緋山「B級哲学仙境録」 仏教編 大乗仏教の本質・大乗非仏説と平田篤胤



B級哲学仙境論


仏 教 編


 




大乗仏教の本質




大乗の仏典は、およそ前1世紀から3世紀までに

小品般若経、大品般若経、金剛般若経、法華経、無量寿経、阿弥陀経

大般泥経(だいはつないおんきょう・大乗涅槃経の漢訳の1つ)などが


4世紀頃までに、般若心経、華厳経、大般涅槃経、勝鬘経(しょうまんきょう)

解深密経(げじんみっきょう)、楞伽経(りょうがきょう)などが


それ以降に、大般般若経、入楞伽経、金剛頂経

大日経などが成立したとされます



大乗仏教は

≪ 自分だけの悟りを求めることに明け暮れ

民衆への利他を忘れた小乗の僧団に対して

在家信徒たちの改革運動として誕生した ≫と言われていますが


近年の研究によって、小乗の教団は

きわめて早い時期から在家者のために

仏像や仏塔の供養にあたっていたことが分かってきたそうです


つまり、かなり世俗化していたことがあきらかになっています



大乗はむしろこうした世俗化を厳しく批判

、仏像や仏塔の崇拝に反対して

苦行や禁欲をかかげ、森林に居住した

小乗の僧たちによって誕生したととされます



つまり、大乗とは

阿蘭若(あらんにゃ・森林や原野。また庵など)での浄行と

そこより出て民衆へ利益(りやく)する利他行といった

両面の改革運動だったということになるわけです



そして彼らによって、大乗の経典というのは

創作されていくわけですか゜



そんな大乗も、大衆化されるに従い

「功徳」と「信」がめちゃくちゃ強調されていくのです





釈迦の教説というのは、およそこんなところです


苦は、執着することによって生じる


しかし、自分を含めたあらゆるモノやコトが

「空」である事実は


あらゆるモノやコトが一瞬一瞬変化をしていて

「実体」をもたないということである


財産も地位もさらには自分自身も

実体がない存在と知れば

それらに執着することは無意味である


実体がないのだから、欲求するに値しないのである

生死(しょうじ)させ同様である → 輪廻転生からの解脱





原始仏典=パーリ語経典で


悪魔が釈迦に

「子ある者は子について喜び

また牛(財産)のある者は牛について喜ぶ

人間の喜びは、執著するよりどころによって起こる

執著するよりどころのない人は、実に、喜ぶことがない」

と言ったのに対して


釈迦は

「子ある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う

人間の憂いは執著するよりどころによって起こる

実に、執著するよりどころのない人は、憂うることがない」

と答えています



それから


“[これはわがものである」また

「これは他人のものである」というような思いがなにも存在しない人

― かれは〈わがものという観念〉が存しないから

「われになし」といってかなしむことがない”



“人々は「わがものである」と執着した物のために悲しむ

自己の所有しているものは常住ではないからである

この世のものはただ変滅すべきものである”



“人が「これはわがものである」と考える物 ―

それはその人の死によって失われる

われに従う人は、賢明にこの理(ことわり)を知って

わがものという観念に屈してはならない”



“欲望をかなえたいと望み貪欲の生じた人が

もしも欲望をはたすことができなくなるならば

かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ

それゆえに、人はつねによく気をつけていて

もろもろの欲望を回避せよ。舟のたまり水を汲み出すように

それらの欲望を捨て去って、激しい流れを渡り

彼岸(悟りの境地)に到達せよ”



“なにものかをわがものであると執着して、動揺している人々を見よ

ひからびた流れの水の少ないところにいる魚のようなものである”



“「わたしには子がある。わたしには財がある」

と思って愚かな者は悩む

しかしすでに自己が自分のものではない

ましてどうして子が自分のものであろうか

どうして財が自分のものであろうか」”



“いかなる所有もなく、執着して取ることがないこと

これが洲(す・インドでは雨期に河が氾濫すると

人々は中洲に避難することから仏典では心のよりどころに譬える)

に他ならない

それをニルヴァーナ(涅槃。安らぎの悟りの境地)と呼ぶ

それは老衰と死との消滅である”


