緋山酔恭「B級哲学仙境録」 文化論 Ⅷ 日本人の「根っこ」とは?



B級哲学仙境論


文 化 論


 




文化論 Ⅷ

日本人の「根っこ」とは?




文化とは、もちろん

郷土の自然(風土=気候や景観)に

人間が関わることにより

成立したものであることは言うまでもありません


郷土とは、故郷、ふるさとのことであり

世界から見た場合、我々日本人にとって

日本そのものが郷土と言えます



また、日本人固有の精神性や美意識が

形式化あるいは具現化されたモノやふるまいこそが

日本文化といえます




そこで、日本人固有の精神性や美意識といえば

誰しもまず思い浮かぶのが

簡素かつ古色を帯びたモノをめでる「侘びや寂」

また華やかではあるがどこか清楚で上品なさまの「雅」ですね




私の趣味とする「水石」「美石」という文化は

そうした日本人固有の精神性や美意識に通じる文化の代表です












なお、水石という文化自体は

古代中国の唐あたりに起源があり

日本には室町時代あたりに禅の文化といっしょに入ってきたとされます



しかし、日本で独自に発展してきました

中国では奇岩石が好まれますが

日本人は、遠山(山形)や土坡(どは・平野)など

穏やかなものをより好みます







また、中国の愛石家は

「長いものは屈して短くし、大きなものは削って約す」と

石を加工するのに少しもためらいがなかったとされるのに対し

日本では「作りたるは死体として用いざるなり」

として、全くの自然が好まれたとされます




これに対し、私がもう一つの趣味として収集している

「ホーロー看板」は

直接的には、「侘びや寂」「雅」という美意識の上に

成立したものではありません


しかしどことなく「日本」を感じさせてくれます




        
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それはなぜでしょうか?


1つには、「侘びや寂」「雅」といった美意識が

直接的ではなくても

エッセンスとして含まれているからだとは思いますが


それ以上に「歴史」というものを含んでいるからではないでしょうか?




≪ 文化とは、もちろん、郷土の自然(風土=気候や景観)に

人間が関わることにより

成立したものであることは言うまでもありません ≫

と書きましたが


郷土の自然を、郷土の環境と言い換えてみましょう


すると、江戸時代の町並、昭和の高度成長の街並などもそれにあたります


こうした環境のもとに、それぞれの時代の「文化」が成立します



しかも、それぞれの時代の「文化」は

つながりなくバラバラに成立するというのではなく

歴史的な階層構造の上にできていくのです



すなわち、文化とは、時代(歴史)とともに

古い文化の上に、新しい文化が積み上げられる形で

成立していくものなのです


それゆえ、精神性や美意識がエッセンスとして受け継がれていくのです






江戸時代の鎖国時代の文化と

昭和の高度成長期のホーロー看板という文化の間には

明治の文明開化、大正デモクラシー

昭和の敗戦などという歴史があります



こうした過去の時代(歴史)のもとに生まれた文化の上に

さらに新たな文化が、積み重なる形で成立していくので

つねに日本的な美意識(精神風土)が

エッセンスとして含まれていくのです




そして

1950年代(昭和25~)には、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が

「三種の神器」と呼ばれ


1960年代(昭和35~)には、カラーテレビ、クーラー、カー(車)が

「新三種の神器」と呼ばれた時代に至り


ホーロー看板という存在が広告の主役となって活躍したのです






ちなみに、ホーロー看板とは、金属板の看板に

ガラス質の釉(うわぐすり)をかけ

高熱で焼き付ける仕上げをするところに特徴があります



このため、とても耐久性があり

現在でも、歴史的な美術品として観賞できるものが

残ったわけです



民家の塀や壁、あるいは駅のベンチなど、街中の当たり前に掲げれ

明治・大正から、昭和中期にテレビが普及するまでは

このホーロー看板こそが、企業の商品宣伝の主役を担ってきたといいます


1975年(昭和50)頃から、徐々に姿を消していったといいます



ホーロー看板のような重厚なものをつくるのには

大変なコストがかかります


しかし当時は、商品の寿命が長く

企業は、長きにわたって国民に愛される商品をつくることに

主力を置いていたことも

ホーロー看板が、時代を担えた理由のようです







さて、ではなぜ「文化を守りましょう」

「文化を大切にしましょう」というのでしょか?



