日蓮を考察する ① 日蓮仏法は密教と同じです!! 「密教」の根本は、曼荼羅本尊に向かい 手に印〔印契(いんげい)・印相・密印〕を結び(身) 口に真言を唱え(口)、心に本尊を観じる(意)ことで 仏の身口意(しんくい・意は心のこと)の働き 〔これを仏の三密という〕が 修行者の身に入り、修行者の身口意の三業が仏の三密 と相応合致し つまり衆生の信と仏の慈悲により 衆生と仏とが結ばれ 行者がそのまま仏となるというものです(即身成仏) これを三密加持とか、三密瑜伽(ゆが)といいます では、創価学会なんかが仰ぐ日蓮とは、どういう人なんでしょう? 日蓮仏法の根幹は「南無妙法蓮華経」を 宇宙の根本原理、宇宙の究極の法則、宇宙の仏界の生命 宇宙の慈悲の生命などとし 日蓮の書いた曼荼羅を拝み 題目(南無妙法蓮華経)を唱えれば 自己に内在する仏界の生命である南無妙法蓮華経が 曼荼羅を仲立ちとして 宇宙の仏界である南無妙法蓮華経と合致し 自己の仏界が顕現される。即身成仏される あるいは宇宙根源のリズムである南無妙法蓮華経に 自己の生命がのっかって 幸福の方向へ向かうというものです ちなみに「即身成仏」とは 本来 何度も生まれ変わり修行して悟れるはずの 究極の真理を 日蓮の書いた曼荼羅を拝み 題目(南無妙法蓮華経)を唱えれば 現世で悟ることができ 仏(覚者)になれるということです ● 即身成仏 衆生が凡夫の身のまま仏になること 大乗仏教は、利他を行じて仏になることを目指すものですが 当初、歴劫修行〔りゃっこうしゅぎょう・ 何度も生まれ変わって長大な期間修行すること〕をして 仏の相(三十二相や八十種好)をそなえて仏なるとされていました その後、そんなに長い期間をかけなくても現世で成仏できるはずだと いう考えが求められ それが密教で「即身成仏」という形で成立したとされます ちなみに、そんなに長い期間をかけなくても成仏できる という主張は、浄土信仰にもあります 段階的な修行を経ず、ただちに悟り(菩提)を得ることを 浄土信仰では「頓証菩提」(「頓証仏果)といいます 死者の追善供養のときなどに 極楽往生を祈る言葉として 「頓証菩提・南無阿弥陀仏」とか「南無頓証菩提」 と唱えるようです さて、本来 何度も生まれ変わり修行して悟れるはずの 究極の真理を 日蓮の書いた曼荼羅を拝み 題目(南無妙法蓮華経)を唱えれば 現世で悟ることができ 仏(覚者)になれる 日蓮仏法でいうところの究極の真理とはなんでしょうか? それは、中国天台宗の祖 天台大師 智顗〔ちぎ・538~598〕が明らかにした 「一念三千」という教えです ところが日蓮は これの天台の教えを≪理の一念三千≫にすぎない主張します つまり、天台大師は ≪一念三千≫という全ての衆生の成仏を可能とする理論 を明かしたが 凡夫がどのようにしてこの法理を会得し 成仏するかという方法(事)を説かなかったと!! そして、私(日蓮)が書いた曼荼羅を拝み 題目(南無妙法蓮華経)を唱えれば 凡夫でも容易に一念三千の理論を会得し 現世で仏(覚者)になれると教えたたわけです これが≪事の一念三千≫です そもそも「事」とはなんでしょう? 日本で成立した真言宗(真言密教)は 「事相」(じそう)の面ばかりがもっぱら発展し たくさんの事相の流派が生じました これに対し教相面では 空海以来ほとんど発展をみせていません 教相の宗派の成立は、頼瑜(らいゆ・1226~1304)の立てた 「加持身(かじしん)説法説」による≪新義真言宗≫だけです この流れを汲むのが、現在の智山派と豊山(ぶざん)派です 真言宗では、法身仏(ほっしんぶつ・真理の仏)である 宇宙の根本仏の大日如来が、衆生に直接、説法すると説きます 真理そのものの法身仏が説法するというのは、真言宗独自の教義です この法身の大日如来を本地身(ほんじしん)また本地法身といいます これに対し頼瑜は 「本地身は説法しない。真言の行者が三密加持により 大日如来と一体となったとき 行者に現れた大日如来(加持身)が説法する」 と主張したのです これが加持身説法説です これにより激しい論争が繰り広げられたといいます バカバカしい(笑) では「事相」とはなんでしょうか? 