原始宗教 アニミズムとアニマティズム アニミズムとは、動植物から、山や川や海といった無生物 雨や風や雷などといった自然現象に至る万物に 霊的存在〔霊魂・神霊・精霊・妖精など〕を認める信仰です つまり自然の万物、万象を生命化するのがアニミズムです もっとも原始的な宗教とされ 神の観念は、アニミズムから生じたとされます やがて、太陽、山、海、風などが 神格化されて多神教の神になったわけです また、アニミズムより以前に、アニマティズム (プレ・アニミズム)が存在したという説もあります アニマティズムとは、万物に内在する生命力や活力に対する信仰で ここから神の観念が生じたとも言われています 山や海や太陽などといった人間の力が及ばない存在に対し おそれかしこむ心情を抱くこと 火や水の浄化力を信じて禊(みそぎ)したり火祭を行うこと 鏡や剣に霊力がそなわるという考え これらはアニマティズムに通じていると言えますよね また、呪術さらには宗教そのものが 超自然的存在を動かすことを目的としているわけですから アニマティズムの発展と考えられるわけです いずれにしても、かつて人間は 人智を超えた自然神秘や驚異を「神」と見なしたということなのです 最初にアニミズム説を唱えた人は? エドワード・バーネット・タイラー(1832~1917・ オックスホード大学初代人類学教授)という イギリスの人類学者です タイラーは主著「原始文化」で 神や霊魂の観念、呪術、祖霊崇拝などといった 宗教現象となっている人間の意識を アニミズム〔ラテン語のアニマ(霊魂・生命・気息の意)から〕 と定義し これこそが最も原始的な宗教の形で ここから死霊崇拝などを経て多神教へと発展し さらに一神教へと進化したと述べたとされます 当然、一神教を信じる人たちから激しい批判を受けました なお、タイラーは最初に「文化」の概念を 明らかにした人としても知られています 彼は、文化や文明は、人間が獲得した知識、信仰、芸術、慣わし などといった能力や習慣の複合体であるとしている。 また、世界各地に同じような神話が見られることから 文化は伝播すると主張したようです のちには、世界の諸文化を、野蛮、未開、文明の3つに分け 文化の進化主義をとったといいます アニマティズムを主張した人は? タイラーの弟子の マット(1866~1943・イギリスの人類学者 オックスフォード大学学長)です 彼によると、人類が霊魂や精霊の観念をもったのは 智恵がかなり発達してからだという 例えば「雨よ。やんでくれ」と雨に呼びかけるのは 雨に霊魂が存在していると見ているのではなく 雨を生命そのものとみなしているというのがマットの主張です それからマットは、メラネシアやポリネシア といったオセアニアの島々の原住民が持つ 「マナ」の観念を自説の裏付けとしていて アニマティズムは、マナイズムともいいます ● 付喪神 日本のアニミズム的俗信 古い器物などに霊が宿って誕生した妖怪の総称を ≪付喪神≫(つくもがみ)という 唐傘お化けや、化け提灯が付喪神の代表 付喪神とは、九十九(つくも)神であるともいう 「器物は百年経ると化ける」と言う俗信から 日本では古い器物を九十九年で捨てる風習があり あと一年で命を得られた器物が恨みから妖怪になったとされる マ ナ マナとは 自然、人工物、人間、神、祖霊 死霊などあらゆる存在が持つ と考えられている超自然的な力だそうです 広く太平洋諸島にみられる観念だといいます 例えば、「彼が勇士なのは マナを有する槍を持っているからだ」とか 「彼の土地に作物がよく育つのは マナを有する石を持っているからだ」とか 「マナを持てば家畜が増える」とか 「酋長は多くのマナを所有している」などと言われるものだそうです マナの特徴は、その人やそのものに固有な力ではなく 付け加えたり、取り除くことができるということ また勝手に他のものに伝わっていくというところにあるといいます なので、槍や網などの道具類、また病人や疲労した人に マナを注入することで 望ましい状態にすることができると考えられているそうです