文化とは、我々日本人の「根っこである」

ということは、誰しもわかっています



とはいえ

例えば、仏教美術一つとっても

禅の枯山水と、密教の曼荼羅とでは、全く違います

とくに色彩的に全く異なります



文化とは、集団の価値観の総体(とりまとめたもの)であり

価値観を根拠としているので


好き嫌いが分かれて当然ですよね





水石とホーロー看板では

歴史的な違いがあって

どちらが文化として上で、どちらが下といった

優劣はつけられないはずですし


同様に、禅の文化と、密教の文化に対し

容易に上下なんてつけられません




しかし好みというのは出てきます


「いいと思わないものをなぜ大切にしなければならないのか?」

「先祖の遺産というだけで、なぜ大切にしなければならないのか?」

という疑問が起こるのは

ちょっとものごとを深く考える人なら当然ですし



私自身、禅の枯山水には「日本人の根っこ」は感じでも

原色を基調とした密教の曼荼羅には、あまり感じることはありません



そうなると

「日本人の根っこ」を感じないものを、なぜ大切にしなければならないの?

という疑問もおきます





そもそも『日本人としての根っこ』というのはなんなのでしょう?


日本アルプスなんかを1週間も縦走して

自宅にもどると、卵かけごはんに納豆が無性に食べたくなります


そして卵かけごはんに納豆を胃にかっこんだとき

「日本人に生まれてよかった!!」としみじみ感じるものです



このように、私たちには

僻地にいようと、海外で仕事をしようと

「日本人に生まれてよかった!!」

としみじみ感じる場所、あるいはモノやコトがあります

幸せを感じられる場所があります



その場所、あるいはモノやコトこそが

『日本人の根っこ』と言えるのではないでしょうか?




まず誰しも思い浮かぶのが

京都・奈良、あるいは鎌倉などの神社仏閣群

妻籠や馬篭、あるいは白川郷などといった家並みや家屋

さらに、姫路城などの城郭・・・

といったところでしょうか



なお、私自身、禅の枯山水には「日本人の根っこ」は感じでも

原色を基調とした密教の曼荼羅には、あまり感じることはありません

と書きましたが



京都・奈良の神社仏閣と一口に言っても

その美術は一様でなく

禅の枯山水もあれば

密教の曼荼羅もあります



じつはこうした混沌とした全体に

我々日本人は「日本人の根っこ」を感じ

日本という国に生まれてきた喜びを感じているわけです





そして文化が

歴史的な階層構造の上にできていくものであり

郷土の自然に、人間が関わることによって

成立しているものであるなら

その構造をたどっていくと

『日本人の根っこ』というのが

結局、日本の山河や四季そのものにあることも理解できるはずです




深田久弥は、著書「日本百名山」において


“富士山ほど一国を代表し

国民の精神的資産となった山はほかにないだろう (中略) 


万葉の昔から、われわれ日本人はどれほど豊かな情操を

富士によって養われてきたことであろう


もしこの山がなかったら

日本の歴史はもっと別の道を辿(たど)っていたかもしれない

全くこの小さな島国におどろくべきものが噴出したものである”


と述べています



 
 
南アルプス主峰 北岳(標高2位)より富士(標高1位)

手前は200名山 櫛形山(くしがたやま)
 




