緋山酔恭「B級哲学仙境録」 神とはなにか? 仏教の神とは??編



B級哲学仙境論


神とはなにか?編


 




神とはなにか?

仏教の神とは??編




仏教の神



釈迦は、すべてが直接的な原因である「因」と

間接的な助因である「縁」が因縁和合して起きる

それにより森羅万象すべてが関係し

世界が成り立っているという「縁起説」を立てています



この立場から

創造神や、唯一絶対神のような存在は否定され

バラモン教の神々(天人)を

ブッタ(仏)、すなわち「覚者」より下の存在に起きました



そのようなことから、仏教の神とは

真理(悟り)を求める修行者を守る

「宇宙自然の働き」とみるべきでしょう




また、釈迦は、幸・不幸の原因を、自己に内在する

「因果の法則」にもとめる自分の教えを「内道」(ないどう)と呼びました


仏教のことです


これに対して、幸・不幸の原因を

神や先祖といった自分の外の存在に求め

それらに救いを求める教えを「外道」(げどう)と呼んで区別したのです




つまり、自己=主体が

宇宙自然の働き(神)を動かしていく

諸天の神々を働かせていく

という思考が、仏教的と言えます



例えば、船旅をしたときに、天候に恵まれ

風がおだやかで、船室も満足するものであり

楽しい話し相手もできたとします


するとこれら全てが神の働き

諸天善神の働き

とみるのが仏教的思考と言えます




原始仏典のなかでも

釈迦の直説(じきせつ)に最も近いと言われる

ダンマパダとスッタニパータにこのようにあります


"自己に打ち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている

つねに行ないをつつしみ、自己をととのえている人

― このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは

神もガンダルヴァ(天の伎楽神)も

悪魔も、梵天もなすことができない" (ダンマパダ) 



"御者が馬をよく馴(な)らしたように、おのが感官を静め

高ぶりを捨て、汚(けが)れのなくなった人

― このような境地にある人を神々でさえも羨(うらや)む" (ダンマパダ)



"神々ならびに世人は、非我なるものを我と思いなし

〈名称と形態〉(個体)に執着している

「これこそ真理である」と考えている" (スッタニパータ)





悟りを開いた釈迦は

自分の悟った法(真理)が深遠かつ難解であり

所有欲と我執のる世界に生きる人々には

とても理解されないと考えました


「わたくしのさとったこの真理は深遠で

見がたく、難解であり、しずまり、絶妙であり

思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである」


「もしも他の人々がわたくしのいうことを理解してくれなければ

わたくしには疲労が残るだけだ。わたくしには憂慮があるだけだ」


「苦労してわたくしが得たことを、いま説く必要があろうか

貪(むさぼ)りと憎しみにとりつかれた人々が

この真理をさとることは容易ではない

これは世の流れに逆らい、微妙であり、深遠で見がたく、微細であるから

欲を貪り闇黒(あんこく)に覆われた人々は見ることができないのだ」と



そこへ梵天が登場し、しきりに伝道をすすめます

有名な「梵天勧請」(ぼんてんかんじょう)です


「ああ、この世は滅びる。ああ、この世は破滅する

じつに修行を完成させた人・尊敬されるべき人・正しくさとった人の心が

何もしたくないという気持ちに傾いて、説法しようとは思わないのだ!」


「尊い方 ! 尊師は教え(真理)をお説きください

幸ある人は教えをお説きください

この世には生まれつき汚れの少ない人々がおります

かれらは教えを聞かねば退歩しますが

(聞けば)真理をさとる者となりましょう」



これに対して釈迦は、蓮華が泥水に生育しつつ

水中から伸びた花茎に花をつけるさま

〔汚れの多い世俗世間にあって、世間の汚泥に染まらないたとえ〕

を観想し、伝道を決意する言葉を述べます


それが「耳ある者どもに不死(甘露)の門は開かれた」です




なお、釈迦のいう「不死」とは

全てが「空」(変化してやまない)ゆえ

ものごとには実体がない→ 執着しても意味がない

自己にも実体がない→ 自己への執着をなくせば死も消滅する

ということになります


“いかなる所有もなく、執着して取ることがないこと

これが洲(す・インドでは雨期に河が氾濫すると

人々は中洲に避難することから、仏典では心のよりどころに譬える)

に他ならない

それをニルヴァーナ(涅槃。安らぎの悟りの境地)と呼ぶ

それは老衰と死との消滅である”



“つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って

世界を空なりと観ぜよ

そうすれば死を乗り越えることができるだろう

このように世界を観ずる人を死の王は見ることができない”



“世の中はうたかたのごとしと見よ

世の中はかげろうのごとし見よ

世の中をこのように観じる人は、死王もかれを見ることがない”



“このようにすべてのものは無常であると観じたならば

もはやこの世に生を受けることはない”



“慈しみの心づかいをしっかり保て

この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ

もろもろの邪(よこしま)な見解にとらわれず、戒を保ち

見るはたらきをそなえて

もろもろの欲望に関する貪(むさぼ)りを除いた人は

決して再び母胎に宿ることがないであろう (輪廻転生することがない)”


