緋山酔恭「B級哲学仙境録」 新興宗教とオウム ⑤ 麻原彰光を考察する



B級哲学仙境論


新興宗教とオウム


 




新興宗教とオウム ⑤




オウム真理教とは?



オウム真理教とは

インドの後期密教(タントラ)やチベット仏教の思想を根本に


ヒンズー教の最高神 シヴァへの信仰

ヨガ

超能力や予言


キリスト教のメシア思想やハルマゲドン(終末論)


原始仏教あるいは原始キリスト教的な

共有財産制(全財産を教団に布施)による共同生活


など雑多な要素を取り入れた教団です



麻原教祖を

インドのヨガ修行で悟りを得た

日本で唯一の≪最終解脱者≫

(煩悩や苦悩から解き放たれ、輪廻転生からも解放された人)

と位置づけ

シヴァとともに崇拝の対象=本尊 としていました






●  ハルマゲドン



新約聖書「ヨハネ黙示録」において

神が悪魔と戦って勝つ世界最終戦争の場所の名

またその戦争をいいます


ハルマゲドンは、ヘブライ語をギリシア語に音訳したもので

もともとはパレスチナにある古代都市メギドの丘をさします



初期キリスト教団では、終末はすぐにもやってくると言われていて

千年王国説(至福千年期説)などが唱えられました



後に年代を定める考えはなくなり

むしろ終末はイエスの死と復活によってすでに始まっている

現在は終末の始まりと決定的な終末の中間にある

という考え方が主流になっています



千年王国説とは

ヨハネ黙示録20章の字句をそのまま解釈したものです


世界最終戦争のハルマゲドンに先立ち、キリストが再臨する



ハルマゲドンがおこるとキリストは地上に降りて

悪魔(サタン)を鎖につなぎ、地上に王国を建設する


罪人(つみびと)は地獄に落ち


義(ただ)しいキリスト教徒や殉教者は

復活(第1の復活)し、不死の身体を与えられ、幸福の生活を送る


この地上の王国が千年続く



王国の終わりにあたり悪魔は自由となり

神と戦い、悪魔は闘争の末に決定的に滅びる



そこで全ての人間が復活(第2の復活)し

キリストによる最後の審判が行われ

罪人(つみびと)は火の池に投じられ

義しい人間は神の国(天国)で永遠の幸福を得る


というものです




それからナチスは、自らの帝国を、神聖ローマ帝国

ドイツ帝国(プロイセン王国がドイツ諸邦を統一して建設)につぐ

「第三帝国」と称していますが

この第三帝国を千年王国とも称していました



エホバの証人(ものみの塔)や

モルモン教なんかが今でも千年王国説を唱えています




キリスト教では

イエスの贖罪(人類の罪を背負って十字架にかけられたこと)

によって


イエス以前の人類の罪は赦されたが

イエス以後に冒してきた罪は赦されていないので


いずれ最後の審判の日がくる

なんて話になっているのです







●  シヴァ


シヴァとは、本来、吉祥を意味する形容詞だといいます


バラモン教の聖典 リグ・ヴェーダの

暴風神 ルドラと同一視されますが

この時代、シヴァはそれほど大きな神格ではなかったといいます


やがて諸地方の土着の神と習合を重ね

ついに世界の主宰神になったとされます


とくに世界を破壊する神として恐れられるに至りました



ヒンズー教神話では

太古の海を神々が攪拌し、アムリタ(不死の飲料)を得ようしたとき

大蛇バースキが猛毒(ハラーハラ)を吐き、世界は滅びそうになります


シヴァがこの毒を飲み干し事なきを得ますが

シヴァのノドはそのために焼け、頸(くび)が青黒くなったので

ニーラカンタ(青い頸)の異名を持ちます



また、舞踏の創始者とされ、歌舞音曲の守護神として

ナタラージャ(踊りの主の意)とも呼ばれ

丸い炎の中で片足をあげて踊っている姿で描かれます




また、世界を破壊する神 マハーカーラ

〔偉大な時間の意。時間は一切の破壊者であることから

黒い姿から大いなる暗黒(大黒)とも訳され

仏教に大黒天として取り込まれた〕の異名を持ちます



また、天上界から落下したガンジス川を頭頂で支え

ガンガーダラ(ガンジスを支える神)と呼ばれるシヴァ像は

頭頂部からは小さな噴水が吹き出していて


絵画場合、頭髪の中で

ガンガー女神(ガンジス川の神格化)が

口から水を噴出しているものも多いといいます


 転 写


これはヒマラヤ山脈におけるガンジス川の始まりを示すといいます



また、金、銀、鉄でできた悪魔の3つの都を

一矢(あるいは三叉の戟)で貫き

焼き尽くし、三都破壊者の名を持ちます



この他、ハラ(ハリと呼ばれるビシュヌに対応)