教相が教学の分野であるのに対して 曼荼羅の建立法 壇 (だん・本尊を安置する大壇 護摩を焚くための護摩壇など)の作り方 真言、印の結び方 護摩の作法など実践にかかわる分野です 日蓮の≪事相の一念三千≫が 密教の事相となんら変わらないことがわかります そしてここまで書けば 日蓮仏法の本質が「密教」であることは 誰にでも理解できますよね ちなみに一念三千とはなにか? くだけて言うと ≪自己の一念(一瞬の心)を変えれば 世界の全て(三千)が変わる≫ ということなのですが 面白いのは 天台が一念の中に「国土世間」を含めたことです 一念に、国土世間が含まれていなかったら 一念を変えても、環境変革は別の問題ということになる すると、一念三千は「自己変革」だけの論理で終わってしまう ところが、天台の思想だと、自分の一念を変えれば 自己がよりどころにしている 「非情」(感情のない国土、草木、石など)まで 変えることができるということになります そしてこの「一念三千」の思想を 一番強く受け継いでいだのが日蓮です 日蓮は 「この娑婆世界の変革をほうっておいて 死後の極楽往生を願うばかりの念仏宗を信仰すると地獄に落ちるぞ! 念仏無間地獄!!」と叫びました それゆえ創価学会をはじめとする日蓮系は、布教に熱心であり 社会改革(政治)に積極的なわけです 話をもどすと 日蓮は、空海の真言宗(真言密教)はもちろん 日本の天台宗を密教化した3代天台座主の円仁(えんにん)や 5代天台座主の円珍を痛烈に批判しています "弘法等・顛倒(てんどう)して大日経最第一と定めて 日本国に弘通せるは法華経一分の乳に 大日経七分の水を入れたるなり 水にも非ず乳にも非ず大日経にも非ず 而(しか)も法華経に似て大日経に似たり" "円仁・円珍の両大師・先師伝教大師の正義を 劫略(こうりゃく・かすめとること)して 勅宣を申し下すの疑い之れ有る上・ 仏誡遁(のが)れ難し、随(したが)つて 又(また)亡国の因縁・謗法の源初之れに始まるか" と日蓮の御書にあります ところが日蓮自身の教えが「密教」そのものなのですよ(笑) では、日蓮が痛烈に批判する天台密教とはなんなんでしょう? 法華経や天台大師の教えと 「密教」(大日経や金剛頂経)を融合させたのなのです これに対して、日蓮のしたことは 法華経をそのまま密教化した ということです 正しくは、法華経を理論化した天台の教義を そのまま密教化したわけです また、密教においては 即身成仏するための秘法は、師匠から 修行をつんできて法を受けるべく 資格のある弟子にのみ伝授されていくものであるのに対し 日蓮の場合、法然(日本の浄土宗の教祖)の 念仏(南無阿弥陀仏)をまねて 一般庶民を対象に、広く布教したこともあって 誰一人として、日蓮仏法のの根本が「密教」 さらに言えば「バラモン教」の「梵我一如」と なんら変わらないことに気づかないのです 釈迦と日蓮の根本的な違いを判りやすく述べましょう 例えば、あなたの弟が犬を拾ってきたとします そして「この犬の名前、ポチに決めたよ」と言ったとします あなたは、このポチという名に対して 正しいとか誤りであるとか言えますか? 言えませんよね これは、≪創造された真理≫は「それは正しい」とか 「それは間違っている」とか あるいは「そういう考え方もあるけど、こういう考えもあるでしょ」 などと論じられないからです 日蓮は 「宇宙の根本原理、宇宙根源の法則は ≪南無妙法蓮華経≫です 南無妙法蓮華経は単なる名称ではありません 唱えれば量り知れない功徳にあずかれます」と主張しました これに対して、南無妙法蓮華経が 正しいとか、間違っているとか 論じられないでしょ 創造された真理は信じるか信じないかのことになるのです 釈迦は、宇宙の根本原理などわけのわからない問題に対しては 「無記」(説明しない。回答しない)という立場をとりました そして「全ては空であり、変化してやまない。ゆえに実体がない」 と主張しただけです 釈迦は【真理の発見者】なんです これに対し、日蓮というひとは【真理の創造者】であり 一神教の世界では、真理の創造者とは「神」のことです バラモン教では、「梵」を宇宙の根本原理をとし 密教では「大日如来」を宇宙の根本仏とし 日蓮仏法ではこれが「南無妙法蓮華経」にすりかわった にすぎないのです 捏 造 日蓮の御書の「念仏無間地獄抄」には “(善導)は三世諸仏の大怨敵と為り十方如来成仏の種子を失う大謗法(ほうぼう)の科(とが)甚 (はなはだ)重し大罪報 (むくい)の至り無間大城 (無間地獄の意)の業因なり、之(これ)に依って忽 (たちまち)に物狂いにや成(なり)けん所居の寺の前の柳の木に登りて自ら頸(くび)をくくりて身を投げ死し畢 (おわ)んぬ邪法のたたり踵 (きびす)回(めぐら)さず冥罰 (みょうばつ・外に現れる顕罰に対して、内に現れる罰)爰 (ここ)に見(あらわれ)たり 最後臨終の言に云く此の身厭 (いと)う可し(この身を厭うのは当然であるの意)諸苦に責められ暫 (しばら)くも休息(くそく)無しと即 (すなわ)ち所居の寺の前の柳の木に登りて西 (西方浄土の意)に向かい願つて曰く仏(阿弥陀仏の意)の威神(いしん)以(もっ)て我を取り観音勢至(せいし・ともに阿弥陀の脇士の菩薩)来つて又我を扶(たす)けたまえと唱え畢(おわ)つて青柳の上より身を投げて自絶(じぜつ)す云云 (うんぬん) 三月十七日くびをくくりて飛びたりける程にくくり縄や切れけん柳の枝や折れけん大旱魃(かんばつ)の堅土(かたつち)の上に落ちて腰骨を打折(うちくじき)て、二十四日に至るまで七日七夜の間悶絶躄地 (びゃくち・両足がなえて歩けず地をいざること)しておめきさけびて死し畢 (おわん)ぬ(終わった)” 【 中国浄土教の祖の一人 善導は念仏を弘めたことから 物狂いとなって、寺の前の柳の木に登って首をつって死んだ 邪法のたたりがはっきりと現れたのである 臨終の言葉は「この世は穢土 (えど・けがれた国土。