酔恭・竜太の「B級哲学仙境録」 『尊厳論』

 
北アルプス 白馬岳山頂より (100名山)




尊厳論




酔恭  人間に尊厳があるなら

サルにだって猿権(えんけん)という尊厳があるだろうし

犬にだって犬権(けんけん)という尊厳があるだろう

という話になる(笑)


だって、猿にだって、犬にだって、すずめにだって

地球を分割する権利はあるはずだからね




竜太  なるほど(笑)

でも、サルには尊厳はないと思うよ


生命として生まれてきた以上

動物にだってこの世界で快楽や平穏を得る権利はあるとは思う


だけど動物が生命維持や子孫を残すことだけのために

毎日の時間を費やしているのに対して

人間はそれだけではなく、自分の生き方を持っているでしょ


たとえそれが他者からの洗脳による無知に根ざしたものだったとしても

「信念」を持って生きることができる

誇りを持って生きることができる



仲間を守って死ぬとか、戦争に行って身代わりになって死ぬとか

さらには拾ったお金交番にとどけるとか

こういった行為は生命維持だけを考えるとじつに非合理だよ


でもそこにこそ“尊厳の根源”があるんじゃないかと感じる




酔恭  確かに、動物は「いかにに生きるべきか」が

種(種の保存)に任されているのに対し

人間の場合、個人(自己保存)に任されているような気もするね




竜太  実際には人間も種の保存の原理で存在していたとしても

信念や誇りを感じて生きることができるでしょ


尊厳という概念が生み出された根源に

“人間は生き方を持っている  信念を持って生きることができる

誇りを持って生きることができる” ということがあるはずだよ


“生き方を持っている

信念を持って生きることができる”

というのは、意志の尊重と実行、つまり「自由」のことだね



それに「自分の秩序」でもあるよ

だから、尊厳(自分の秩序)を棄ててしまった人って怖いよね




酔恭  個人にしろ、社会にしろ、何に「尊厳」が置かれているか

どこに「自尊心」が置かれているかが違うわけで

それを見定めることが大切なんじゃないかな


例えば、自分の判らないことを質問されたとき

「答えられないのは恥だ」と思っている人もいれば

「いいかげんなことを答えるのは不親切であり、それこそ恥である」

と思っている人もいる


前者は案外多く、そういう人は、いいかげんなことを答えたり

「そんな質問をするな」と怒ったりするよね(笑)




竜太  それから

人間は、動物と違い尊厳を持っている

自分の生き方をもっている

だけどそれだけに人間は、生きる意味を考えてしまう

それが一番の不幸なのかもしれないよね





アダム・スミスの見えざる手・
ドラッカーとマネージメント





Top page


平等・公平論





 自己紹介
運営者情報




 時間論




 幸福論




 価値論




 心と
存在




言葉と
世界




食べて
食べられ
ガラガラ
ポン





Suiseki
山水石美術館