酔恭・竜太の「B級哲学仙境録」 『平等・公平論』

 
北アルプス 大天井岳(おてんしょうだけ・200名山)にて




平等・公平論




≪平等≫とか≪公平≫とか

という言葉は、学校で習いますが


「平等にする」とか「公平にする」とかいうことは

どういうことなのでしょうか?


実際のところ理解されていません


世界中の人が理解しないまま

「平等」や「公平」という言葉をふつうに使っています


そこで、「公平論」です


公平や平等の本質を、みごとあきらかにしましょう






酔恭  キングと対比がなされる

マルコムX(エックス・1925~65)は知っているかな?



竜太  よくは知らないけど急進的な

黒人解放運動の指導者でやはり暗殺されたんでしょ



酔恭  彼はイスラム教徒だ

21歳のとき強盗罪で6年間投獄され

このとき黒人からなる民族主義的なイスラム教の団体

ブラック・ムスリム・ムーブメント(ネイション・オブ・イスラム)

に入信したというよ


釈放後、教団よりXという名をもらい


雄弁であることから

ブラック・ムスリム2代目指導者をしのぎ教祖的地位を得たそうだ


64年には、教団の内部抗争に対し、独立して

ムスリム・モスク・インクを設立している


さらにメッカをはじめ中東やアフリカ各地を巡察し

アフリカ系アメリカ人統一機構(非宗教的な黒人解放組織)

を設立している



しかし、ブラックム・スリムから暗殺の対象とされ

65年、自宅が爆弾により攻撃されている


このときは彼と家族は無事だったが


その一週間後

ニューヨークで演説中に教団メンバーにより暗殺されたそうだ



【 なお、ウィキペディアによると

マルコムはメッカ巡礼を行ったさい


≪ 白人でありながら黒人を肌で判断しない彼らに感銘を受け

また世界中から集まったあらゆる肌のイスラム教徒が

同じ儀式に参加する光景を見て


「白人」とは肌の色よりも黒人を対象にしたときの

態度・行動であるという新しい視点を得た ≫ そうです


また、≪ メッカ巡礼を通して正統派へ転向した

という意見もあるが

ブラックナショナリストという立場は変わらなかった ≫ そうです 】





酔恭  彼の思想の最大の特徴は

白人より黒人の方が優れていると主張したところにある

白人を悪魔と呼んで批判し

また、人種の分離を唱え

人類の融和を唱えるキングを批判したというよ



竜太  マルコムXは、演説の名手みたいだったようだけど



酔恭  ≪ われわれ皆は黒人である

いわゆるニグロであり、第二級市民であり、元奴隷なのである

元奴隷以外の何ものでもない

こんなふうにいわれるのは気に入らないと思う


だが、それ以外のなにものだというのか

あなた方は元奴隷である


皆はメイフラワー号なんかでこの国にやってきたのではない

奴隷船できたのだ


鎖につながれ、牛馬同然の姿で


しかも皆はメイフラワー号でやってきた連中につれてこられた


いわゆる清教徒や開拓使徒に引っ張られてきたのだ

こういった連中が、私たちをこの国に運んできたのである ≫



≪ 黒人は、白人により抑圧され、剥奪され

自分の人生にさえ投げやりになってしまった

その上、まともな仕事にもつけない

黒人の犯罪者は白人社会の罪の象徴である ≫



≪ なぜ白人があんなにあなたがたを憎むのかわかるだろうか

それは黒人の顔を見るたびに

白人は自分自身の罪と真っ向から向き合うことができないからだ ≫


なんて言葉を残している




竜太  確かにマルコムの言葉って鋭いね

それに言葉にセンスがある


ただたいしたことは言ってないんじゃないかな


マルコムは、白人の批判をするのではなく

人間なんて偉い人も偉くない人もいない


みな肉と骨の塊に過ぎない

タンパク質の塊でしかない


ということを

世界の人々にもっと教えてあげれば

よかったんじゃないかと思うな




酔恭  白人を批判することで

結局、白人と一緒になっちゃってるというのはあるね


イスラエルとアラブのように互いに否定し合っていたら

いつまでたっても暴力の連鎖は断ち切れない




竜太  マルコムは人種差別がダメだ

と言っているのではない


白人がダメだと言ってるんでしょ


これって黒人の目線でしかものごとを見れていない


客観的にものごとを見れていない


つまり、人間を見れていないってことだよ



マルコムほどの人物なら

自分よりもずっとずっとたくさんの人に会ってきているはずだ


お金持ちの人にも、力のある人にも、まだバカな人にも会ってきている


それなのに人間を見れていない





酔恭  では、竜太ならなんと言うのかな?