浄土の反対) であるから死にたくなるのは当然である もろもろの苦しみに責められ一時も休まることがなかった」である 寺の前の柳の木に登って極楽西方浄土のある西に向かい 阿弥陀の恩寵によって、死後、観音と勢至の 来迎 (らいごう・死後、迎えに来ること)を受け 極楽へと導き救いたまえと念仏を唱え、身を投げて自殺した ところが3/17日に、首をつろうと柳の木から飛び下りたところが 縄が切れたか枝が折れたかで 大旱魃で堅くなっていた地面に落ちて腰の骨を折り 24日まで死ぬことができず、7日7夜悶絶し 歩行もできず、おめき叫んで死んでいったのである 】 とあります 日蓮という人は この穢土である娑婆(しゃば)世界 すなわち現実の世界に 仏国土を建設することを目指したのです つまり現実改革を唱えたわけです そんなことから、この世をいとうべき世界と教え 死後の幸福を願うことばかりを教えている 念仏(浄土教)を徹底して批判しています 念仏(南無阿弥陀仏)を唱えると 無間地獄(絶え間ない苦しみを受ける世界)に陥るという “念仏無間”がそれを象徴する言葉です また、上野殿御返事にも “念仏宗と申すは亡国の悪法なり このいくさ (軍)には大体 (たいてい)・人人の自害をし候はんずるなり 善導と申す愚痴 (ぐち・おろかなの意)法師がひろめはじめて 自害して候ゆへに・念仏をよくよく申せば自害の心出来し候ぞ” とあります これら善導に対する日蓮の話は、事実なのか? ということですが 善導は寺前の柳の木に登り自ら身を投じて死んだという話は 「新修浄土往生伝」(北宋時代の往生者の伝記を集成したもの) という書にみられるそうですが しかしこれには「捨身往生」として書かれているといいます しかも北宋時代は960~1127年で 善導の生没年は613~681年です 【 捨身とは、仏への供養や 衆生救済などのために、自分の身を捨てること ジャータカや金光明(こんこうみょう)経などにもみられる 「捨身飼虎」〔しゃしんしこ・餓死しそうな母虎と七匹の子虎を救う為 薩埵王子(さったおうじ・釈迦の過去世の姿)が 自分の身をささげた話〕はとくに有名 】 そもそも善導という人は、自らを律することに大変厳しく 30余年間寝所をもたなかったと伝えられています 阿弥陀経を10万巻を書写し、縁者の者に授け 極楽浄土の荘厳なさまを描いた浄土曼荼羅300鋪や 絵画も残しているといいます 寺院の修復や造像も行い 多様な活動をしたようで 唐の高宗(こうそう)と皇后の則天武后(そくてんぶこう・のち女帝)の 発願 (ほつがん)による竜門石窟(りゅうもんせっくつ)の 毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)造営の監督もつとめています そして、浄土三部の1つ観無量寿経の注釈書である 「観無量寿経疏」(かんむりょうじゅきょうしょ)4巻を著して それまでの心に阿弥陀仏を観じる観想念仏を中心とする考えから もっぱら念仏(南無阿弥陀仏)を称える 称名(しょうみょう)念仏を中心とする思想をあきらかにしています またこの書で、釈迦の出世の本懐 (しゅっせのほんかい・生まれてきた本当の目的)は 凡夫のために浄土往生の根本である 観無量寿経を説くことであったと述べています 日本の浄土宗の祖 法然(ほうねん)は 善導の観無量寿経疏をよりどころとして 浄土宗を開いたことから、浄土宗を善導宗ともいいます 法然は、夢の中で、紫雲がおこり 無量光がたちこめる中に出現した善導から 「称名念仏を衆生に弘めよ」という一種のおつげをうけた と主張しています 浄土宗には、福岡県久留米市の大本山の善導寺をはじめ 善導寺という名の寺院が各地に存在します また、善導の称える念仏が 化仏(けぶつ)となったという伝説から 善導の像はたいがい口から阿弥陀の化仏(小形の仏像)を出し また下半身が金色になっています 善導の言葉に “念念の称名は常に懺悔(ざんげ)なり” 〔一念一念の称名念仏は、つねに懺悔である〕 “哀愍(あいみん)して我を覆護(ふご)し、法種をして増長せしめ この世および後の生(しょう)において 願わくば仏つねに摂受(しょうじゅ)したまえ” 〔 阿弥陀仏よ。