〔NHKブックス 中村元・田辺祥二著「ブッダの人と思想」〕





釈迦のこうした考えは、中国、朝鮮、日本に至り

「大乗仏教」では「十界論」が誕生しています


「十界論」とは、自己のなかに10種の命があるというものです



低い方から6つは

地獄(苦しみ、怒りの最低な命) 餓鬼(むさぼり) 畜生(おろか)

修羅(嫉妬・傲慢) 人(平らかな気持ちを持てる命) 天(喜びの命) です



一般の衆生(人間)はふだんは

この6つの命が

環境にふれて(縁にふれて)

現れ消え、現れ消えしているといいます


こを≪六道輪廻≫と言います



このように、縁にふれて色々な命が現れ消えしていますが

もどる場所に違いがあります


ふだんあるところの命が、その人の「境涯」ということです




そして仏教とはつまるところ

六道輪廻、つまり「縁(環境)にふりまわされている自己」から

「主体的な自己」を目指す教えと言えるでしょう



主体的な自己とは

声聞(しょうもん・仏教を学び無常すなわち空を悟った境涯)

縁覚(えんがく・仏教以外、たとえば自然の摂理などから空を悟った境涯)

菩薩(利他の境涯)

仏(智慧と慈悲の最高の境涯) です


「空」(くう)とは、全てが一瞬変化している 変化してやまない

全ては、無常であるということです




十界論は、大乗仏教の立場から立てられたものなので

小乗教の聖者である「声聞」と

声聞と同列の仏教以外の聖者の「縁覚」とが

「菩薩」の下に置かれていますが


おもしろいのは、天人=神 が、縁覚・声聞の下に置かれている

ということです


天は、六道という迷いの世界にあるのです




仏教誕生時には、バラモン教の神々が

梵天、帝釈天などとして取り込まれました


また、民間信仰的な色彩が強かった竜や夜叉も取り込まれています



前1世紀~後2世紀の大乗仏教成立期には

ヒンズー教の神々やイランの神々が


阿弥陀如来

観音菩薩〔千手観音や十一面観音などの変化(へんげ)観音は

ヒンズー教の多面多臂の神像の影響をうけ7世紀頃に成立〕

弥勒菩薩などとして仏教に取り込まれたとされます



密教(純密)が成立したのは7世紀半ばから末ですが

このとき、さらにヒンズー教の神々が仏教に取り込まれています


ヒンズー教の最高神のシバとヴィシュヌは

それぞれ大自在天と

那羅延天(ならえんてん)として取り込まれ


他に大黒天、荼吉尼天(だきにてん)などが取り込まれました



また、不動、降三世(ごうさんぜ)、愛染などの明王が

ヒンズー教の影響のもとに誕生しています



【 明王は、密教特有の尊格で真言や陀羅尼から発生したとされる

明王の明とは明呪、真言、陀羅尼のことで霊的な力を意味し

この力に優れた者が明王


大日如来の命をうけ、また密教の五仏の分身として

忿怒(ふんぬ)の姿で教化しがたい衆生を畏怖させて従わせ

諸悪を退治する


母のように衆生を教化する菩薩に従わない者を

父のように威怒(いぬ)して教化する


ヒンズー教の諸尊のように多面多臂(ためんたひ)の忿怒相が多い 】





仏教の神は、諸天善神と総称されます


大梵天王、帝釈天王


四天王〔毘沙門天王(別名 多聞天王)・

持国天王・増長天王・広目天王〕


弁財(弁才)天女、吉祥天女


三光天子〔日天子、月天子

明星天子(星の代表として金星を神格化したもの)〕


密教の神である不動明王、愛染明王など



さらにこれらの眷属(家来)である

夜叉、羅刹(らせつ)、阿修羅、竜などや


法華経で行者を守護することを誓った

鬼子母神(凶暴で人の子を食う鬼女)らを含めて

諸天善神とみなすこともできます







仏教における「神」の世界



古代インドの世界観においては


世界の中心に

須弥山〔梵語のスメールの音写〕という巨大な山

地球規模の大きさの山が存在しています


中腹の東西南北に毘沙門天王などの四天王が住む四王天があり

日月諸星がめぐっています (一種の天動説)


頂上には、帝釈天王が住む忉利(とうり)天

〔 帝釈天王が住む喜見城(善見城)のある帝釈天を中心に

四方に8天あり33天からなるので三十三天ともいう 〕

があるとされます




この古代インド以来の説に

仏教ではさらに上空に

夜摩(やま)天

兜率天〔とそつてん・弥勒菩薩が住み天人たちに説法している〕

化楽(けらく)天

他化自在天(たけじざいてん・第六天の魔王が住む)

を置き

四王天と忉利(とうり)天とともに「六欲天」としました



さらにその上空に

色界の18天〔初禅天(3天)、二禅天(3天)、三禅天(3天)