とあります


〔以上は、NHKブックス中村元・田辺祥二著「ブッダの人と思想」〕






人間というのは、存在の根拠を求めています

なぜなら、存在の根拠こそ、幸福の根源になるからです


存在の根拠は、人によってそれぞれです

仕事、家庭、趣味、宗教、思想、容姿・・・


「私は〇〇ラーメン店で麺打ちが一番早くできる」

「私は〇〇家の父である」

「私はこんな珍しいモノを持っている」

「私たちは神に選ばれた選民である」

「日本は神国」である・・・・



人によって

「救済原理」〔自己を成り立たせている根源的な論理〕

「存在の根拠」はさまざまですが

それによって自分という存在を成り立たせ


人生に生きる意味を与え

生きがいとアイデンティティーを得て

人はここに人としているのです






釈迦という人は

自分では「仏教」なんていう教えや

「教団」なんかつくって


それを、自分の根拠、救済原理 (=執着そのもの)

にしておきながら



人には、それはダメとか

あるいは、自分(釈迦)のそうした教説を

あなたの根拠、救済原理 にしていきなさい

などと教えて、信者をつくっていったのです



その意味ではめちゃくちゃというか

相当うさんくさい人間なのです(笑)



だいたい「お釈迦様」とか言って

≪私は釈迦を信奉している≫なんて公言している有識者で

執着のない人間などみたことないですよ(笑)






それはさておき

大乗仏教とは以下のようなものになったわけです



法華経の見宝塔品(けんほうとうぼん・第11品)には

「六難九易」(ろくなんくい)という6つの難しいことと

9つの易しいことが説かれています



易しいこととは

① 法華経以外の無数の経典を説くこと


② 須弥山(しゅみせん・

古代インドの世界観で宇宙の中心にあるとてつもなく大きな山)

をつかんで他の無数の仏国土になげること


③ 足の指で三千世界(銀河系規模の宇宙)を動かして

遠くの世界になげること


④ 天の頂に立って、法華経以外の経典を説くこと


⑤ 手に虚空をつかんで遊行すること


⑥ 大地を足の甲の上に置き天に昇ること


⑦ 枯れ草を背負って大火に入り焼けないこと


⑧ 八万四千の教えを説き、聴いた者に六神通

〔6つの神通力。変化が自在。遠近大小にかかわらず何でも見える

何でも聞こえる。他人の考えがわかる。人の過去世がわかる

一切の煩悩を断じる〕を得させること


⑨ 無量の衆生に声聞(しょうもん・仏弟子)の最高位

阿羅漢の位を得させ、六神通を得させること



どれも絶対に不可能なことですが、これらは易しいことなのです

これに対し、難しいことというのが、以下の6つです



釈迦滅後の悪世で

① 法華経を説くこと

② 法華経を書き、人に書かせること

③ しばらくの間でも法華経を読むこと

④ 1人のためにでも法華経を説くこと

⑤ 法華経を聴き、質問すること

⑥ 法華経を受け持つこと




釈迦の仏法とはあきらかに違うというより

全く別物なのです(笑)



大乗経典において、経典の受持、読誦

写経などによる功徳が強調されていくのです




法華経の随喜功徳品(ずいきくどくぼん・第18品)には

釈迦滅後に法華経を聞いて歓喜した人が

他の人に語り伝え

こうして次々に伝えていって


50番目に伝え聞いた人は

聞いた話の内容も、歓喜の心もだいぶ薄らいでいるが


それでも絶大な功徳があるという

「五十展転」(こじゅうてんでん)が説かれています



50番目の人は法華経を聞くという自行のみで

他者に語る化他行(けたぎょう)をなしていないが


それでもその功徳は

80年間、無数の人々にあらゆるものを供養し


また無数の人に阿羅漢

〔あらかん・声聞(仏弟子)の最高位。小乗教の聖者〕

の悟りを得させることの功徳よりも、百千万倍優れている


まして最初に法華経を聞いて歓喜した人の功徳は量り知れない


とあります




また同品には、法華経の説法の場に

他の人が来たとき

その人に座をすすめ、あるいは座をつめて

教えを聞かせようとしたとする


その功徳は、やがて帝釈天、梵天、あるいは

転輪聖王(てんりんじょうおう・理想の王)の座に

座ることができるとあります




大乗の経典というのは

甘い甘い蜜にみたされているのです(笑)