マナを得ることが利益ももたらすので 人々は強力なマナを得ようと様々な努力をするといいます マナの観念は、イギリスの人類学者・カトリックの宣教師 コドリントン(1830~1922)の著書「メラネシア人」 によって世界に紹介されたそうです 彼は、マナとは“転移性を有する超自然力”と定義したそうです このマナが、学会の注目を集めたのは、マナのような超自然力こそが 宗教の原初であり あらゆる宗教の本質であると考えられたことからだそうです 超自然力の獲得 例えば、日本の修験道では、山岳を霊力が強い場所とみなし そこで修行すれば霊験(れいげん)を得るとしていいます この霊験という超自然力を得て、加持祈祷を行なう人が修験者です また、密教では、宇宙の根本仏の大日如来と合一することで 即身成仏を目指します これも超自然力を手にするための努力です 護摩木や供物を火の中に投じ、煩悩を焼き尽くす「護摩」 という修法には、火を超自然的な浄化力とみなす観念がみられます 神道では、巫女(みこ)や神輿(みこし)に 神霊が宿ったり(転移)するし お祓(はら)いなんていうのはまさに超自然的な力で災いを除く呪術です 一神教の神も、超自然力をそなえた全知全能の神です 一神教においては 人間が神の力を獲得することは説かれませんが 生前に奇跡をなした人に「聖人」という称号を与えという カトリックの「聖人崇拝」なんていうものは 特定な人間に、超自然的な力の存在をを認めるものです ● 聖人 カトリックと東方正教会では、殉教者や特に優れた信仰者を 死後「聖人」に列する カトリックでは聖人の下に「福者」「尊者」を置く 正教会は聖人だけで、福者は聖人の号の1つで 聖人と福者は同じであるとする これらの地位に列するのにあたり 徳や奇跡の取り次ぎをなしたかなどが調査される カトリックの福者は 奇跡の取り次ぎがあった方が望ましいとされ 聖人には、その人物の取次ぎに奇跡があったことが必要とされる 但し、殉教者はこれに限らないとされている 列福には死後数十年かかるのが通例で マザー・テレサの6年は特例である 福者のうち、さらに列聖調査がなされて、聖人に列せられる者もある カトリック的伝統を否定するプロテスタントには 列聖の制度はなく 聖人崇敬に否定的な教派が多い 死亡した全ての信徒を聖人または聖徒としている教派もある また、プロテスタントでは、人類の罪の赦しは イエスの贖罪(しょくざい)によってなされているので 特に殉教に意味はないとし、殉教を徳の行為とみなさない傾向にある 守護聖人とバラカ カトリックと東方正教会には「守護聖人」に対する信仰があります キリスト教が多神教世界へ普及するにあたり 生じたものだとされます 国家、地域、都市、団体、教会、職業などを ゆかりのある聖人が守っているという信仰で 聖人でなく天使の場合もあるようです サンタクロースは、4世紀初めの小アジア(トルコ)の リュキアの首都ミュラの司祭 ニコラウスに由来するとされます サンタクロースの名は 聖(セント)ニコラウスを意味するオランダ語が 英語になまったものだといいます 信仰、はヨーロッパに広がり 船乗り、パン屋、薬屋、商人、法律家 子供、学生、旅人、水など様々なものを守護する聖人となり 中世にはニコラウス教会は2千を超え 銅像が広場や橋などいたるところに置かれたそうです さらにクリスマスに取り入れられ、俗化し 白いひげで赤い服とずきんを身に着け トナカイの引くそりで空を飛び クリスマスイブに煙突から各家に入り 子供が吊した靴下にプレゼントを入れる などとされるようになったといいます イスラム教神秘主義のスーフィズムでは すぐれたスーフィー(神秘主義者)は 人々の願望をかなえるバラカという特別な呪力を得ていて 聖者として崇拝の対象となります バラカは死後も存続し、ムハンマドや聖者たちの遺体 遺品、墓石などにバラカがあり これらを拝んだりすると様々な功徳があるとされています こうした宗教の源となった アニマティズムというものは 人類が超自然的な力を恐れ 危害を避けたいと願うと同時に 