四禅天(9天)からなる。初禅天の第3天の主が梵天王〕


無色界の4天を置いています





仏教のおもしろさは、こうした宇宙観に

人間の境涯や境地を結びつけているところにあります


とりわけ 神々=天人 の住む世界を

修行者の修行段階の精神状態、境涯と結んでいます



天界(喜びの世界)には、低い方から

欲天の6天、色界の18天、無色界の4天があり

それぞれにそれぞれの喜びがあるとされています



欲天とは生存欲、本能的欲求、社会的欲求

物質的欲求が充たされている状態



色界は、欲望の支配から離れた喜びではあるが

まだ物質的な制約を残す喜びです


スポーツに熱中していたり

踊りに興じているときなどに感じる喜びと言えます



無色界は、物質を超越した純粋な精神的な喜びで

物事を調べたり、思索したり

真理を発見したときなどの喜びを言います




欲天の最高天〔第六天・他化自在天(たけじざいてん)〕

には、第六天の魔王が住んでいます


第六天の魔王は、他化自在天王とも呼ぶように

自分以外の全ての者を自らの手段として用いることに

喜びを感じる命の傾向性だといいます





色界の18天は、大きく初禅天(3天)、二禅天(3天)、三禅天(3天)

四禅天(9天)に分けられています


初禅天の3天は、梵衆天、梵輔(ぼんほ)天、大梵天であり

この大梵天に大梵天王が住みます


この大梵天王が我々の住む娑婆(しゃば)世界の王ともされています




また俗に、喜びに夢中となり我を忘れるさま

喜びの絶頂を「有頂天」(うちょうてん)と言いますが

これは仏教からきた言葉です


仏教の有頂天には2つあります

1つは色界の最高天である色究竟天(しきくっきょうてん)


もう1つは無色界の最高天である

非想非非想天(ひそうひひそうてん)です



非想とは思わないこと

思わないことは思わないことを思うことであるから

さらにこれを否定して非非想としています


有想、無想を離れた凡智では理解しがたい境地とされています






さらに仏教においては色界、無色界の境地を

禅定(坐禅)における境地

(瞑想が深まっていく状態)で説明することもなされています


色界の喜びを得られる禅の段階を「四禅」といいいます



このうち初禅は欲望から離れる喜び (離生喜楽)


二禅は禅定から生じる喜び (定生喜楽)


三禅は通常の喜びを超越した不思議な喜び (離喜妙楽)


四禅は苦楽を超越した境地 (非苦非楽) です


禅定に入ると初禅から四禅へと次第に深まっていくとされます



初禅の段階では、最初に尋(じん)があり次ぎに伺(し)があり

この奥に喜と楽があるとされます



はじめて禅定を行う者には心のゆらぎが生じる

これを静めようとするとよけいに心がゆらぐが

このゆらぎが尋、伺とされます


また楽は喜より奥にあるといいます



二禅では尋と伺は消滅し喜、楽のみとなり

三禅では楽のみとなるとされます


四禅では何もない捨念清浄(しゃねんしょうじょう)

という状態に至るといいます





無色界の喜びを得られる段階の禅を

四無色定(しむしきじょう)といいます


空無辺処(くうむへんしょ)は

物質的束縛から解放され

意識が無限の広がりを持つ虚空で満たされた境地



識無辺処(しきむへんしょ)は

虚空の無限さがそのまま意識の無限さであることを知る境地



無所有処(むしょうしょ)は

所有するものが、なにも無い境地



非想非非想処(ひそうひひそうしょ)は

思うのでも思わないでもない境地

有無を超えて、無いことさえ無い境地 といいます




四無色定は、禅定の最高段階とされますが

釈迦はこれを超えて

涅槃(煩悩の火の消えた安らぎの境地。悟りの境地)

に到達したともされます





釈迦は、出家後、苦行に入る前に

アーラーラ・カーラーマという師について禅定を習い

師と同じ無所有処に達したといいます



しかし満足できず

次にウッダカ・ラーマプッタという師について禅定を学び

非想非非想処に達したといいます



釈迦は、この非想非非想処という

禅定の最高の境地においても

「まだ悟りを得ていない」として、長い苦行に入っていきます





釈迦は苦行を

12年間(7年また6年などの説も)修行したといいます



当時のインドでは

断食、火の中へ身を投じる、高い岩より飛び降りる

灰やいばらや悪草や家畜の糞などの上につねに臥している


呼吸を止める、髪や爪を切らない

片手や片足をあげたままでいる

などの苦行がなされていたといいます



苦行の目的は、神を喜ばせ、願望をかなえる

神通力を得る

霊魂(アートマン)を喜ばせ

罪やけがれをまぬがれ、死後に天界に生じる


苦楽は過去世の因によって定まっているから

現世で早く苦を終わらせれば死後は楽を得られる

などといったことのようです


釈迦の苦行は主に断食であったと考えられています




結局、苦行によっても、根本的な苦を離れて

悟りに至ることはないと知った釈迦は、苦行林を出ます



やせ衰えた釈迦の姿をみて

村の少女 スジャータは、乳粥(にゅうしょく)を捧げます


釈迦は、苦行の禁を犯してこれを食し、体力を回復させます



そして、近くの菩提樹の下に坐して瞑想に入り


「中道」〔苦行主義にも快楽主義にも偏らない道

極端に偏る=執着➝ 苦を生む〕


「空」〔全てが変化してやまない 一瞬一瞬変化している➝

それゆえ実体がない➝ ゆえに執着する意味もなく➝

執着が消えれる➝ 苦はなくなる〕


「縁起」〔全てが因と縁によって生起している〕


といった

≪悟り≫を得て「仏」(ブッダ)になったとされます






なお、仏教の世界観を付け加えておくと


須弥山をはじめ世界は、海に浮かんでいて

須弥山の周りをリングの形の山がぐるっと囲みます


このリング状の山を金山(こんせん)といいます


この金山をさらに大きな金山が囲み

またその金山をより大きな金山が囲み

金山は合計7つあります



須弥山と最初の金山の間の海を香水海といい

七金山の金山と金山の間にある6つの海をあわせて

七香海といいます



最後の金山と世界の果ての鉄囲山

〔てっちせん・鉄輪囲山(てつりんちせん)