さらに


法華経の神力品(じんりきぼん・第21品)には


≪ 釈尊が天まで舌を伸ばした

釈尊の全身の毛穴から無数の光が放たれ十方世界を照らした

諸仏も舌を出し光を放った


釈尊と諸仏が舌をひっこめ咳払いをし

指をならして十方世界を震わせた


十方世界の衆生が

釈尊をはじめとする娑婆世界の仏を見て歓喜した


天から声がして

「今、娑婆世界で釈迦仏が菩薩のために法華経を説いている

あなたたちも釈迦仏を礼拝しなさい」と言った


もろもろの衆生が釈尊に合掌した


十方世界から華、香、宝物が娑婆世界に贈られ

これがたくさん集まって

十方世界の隔たりがなくなり1つの仏国土となった


諸仏の神通力はこのように無量無辺、不可思議であるが


この神通力をもって長大な時間を費やし

法華経を信仰し布教する功徳を説いても

その功徳は説き尽くせない ≫  とあります






つまり

大乗仏教というのは

さっきの


悪魔が釈迦に

「子ある者は子について喜び

また牛(財産)のある者は牛について喜ぶ

人間の喜びは、執著するよりどころによって起こる

執著するよりどころのない人は、実に、喜ぶことがない」

と言ったのに対して


釈迦は

「子ある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う

人間の憂いは執著するよりどころによって起こる

実に、執著するよりどころのない人は、憂うることがない」

と答えた



という話のうちの

悪魔の話の方から、発展しているのです(笑)




しかも、大乗仏教のたちの悪さは

信者が自分の「欲」

釈迦的に言うと「悪魔の欲求」を

≪他者の救済≫にすりかえること


さらにはそこに自分自身、気づかないこと

にあるのです







大乗の「空観」を確立した

竜樹(りゅうじゅ・150~250頃)の立場は

全ては空であり

因と縁の和合によって仮に生起したものであり

実体がなく、自性(固有の本質)を持たない

無自性である

というものです




●  竜 樹 (150~250頃)


サンスクリット名 ナーガールジュナ

インド大乗仏教2二大教派の1つ 」

中観派(ちゅうがんは・空の哲学の形成に努めた教派)の祖


大乗仏教では釈迦に次ぐ重要な人物

日本でも八宗(平安時代までの日本の全ての仏教宗派)の祖と呼ばれ

日本の諸宗は全て竜樹の影響を受けている




竜樹の無自性という立場は

日本の仏教のほとんどが

固有の本質として

仏性〔如来蔵(にょらいぞう)を認めるのに対して

如来蔵を認めず

如来蔵は衆生を修行に導く方便であるとしている

ということです



チベット仏教では、竜樹の空観を継承しています

中観派の「空」「無自性」を継承しています



チベット仏教において

「他空常堅」という如来蔵思想を唱えたチョナン派は

1642年のダライ・ラマ政権成立以後、邪教として禁圧されました



他空常堅とは、全ての存在の本質に如来蔵の存在を認め

その他の煩悩や汚れのみが空というものです


なお、チベット仏教の国であるモンゴルの最大の活仏が

チョナン派のジェプツンダンパ(聖尊者)です




如来蔵=仏性の存在を認めた仏教が邪教となると

日本の仏教は、全部、邪教ということになりますよ(笑)


確かに、全ての人が仏性を具えているという教えは

人々に理解されやすく

教勢拡大していく上でかなり有利なはずです




いいとか悪いとかいう話でなく


法華経が、信受するのは難しいなんていうものでなく

逆に、美味しい話がいっぱいだったから

今日まで受け継がれてきたわけです(笑)





法華経を唯一絶対の法とするのが日蓮です


見宝塔品(第11品)では

七宝(しっぽう)で飾られた地球規模の宝塔が大地から出現し


空中に浮かんで立ち、宝塔の中から

多宝如来が

「釈尊の語ったこと(つまり法華経)は全て真実である」

と説きますが


この宝塔について

弟子の阿仏房が、日蓮に質問しています



【 七宝・・・・ 金・銀・瑠璃(ラピスラズリ)・しゃこ(シャコ貝)・

瑪瑙(めのう)・真珠・枚瑰(まいえ・雲母の仲間)

また、仏典によって、珊瑚・琥珀・水晶を入る 】




これに対し

日蓮は、“今阿仏上人(しょうにん)の一身は地水火風空の五大なり

此の五大は題目の五字なり、然(しか)れば阿仏房さながら宝塔・

宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益(むやく)なり

聞(妙法を聞き学ぶこと)・信(妙法を信受すること)・戒(唱題すること)・

定(じょう・不動心)・進(しん・精進)・捨(しゃ・煩悩や我見を捨てること)

・慚(ざん・反省、謙虚な心)の七宝を以てかざりたる宝塔なり”