万葉集〔我が国最古の歌集。20巻。奈良時代末期の成立とされる

約350年間にわたる約4500首を収録

詠み人は、天皇や貴族はもちろんのこと、地方官や農民にまで至る〕

には、星を詠んだ詩がほとんどないそうです



これは日本が【山紫水明】(自然の風景が清浄で美しい)の国

【雪月花】(四季があり美しい)の国であるからだ

と考える人もいます



このため星に感心を示す必要がなかったから

とされているのです


国旗に星が描かれているのは

砂漠や草原などの自然環境の厳しい国が多いそうです






それから、「侘び寂」という概念自体は

室町時代から茶の湯や俳句の世界で重視された美意識のようですが


日本の伝統的な農村の景観と

清貧という精神性を母体として生まれたものでしょう



また、日本の自然のモノというのは

鳥でもスズメに象徴されるように派手さがありません



一方「雅」は、「宮ぶ」から出た言葉で

平安時代に京都を舞台として展開された

貴族文化の美意識の核心をなしたとされていますが


その原点は、満開の桜や、もみじの紅葉に代表される

日本の四季に通じています






こうしたことを総合的に考えると

水石と、ホーロー看板には歴史的な違いがあって

どちらが文化として上とか下とかないものの


侘びや寂という日本人固有の精神を具現化したものであること


盆栽同様に、小さな自然から大きな自然を思い浮かべるといった

日本人固有の美意識を反映していること


「天工の妙をめでる」という日本、さらに世界の文化の中でも

特異の美意識の表現であること


すなわち、日本人固有の心情、美意識のほとんど全てが備えわっていること


加えて、日本の国土、山河が、何億年?もかけて生み出した

宝そのものであるということ


から考えると

『日本人の根っこ』という意味においては

これ以上の文化を求めるとしたら

山河そのものしかありえないということになります





そして

こうした『根っこ』さえしっかりと認識できてさえいれば


宇治の平等院に象徴される浄土教の文化も

禅の枯山水も、密教美術も


また、初詣ばかりでなく、お盆やお彼岸

さらにクリスマスであろうと


日本的なエッセンスが加えられて成立した

日本の文化としてみていくことができるはずです



そうみていくと

日本の文化とは、じつに多様であって

奥行きのある文化であることが理解できます


このような面白い国というか、文化的に楽しめる国に

生まれてきた幸せを、しみじみと感じられるものです







最後に、もう1つ重要なこととして

個人的な『根っこ』と『文化』との関係について述べておきます


私の小学生時代の思い出に

「海賊紳士」というケロッグのおまけがあります


西友の地下などに母と買い物にいくたびに

このおまけ欲しさに、ケロッグをねだって買ってもらいました


「海賊紳士」は8種類ありましたが

おまけなので、そのうちどれが入っているのかは

開けてみないとわかりません


ずいぶん熱心に集めましたが

ついに1つは手に入れることはできませんでした




そんな思い出があって

数年前から、ヤフオクでコツコツ買っていき

8種類全部を集めました

ただ、いまだ全てを別の色で収集するには至ってはいません(笑)



このように

ケロッグのおまけなどといった子供に限定された文化にも

個人の歴史、根っこが、投影されていることもあり

情緒や情操といった人間性の構築に関係しているのです



 転写







雪国の文化



雪国の情景は

私たち日本人の情緒や情操

文化の形成に大きく関わってきました



知り合いの大学教授の方より

このような↓メールをいただきました



日本は世界一の豪雪国だそうで

これだけの人口がある豪雪地帯は他にないそうです


東京にいると実感しないと思いますが

旭川に住んでいたので分かります



普通、わざわざ豪雪地帯に、人は住まないのです

災害が少ないから人が集まるわけです



NYやワシントンDCで

大雪のニュースを見たことがあるかもしれませんが

実はどちらもめったに降らないのです

あんな大雪5~10年に一度とか


雪の多く降る地域って米国・カナダの一部くらいでしょうね




ヨーロッパは、メキシコ湾流(暖流)のおかげで雪は殆ど降らない

気温が高くて平地は雨になってしまう (アルプスは例外)


アフリカはそもそも対象外



アジアも降らないです


冬は偏西風が強いので

雪が降るためには西側で雨雲を作る海・湖が必要 なのですが

基本的に西側が陸です



南半球も雪が降る地域に陸地がない (南極大陸を除く)


山の上はともかく

平地で雪がコンスタントに降る場所なんて限られます





日本は国土(特に平地)が狭いから

豪雪地帯でも住まざるを得ないのですよ


面積的には日本全体の50%が豪雪地帯ですが

人口的には15%程度だそうです


だから、日本人も好き好んで

豪雪地帯に住んでいるわけではありません

(大都市が基本的に太平洋側に多いのはそういうこと)



歴史的に言えば、敵となりうる国は

日本海側にしかいないので (太平洋側はずっと海)

国土を守るためには

日本海側=豪雪地帯に人が住むしかなかった




もう少し古代から考えると

雪国に限らず日本は、災害が多いですが

食糧・食料的には、非常に恵まれた土地でもあります


水も豊富 こんな場所も稀です


だから、日本は、災害を受け入れても

住む価値の高い場所だったのではないでしょうか





日本が、雪国であっても

水や食糧・食料的に恵まれていたことによって

人が住み、そこに文化が育まれたということです





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