世界ぐるっとを囲んでいるリング形の山〕

との間には、鹹海(かんかい)があります



須弥山と7つの金山と鉄囲山をあわせて9山

各山の間の海をあわせて8海といいます



鹹海は、外海です

外海の四方(東西南北)には

それぞれ、弗婆提(ほつばだい)、倶耶尼(くやに)

閻浮提(えんぶだい)、鬱単越(うつたんのつ)という

4つの大陸(洲(しま))が浮かびます



このうちの1つ南の閻浮提に、我々人間が住むとされます


閻浮提はもともとインドを想定したものですが

今では全世界を意味する言葉となっています



地下に地獄や餓鬼が住みます


畜生の衆生は、大海を本拠とし、他の衆生の諸国土にも住むそうです


修羅(阿修羅)の衆生は

須弥山の麓と須弥山の周囲の海を本拠とし、諸国土にもいます

また忉利天と四王天の神々と闘争を繰り広げています




海の下(地下)は金輪(こんりん)で

金輪の下が水輪で、水輪の下が風輪です


金輪は金でできている大地で、金輪と水輪の境目が「金輪際」です


「あいつとは金輪際、口聞かない」というように

「どこまでも」の意味で使われていますが

もともとの意味は「底の底」です



またバラモン教の聖典 ヴェーダの ウパニシャッドでは

風輪より下に虚空(空輪)を置き


空輪を万物の根源である

「梵」(ブラフマン)と考えたといいます




転 写



 転 写



なお、夜摩(やま)天の「夜摩」とは「閻魔」のことです


閻魔大王は、道士(道教の僧)の服を着て

学位をとった人が被(かぶ)るような四角い帽子を被っていますが

仏教起源の神です



本来は、閻魔は、バラモン教の聖典 ヴェーダの最古層である

リグ・ヴェーダでは、最初の人間 ヤマだったとされ


ヤマは、太陽神 ビバスバッドの子で

人類の祖 マヌ〔旧約聖書のノアの箱船のノアにあたる人〕

とは兄弟だといいます



双生の妹(妃とも) ヤミーとともに

他界に入り冥界への道を発見し

人類最初の死者となり、冥界の主になったとされます



ヤマは天上界の最高天の楽園に住む

とされていたことから

冥界=地獄という現在のイメージとは違い、天国にあたります




このヤマが、後に

死者の生前の行為に応じて賞罰を与える恐ろしい神

地獄の主神となったそうです


黄色い衣服を着て、冠を頂き

死者の霊魂を捕縄(ほじょう)でしばって

自分の国へ連行し、裁くとされていったわけです



こうした死者の裁判官としてのヤマが

閻魔として仏教に入り、地蔵菩薩の化身とされたりしたといいます




さらに中国に入り、道教の影響を受け

十王(道教や仏教で、地獄において

亡者の審判を行う10尊。裁判官的な尊格)の1つとして

信仰されるようになったとされます



夜摩天は、ヤマの楽園が仏教に入ったものとされます

ちなみにこの天の主は、牟修楼陀(むしゅるだ)という

聞いたことのない名の神で

この天に住む衆生は、人間の200年を

1日として2千年の寿命をもつと持つとされます







欲天の最高天〔第六天・他化自在天(たけじざいてん)〕

には、第六天の魔王が住んでいます


第六天の魔王は、他化自在天王とも呼ぶように

自分以外の全ての者を自らの手段として用いることに

喜びを感じる命の傾向性だといいます




日蓮の御書にこうあります


“設い末代の凡夫・一代聖教の御心をさとり・

摩訶止観(まかしかん)と申す大事の御文の心を心えて

仏になるべきになり候いぬれば・


第六天の魔王・此の事を見て驚きて云く

あらあさましや此の者此の国に跡(あと)を止(とどむる)

ならば・かれが我が身の生死をいづるかは・さてをきぬ・

又人を導くべし、又此の国土ををさ(押)へとり(取)て我が土を浄土となす


いかんがせんとて欲・色・無色の

三界の一切の眷属(けんぞく)をもよ(催)し仰せ下して云く

各各ののうのう(能能)に随つて・かの行者をなや(悩)ましてみよ・

それに・かなわすば・

かれが弟子だんな並に国土の人の心の内に入りかわりて・

あるいはいさ(諫)め或はをど(威)してみよ・


それに叶はずは我みづから・うちくだりて国主の身心に入りかわりて・

をどして見むに・いかでか・とど(止)めざるべきとせんぎ(僉議)し候なり”



〔 たとえ末法時代の凡夫が、釈尊の説いた全ての経典の真意を悟り

天台大師の著した摩訶止観という重要な書の心を会得したとして

まさに仏になろうとすると


第六天の魔王はこれを見て驚き

「ああ、とんでもないことだ。この者がこの国にいたならば

彼自身が生死の迷いを出るだけでない

それならばまだしも、他人をも導くであろう

またこの国土を押さえ取って

我が領土を浄土(仏国土)に変えてしまうであろう

どうすればよいか」と言って


欲界・色界・無色界の三界(さんがい・六道輪廻の世界)