憐れみをたれ、私をおおい守護し、往生の種を増やし この世においてもあの世においてもつねにお救い下さい 〕 があります 念仏者の死相 日蓮の“念仏無間地獄”の教えを、そのまま信じた日蓮信徒が よく、念仏すると生命力が落ちて自殺したくなるとか 念仏信者の死相は醜いとか言っていますよね(笑) 念仏すると自殺したくなるというのは 今述べたように日蓮自身も言っています また、他宗の教祖の死相は醜いことも日蓮は言っているのです 当世念仏者無間地獄事に “何(いか)に況 (いわん)や念仏宗の長者為る善慧(ぜんえ)・ 隆観(りゅうかん)・聖光(しょうこう)・薩生(さっしょう)・南無(なむ)・ 真光(しんこう)等・皆悪瘡(あくそう)等の重病を受けて 臨終に狂乱して死するの由之(これ)を聞き又之を知る 其の已下(いか)の念仏者の臨終の狂乱其の数を知らず” とあります 善慧とは、法然の一番弟子で 浄土宗西山(せいざん)派の祖 証空(しょうくう)のことで 隆観も、法然の弟子 隆寛のことで長楽寺流の祖です 長楽寺流は一時隆盛したそうですが現在は消滅しています 薩生は、法然および証空の弟子で のちに独立し、鎌倉で三昧義 (詳細は不明)をひろめたといいます 聖光、南無、真光についての詳細はわかりません また、小乗大乗分別抄では “当世の禅師・律師・念仏者なんど申す聖一(しょういち)・ 道隆・良観・道阿弥・念阿弥なんどと申す法師どもは 鳩鴿(いえばと)が糞土(ふんど)を食するが如し” と述べています 聖一とは、臨済宗東福寺派の祖 円爾〔えんに・弁円(べんね)ともいう。聖一国師〕のこと 道隆とは、蘭渓道隆〔らんけいどうりゅう。宋からの来日僧で 建長寺(臨済宗建長寺派本山。鎌倉五山第一位)の開山〕のこと 道隆は、忍性(にんしょう)とともに 北条政権を動かして日蓮に敵対した人です 良観は、日蓮最大の敵、極楽寺(真言律宗)の忍性のことです 道阿弥は、浄土宗鎮西(ちんぜい)流の3祖 良忠と ならんで鎌倉の念仏勢力の中心的人物であった 道教〔浄土宗九品寺流の祖 長西 (ちょうさい)の弟子〕のこと 九品寺流は鎌倉中後期にはかなり隆盛したが現在は消滅しています 念阿弥とは、浄土宗鎮西流の3祖 良忠のことです 日蓮と敵対した人で、鎌倉の光明寺(浄土宗鎮西流の大本山) を創建しています 日蓮という人は どうして根拠のないことをこうもはっきりと言うのでしょうか? まぁ、典型的な宗教の教祖だというより他ないですよ(笑) 遮那業 日蓮は密教化してしまった日本の天台宗に対して 「信じがたい最大の悪事」 「空海の思想以上に人々を惑わせるもの」などと 厳しく批判していますが じつは、日蓮の根本が実は密教であることは書きました “日蓮仏法が密教である”ことに誰も気づかいないのは 天台密教が、法華経や天台大師の教えと 「密教」(大日経や金剛頂経)を融合させたのに対し 日蓮のしたことは、法華経をそのまま密教化したこと 正しくは、法華経を理論化した 天台の教義をそのまま密教化したこと それとともに 密教が師匠から弟子に秘法を伝授するのに対して 日蓮は法然の南無阿弥陀仏に習って 広く民衆に説いていったからです ところが真言密教と天台密教を 人々を惑わす極悪の法であると断じた 自分の立場も密教なわけです 日蓮は、円仁や円珍が 伝教大師 最澄の正義を破り 亡国の法である真言を取り入れ 最澄の法を汚(けが)したなんて言っています 大田殿許御書には “円仁(3代天台座主・山門派の祖)・ 円珍(5代天台座主・寺門派の祖)の両大師・ 先師伝教大師の正義を劫略(こうりゃく・かすめとること)して 勅宣を申し下すの疑い之れ有る上・仏誡遁(のが)れ難し 随(したが)つて又(また)亡国の因縁・謗法の源初之れに始まるか”、 撰時抄には “天台宗の慈覚、安然 〔あんねん・841~?。円仁の弟子。名利を欲せず著述に専念 このため餓死したという伝説も生じている 安然によって日本の天台宗は完全に密教化されたともいう〕 慧心〔えしん・日本の浄土思想の先駆けとなる 「往生要集」を著した平安中期の比叡山の僧 源信のこと〕等は 法華経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり” とあります これもウソなんですよ(笑) 最澄自身が、学生(がくしょう)が修めるべき 2つの課程の1つに密教を定めていいます 2つの課程とは、遮那業(しゃなごう)と止観業です 遮那業の遮那とは 毘廬遮那仏(びるしゃなぶつ・ヴァイローチャナ)のことで 密教では、宇宙の根本仏である 大日如来(マハーヴァイローチャナ)の異名とされます 最澄は、天台教学と密教の思想は一致すると考え 朝廷に申請して認められた2名の年分得度者 