と述べています



つまり宝塔というのは

一切衆生の仏性=南無妙法蓮華経をあらわしている

という話であり


阿仏房がそのまま宝塔、宝塔がそのまま阿仏房なんですよ

という話です





自己に「仏性」があるという話から

こんな論理が導きだされるのです



【 自分に≪仏性≫という尊極の生命が

内在していることを確信した者は

同時に、他者も≪仏性≫をもつことを悟ることになる


そして、この事実を知らせて

≪迷いにある人≫ ≪苦悩する人≫を、励ましてあげたい

救ってあげたいという心がおこる


これが≪慈悲≫である


その具体的な行為が

≪折伏≫(しゃくぶく・日蓮仏法でいう布教活動)である


自分に仏界の命があることを確信した者は、すでに仏である 】





日蓮仏法最大の教派が創価学会です


創価学会のスローガンは

「宿命転換できる唯一の宗教」てす


名誉会長の池田大作氏は著書で


“譬えて言えば、仏界の涌現(ゆげん)は、太陽の出現を意味する

太陽が現れれば、天空に浮かぶ

無数の星の光はまたたくまに見えなくなる”


“なくなってしまえば、因果の道理に反してしまう

しかし、月の光がかき消されてしまうように

個々の業の報いに苦しまなくなる

つまり「常の因果」を否定するわけではない

まず基本として「常の因果」が存在する。それは仏法の前提です”

と述べています



簡単に訳すと

≪ 日蓮の曼荼羅本尊を拝し、南無妙法蓮華経と唱えることで

自己に具する仏界の生命(仏性)が顕現される


すると悪業による報い(宿命)が消えてしまう


これは、朝に太陽が昇ると

無数の星が消えてなくなるのと同じである


本当は昼間の空にも星々は存在するのだが

太陽の光で星が見えなくなるである


悪業の報いがなくなるというのでは

仏教の根幹である因果の法則に反するが

そうではない


悪業の報いが消滅したのではなく

仏界(仏性)の力で、消えたようになるのである ≫


といったところです



正しいとか、間違えとかいう話でなく

大乗仏教というのは


美味しい、美味しいもの

甘い、甘いものなのです(笑)








大乗非仏説と平田篤胤



法華経という経典は

釈迦が没してから500年も後に誕生した初期大乗経です


法華経は、釈迦を教主として

つまり釈迦が教えを語る形式で書かれていますが

実際に釈迦がした説法の記録ではありません


法華経という経典はのちの作者によってつくられたものです




日蓮信者の多くは

「釈迦当時は、紙が大変貴重で

釈迦の教えは口伝(くでん)により語り継がれてきた

それが後になって、法華経という経典になった」などと語ります


つまりそう信じ込まされているのです




しかし、釈迦の入滅の年に

阿闍世(あじゃせ)王の外護のもと

マカダ国王舎城付近の畢波羅窟(ひっぱらくつ)で

摩訶迦葉(まかかしょう)を中心に第一回仏典結集が行われています



伝言ゲームで明らかなように、極めて単純な言葉さえ

10人に伝わるころには全く違ったものとなっていることが多いのに

500年も語り継がれて経典になったなどという話は、めちゃくちゃですよ(笑)




但し、釈迦の残した言葉は、没後すぐに結集され

経典としてまとめられてはいますが


弟子たちにこれを書写する風習はなく

口承によって伝えていったというのは事実のようです



紀元前後のインドで成立した般若経や法華経などの大乗経典には

経典の受持、読誦とともに書写の功徳が強調されていることから

この頃から、写経が盛んにおこなわれるようになったと考えられています




また、インドに「紙」が伝わったのは

イスラム教徒の侵入(8世紀頃より始まったとされる)によるとされ


それまでは、椰子などの植物の葉を加工した

「貝葉」〔ばいよう・貝多羅葉の略

貝多羅葉の名は、材料に ターラ(多羅)=オオギヤシが多く用いられたことから〕

に、竹の筆で書写していたそうです






大乗仏教は、釈迦の直説(じきせつ)ではなく

釈迦にかこつけて書かれたもので

釈迦の思想とは全く別な思想なのではないのか?