の一切の家来を召集し

次のように命令を下す


「各自の能力にしたがって、あの法華経の行者を悩ましてみよ

それでもダメなら、行者の弟子や檀那、民衆の心の中に入り込み

いさめたり脅したりしてみよ」と


それでもダメならば我(魔王)自ら降臨し

国主(権力者)の身心に入り込んで、脅してみよう

そうすれば法華経の行者の活動をとめられないはずはない

と評議するのである 〕




また、女性の信徒に対してこう述べています


“第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして

法華経の行者と生死海の海中にして

同居穢土(どうこえど)を・とられじ・うばはんと・あらそう

日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり

日蓮一度もしりぞく心なし

しかりと・いえども弟子等・檀那等の中に

臆病のもの大体或いはをち或いは退転の心あり

尼御前の一文不通の小心に・いままで・しりぞかせ給わぬ事申すばかりなし”



〔 第六天の魔王は十種の魔軍で戦を起こし

法華経の行者を相手に

生死の苦しみの海の中で

凡夫と聖人が同居しているこの娑婆世界を

とられないぞ、奪ってやるぞと争う


日蓮はまさに魔王と戦う身にあり

大兵を起こして20年余りになるが一度も退く心はない


しかし弟子や檀那などのなかには、退転したり退転の心がある


尼御前が法華経の経文の一文にも通じていない弱い身で

今まで退転されなかったことは

言葉に尽くせないほど立派である 〕







それから、仏教では

須弥山を中心に四洲、六欲天、色界18天、無色界4天に

日月諸星を含めた宇宙を小世界


小世界が100億個(千個という説もある)集まったものを小千世界


小千世界が千個集まったものを中千世界

中千世界が千個集まったものを大千世界


大千世界は、小千、中千、大千の3種類の千世界から出来ているので

三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)と言います



そして宇宙にはこの三千大千世界が無数に存在し

一人ひとり一人の仏は、三千大千世界という範囲で衆生を教化する

といいます


小世界が銀河系に相当する大きさの宇宙とされています





また、日蓮は、"所詮(しょせん)・万法(ばんぽう)は己心に収まりて

一塵(いちじん)もかけず九山・八海も我が身に備わりて

日月(にちがつ)・衆星(しゅせい)も己心にあり"

と述べています



このように宇宙も己心に収まるというのが

仏教の考え方と言えるでしょう







釈迦の神格化



声聞(仏弟子)の最高位 「阿羅漢」(あらかん)は

本来、仏(ブッダ)の異名でした


ところが小乗教において、仏は釈迦1人とされてしまい

仏弟子は阿羅漢までしかなれないとなったのです



これに対して大乗教では

大乗教を行ずる者を全て「菩薩」とし


声聞や縁覚の上において、みなが仏を目指すことになったのです

(前述の十界論)



つまり菩薩とは大乗仏教(利他)を修行して

仏を目指している全ての人をいいます


だから、創価学会のおばちゃんも菩薩なわけです(笑)





スリランカや東南アジアなどの小乗仏教の国が

今でも釈迦一仏主義をとるのに対し


大乗仏教では菩薩がたくさん存在する以上

過去に仏になった者も多いはずだという「多仏思想」が起こり


阿弥陀如来(如来は仏の異名)

薬師如来、毘廬遮那仏(びるしゃなぶつ)

大日如来など多くの仏が誕生しました




ただし小乗教でも、法は普遍的なもので

釈迦よりはるか昔から存在し


釈迦以前に六人の仏によって説かれ

受け継がれてきたという


「過去七仏」〔かこしちぶつ・釈迦をふくめて七仏〕

という思想が生まれています




●  過去七仏


過去にこの世界に現れたという七仏

毘婆尸(びばし)仏、尸棄(しき)仏、毘舎浮(ひしゃぷ)仏

拘留孫(くるそん)仏、拘那含牟尼(くなごんむに)仏

迦葉(かしょう)仏、釈迦牟尼仏


教え(法)は、普遍的なものであるから

釈迦(釈迦牟尼仏)以前のはるか昔から

これらの諸仏によって、受け継がれてきたという思想


このうち、初めの3仏は

過去の世界〔荘厳劫(しょうごんこう)〕に出現し

後の4仏は、釈迦(釈迦牟尼仏)と同じ

現在の世界〔賢劫(けんごう)〕に出現したとされる


〔 仏教では、世界も成(成立)、住(存続)、壊(破壊)

空(エネルギーの状態)の順序で循環するとされる 〕




のちに、これが大乗教において

弥勒菩薩の出現を待つ「未来仏信仰」を

生むきっかけとなった言われています



弥勒菩薩は、弥勒下生(げしょう)経では

釈迦の次に仏になるとされる未来仏で

釈迦滅後の56億7千万年に兜率天(とそつてん)より降臨し


悟りを開いて仏となり

釈迦の救済にもれた300億近くの人を迷いから救うとされています



なお、弥勒上生(じょうしょう)経では

衆生の方が、弥勒の国土である兜率天におもむくとあり

阿弥陀の極楽の往生と共通しています



56億7千万年については

弥勒の兜率天での寿命は4000年とされていて

兜率天の1日は地球の400年にあたります


すなわち降臨までは、4000×400×360(1年を360日で計算)で

5億7600万年かかるということになり


これが後に56億7千万年に入れ替わったなどと考えられています





釈迦は王子として生まれるも19歳で出家し

30歳のとき菩提樹の下で悟りを開き仏(ブッダ)となったとされます

(25歳出家説では35歳のときに悟りを開き成道したとされる)