〔諸宗また大寺院の出家者に 毎年一定の数をもうけたのが年分得度者制度 諸宗・諸大寺は、経論の試験を行い出家(得度)を許した〕 のうちの1名に遮那業として 大日経などの密教を もう1名に止観業として 法華経や金光明経(こんこうみょうきょう) などを読ませることを定め 出家後12年間修行させています それから、最澄と空海が絶縁したのは 空海が唐から持ち帰った密教経典を 借りた最澄がなかなか返さなかったことが 原因の1つにあげられています これはよく知られている話ですね つまり最澄も密教にかなりお熱だったわけです さらに、天台密教において 3代天台座主の円仁の慈覚大師流 5代天台座主の円珍の智証大師流に対して 最澄にはじまる系統を根本大師流といいます さらにこれらを細かく分類したのが台密13流で 根本大師流はその1つです 【 天台宗の事相の流派は 最澄、円仁、円珍が それぞれ唐より伝えた 根本大師流、慈覚大師流、智証大師流の根本三流に始まる のちに 覚超〔960~1034・良源、源信の弟子〕 が発展させた 川流〔かわりゅう・名称は、良源や覚超が住した 比叡山の横川からきている 慈慧大師(じえだいし・良源の諡号)流ともいう〕と 皇慶(こうけい・977~1049) が創始した 谷流〔名称は、皇慶が住した比叡山の東塔の南谷からきている〕 が登場し 両者は、ともに慈覚大師系で、事相の双璧をなした のちに谷流はさらに10流に分かれ この10流に、根本大師流、智証大師流、川流を加え 台密13流と称し、天台密教の主要な宗派を総称する 】 日蓮の言葉 日蓮の人格を知る上で 御書の文言をいくつかあげておきます “仏(釈尊)の御意(みこころ)は法華経なり日蓮が・ たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし” “大地はささばはづ(外)るるとも虚空(おおぞら)をつなぐ者はありとも・ 潮のみちひ(満干)ぬ事はありとも日は西より出づるとも・ 法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず” “願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐(ぐんこ)に笑わるる事なかれ” “各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ 師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし 彼等は野干(やかん・キツネ)のほう(吼)るなり日蓮が一門は師子の吼(ほう)るなり” “此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲(わし)のごとし、南無阿弥陀仏経等はきじ(雉)のごとし兎のごとし・鷲につかまれては涙をながし・師子にせめられては腸(はらわた)をたつ、念仏者・律僧・真言師等又かくのごとし、法華経の行者に値(あ)いぬれば・いろを失い魂をけすなり” “犬は師子をほう(吼)れば腸(はらわた)くさる・修羅は日輪を射奉れば頭(こうべ)七分(しちぶん)に破(わ)る、一切の真言師は犬と修羅との如く・法華経の行者は日輪と師子との如し” “仏法を学し謗法の者を責めずして徒(いたず)らに遊戯雑談(ゆげぞうだん)のみして明し暮さん者は法師の皮を著(き)たる畜生なり” “人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持(も)ちて名を・くた(腐) して死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ” “蔵(くら)の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり 此の御文(おふみ)を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし” “日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外・ 未来までもなが(流布)るべし” “極楽百年の修行は穢土(えど)の一日の功徳に及ばず” 〔極楽往生を願い念仏を百年修行する功徳は 娑婆即寂光の南無妙法蓮華経を修行した一日の功徳におよばない〕 “苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて 南無妙法蓮華経とうちとな(唱)へゐ(居)させ給へ” “深く信心を発して日夜朝暮(にちやちょうぼ)に又懈(おこた)らず 磨くべし何様(いかよう)にしてか磨くべき 