緋山酔恭「B級哲学仙境録」 神とはなにか? ゾロアスター教・マニ教・シク教編



B級哲学仙境論


神とはなにか?編


 




神とはなにか?

ゾロアスター教・

マニ教・シク教編




ゾロアスター教



世界最古の一神教とされる古代ペルシアの宗教 です


開祖のゾロアスターは、前7世紀中頃から前6世紀後半の人

という説が有力のようですが

前10世紀またそれ以前の人という説もあります



世界の初めに、光明・生命・清浄の神 アフラ・マズダと

暗黒・死・不浄の王 アングラ・マイニュ(アフリマンともいう)が存在し

前者が全ての善、後者が全て悪を創造した


宇宙は両者の戦場として創造された

両者の闘争が宇宙の歴史である


という考えが基礎となっています




アフラ・マズダには

アムシャ・スパンタという7人の大天使(善神)

が仕えています


さらに、アフラ・マズダが生み出したとされる

「ヤザタ」という中級の神々もいます





アムシャ・スパンタ(大天使)の7人は



●  スプンタ・マンユ

「聖なる霊」・アムシャ・スパンタの筆頭

アフラ・マズダと同一視される場合がある

その場合、アムシャ・スパンタは6人となる


創造を司り、悪の創造神 アンラ・マンユと敵対

世界の始まりに2神は出会い

それぞれの原理に従い万物を創造したとされる




●  ウォフ・マナフ

「善なる意図」「善なる思考」・男。家畜を守護

悪神 アカ・マナフ(悪しき思考・人間の善悪判断を狂わす)と敵対




●  アシャ

「天の法則」「正義」・男。火を守護。聖なる火と同一視

悪神 ドゥルジ(偽り・不義)と敵対


のちに、インドラが敵対者とされるようになった



〔 インドラは、初期バラモン教の最古時代に

最高神的位置にあった軍神・雷神

仏教では帝釈天となっている


バラモン教(インド)では

デーバが善神、アスラ(阿修羅)が悪神であるが

ゾロアスター教(イラン)では、ダエーバが悪神

アフラが善神となったので、インドラも魔王の1人とされる 〕




●  アールマティ

「敬虔な信仰」・女。大地を守護。大地母神

悪神 タローマティ(背教)と敵対




●  クシャスラ

「王国」「支配」「統治」・男。鉱物を守護

悪神 サルワ(無秩序)と敵対


●  ハルワタート

「完全」「健全」「健康」「幸福」・女。水を守護

悪神 タルウィ(熱)と敵対




●  アムルタート

「不死」「不滅」・女。植物を守護。また食物を司る

悪神 ザリチュ(渇き)と敵対

ザリチュは有益な植物を滅ぼし、毒草を繁茂させる悪神




アムシャ・スパンタ(大天使)それぞれが

火、水、大地、植物など特定の庇護物を持ち

宇宙はアムシャ・スパンタの庇護のもと構成されている





ヤザタの例としては


ミスラ(ヤザタの筆頭神。司法神として世界を監視

また死後の裁判を司る。太陽神・光明神でもある)


アタール(火の神)、アープ(水神)

ウルスラグナ(英雄神。勝利を意味)


ティシュトリヤ(星と慈雨の神)

ハオマ(神酒ハオマの神格化)

フワル・フシャエータ(太陽神)


アナーヒター(水の女神

アフラ・マズダーやミスラに匹敵する人気を誇る)