以後、没するまでの40余年、約50年間

夏の安居〔あんご・夏の雨期の3ヶ月間

一ヶ所に定住し修行に専念すること。夏安居(げあんご)〕をのぞいて


野宿生活、托鉢(たくはつ)生活をなし

インド各地をめぐって人々を教化したといいます



のちに「盲信」と「ご利益主義」におちいってしまった

大乗教ですが


大乗仏教とは本来は

釈迦の精神の「ルネサンス(再生)運動」だったと言えます






そもそも大乗、小乗とはなに?


仏教は、大きく「大乗仏教」と「小乗仏教」に分かれます


小乗仏教は、世俗から離れた場所で

厳しい戒律のもとに修行に励み、自分だけの悟りを目指す教えです



大乗仏教は小乗仏教への批判から生まれたもので

利他行(菩薩行)によって


他者を教化し、悟り(仏道)へと導きつつ

自らも悟りを目指す教えです


世俗の中に身を置き一切衆生とともに悟りを目指す教えです



東南アジア諸国には主として小乗(南伝仏教)が伝わり

中国や日本には大乗(北伝仏教)が伝わました


日本の既成(伝統)仏教は、全て大乗教です




「大乗」「小乗」は

悟りへと向かう船(乗り物)に譬えられていて


小乗は、自分だけしか乗ることのできない船

大乗は、多くの衆生を乗せ、ともに悟りへと向かう船


という大乗の立場からの言葉です





小乗より大乗の方が勝れているの?


日本の多くの人は、そう思い込まされていますが

大乗の特徴として「信」と「功徳」の強調があげられます


釈迦の「信」とは、ものごとを明らかに見るために

心を清浄にととのえることであったとされます


つまり、対象を真摯に見つめていく心を言ったのです


ところが大乗に至ると


「以信得入」

(いしんとくにゅう・信によって悟りの世界に入る)や


「以信代慧」

(いしんだいえ・信じることがそのまま智慧を得ること)

などといった話にすり替わってしまっているのです



そもそも、大乗仏教自体が

釈迦の没後500年も経て成立したわけですから

釈迦の仏法とは大きく違います





原始仏典の中でも

釈迦の直説(じきせつ)に一番近いとされる

つまり原始仏典中の原始仏典といえる

「スッタニパータ」に次のような言葉があります



“ナンダ(弟子の阿難)よ。世の中で、真理に達した人たちは

〔哲学的〕見解によっても、伝承の学問によっても

知識によっても聖者だとはいわない”



“九つの孔 (あな)からは、つねに不浄物が流れ出る

眼からは目やに、耳からは耳垢、鼻からは鼻汁

口からはあるときは胆汁を吐き、或るときは痰を吐く

全身からは汗と垢とを排泄する

またその頭 (頭蓋骨)は空洞であり、脳髄に充ちている

しかるに愚か者は無明 (むみょう)に誘われて

身体を清らかなものだと思いなす

また身体が死んで臥 (ふ)すときには

膨れて、青黒くなり、墓場に棄てられて、親族も顧みない”



“人間のこの身体は、不浄で、悪臭を放ち

花や香を以 (もっ)てまもられている

種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出ている

このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い

また他人を軽蔑するならば、かれは見る視力が無いという以外の何だろう”


〔NHKブックス中村元・田辺祥二著「ブッダの人と思想」〕





ところが大乗仏教では、釈迦の神聖化は甚だしく

「三十二相」や、「八十種好」(はちじっしゅこう)

なんてもの(優れた身体的特徴)が説かれるに至ったわけです


これはもう釈迦の「神聖化」をとおり越して「神格化」ですよ(笑)



2010年に奈良県で開催された平城遷都1300年祭の

公式マスコットキャラクター「せんとくん」

〔2011年より奈良県のマスコットキャラクターとなった〕

が発表されたとき



奈良の古刹を中心とした仏教界からは

「仏に鹿の角を生やしたような姿は

お釈迦様を侮辱している。冒涜している」

と異議が唱えられました


どちらが、釈迦を冒涜しているか

言わなくてももう読者には判りますよね(笑)




●  三十二相


仏および理想の王である転輪聖王(てんりんじょうおう)が

そなえる32の身体的特徴

扁平足

足裏に千輻輪〔せんぷくりん・千の輻(や)でできた車輪〕の文様がある

手足の指の間に水かきがある


直立したとき手が膝にとどく

男性の性器が腹中に隠れている

肌が金色。歯が40本。舌が顔を覆うくらい大きい


眉間に白毫(びゃくごう・白いまき毛)がある

頭頂に肉髻〔にっけい・肉の隆起

仏像などに表現された髷(まげ)が肉の隆起と誤解されたという〕がある

などなど




●  八十種好


仏や菩薩がそなえる80の身体的特徴

象のようにゆっくり歩く。耳たぶが長く垂れ下がる

など三十二相に対して比較的小さな特徴







本地垂迹説



日本の既成仏教では

法相宗(興福寺や薬師寺など、法隆寺もその系列)以外

全ての衆生(いきとしいけるもの)に

「仏性」(仏界の生命・仏の生命)