「その力を味方にしたい」 と考えたことから生まれたのかもしれません 呪 術 「呪術」も超自然的な力を動かすことで 目的を達成しようとするものです 呪術は、雨乞いのように 人や社会に有益なことを目的とする「白呪術」と 人や社会に災いが起きることを目的とする「黒呪術」に分けられ 黒呪術では、密教の「調伏」〔ちょうぶく・明王などを本尊として 怨敵や魔障を降伏(ごうぶく)させる修法(しゅほう)〕や 「丑(うし)の時参り」なんかがよく知られています 丑三つの刻(午前2時半頃) 社寺の樹に、呪う相手のわら人形を取り付けて 呪文を唱えながら五寸釘を打ち込むのが「丑の時参り」です よく白衣に身をまとい、3本のろうそくを灯した鉄輪(かなわ)をかぶり 一本の歯の高下駄あるいは素足で わら人形に釘を打つ女性の姿が漫画に描かれたりします 釘を人形の頭に打てば、相手の頭を痛めつけ 手足に打てば手足を痛めつけることができる 満願の日〔三七日(さんしちにち)=21日間〕までに 人に見られると効果がないとか 目撃されたらその者を殺さないと自分が死ぬとか 言われています 一方「お百度参り」は、白呪術になります 平安時代にはじまり、中世以降に一般に浸透したそうです 特定の社寺に100回参詣し祈願するものが のちに1日に100度参詣する形式となったそうです 拝殿で祈願すると、そこからお百度石に戻り そこからまた拝殿に行き祈願する これとを100回繰り返します これを、お百度を踏むと言いますが、数を間違えないように 小石や小枝や竹べらが用意されていたり お百度石の壁面にそろばんのようなものが 備え付けられていたりする社寺もあるようです
宗教がどちらかというと 超自然的な存在への帰依や服従であるのに対して 呪術は人間の力によって 超自然的な力を動かそうという意識が強いといいます フェティシズム マナの観念と似るものに「フェシニズム」というのがあります アニミズムやアニマティズムとともに 宗教の原初形態の1つとされています 現在では 自然崇拝やアニミズムが宗教の原初であるという説が有力ですが かつては、フェティシズムから、アニミズム 多神教へと発展したという説も唱えられたそうです 「足フェチ」とか言うように フェチとは、異性全体ではなく 異性の髪の毛とか、足とか、耳とかいった身体の一部や 靴下とか、下着とかといった所持品に 愛着を示すことをいいますが フェティシズムは、もともとは特定の自然物や人工物に神秘的な力 超自然的な力が内在すると信じ、崇拝するものです アフリカの未開社会をはじめ各地でみられるといいます 物神(フェティシュ)崇拝とか、呪物崇拝と訳されます 語源は、フェチコに由来するそうです 15世紀後半、西アフリカと交易をしたポルトガルの航海者たちが 西アフリカの海岸地域の原住民が 歯や爪、木片や貝殻や石などを 髪の毛に包んでお守りにして身に付けていたり 剣や鏡や玉、首飾り、臼などを崇拝しているのを見て カトリック信者が、聖者たちの遺物や護符を フェチコ(呪符や護符の意)として崇拝しているのと同じ とみたところからきているそうです フェティシズムの語を最初に使ったのは フランスの比較民俗学者で思想家の シャルル・ド・ブロス(1709~77)の 著書「フェティシュ諸神の崇拝」だとされます 偶像(仏像やキリストの画像)や 十字架、曼荼羅、御札やお守り これらは広い意味で、フェシニズムと言えるわけです トーテミズム トーテムポールをというのがあります 学校の校庭や、公園にみられたりする 鳥とか動物とか、人間の顔などが彫刻されている柱です トーテムポールは、本来、カナダ西海岸部から 北西アメリカのネイティブ(インディアン)諸族が製作するもので トーテム〔家系をあらわす紋章。動植物など〕や 彼らのもつ伝説や物語の登場人物を表現したものといいます 家屋から独立して建てられる独立柱 家屋の正面に建てられる入り口柱 家を支える柱また家の内部の飾りとして建てられる家柱 墓地に特定の個人を記念するために建てる墓標柱 特別な出来事(戦いなど)を記念して建てられる記念柱 などがあるようです 但し、これらは、崇拝の対象ではないといいます トーテムって何? 