、ドラッカーの考えだと、結果の前に行動が決定されてしまう




酔恭 じゃ、竜太が思うマネジメントとは?



竜太 マネジメントとは

「事実、行動、結果のバランスである」

というのが正しいように思う



目の前におきている事実を把握し

それに対してどうアクションをおこし

どのような結果を導き出すか


この一連の作業がマネジメントじゃないのかな


つまり結果のために多種多様な行動を決定し

価値を生み出していくのがマネジメントだね








従業員とは?



酔恭  マルクスは、資本家は、一日、一週間

一ヶ月などと期間を限って、その労働力を買う


そして、約束した期間、働かせて、製品をつくらせ、富を得る


だから、労働力は、機械、原料などと同じ

商品そのものであると資本主義を批判した



経営学の発明者と呼ばれる ドラッカーは

「人に効果を上げさせるために、彼らを問題

費用、敵としてではなく、資源として見なさなければならない」

と述べている



マルクスは、資本主義における労働者は

「原材料」と同じであると主張し


ドラッカー「従業員は手足ではなく資源である」

とみなした


竜太は、どう思う?




竜太  そうだね

まず、原材料ではないと思うな


なぜなら人間は「商品」にならないから


企業は、労働力というエネルギーを利用するのだから

エネルギー=資源という意味で

ドラッカーのいう「資源」の方が正解に近いと思うな



でも石油なら火をつけたら必ず燃えてくれる


これに対して人間は「こうしてもらいたい」

と考えても必ずしもそうなるとは限らないよね



例えば、人件費を抑えるため

ぎりぎりの人数でシフトを組んでいるのに

ホールスタッフのアルバイトの女の子が


急に具合が悪くなって早退してしまったなんてことはよくある


だから資源は資源でも「不確定要素の資源」だと言えよ



それから、人間は生まれながらにして

≪労働力≫という資源をもつ


だから人が集まるということは

お金が集まるのと同じと言えるよね





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