バイラヴァ(恐怖すべき者)  シャルベーシャ(有翼の獅子)

パシュパティ(獣の王。シヴァ派の一派にパシュパィ派がある)

マハーデーヴァ(偉大なる神。大天)

マハーシュバラ(大自在天)など異名は1000を超えるそうです



つねに、ヒマラヤで苦行する一方

ヒマラヤの娘 パールバディーを妻とし愛欲の限りを尽くし

ヒマラヤのカイラス山を住居とするとされます




また、両目の間には第3の目があり

この目から怒ると炎が出て全てを焼き尽くします


額には、白く横に3本の線が描かれます



 転 写



大蛇を首に巻き、腰には虎皮を巻き

三叉(さんさ・先が3に割れた)の戟(ほこ)を持ち

ナンディン(乳白色の牡牛)に乗り、妖怪を従えます


二臂あるいは四臂

四面四臂の姿でも描かれます






シヴァは、仏教に取り込まれ

大自在天〔マハーシュバラ・

摩醯首羅天(まけいしゅらてん)。偉大なる主宰神の意〕


また、自在天 (自在天)や

伊舎那天(シヴァの8相の1つイーシャナから)となり

三千世界(あらゆる世界)の主となりました



しかし、密教神話では

大日如来に従わず「三世界(三千世界)の主である」

と称した従来の諸天の主 大自在天は


降三世明王(ごうざんぜみょうおう・密教の五大明王の1つ)

によって降伏され


降三世明王に、妻の烏摩(ウマー・パールバディーの別名)とともに

踏みつけられる存在になています



 降三世明王   国宝 (東寺)