「部族」(同一の出自や歴史的背景を持ち 共通の文化や言語、価値観の上で 共同生活を営むとされる集団)や 「氏族」(共通の祖先を持つ血縁集団)の先祖として 崇拝される特定の動植物だといいます 動植物ばかりでなく、自然物、人工物 自然現象などの場合もあるようです トーテムという学術用語は オジブワ族〔アメリカおよびカナダのネイティブの部族 ネイティブア(インデアン)としては アメリカでは3番、北米全体でも4番の人口〕の 「共通の祖先を持つ血縁集団」 を意味する言葉からきているといいます アルバート・ギャラティン〔1761~1849・アメリカの民俗学者 言語学者。政治家(財務長官を務めた)。アメリカ民族学会の設立者〕 の造語だと言われています トーテミズムは、トーテムを崇拝する信仰です この信仰は はじめネイティブアメリカン(アメリカインディアン)で発見され のちに世界各地、とくにオーストラリア、オセアニア諸島 アフリカ、インドなどにも見られることが明らかになったといいます オーストラリアには 各氏族のトーテムをあわせると その数4千にもなる部族があったり 日、月、雲、雪、雨、火、水、季節なども トーテムとなっている部族があったり 安眠、下痢、嘔吐、性交などが トーテムとなっている部族があったり 男がコウモリで、女がキツツキというように 氏族でなく性によるトーテムを持つ例がみられたりするそうです また、メラネシアには 各氏族が、鳥1種、樹木1種、動物1種というよう 氏族が複数のトーテムを持つ部族があったり インドには、短刀、割れた瓶 トゲの付いた棒、腕輪、パン切れなども トーテムとなっている部族があったり アフリカには、トーテムは牛だけで 各氏族のそれは、赤牛とか乳牛といった牛の種類や 舌、腸、心臓といった牛の身体の部位で区別する部族があったり アメリカ北西部には、個人が特定のトーテムを持つ例 (但しこれは守護霊であるとする考えもある)もみられるといいます そして、ほとんどの場合 トーテムとトーテム集団との結びつきの 由来を物語る神話が存在するそうです また、トーテムは部族や氏族の先祖として畏敬され 殺したり食べたりしてはいけないとされていて 触れたり、見たりすることもタブー(禁忌)とする例もあるといいます 一方で、禁忌をともなわない例も多く トーテム動物は、トーテム集団の者に好意を持っていて 撃たれて食べられることを望んでいるとする例もあるそうです トーテム集団の人たちの姿や性格は トーテム動物に似ているなどとも言われるらしいです なお、世界の多くの文化で 同じ氏族の男女の結婚を禁じる結婚規制が 見られるそうですが 同じトーテムを持つ氏族の者同士の結婚は許されない とされていたりするようです また、同じトーテムを持つ者同士が戦うことも許されない とされていたりするといいます トーテミズムという概念を最初に確立した スコットランドの法学者 マクレナン(1827~1881)は 内婚(エンドガミー)・外婚(エクソガミー) の用語をつくった人としても知られます 彼は、トーテム崇拝(トーテミズム)は 事物にこだわるからフェティシズムであるが トーテミズムが社会に登場したことにより 人類は、結婚相手を特定の集団から選ぶ規則 =内婚制からとき放たれた 人類は、婚姻制度を 結婚対象を特定集団以外から求める規則=外婚制 へと発達させた と主張したといいます マクレナンによるとトーテミズムとは 婚姻を媒介として 開かれた社会を形成する制度であると同時に フェティシズムという原始的な宗教ということになります このマクレナンの説は、オーストラリアの精神科医の フロイト(1856~1939。