などがあげられます




たくさんの神がいて、多神教のようですが

これらの神々は、キリスト教でいう天使に近いのかもしれません




偶像崇拝を禁止していて

唯一神を象徴する聖なる火を礼拝の対象とします


このためゾロアスター教を「拝火教」ともいいます



土葬、火葬、水葬は、神の創造物である大地、火、水に

不浄をもたらすとして禁じ

遺体を「沈黙の塔」という塔の上に放置し

ワシタカ類の猛禽に肉を食べさせる葬法を誕生させました



祭儀では、経典が読誦され、信者は、乳、水、パンを授かります

この祭儀は、キリスト教へ伝わり

パンとワインを授ける聖餐(せいさん)の儀式となった

と考えられています





また、世界の存続を1万2千年としていて


ゾロアスター没後3千年に、世界に終末がおとずれ

アフラ・マズダと、アングラ・マイニュと彼に率いられた

全ての悪との闘争がなされ悪軍は滅びる



このとき、ゾロアスターの保存されていた精子により

懐妊した処女から

救世主(サオシュヤント)が誕生し、アフラ・マズダと連合軍を組織して

アングラ・マイニュの悪の連合軍を打ち破る



このあと、彼によって最後の審判が行われる


まず、世界が誕生して以来の全ての死者が復活

そこに天から彗星が降ってきて、地底からは溶岩が噴出して

すべての鉱物を溶かして、死者を含めた全人類が

溶けた金属にを飲み込まれる


義(ただ)しい者は、ミルクのように感じられるだけで全く熱さを感じない

これに対し不義者は、苦しみに泣き叫ぶ


これが、最後の審判で、3日間続いた後

不義者の罪も浄化され、全ての人類が、新たな理想世界に生まれ変わる



このような終末思想も

キリスト教に伝えられたと考えられています







ゾロアスター教は

アケメネウス朝ペルシア(前550~前331)で国教的地位を得て

ササン朝ペルシア(277~651)では国教となったそうですが

7世紀以降、イスラム教の侵入で衰退したとされます



中国では祆教(けんきょう)と呼ばれ

唐代(618~907)に栄えましたが


唐末の845年に

玄宗皇帝が大規模な仏教弾圧を行い


このとき仏教とともに

夷狄(いてき・野蛮な異民族の意)の教えとして禁圧され

衰退していったといいます




信者は、イランに2万人

インドには、中部西海岸のボンベイを中心に10万人

世界では15万人程度いるようです



インドの信徒は

8世紀にイスラム化されたイラクを脱出して

インドに逃れた者の子孫で、パールシーと呼ばれています


パールシーは、もともとヨーロッパ人による呼び名で

ペルシア人の意味だといいます



インドの王侯は、ペルシアの言葉を捨てることと

女性はインドの服装をすることを条件に、彼らの定住を許したそうです



インド独立後、多くのパールシーが

イギリス、アメリカ、カナダなどに移住したとされます



敬虔な信者は、聖紐クスティーを腰のまわりにつけます


聖典は、アベスタ(中期ペルシア語で原典の意)といいます







なお、 世界の初めに、光明・生命・清浄の神 アフラ・マズダと

暗黒・死・不浄の王 アングラ・マイニュ(アフリマンともいう)が存在し

前者が全ての善、後者が全て悪を創造したという前提では


一神教になるのか? という疑問が残ります



キリスト教では、≪悪魔≫も、神が創造したものなのです


ただ、神が「悪」を創造するわけがないということから

悪魔ももともとは天使であった


ところが神の試練に耐えきれず悪魔になった

堕天使、叛逆天使である という位置づけなのです



ゾロアスター教もそうなのでしょうか?







マニ教



マニ教は、キリスト教、イスラム教、仏教に次ぐ

第4の世界宗教とさえ言われている存在です



ゾロアスター教(世界最古の一神教)