只(ただ)南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり” “法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を” “(濡)れたる・ほくちに・火をうちかくるが・ごとくなるべし、はげみをなして 強盛(ごうじょう)に信力をいだし給うべし、すぎし存命の不思議とおもはせ給へ なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし” “法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やす(休)みぬれば火をえず (法華経の信心を貫いてゆきなさい。火打ち石で火をつけるのに 火を打つのを休んでしまえば火は得られない) 強盛(ごうじょう)の大信力をいだして法華経の四条金吾・四条金吾の法華経と 鎌倉中の上下万人及至(ないし)日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ” “二十余年の間・或いは寺を追い出され・或は処(ところ)を逐(お)われ・或は親族を煩(わずら)はされ(苦しめられ)・或は夜打(よう)ちにあひ・或は合戦にあひ・或は悪口(あっこう)数をしらず・或は打たれ或は手を負う(手傷を負い)・或は弟子を殺され或は頸(くび)を切られんとし・或は流罪両度(伊豆と佐渡)に及べり、二十余年が間・一時片時も心安き事なし、頼朝の七年の合戦もひまやありけん、頼義が十二年の闘諍(とうじょう)も争(いかで)か是にはすぐべき” 〔 頼朝の7年の合戦にもひまなときがあったであろう 源頼義が陸奥鎮定のために戦った12年の間も どうして日蓮の難に過ぎることがあろうか 〕 “我等が本師・釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年・今日蓮は二十余年の間権理(ごんり・仮の教えの法理)を破す其の間の大難数を知らず、仏(釈尊)の九横(くおう)の難に及ぶか及ばざるは知らず・恐らくは天台・伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値い給いし事なし、彼は只悪口・怨嫉計りなり、是は両度の御勘気・遠国に流罪せられ竜口の頸の座・頭の疵(きず)等其の外悪口せられ弟子等を流罪せられ籠(かご)にいれられ檀那の所領を取られ御内を出されし、是等(これら)の大難には竜樹・天台・伝教も争(いかで)か及び給うべき” 日蓮という人は名文家だったのです それとともに革命精神に富んだ人だったのです 他宗を強烈に批判する一方 信徒をとことんほめ 「信」と「利益」を強調し 信徒の心を奮い立たせるところに 日蓮という人の特徴があるのです 日蓮を信徒を徹底してほめます “此の帷(かたびら)をきて仏前に詣でて法華経を読み奉り候(そうら)いならば・御経(おきょう)の文字は六万九千三百八十四字・一一(いちいち)の文字は皆金色(こんじき)の仏なり、衣(ころも)は一つなれども六万九千三百八十四仏に一一にきせまいらせ給へるなり、されば此の衣を給(たび)て候わば夫妻二人ともに此の仏御尋(おんたず)ね坐(ましま)して我が檀那なりと守らせ給うらん、今生(こんじょう)には祈りとなり財(たから)となり・御臨終の時は月となり・日となり・道となり・橋となり・父となり・母となり・牛馬となり・輿(こし)となり・車となり・蓮華となり・山となり・二人を霊山浄土へ迎え取りまいらせ給うべし” 〔 この単衣(ひとえ)を日蓮が着て仏前に詣で法華経を読み奉るならば 法華経の六万九千三百八十四字は一字一字みな金色の仏である 衣は一つですが六万九千三百八十四の仏の一仏一仏にお着せすることになる ゆえにこの単衣をご供養くださった夫妻二人のもとに これらの仏たちがたずねてきて我が檀那であると守護してくださることでしょう 今世では祈りが叶い財を得ます・・・・ 〕 “日蓮去(いぬ)る五月(さつき)十二日流罪の時その津に着きて候しに・いまだ名も聞きをよびまいらせず候ところに・船より上り苦しみ候いきところに・ねんごろにあたらせ給い候し事は・いかなる宿習(しゅくじゅう)なるらん、過去に法華経の行者にて・わたらせた給へるが今末法に船守の弥三郎と生れかわりて日蓮をあわれみ給うか、たとひ男は・さもあるべきに女房の身として食をあたへ洗足手水(てうづ)其の外(ほか)さも事ねんごろなる事・日蓮はしらず不思議と申すばかりなし” 〔 日蓮が去る5/12日、流罪となって伊豆の川奈(かわな)港に着いた時 まだあなたの名前さえも聞かないうちに 船から上がって苦しんでいるのを真心込めて世話してくださった これはいかなる過去からの宿縁でありましょうか