国際精神分析学会の創設者) に大きな影響を与えたとされます フロイトは、トーテミズムを 近親相姦(そうかん)の禁止と関連づけ トーテムの起源について「原父殺害」という説を立てます 原父殺害とは 絶対的権力をもち女性を独占していた父(原父)の支配に対し 追放されていた兄弟たちが 力を合わせて父を打ち殺して食べてしまう そして、再び、群れの女性を独占する者=原父が現れ 原父殺害が繰り返されることがないように 息子たちがトーテムをつくり 群れの女性と性交しないことを決めた というものです ちなみに、なぜ、父を殺すだけでなく 食べてしまったかというと 息子たちは、一方では、父に憎しみを持ちながらも 他方では、父のようになりたいという憧れ =エディプス・コンプレックス をもっていたからだといいます また、「構造主義」の創始者であり代表者とされる フランスの文化人類学者 レヴィ=ストロース(1908~2009・100歳まで生きた)は ≪どのような民族においてもその民族独自の構造を持つもので 西洋側の構造で優劣をつけるのは無意味≫とし 西洋中心主義を批判し 未開社会にも独自に発展した秩序や構造が見いだせる と主張したことで有名です レヴィ=ストロースのトーテムに関する話は およそ以下のような内容だとされます トーテミズムを信じる人類学者が 「ニッポン」という未開の地にきた ニッポンでは、奇妙な卵形の建物に群衆が集まって 「ヤキュウ」と呼ばれるある種の祭礼を行っていた 祭礼では「虎」をトーテムとする集団と 「巨人」をトーテムとする集団が 規則に従って交互に儀礼を行うらしい 「鯉」「星」「燕」「竜」というトーテム集団もあることが判明した レヴィ=ストロースはこう言います トーテミズムを信じる人類学者は その国の文化をなにも知らずに ジャイアンツの選手と「巨大な人間」に 必然的な関係が存在するという思考から説明する 「巨人」とか「虎」とかいったトーテムは 氏族Aと巨大な人間 氏族Bと虎 になんらかの必然性が存在しているなどというものでなく 氏族A(ジャイアンツという集団)と 氏族B(タイガースという集団)との ≪差異≫を象徴するものとして 存在しているのにすぎす トーテム崇拝=トーテミズムは幻想である 神道とアニミズム 日本の神道は、アニミズム的要素をわりと 濃くとどめていると言えます アニミズムとは自然の万物に 精霊や霊魂(みたま)が宿るという信仰です 巨樹、森、山、太陽、月、あるいは 雨や風などの自然現象に精霊が宿るといった信仰です 山、太陽、月、雨、風、雷などが神格化されて 神道のような多神教の神になったとされます インドのヒンズー教も多神教ではありますが 仏教同様、輪廻や解脱を説き哲学性が強いうえ カースト制度をも包含し、社会への影響は計り知れません また中国の道教も多神教でありますが まじない的要素が強いですし、人間神も多いです 仏教では仏像が本尊とされたりしますが 神道では神像がほとんど見られません もちろんこれは一神教のような偶像崇拝の禁止とは違います そういったところに 神道が自然崇拝を残している感じを持たせるわけです また、鏡や玉や剣が、御神体とされるところにも アニミズムの要素が感じます 神道は、タマ(魂)とカミ(神)の観念が 結びついた信仰だといいます 〔観念とは、あるモノやコトについての共通認識ですが 概念よりも主観性を残す〕 古代の日本人は、言葉には言霊(ことだま)、木には木霊(こだま) 人には人霊(ひとだま)、稲には稲霊(いなだま) 船には船霊(ふなだま)が存在すると考えたそうですが 天照大神の御神体(ごしんたい・神霊を象徴するもの)= 御霊(みたま)を、「八咫鏡」(やたのかがみ)とするなどは まさにタマとカミの結びつきを示していますよね さらに、神道の神 つまり日本神話の神には ギリシア神話でみられる 理念神〔勝利、自由、秩序 愛などの理念を神格化した神〕がみられず (日本神話ではこれといった理念神は登場しない) 自然神が多いことも 神道にアニミズム的要素が 色濃く残っている根拠の1つになるかと思います 秩序の神というがみられないのは 古代の日本人が、天体の運行から 花の一生に至るまでの全ての自然現象に 規則性や秩序性を感じ 自然の摂理こそが、全ての秩序であり 理念であるとみていたからかもしれません それから、例えば、八幡神社の祭神の八幡神は 応神天皇(15代天皇。5世紀頃)のことだとされています このように神社の祭神はみな自然神なわけではありません ところが、一般の人は、地域の神社は その祭神に関わりなく そこの地域や住民を守る 産土(うぶすな)神 鎮守神、氏神であると認識しています ここにも原始的な信仰の要素を感じさせます 「照葉樹林」による森は 神社の≪鎮守の森≫以外には ほぼ存在しないという話も興味深いです