キリスト教、仏教を統合した宗教で


西は、スペイン・北アフリカから

東は、インド・中国に至るまで拡大しましたが

現在は完全に消滅しています



「マニ教の世界観は、キリスト教よりもはるかに合理性があり

現代でも宗教として充分通用する」とか


「マニ教神話に、ビッグバンや素粒子論などをからませたら

かなりな信徒が集まる新興宗教ができそうだ」とか


「よくできた宗教なのになぜマニ教が滅亡したのか判らない」

などと言われるほどです



ただ、さまざまな宗教を取り混ぜただけで独自性に欠いたことと

性行為の禁止や菜食といった規則が

一般の者を遠ざけたことが、滅亡に至った要因のようです





マニ(216頃~276)を開祖とします


マニは、ササン朝ペルシアから、帝国全土の布教を認められましたが

王が没し、ゾロアスター教がペルシアの国教になると

教団は迫害を受け、マニは殉教(一説では獄死)したとされています


信徒たちは、マニの死をイエスの十字架の死と同じとみなし

マニを神や救世主とする傾向があったといいます


また、マニは、自らを光明界からの預言者と位置づけていたらしく

「ゾロアスター教、キリスト教、仏教の本質を統合し

究極の真理を完成した」と主張していたそうです




マニの死後、マニ教はローマ帝国全土

さらにシリアからエジプト、スペイン、北アフリカまで勢力をのばし

長きにわたってキリスト教に対抗したといいます


4世紀には、キリスト教を名のり、公認のキリスト教より

知的な宗教として受け入れられていたとさえいいます



キリスト教が、ローマ帝国の国教〔313に公認。379に国教〕

となったことから

6世紀には、西方で衰退がはじまる一方で

インド、チベット、中国に伝播していき

中央アジアの大国ウイグル(744~840)の国教ともなっています



ペルシア(現イラン)地方は

ササン朝がアラブ人により滅ぶとイスラム化が進み


東方でもウイグルの崩壊や

イスラム化により13世紀頃には消滅したそうです




中国では「摩尼祆教」(まにけんきょう)と呼ばれ

福建省を中心に広まりました


845年に、玄宗皇帝が、大規模な仏教弾圧を行いましたが

このとき、ゾロアスター教、ネストリウス派キリスト教、マニ教は

仏教とともに夷狄(いてき・野蛮な異民族の意)の教え

として禁圧されています



しかしその後も「明教」(みんきょう)と呼ばれ

仏教や道教の一派として存続


仏教よりも道教の要素を多く取り入れ、呪術的要素が強く

取り締まりは困難をきわめ、政府からは「魔教」と呼ばれたらしいです


明代に厳しい弾圧をうけ15世紀には消滅したとされます






マニ教神話は、とおよそ以下のとおりです


原初、光(善)と闇(悪)が、それぞれ独立の王国を築いていた



闇の国には、闇の王子 アフリマン

〔ゾロアスター教の悪神 アングラ・マイニュの中世ペルシア語形〕

がいて、光の国の存在を知り

光を自分のものにしたいと攻撃を開始



光の国の王である父神

〔光の父。マニ教神話では多くの神が登場するがその最高神〕は


原人 オフルミズド〔ゾロアスター教の善神 アフラ・マズダの

中世ペルシア語形。光の父が流出した「生命の母」から流出して誕生〕と


オフルミズドの5人の息子

〔光の元素であるエーテル・風・光・水・火〕とともに戦った



しかし、敗北して

オフルミズドとその5人の息子は、闇に飲み込まれてしまう



オフルミズドは光の父に救いを求め

光の父は、太陽神 ミフルヤズド

(ペルシア神話の神 ミスラの中世ペルシア語形)を派遣し

オフルミズドを救出することに成功した



オフルミズドの5人の息子である光の元素は

こなごなに砕けてアルコーン(闇の国の神々)に飲み込まれているので


ミフルヤズドとミフルヤズドの5人の息子は

闇の勢力と大戦争をくりひろげ、光の元素を取り戻した



このとき倒したアルコーンたちの身体が

天地や山岳となり(世界は闇の物質で創造されたことを意味)