たとえ夫(弥三郎) はそうであっても、女房の身として日蓮に食を施し 足を洗うこと手を洗うこと、その他のことまで真心込めて世話してくださったこと 日蓮にはどのような宿縁かは判らず不思議と言う他はありません 〕 “かかる地頭・万民・日蓮をにくみねだむ事・鎌倉よりも過ぎたり、見るものは目をひき・聞く人は怨(あだ)む、ことに五月(さつき)の頃なれば米も乏しかるらんに日蓮を内内にて・育くみ給いしことは日蓮が父母が伊東川奈と云うところに生れかわり給うか” “法華経第四に云く「及清信士女供養於法師(ぎゅうしょうしんじにょくようおほっし)」と云云(うんぬん)、法華経を行ぜん者をば諸天善神等或は男となり或は女となり形をかへ様々に供養して助くべしと云う経文なり、弥三郎殿夫妻の士女(しじょ)と生れて日蓮法師を供養する事疑(うたがい)なし” 〔 法華経第4巻(法師品(第10品)に「(釈尊滅後、法華経を弘める者には 釈尊が僧および)清信の在家の男女をつかわして法師を供養する」とあります 法華経の行者を諸天善神等が、あるいは男あるいは女となり 姿を変えて様々に供養し助けるという経文です 弥三郎殿ご夫妻が、この経文の男女と生まれて 日蓮を供養している事に疑いはありません 〕 “しからば夫妻(弥三郎夫妻)二人は 教主大覚世尊(釈尊)の生まれかわり給いて日蓮を助け給うか” また、女性信徒には “今末代悪世の女人と生れさせ給いてかかるものをぼえぬ島のえびすにのられ打たれ責られ忍び法華経を弘めさせ給う彼(か)の比丘尼には雲泥勝れてありと仏は霊山(りようぜん)にて御覧あるらん、彼の比丘尼の御名(みな)を一切衆生喜見仏と申すは別(べち)の事にあらず、今の妙法尼御前の名にて候べし、王となる人は過去にても現在にても十善を持つ人の名なり名は・かはれども師子の座は一也、此の名も・かはるべからず” ≪ 今、末代悪世の女性として生まれてきて このように道理をわきまえぬ日本の野蛮な人々に ののしられ、打たれ、責められ、耐え忍んで法華経を弘めている かの比丘尼〔釈迦の養母で、仏教初の女性出家者 摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)〕よりも 「あの方が天地雲泥すぐれている」と釈尊は霊鷲山(りょうじゅせん)で 見ておられるでしょう 釈尊よりかの比丘尼に授けられた一切衆生喜見仏という名は 別のことではありません 今の妙法御前あなたの名前なのですよ 王となる人は過去にも現在にも 十善戒を持つ人の名です 王の名はかわっても王の座は一つである 一切衆生喜見仏という名も王の座と同じなのですよ ≫ 〔 十善戒とは、不殺生・不偸盗(ふちゅうとう)・不邪淫・ 不妄語(嘘、偽りを言わない)・不悪口・不両舌(二枚舌をつかわない)・ 不綺語(おせじを言わない)・無貪(むとん・むさぼらない)・ 無瞋(むしん・怒らない)・正見 インドでは、帝王は世間に十善を実現させるべきであると 考えられていたという この思想が、日本に伝わり 天皇は前世に十善を受持した功徳により この世に王位を得たということから十善の君(きみ) 十善の主(あるじ)、また十善の帝位と称されたようである 〕 “女人の御身として法華経の御命(おんいのち)をつがせ給うは釈迦・多宝・十方諸仏の御父母の御命をつがせ給うなり此の功徳をもてる人・一閻浮提(いちえんぶだい)に有るべしや”(女性の身として法華経のお命を継いでいることは、釈迦仏、多宝仏、全宇宙の諸仏を生み育てた父と母のお命を継いでいることになるのです。このような功徳をもっている人は、世界中にいるでしょうか)“女人の御身として法華経の御命(おんいのち)をつがせ給うは釈迦・多宝・十方諸仏の御父母の御命をつがせ給うなり此の功徳をもてる人・一閻浮提(いちえんぶだい)に有るべしや” 〔 女性の身として法華経のお命を継いでいることは 釈迦仏、多宝仏、全宇宙の諸仏を生み育てた 父と母のお命を継いでいることになるのです このような功徳をもっている人は、世界中にいるでしょうか 〕 “第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土(どうこえど)を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし、しかりと・いえども弟子等・檀那等の中に臆病のもの大体或いはをち或いは退転の心あり、尼御前の一文不通の小心に・いままで・しりぞかせ給わぬ事申すばかりなし” 〔 第六天の魔王は十種の魔軍で戦を起こし 法華経の行者を相手に生死の苦しみの海の中で 凡夫と聖人が同居しているこの娑婆世界をとられないぞ、奪ってやるぞと争う 日蓮はまさに魔王と戦う身にあり、大兵を起こして 