1982年(昭和57)の環境庁発表によると 日本列島の照葉樹林は森林面積の0.6%にすぎず ほぼ全滅状態にいたったとされています 自然の森の力によって維持される森 自然の秩序のもとに保たれいく森を「天然林」(一次林)と呼びます 天然林は、関東以北では「落葉広葉樹林帯」になるそうです ミズナラ、カシワ、クリ、クルミ、クヌギ、コナラなどの森になるわけです 関東以南では「照葉樹林帯」(常緑広葉樹林)になるといいます シイ、カシ、クスノキ、ツバキなどの森になるのです これに対して、伐採や火災によって天然林が失われた後 自然の力により再生した森林を「二次林」と言います また、人の手で種を播いたり、苗木を植栽して育てている森林は 「人工林」と言います 関東平野における極相は照葉樹林ですが 山火事や伐採のあとは 二次林としての雑木林(ぞうきばやし)ができるといいます
雑木林は、落ち葉や枯れ枝を採り続けることにより はじめて維持されるそうです 人によって管理されてはじめて維持されていくのです 放置しておくと、天然林となります 里山の雑木林のの機能が失われつつあり 各所で常緑広葉樹林が復活してきているとされます なお、里山では、落葉や下草の採取が行われてきましたが かつての農村ではこれらは 堆肥(わらや落ち葉、鶏や牛など家畜糞尿を積み重ね 微生物により発酵させた有機肥料)の原料として重要でした また、薪や柴は大切な燃料でした キリスト教の聖書においては 人間が神の似姿(にすがた)として創造され 神に最も近い存在であり、他の生き物や自然を支配し 奉仕させる権利を持ちます そこから、キリスト教社会では 野蛮な自然は、文明へと移行すべきであるという世界観を生み さらには、内なる野蛮、内なる自然である 食欲、性欲、物質欲などの欲望も 理性によって屈服させるべきだという道徳観を生んだとされています 西洋の田園風景はそういった観念から生じたもののようです 日本でも最近は ホンモノ(自生の山野草や高山植物の群生)よりも 芝桜、コスモス、ラベンダー、ネモフィラなどの咲く 管理された丘なんかが大賑わいですが(笑) 神の歴史 最も原始的な宗教とされる 「アニミズム」とは 動植物から、山や川や海といった無生物 雨や風や雷などといった自然現象に至る万物に 霊的存在〔霊魂・神霊・精霊・妖精など〕を認める信仰てす つまり自然の万物、万象を生命化するのがアニミズムです 神の観念は、このアニミズムから生じたとされています アニミズムより以前に 「アニマティズム」(プレ・アニミズム)が存在した という説もあます アニマティズムとは 万物に内在する生命力や活力に対する信仰で ここから神の観念が生じたとも言われています 山や海や太陽などといった人間の力を超える存在に対し おそれかしこむ心情を抱くこと 水や火の浄化力を信じて禊(みそぎ)したり 火祭などを行うこと 鏡や剣に霊力がそなわるという考え これらはアニマティズムに通じていると言えます なお、呪術さらには宗教そのものが 超自然的存在を動かすことを目的としていて アニマティズムの発展と考えられるわけです いずれにしても、かつて人間は 人智を超えた自然神秘や驚異を「神」と見なしていた ということなのです アニミズムやアニマティズムの信仰の対象が やがて神格化されて自然神が誕生します 自然神の誕生は、多神教の誕生です 自然神とは、山や川、太陽や月、雷や風といった自然 天体、気象現象を神格化したものです アイヌの熊など神聖視される動物も自然神の一種と言えます その後、人間神や文化神や理念神も誕生します 人間神とは、民族や氏族の統合の象徴で 祖先神や氏神といったものです 例えば、奈良の春日大社の祭神 天児屋根命 〔あねのこやねのみこと・天照大神(あまてらすおおみかみ)が 天の岩屋にかくれたとき、祝詞(のりと)を奏して出現を祈った のちに邇々芸命(ににぎのみこと)の天孫降臨につきしたがった神の1人 祝詞の神。