救出した光の元素から、太陽、月、星

(星は完全に浄化されていなかった元素から誕生)が創造された



しかしまだアルコーンたちの体内に光の元素が残っているので

光の父は、男のアルコーンには美女に

女のアルコーンには美青年に見える

第3の使者を流出しアルコーンを誘惑する



欲情にかられ

男のアルコーンたちは光の元素を含む精液を射精し

一部が地上に落ちて5種類の植物が誕生した


女のアルコーンたちは流産し、光の元素を放出

一部が地上に落ちて5種類の動物が誕生した




闇の王は、肉体を造り

残された光をとじ込めてアダムとヘーヴァ(イブ)を創造した



光の父は、アダムとヘーヴァに

自己に光が内在することを知らせようと

第3の使者の化身であるイエスをつかわした



アダムはイエスより、叡智(グノーシス)を授かったので

肉体の連鎖を断ち切るため、性行為をさける


しかし、ヘーヴァはグノーシスを与えてもらわなかったので

アダムの禁欲を理解できずに

アルコーンと交わってしまいカインとアべルを生む


嫉妬したアダムもヘーヴァと交わってセトが生まれた






ちなみに

カインとアベル、セトについては

旧約聖書の「創世記」によると


アダムとイブはたくさんの子を授かっていて

その長男がカインで次男がアベルです


カインは耕作者となり、アベルは羊飼いとなります


アベルの供物を神はよろこび

憎しみの心をもつカインの供物を神が拒否したことから

嫉妬をいだいたカインは、アベルを野につれていき

襲いかって殺してしまいます



神に、アベルの行方を問われたカインは

「知りません。私は永遠に弟の番人なのでしょうか」と答えます

これが人間の最初の嘘だとされています



カインはこの罪により

エデンの東にあるノド(さすらいの地)に追放されますが

このとき神より、耕作をしても収穫を得られないことを伝えられます


また、殺されることを恐れているカインに対し

その恐怖のまま生きる罪として

他人がカインを殺すことができないように

カインを殺した者には7倍の復讐が与えられるとしています


なお、カインはのちに妻と子を神より授かっています



一方、セトは、アダムの130歳のときの子で

105歳で子を得て

905歳(創世記の別の箇所には912歳とある)まで生きています






マニ教の教義は、よくある「霊肉(れいじく)二元論」です


人間は、闇の物質で造られた世界に存在する

性欲や物質欲を求める自分の肉体も闇の物質でできている


一方、アダムとヘーヴァの子孫であるゆえ、光を求める霊魂も存在する


しかし人間は、自己に内在する光に気づかず

霊魂が物質世界にとじ込められ堕落している



このような人類を救済する為に、光の父は、イエスを救世主として派遣した

人間はイエスにより救いに至るグノーシス(叡智)を授かった


このため人間は、グノーシスを働かせることで

内在するを光を認識し

まずは月、次ぎに太陽へと帰り、最終的には光の国に帰ることができる



いずれ、光と闇の「最終戦争」が起こり、物質の世界は滅び

光と闇は、完全に分離され、再び混じり合うことはない


といったところです




実践としては、修道士の性行為の禁止と

在家信徒の一夫一婦といった貞潔(ていけつ)