竜太  「人を見るときは、身分とか地位とか

財力なんてものを取り払って


肉と骨の塊として見なさい

タンパク質の塊として見なさい」

と言うよ




酔恭  確かに、そうできれば理想だ

けど現実的にムリな話だろ


例えば、男は、美人とブスでは、美人の味方をしちゃう


こういったことは本能的な部分だ


それを無視て

「みなタンパク質の塊として平等に見ていく」

というのは現実としてはムリだ




竜太  そこ、そこだよ

人間ってみんなそんなものってこと


それが分かっているということこそ

人間を見れているってことだよ




酔恭  どういうこと??





竜太  「あなたがアメリカ人なら、アメリカ人の味方をするし

あなたが日本人なら日本人の味方をしますよね


では、自分の家族の日本人と

そこらへんにいる日本人だったら、どうします?


当然、自分の家族の日本人の味方をする


人間なんてそんなものだってことです」ってこと



そこで、周りのよけいなものを取り払って

どっちの人の言っていること、またしていることが正しいのかを

客観的にみてゆくこと


これこそが「平等にする」とか「公平にみる」とかいうことだよ



酔恭  なるほど・・・



竜太  ものごとを解決するにはそれが一番大切だと思うな



酔恭  すると竜太の公平は、ものごとを解決する力

さらにいうと本質を見抜く力ということにもなるね




竜太  人間は肉と骨の塊に過ぎない

タンパク質の塊に過ぎないなんていうと

「全ての人に尊厳がある」と批判する人もいるかもしれないけど

「自分たちは崇高な生き物である」と勘違いするところに

差別も戦争もあるんだよ



酔恭  どこの会社にも、自分だけに尊厳があるみたいに勘違いして

部下を肉と骨の塊かなんかとみなして、どなりちらしている上司がいるな




竜太  酔恭さんは

「男は、美人とブスでは、美人の味方をする」と言ったけど

これは美人にだけ尊厳を認めている証拠でしょ(笑)



つまり人は、全ての人に尊厳を認めることなんて

もともと無理だと思うのよ


もし、全ての人に尊厳を認めることができるというのなら

その前提として、人を公平にみなすことが

できていなければならないはずだ




酔恭  なるほど

それには、自分自身を含めた全ての人間は

肉と骨の塊に過ぎない、タンパク質の塊に過ぎないと

見てゆくしかないということなんだね




竜太  とはいえ、誰だって自分の家族や好きな人の味方をする

それは本能的に仕方ないし、悪いことでもない

自分もそうする


でも、平等や公平の意味知っている人と、知らない人では

その人の“生き様”に大きな違いが生じてくると思うよ






竜太  それと「愛される」とは

存在価値がそこにあり満たされることだよね


愛されない人は存在価値が見出せない


だから人を「公平」にみられるということは

それだけ多くの人を幸せにできるということになる



もしかしたら「人格」とは、記憶と認識かもしれない


バカな人は、ものごとに対する認識のレベルが低い

だから公平にみることができないのかもしれないね





酔恭  ところで竜太は、人間って本来 平等だと思う?

それとも不平等だと思う?



竜太  身分、地位、肉体的な優劣


また、戦争の国に生まれてきたとか平和な国に生まれてきた

などといった自分のよりどころとなる環境


このようなものはあきらかに不平等だと感じるよ



また、いくら正しいことを主張しても

常識という多くの人が信じていることに反すると

つまはじきにされることだってある


こういう不平等もある



これに対して、喜怒哀楽という感情については平等だと思うよ


水がいっぱいある国の人が

水をのんでも喜びを感じないのに対して

水に飢えいる人は一杯の水に感謝できる




酔恭  眼が見えない、言葉がしゃべれない

耳がきこえないという三重苦だった ヘレンケラーは


「心の仙境(ワンダーランド)においては、私は他の人と同じ自由を持つ」

と語っているけど


彼女がはじめて「暖かいです」と

1つの文章を発音できたときの喜びと


エベレストの頂上にはじめて立った人の喜びは

同じくらいだったかもしれない


このように喜怒哀楽の感情に関しては平等なのかもしれないね




尊厳論




Top page


感情論





 自己紹介
運営者情報




 時間論




 幸福論




 価値論




 心と
存在




言葉と
世界




食べて
食べられ
ガラガラ
ポン





Suiseki
山水石美術館