が内在することを基本としています



法相だけは、五性格別(ごしようかくべつ)といって

持って生まれた性質の違いにより

修行をつんでも

仏になれる者

空(無常)の悟りにとどまる者

よくて天界(喜びの世界)にしか至れない者

にたてわけています


すなわち自己に仏性が内在している者と

内在していない者が存在するという立場なわけです



また、浄土宗や浄土真宗といった念仏宗では

仏性は、全ての衆生に内在するものの


この末法悪世の時代においては、従来の修行しても

この世界で仏になろうとしてもムリである


末法の時代は「南無阿弥陀仏」(念仏)を唱えることで

阿弥陀如来の恩寵をうけ

極楽浄土に生まれる(極楽往生する)しかない

と教えています



いずれにせよ自己に内在する

「仏性」を顕現していくことを目指すのが

本来の仏教ということになります




日本に仏教が伝来した当初、こうした考えが理解されず

仏は、蕃神(ばんしん・外国の神)

というレベルでとらえられていました


奈良時代になると「神」と「仏」の本質的違いが理解されるようになります


僧侶たちは、土着の神々を人間と同じように欲望をそなえた

「煩悩具足の衆生」として位置づけ


神も仏の慈悲によって成仏(煩悩を断って仏になる)できるとしました



神は仏道修行を求めているとして

神のために神社に付属して神宮寺

(宮寺、神供寺、神護寺、神宮院、別当寺ともいう)も建てられました



一方、奈良時代には

神は仏法を守護する存在であるという護法善神説も登場します



平安初期になると

八幡神に朝廷から大菩薩の称号が与えられ

八幡大菩薩となり「神仏習合」

(しんぶつしゅうごう・神道と仏教の融合現象

習合とは互いに違った教義を調和させること)

のさきがけとなります



さらに平安時代後半になると

筥崎宮(はこざきぐう・福岡県

宇佐、石清水(京都)とともに三大八幡宮)や


熱田神宮(愛知県)などの祭神が

権現(ごんげん)と呼ばれるようになります


権現とは、仏が権(か)りに神の姿をとってこの世に現れた

という意味です


これは「本地垂迹説」(ほんじ(ち)すいじゃくせつ)

の成立を示しています



「本地垂迹説」とは、日本の神々は

もともと(本地)はインドの仏菩薩であり

日本の衆生を救うため、姿を神に変えて現れた

〔迹(あと・跡と同じ意)を垂れた〕

というもので、垂迹とは影の意味です



鎌倉期になると、神社のほとんどの祭神に

本地仏が定められたといいいます


熊野の本宮、新宮、那智の三社の神々の

本地(本来の姿、本当の姿)に

それぞれ阿弥陀如来、薬師如来、千手観音菩薩を配する

といったようにです



この「本地垂迹説」は1868年(明治元年)の

神仏分離令(神仏判然令)の発布まで

我が国において神と仏の関係を説明する主流の座にあったのです



なお、神道側から


「天照大神や神道は日本固有のものである

末世になり人の心が濁って悪くなったので

天照は衆生の教化を仏にまかせたのである

必要であるならいつでも神託を下す」

(中世初期に伊勢神宮の外宮の神職

度会(わたらい)氏が創始した伊勢神道)



「釈迦や孔子の教えも神道に関係し、神道こそが根であり

儒教は枝葉であり、仏教は花実にすぎない」

「仏教はもともと神道という種子から出て

文字という枝葉によりささえられて花を開き日本へもどってきた」

(室町後期に京都の吉田神社の神主

吉田(卜部)兼倶(かねとも)が創始した吉田神道)