結婚(性交)は、悪である肉体の創造であり

肉体から光が解放されるのを妨害するアルコーンの策略であるとします


それから、肉、酒、乳製品は

製造の過程で光を損なうので、これらを口にしない


植物は、光を有しているので菜食主義を基本とします


それに、非殺生と非暴力。清貧(僧侶は無所有)などです



また、在家信徒には、1日に4度の祈祷があり

日中は「太陽」、夜は「月」に向かい平伏して祈ったそうです


太陽も月も見えないときは、光の王国のある北

あるいは北極星に向かって祈ったといいます



さらに、日曜(太陽の日)とベーマ祭前の1ヶ月間

断食がなされたそうです


断食はマニ教にとって重要な実践であったとされます




●  ベーマ祭


マニ教最大の祭。春分と、マニの殉教と昇天を祝い

マニが「最後の審判」の日に再臨(再び降臨)することを祈る


ベーマは「座」の意味し

誰も座ることのない椅子の座(ベーマ)が置かれた


最後の日は、マニの魂が光の国へと昇天して行った日にあたり

この日ベーマに、マニの霊が宿ると信じられていた




また、週ごとと、年に1度の懺悔(ざんげ)があり

在家者は戒律を守れなかったことや罪を、修道士に告白したとされます


年に1度の懺悔は、ベーマ祭前の断食の終わりに集団でなされ

これによって過去1年間の罪が赦されていたそうです




マニは、生涯のほとんどを

福音(マニの説いた真理)を伝道する旅に費やしています


この為、修道士たちは、神や組織の指令があれば

マニにならい、世界中を放浪し福音を伝道したといいます


また、キリスト教の修道士が

農業や牧畜を行い自給自足の生活をしたのに対し


マニ教の修道士は、仏教の僧侶と同様

在家信徒からの布施のみで生活をしていたそうです




仏教との最大の類似点は

グルーシスを働かせて

内在する光を知って光の国に帰るという点が


仏教の、智慧により仏性が自己に内在することを悟り

解脱するということに通じていることです


マニ教は東方に伝道するにあたり

ブッタの悟りを強調していたといいます



一方、最大の相違点は、マニ教が

光と闇の「善悪二元論」、霊魂と物質(肉体)の

「霊肉二元論」をとるのに対して


仏教では「色心不二」

〔しきしんふに・生命の物質的側面(色)と精神的側面(心)は

2つにして2つにないこと。一体不離で切り離せないこと〕

と説くところではないでしょうか・・・








シク教



「神は唯一なるものであり

民族や宗教によって様々に呼ばれているだけである」

と説くのが、シク教(シーク教)という

ヒンズー教とイスラム教を統合したようなインドの民族宗教です



インドの宗教は、ヒンズー教徒が80%を超え

他に、イスラム教徒が10%、キリスト教徒が2.5%

シク教徒が2%、仏教徒が0.7%、ジャイナ教徒が0.5%

その他 パールシー(インドのゾロアスター教徒の呼称)や

ユダヤ教徒が0.5%程度だそうです



シクとは弟子の意味で

シク教徒はグル〔師匠・法主(ほっす)〕の忠実な弟子とされています



インドの宗教なので、やはり輪廻や解脱といった思想に立ち

シク教徒の目的は、ヒンズー教と同じで

神と合一して輪廻から解脱することのようです


但し、ヒンズー教の儀式や修行にはほとんど価値がないとしています



また、カースト制度をも否定し

イスラムのような同胞主義を唱え、階級や人種差別を認めません



さらに神は唯一なるものであり

民族や宗教によって様々に呼ばれているだけであるとして

唯一絶対神への信仰を説き、偶像崇拝を認めません





シク教の開祖は、ナーナク(1469~1538)で

彼はインド北西部パンジャーブ地方の

中心都市ラホール近郊の小農の子に生まれ

カビールなどの影響を受け30歳で出家


同郷でイスラム教徒の詩人マルナーダと

2人のヒンズー教徒の農夫とともに各地を巡り

神の絶対性や内在性を詩によって説いたといいます




●  カビール (1440~1518頃)


バラモンの私生児(夫婦でない男女間の子)として生まれ

イスラム教徒の貧しい織工の夫婦に育てられる


ヒンズー教の最高神ビシュヌの化身 ラーマへの

バクティ(信愛)による解脱を唱えたラーマーナンダに師事


カビールは、このバクティを根本として、ヒンズー教とイスラム教を統合


神の名称は様々だが神は唯一である

神は、心に内在し天や寺院には存在しない

沐浴、巡礼、苦行、聖典、全て無用で

必要なのは心に神の名を念ずることであるとし

膨大な宗教詩を残している


但し、宗教家として特別な生活はせず、生涯を織物職人として送っている






第4代のグルが、第5代に三男を指名して以来

グルが世襲制となったそうです



第五代 アルジュン(1563~1606)は指導力にすぐれ

パンジャーブ地方〔インダス河流域の地方。現在は

東部はインド、西部はパキスタンに属している〕

をシク王国というべき状態につくりあげました



また、アルジュンは歴代グルと

シク教の教義に極めて近い教えを説いたカビールなどの

宗教家たちの宗教詩をあつめた

「グランド・サービフ」を編集しています



しかし、アルジュンは、ムガル王朝

〔ムガル帝国。インドを支配したイスラム王朝

1526~1858・イギリスにより滅亡〕

により捕らえられ拷問をうけ自害しています



また、9代目はイスラムへの改宗を拒み

拷問のうえ首を斬られています


このようなことからシク教団は次第に軍事色を強めたとされます



10代目 ゴービング・シング(在位 1675~1708)は

護教のために正式に武力を用いることを決定し

軍事集団 カールサー(純粋党)を結成します


しかし彼は、ムガル朝との戦闘で

後継者となる全ての子供を失い

自らも対立する部族により暗殺されています




以後、シク教では

ゴービング・シングの遺言にしたがい

「グランド・サービフ」(宗教詩)をグルとすることになったそうです




1849年にはイギリスとの戦いに敗れ崩壊しますが

シク教団はガンジーの運動に参加します


イギリスからのインド独立後には、シク教徒だけの州を要求し

62年には従来のパンジャーブ州が


シク教徒のパンジャーブ州と

ヒンズー教徒が多数を占めるハクヤーナー州に分割されています





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