20年余りになるが一度も退く心はない しかし弟子や檀那などのなかには、退転したり退転の心がある 尼御前が法華経の経文の一文にも通じていない弱い身で 今まで退転されなかったことは、言葉に尽くせないほど立派である 〕 これでは、言葉の世界にひきずり込まれてしまうのも無理はないのてす 依存してしまうのも無理はないのです 結論をいうと、日蓮がいいとか悪いとかは別として (そんなことどうでもいい) 人間の世界が言葉の世界 言葉で組み立てたバーチャルな世界であることを知らないと こうした言葉の世界に自分の根拠を求める 人生で終わってしまうということです だいたい宗教指導者というのは 言葉のバーチャルな世界にひきずり込もうとします 日蓮とか、創価学会の池田さんとか(笑) それがいけないと言っているんじゃないですよ これに対して、 道元という人とは、宗教家としては珍しく けっこうまともなことを言っているところもあるので好感をもてます 「正法眼蔵髄聞記」 〔道元の教えを直弟子の懐玄(えじょう)が記録したもの〕には "学道の人、自解(じげ)を執する事なかれ 縦(たと)え所会(しょえ)ありとも 若(も)しまた決定(けつじょう)よからざることもあらん また是れよりもよき義も有らんと思うて、ひろく知識をも訪(とぶら)い 先人の言(ことば)をも尋ぬべきなり また先人の言なれども堅く執する事なかれ" 〔 仏道を学ぶ人は、自分の見解に執着してはいけない たとえ自分では理解したと思っても もしかしたら正しくないこともあるかもしれない またもっとすぐれた意味もあるのではないかと考え、広く知者を訪ね 先人の言葉も調べてみるべきである また先人の言葉であっても固執してはいけない〕 "先(ま)ず我を忘れ、人の言わん事を好(よ)く聞いて 後に静かに案じて、難もあり不審もあれば、逐(お)っても難じ 心得たらば逐っても帰すべし。当座に領する由(よし)を呈せんとする 法を好くも聞かざるなり" 〔 法を聞くときはまず自分というものを置いといて 相手の話の真意をよく聞いてそのあと静かに考えなさい そして次の機会にでも欠点や疑問な点があれば問いただし 納得がいったなら帰依しなさい その場でよく分かったようなふりをするのは 肝心な法の話をよく聞いていないのである 〕 "語言文章(こごんもんじょう)はいかにもあれ 思うのままの理をつぶつぶと書きたらば 後来(こうらい)も文章わろしと思うとも 理だにもきこえたらば、道のためには大切なり" 〔 言葉や文章がどうであれ、思っている理論をこまごま書いたなら 後世の人が読んで文章はよくないと感じても 理さえ確かなら、それは道のために大切なことである 〕 なんてのがあります 四箇(しか)の格言 日蓮が他宗派を攻撃した “念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊”という言葉 1、念仏無間 浄土宗の極楽往生を揶揄して 念仏信者は、死後の救済ばかりを願っていて 現世に利益がなく、死後は無間地獄に堕ちる 2、禅天魔 禅宗は、拈華微笑(ねんげみしょう) 教外別伝・不立文字(きょうげべつでん・ふりゅうもんじ) を立てる ある時、釈迦が一枝の花房を手にとって弟子たちに示したところ 迦葉(かしょう)のみがその意味を理解して破顔微笑した この迦葉から真実の教えが以心伝心により、代々伝えられ 28祖の達磨(だるま・中国禅宗の祖)に伝わった 釈迦の本意は、釈迦の言葉 すなわち経典により伝えられたのではなく 以心伝心により別に代々受け継がれてきた 言葉では真実の教えを表現することができないし 言葉は真実そのものでもない 経文は役に立たないので用いないという意味である これに対し、日蓮は釈迦の言葉(教説)を否定し 教説よりも自分の心を基準として 「悟った」などと言っている禅宗に対して 「禅天魔」〔天魔の所業である〕と批判したのである 3、真言亡国 朝廷や有力貴族と深く結びつき 鎮護国家 (ちんごこっか)の祈祷を売りものにしている 真言宗(真言密教)をひにくって 「真言亡国」 〔大日如来を教主に立てて釈迦の上に置き、法華経を第三とし 主客顛倒 (てんどう)しているゆえ、真言がはびこると 人々の価値観も顛倒して国が滅びる〕と批判したのである 4、律国賊 真言律宗の僧 忍性 〔にんしょう・極楽寺良観の名でも知られる。日蓮最大の敵〕が 貧窮者・病人・孤児への社会救済活動により 生き仏、医王(いおう)如来と 国の宝のように崇められているのを 揶揄して「律国賊」と弾じたのである 真言律宗は、真言密教と戒律を融合させた教派である 日蓮を考察する ② 釈迦本仏VS日蓮本仏 |
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