などといった「神本仏迹説」(神が本で仏が影)も立てられています



なお、鎌倉中期以降に成立したとされる

「反本地垂迹説」(神道を優位においた本地垂迹思想)では

神道の理念である清浄を本地、仏の慈悲を垂迹とみなしました





明治政府は当初、祭政一致の理念のもと神道を国教化し

国民精神の主柱にすえることを目指し

神仏分離令により寺院と神社を明確に分離します



これにより八幡大菩薩など神に菩薩号をつけること

権現号を用いること

日本の神に仏教の仏菩薩を本地としてあてること

御神体に仏像を用いることなどが廃されました




国家神道とは、国家主義、帝国主義と結びついた神道です

当初、神道の国教化を目指したが失敗します


失敗の原因は祭政一致が近代国家にふさわしくないことを悟ったことと

仏教が思いの他、国民に根強く定着していることを思い知らされたこと

によります



すると今度は、宗教と祭祀を分離し

神道「は国家の祭祀であり非宗教、超宗教」であるとしました



明治政府により創始された「国家神道」は

第二次大戦の敗北により解体されました







神の歴史



最も原始的な宗教とされる

「アニミズム」とは

動植物から、山や川や海といった無生物

雨や風や雷などといった自然現象に至る万物に

霊的存在〔霊魂・神霊・精霊・妖精など〕を認める信仰てす


つまり自然の万物、万象を生命化するのがアニミズムです


神の観念は、このアニミズムから生じたとされています



アニミズムより以前に

「アニマティズム」(プレ・アニミズム)が存在した

という説もあます



アニマティズムとは

万物に内在する生命力や活力に対する信仰で

ここから神の観念が生じたとも言われています



山や海や太陽などといった人間の力を超える存在に対し

おそれかしこむ心情を抱くこと


水や火の浄化力を信じて禊(みそぎ)したり

火祭などを行うこと


鏡や剣に霊力がそなわるという考え

これらはアニマティズムに通じていると言えます



なお、呪術さらには宗教そのものが

超自然的存在を動かすことを目的としていて

アニマティズムの発展と考えられるわけです



いずれにしても、かつて人間は

人智を超えた自然神秘や驚異を「神」と見なしていた

ということなのです




アニミズムやアニマティズムの信仰の対象が

やがて神格化されて自然神が誕生します


自然神の誕生は、多神教の誕生です



自然神とは、山や川、太陽や月、雷や風といった自然

天体、気象現象を神格化したものです


アイヌの熊など神聖視される動物も自然神の一種と言えます


その後、人間神や文化神や理念神も誕生します



人間神とは、民族や氏族の統合の象徴で

祖先神や氏神といったものです


例えば、奈良の春日大社の祭神 天児屋根命

〔あねのこやねのみこと・天照大神(あまてらすおおみかみ)が

天の岩屋にかくれたとき、祝詞(のりと)を奏して出現を祈った

のちに邇々芸命(ににぎのみこと)の天孫降臨につきしたがった神の1人

祝詞の神。子孫は大和朝廷の祭祀を司った〕は


朝廷の祭祀を司った中臣(なかとみ)氏と

中臣氏から分れた藤原氏〔中臣鎌足が大化の改新の功により

藤原姓を賜ったことにはじまる〕の氏神です




祖先神や氏神は、子孫に律法をさずけたり

子孫を守護する神です



歴史や伝説の英雄なども神格化されています


家康は、日光東照宮に、東照大権現

〔権現とは、権(かり)に現れた神の意

神仏習合思想で、インドの仏・菩薩が、日本の衆生を教化するために

仮に神の姿をとって現れたという意味〕として祀られています



この他、人間神の例として

明治神宮は、明治天皇を祭神としていますし

天満宮の祭神の天神さんは、菅原道真です





文化神は、屋敷神、かまどの神、音楽神、学芸神

といった生活や文化を司る神です



理念神は、勝利、秩序、自由、愛などの理念が

神格化されたものです


アメリカの自由の女神

ギリシア神話の秩序と正義の女神 テミスや

運命の3女神 モイライ


最高神のゼウスも雷神であると同時に

人間社会の秩序を支配しています



また、バラモン教の宇宙の根本原理ブラフマン(梵)を

神格化した ブラフマー(梵天)は

自然神と理念神の性格をもっていると言えます





時代がすすむにつれ

神の間に上下関係や支配被支配関係が生まれ

多くの神のなかから最高神が誕生したり

主要な神がトリオで最高神の位置を占めるようになってきます



三神トリオの例としては


ギリシア神話で世界を3分する

ゼウス(天)、ポセイドン(海)、ハデス(冥府)の兄弟



ヒンズー教の ブラフマー(創造)、ヴィシュヌ(維持)、シバ(破壊)



古事記の最初に登場する造化3神

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

高御産巣日神(たかみむすひのかみ)

神御産巣日神(かみむすひのかみ)



黄泉(よみ)の国から帰った伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が

海で禊(みそぎ)して生まれた三貴子の

天照大神(あまてらすおおみかみ)

月読命(つくよみのみこと)

素戔嗚尊(すさのおのみこと)


などがあげられます




多神教には、特定の最高神は存在せず

祭儀の目的(福徳・病気平癒・長寿・悪霊退散・和合・祈雨など)

にかなった神を最高神とするものもあります


つまり、その場に適した神を、交替で最高神とする信仰で

これを交替神教というそうです



リグ・ヴェーダ時代のバラモン教はこれにあたるといいます

密教の「別尊曼荼羅」もこれに属する信仰と言えます



また、多神教でも特定の一神をとりわけ強く信仰するもの

多神教と一神教の中間に位置するものもあるようです




一神教の成立については、多神教より発展したという説や

一神教こそ宗教の原初の形態で

多神教は一神教が退化して誕生したという説もあるようですが

これらはほとんどかえりみられていません


最も支持されているのが

創唱者によって「創造」されたという説です




一神教にも、他の集団が崇拝する神を容認するが

自分たちは特定の神しか拝まないというものと

他の神は一切認めないという立場があり


古代イスラエルのヤーウェへの信仰は、前者だといいます





なお「汎神論」(はんしんろん)というのがあります

「汎」は、ひろくゆきわたる の意味です



これは「全てが神」とか「神が全て」

といったアニミズム的な思想です



但し「全てが神」と「神が全て」では全く違い


「全てが神」と言った場合

神は、全ての存在を形容する言葉にすぎなくなるので「無神論」


逆に「神が全て」というと

存在自体の否定となるので「無宇宙論」 とも呼ばれます




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