という「大乗非仏説」は

すでにインドや中国にありましたが


日本では、全ての経典を

釈迦の直説として認めた上で


「教相判釈」(きょうそうはんじゃく・

自派のよりどころとする経典の正当性を主張し

最高のものと論じるための判定)によって


序列化されたた中国仏教が伝えられたため

このような批判は長きにわたって起こりませんでした




江戸中期になってようやく

富永仲基(なかもと・1715~46)という儒学者が


「出定後語」〔しゅっじょうごご・2巻。1745年刊

出定とは禅定を終えることで、富永は仏教を離れて

客観的な立場から批判するという意味に用いている〕

を著して


仏教の思想を成立史的に論じ

大乗仏教の「加上説」

〔釈迦本来の教説に様々な要素が加えられたという説〕

を唱えました




富永の説が世に出ると、仏教に批判的であった思想家たちが

富永の加上説を根拠とし、激しく仏教を攻撃してきたといいます



とりわけ有名なのが

復古神道(ふっこしんとう)の

平田篤胤(あつたね・1776~1843。江戸後期の人)です




国学というのは、記紀(古事記・日本書紀)や

万葉集・古今和歌集などの古典の研究にもとづき


仏教や儒教が渡来した以前の

日本固有の文化や精神を明らかにしようとする学問です




和歌なんて、理念的に研究してなんの意味があるの?

という感じですが


例えば、古今和歌集

〔平安時代初期に成立した

わが国初の勅撰(勅命により編集)和歌集。20巻。1111首〕の場合


成立後100年以上もたつと、歌の本文や解釈について

各人各派の注釈が行われるようになり


室町時代中期になると、難解な歌や語句などの解釈が

歌道や神道その他で、密教のように師から弟子へ

秘伝として受け継がれる≪古今伝授≫が誕生し

堺・奈良・二条の各流派が成立しています




国学は、江戸中期から後期の「国学の四大人(しうし)」と呼ばれる

荷田春満(かだのあずままろ)、賀茂真淵(かものまぶち)

本居宣長(もとおりのりなが)、平田篤胤(ひらたあつたね)

また彼等のその門流によって確立されたとされます



なお、真淵は春満の、宣長は真淵の直接の弟子であり

篤胤は宣長没後の門人です



復古神道も彼らによって提唱された神道です


内容は、外来の仏教や儒教と融合してきた

これまでの神道を批判し


仏教や儒教を排除して、国学に神道の理念をもとめたもので


天皇中心と、神道第一主義を根本とする神道です


復古神道の復古とは

天照大神(あまてらすおおみかみ)の時代に帰れ

という意味です





平田は富永の「出定後語」をうけて

江戸末期の仏教界を震え上がらせる


「出定笑語」〔しゅっじょうしょうご・本文3巻と

付録の「神敵二宗論」3巻からなる

1811年の講演を門人が筆録。13年頃成立〕

を刊行しています



内容は、仏教、儒教、さらにそれらと結びついた神道を邪教とし

復古神道を唯一の正道と主張し

インドの地理、風俗、文化にもふれ

日本、天皇、神道が最高であるとしているといいます



神敵二宗とは、日蓮宗と浄土真宗です

この2つは、神社不参拝論を主張しているからです



日蓮系は、日蓮が「日本の神々は仏教に帰依して善神になったが

日本では正法(法華経)を信じず、念仏、禅、真言などを信じて

謗法(ほうぼう・正法をそしる)の国になってしまったため


神々は日本を捨てて天上界に帰ってしまった

〔これを神天上(かみてんじょう)の法門という〕


逆に神社には悪鬼魔神が入り込んでしまった

と立正安国論などで述べていることから

神社の参拝を否定しています




平田は、法華経に対して

「同じ大乗といっても他の経よりいっこうに味わうものがなく

ただただ滅法 大ばなしばかりで その訳(わけ)を説かない

この二十八品はただがさばるだけ」

「能書きばかりで肝心の丸薬(がんやく)がない」

などと述べていいます



富永も研究の結果

「法華経は終始、仏を讃歎するばかりで教説としての実がない」

と結論づけています




一方、浄土真宗は

本願寺三世の覚如の長男 存覚(ぞんかく)が

「仏法とは念仏であり、念仏さえ唱えていれば神々は

お喜びになるので他に神を祈願する必要がない」と

「諸神本懐論」(2巻。1324年)で述べたことから

神社不参拝となったのです



ちなみに、存覚は本書で、神道を優位とする反本地垂迹説

(神道の清浄を本地、仏の慈悲を垂迹とみなした。鎌倉中期以降に成立)