子孫は大和朝廷の祭祀を司った〕は 朝廷の祭祀を司った中臣(なかとみ)氏と 中臣氏から分れた藤原氏〔中臣鎌足が大化の改新の功により 藤原姓を賜ったことにはじまる〕の氏神です 祖先神や氏神は、子孫に律法をさずけたり 子孫を守護する神です 歴史や伝説の英雄なども神格化されています 家康は、日光東照宮に、東照大権現 〔権現とは、権(かり)に現れた神の意 神仏習合思想で、インドの仏・菩薩が、日本の衆生を教化するために 仮に神の姿をとって現れたという意味〕として祀られています この他、人間神の例として 明治神宮は、明治天皇を祭神としていますし 天満宮の祭神の天神さんは、菅原道真です 文化神は、屋敷神、かまどの神、音楽神、学芸神 といった生活や文化を司る神です 理念神は、勝利、秩序、自由、愛などの理念が 神格化されたものです アメリカの自由の女神 ギリシア神話の秩序と正義の女神 テミスや 運命の3女神 モイライ 最高神のゼウスも雷神であると同時に 人間社会の秩序を支配しています また、バラモン教の宇宙の根本原理ブラフマン(梵)を 神格化した ブラフマー(梵天)は 自然神と理念神の性格をもっていると言えます 時代がすすむにつれ 神の間に上下関係や支配被支配関係が生まれ 多くの神のなかから最高神が誕生したり 主要な神がトリオで最高神の位置を占めるようになってきます 三神トリオの例としては ギリシア神話で世界を3分する ゼウス(天)、ポセイドン(海)、ハデス(冥府)の兄弟 ヒンズー教の ブラフマー(創造)、ヴィシュヌ(維持)、シバ(破壊) 古事記の最初に登場する造化3神 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 高御産巣日神(たかみむすひのかみ) 神御産巣日神(かみむすひのかみ) 黄泉(よみ)の国から帰った伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が 海で禊(みそぎ)して生まれた三貴子の 天照大神(あまてらすおおみかみ) 月読命(つくよみのみこと) 素戔嗚尊(すさのおのみこと) などがあげられます 多神教には、特定の最高神は存在せず 祭儀の目的(福徳・病気平癒・長寿・悪霊退散・和合・祈雨など) にかなった神を最高神とするものもあります つまり、その場に適した神を、交替で最高神とする信仰で これを交替神教というそうです リグ・ヴェーダ時代のバラモン教はこれにあたるといいます 密教の「別尊曼荼羅」もこれに属する信仰と言えます また、多神教でも特定の一神をとりわけ強く信仰するもの 多神教と一神教の中間に位置するものもあるようです 一神教の成立については、多神教より発展したという説や 一神教こそ宗教の原初の形態で 多神教は一神教が退化して誕生したという説もあるようですが これらはほとんどかえりみられていません 最も支持されているのが 創唱者によって「創造」されたという説です 一神教にも、他の集団が崇拝する神を容認するが 自分たちは特定の神しか拝まないというものと 他の神は一切認めないという立場があり 古代イスラエルのヤーウェへの信仰は、前者だといいます なお「汎神論」(はんしんろん)というのがあります 「汎」は、ひろくゆきわたる の意味です これは「全てが神」とか「神が全て」 といったアニミズム的な思想です 但し「全てが神」と「神が全て」では全く違い 「全てが神」と言った場合 神は、全ての存在を形容する言葉にすぎなくなるので「無神論」 逆に「神が全て」というと 存在自体の否定となるので「無宇宙論」 とも呼ばれます アイヌ信仰 老荘思想 |
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