に対し


清浄の身であっても心が邪見にとらわれていたら、神から受け入れられない

これに対し、不浄の身であっても、心に慈悲があったら神に守護されると述べ

慈悲の優位を主張したといいます






なお、平田篤胤は、秋田藩士の四男として生まれ

20歳のときに脱藩。江戸に出て、職業を転じながら苦学し

備中(びっちゅう・岡山県)松山藩士の平田家の養子となり

独学によって国学者として自立したといいます


宣長の著書に感化され、夢の中で

すでに没していた宣長に門人としての認可を受けたと主張しています


さらに伊勢松坂の宣長の長男 本居春庭〔はるにわ・

動詞に関しての書を著し、国語学史上に名を残している〕

のもとに入門しています




平田自身、宣長の神道論の後継者を主張しましたし

≪平田こそが宣長の神道論の後継者である≫

と一般に思われていますが


「古事記伝」(44巻・古事記の注釈書。30年を費やして完成)を著し

古事記の神話の世界を事実と考え

これを実証することに力を注いだ宣長と


平田の思想には大きな違いがあります




平田の著書「霊能真柱」(たまのみはしら)では

天、地、黄泉(よみ)からなる宇宙の成り立ちを説き


人間は宣長がいうように、死後、黄泉の国には行かず

大国主命(おおくにぬしのみこと)がいる幽冥(ゆうみょう)に行くと述べ

死後の安心を説きますが

これは宣長の弟子たちに批判を受けたといいます。



さらに幽界に行ったという少年や

別人に生まれ変わったと語る者の話を研究し


「仙境異聞」

〔別名 寅吉物語。神かくしにより行方不明となり

仙界で暮らしたという少年寅吉と出会い、彼の体験を記録したもの〕や

「勝五郎再生記聞」などを著しています



このように平田は

宇宙の成り立ち、幽界思想、因果応報説などを取り入れ

国学をいちじるしく、宗教じみたものにさせていったわけです



幕府は精力的な平田の活動を警戒し

江戸退去と著述の禁止を決定しています


幕命をうけた秋田藩が国元に帰国させたといいます







なお、大乗非仏説に対する反論として

最も一般的なのは


もし「仏説」を「釈尊の直説」というのであれば

最も古いとされているパーリ語経典(原始仏典)にしても

釈尊滅後200年頃までに逐次成立したと推定されている


釈迦の死後20部派に分裂した

各アビダルマ教団(小乗仏教教団)の手によって

五部のニカーヤ〔パーリ経典群・その漢訳が「阿含(あごん)経典群」〕

に編纂されている


そこにはブツダの言葉が多く収録されてはいるものの

多くは各部派教団独自の解釈が持ち込まれたため

そのままブツダの言葉の記録とすることはできない



つまり、原始仏典でさえ

釈迦の直説かどうかなんてあやしいという話です



それから、釈迦の直説がどうかで経典の優劣をつけるなんておかしい

経典の優劣は、内容によって、勝劣をつけるべきだ

という反論もみられます








神天上



日蓮仏法には「神天上(かみてんじょう)」

という法門があります


日本の神々は仏教に帰依して善神になったが

人々は正法(法華経)を信じず


念仏、禅、真言などを信じて

謗法(ほうぼう・正法=法華経、日蓮の法をそしる)

の国になってしまったため


神々は日本を捨てて天上界に帰ってしまった

逆に神社には悪鬼魔神が入り込んでしまった


という教えで、神社信仰の否定です




日蓮の御書には


“世皆正に背き人悉(ことごと)く悪に帰す

故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還(かえ)りたまわず

是れを以て魔来たり鬼来たり災起こり難起こる” (立正安国論)



此の国は謗法の土なれば守護の善神は

法味を飢へて社(やしろ)をすて天に上り給(たま)へば

社には悪鬼入りかはりて多くの人を導く” (新池御書)




また“法華を謗する者は三世(過去・現在・未来)諸仏の大怨敵なり

天照太神(てんしょうだいじん)

八幡大菩薩等・此の国を放ち給う故・大蒙古国より牒状来るか”



“禅宗と申す大邪法・念仏宗と申す小邪法・真言と申す大悪法

此の悪宗鼻をならべて一国にさかんになり

天照太神は魂をうしなって氏子をまほらず(守らず)

八幡大菩薩は威力よはく(弱く)して

国を守護せず・結局は他国(蒙古)の物とならむとす”


とあります





一方、浄土真宗は

本願寺三世の覚如の長男 存覚(ぞんかく)が

「仏法とは念仏であり、念仏さえ唱えていれば神々はお喜びになるので

他に神を祈願する必要がない」と


「諸神本懐論」(2巻。1324年)で述べたことから

神社不参拝となりました



【 存覚・・・・ 1290~1373・鎌倉から南北朝期の人

多くの著述を残した知識僧であるが

教学や教化の方法をめぐって父の覚如と対立し義絶

一度は許されるが再び義絶

独自に活動し大和、摂津、河内を教化し門徒の支持をあつめた 】





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