降三世明王は、この密教神話に由来する明王で

三世界の主と名乗る大自在天を降伏させたことから

≪降三世≫といいます


後期密教のさきがけに登場した新明王であるといいます



なお、大自在天が

天上界で、天女たちにかしずかれ、歌舞を楽しんでいたとき


髪の生えぎわから、突如生まれたのが

福徳と諸芸成就の女神 技芸天

〔大自在天女。摩醯首羅頂生(ちょうしょう)天女〕です






バラモン教では

最古のリグ・ヴェーダ時代(前1500~前900頃)には


インドラ〔シャクロー・デーバーナーム・インドラ。軍神。雷神

仏教に取り込まれて帝釈天となっている〕

が最高神的地位にいて


前500年頃には

ブラフマー〔梵天・宇宙の最高原理の「梵」(ブラフマン)の神格化〕

に代わり


ヒンズー教となって

ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの3神が

れぞれ宇宙の創造、維持、破壊を司る

として最高神の座にありました



ところがヴィシュヌとシヴァの信仰が高まるにつれ

ブラフマーの地位が下がり

宇宙はヴィシュヌかシヴァのどちらかの影響のもと

ブラフマーの創造がなされた

とされるようになったといいます






そこで、ヒンズー教各派は

ヴィシュヌとシヴァのどちらを最高神として信仰するかによって

ヴィシュヌ派とシヴァ派に大別されます



シヴァ派では、シヴァを、男性の性器(リンガ)で象徴し

シヴァ派の寺院には、リンガが祀られていて


女陰をあらわす皿のような台の上に

その女陰を貫く形で立っているといいます



リンガは創造の象徴で

信者は性器崇拝とは考えていないらしいです


小さなリンガを身につける信徒もいるといいます





ちなみに、ヴィシュヌはもともとは太陽神で

リグ・ヴェーダではその1つにすぎなかったとされ


土着民の最高神と習合をかさね

シヴァと並ぶヒンズー教の最高神に至ったといいます


のちに化身説が登場しています



化身の数や種類は宗派によって

様々なようですが、10化身が広く普及しています


10化身には

ラーマ〔インド2大叙事詩の1つ「ラーマーヤナ」の主人公

コーサラ国王の長男。悪魔を倒す英雄〕


クリシュナ〔インド2大叙事詩の1つ「マハーバーラタ」の主人公

悪魔を退治する英雄〕


ブッダ(釈迦)などがあり


ブッダについては

偉大なる聖典 ヴェーダを悪神(アスラ)から守るため

邪教をとき悪神を退治したといいます




仏教には、那羅延天(ヴィシュヌの別名 ナーラヤナから)あるいは

毘紐天(びちゅうてん・ヴィシュヌの音写)として取り入れられ


また、大力の神として、那羅延堅固王(ならえんけんごおう)となり

密迹金剛力士(みつしゃくこんごうりきし)とともに


金剛力士(仁王)の1人となったたそうですが

仏教では、大きな尊格になることはありませんでした


なお、仁王は、開口の阿形(あぎょう)像=那羅延像と

口を結んだ吽形像(うんぎょう)=密迹像の2体を一対として

寺院の表門などに安置されます








麻原彰光を考察する



前述の、法の華の福永の場合

豊田商事や円天なんかの詐欺グループの代表となんら変わりなく

≪よろしくやりすぎて失敗した≫だけと言えます


言うなれば、創価学会の池田さん、幸福の科学の大川さん・・・

そういった人たちの延長にあるだけということです



ところが麻原教祖の場合

どうして他の宗教団体は、みんな≪よろしくやっている≫のに

オウムだけあんなになっちゃったんだろうか?

という話になりますよね


そこには、福永法源的な要素プラス なにかがあるはずです




ヒトラーを考えてください

彼は、お酒もタバコもしません 女遊びにも興味を持ちませんでした

ある意味、非常に清廉潔白な人でした



そんなところから

「ヒトラーは単に自分の欲望の実現だけに

ユダヤ人を虐殺したのではない

公(おおやけ)のためにしたのである」という人がいます



それは違うと思います


彼は、非常に≪狂信的≫で≪強欲≫だったはずです

≪狂信的≫といっても

教祖の教えにぶらさがっているだけの

ちょうちんの狂信さとは違います



自分の「思想」や「理想」に≪狂信的≫だったのです


そしてその実現に対しては

他の人間を抹殺することなど全くいとわないほどに

≪強欲≫だったわけです




自分の「思想」や「理想」とは

≪ユダヤ人また共産主義は

人類の敵で抹殺しなければならない≫とか


≪ゲルマン民族が優秀で、ユダヤ民族が下劣である≫とか

いったものではありませんよ



それは自分の「思想」や「理想」を正当化するための

≪たてまえ≫であって

深層意識には、独裁者として理想化された自分があるはずです




麻原教祖にも、自分の身を破滅させても

突っ走ってしまうほどの

そうしないと自分自身が≪救済≫されないほどの

理想化された自分があったのかもしれません





じつは、こういう人はたくさんいます


例えば


「Aさんって、お酒も飲まないし、タバコもやらないし

ギャンブルもしない、女遊びもしないけど

いったいなににお金を使ってんのかな?」


「ミニカーを収集しているようだよ

日本で有数なコレクターらしいよ

給料のほとんどを収集にかけるみたいだ」


「俺は結婚しない ミニカーがあればいいなんて言ってたよ」


「そりゃ変わっているね」



Aさんとしては、あの1台のミニカーは

自分の人生にとって絶対必要な価値であって

なにがなんでも手にしたいのです


しかしはたからみると

プールの中にある小石(価値のないモノ)を

必死にもぐって採ろうとしているような生き方で、全く理解できません




人間というのは弱いのでなにかに逃げるのです

そこでふつうの人は、いわゆる快楽に向かうのです


しかし、お酒も飲まないし、タバコもやらないし

ギャンブルもしないし、女遊びもしない・・・


こういう人、つまり逃げるところがない人は

立派ではあるのですが


クセが強かったりもするのです



またそういう人でもなにかには逃げるのです


それがAさんのように

ミニカーの収集などといった趣味のことに逃げるなら

「そりゃ変わっているね」ですみます


他人に害がないですから・・・・




しかし変な「思想」や「理想」に逃げ

さらにその人が

≪言葉の力≫をもっていると

おかしなことになっちゃうわけです




ヒットラーなどその最たる存在で

人間の世界とは言葉の世界なので

言葉を制した者が人を説得し、勝利者になっていくのです





麻原の魅力とは、そういった狂信性と

言葉の力、そこから現れてくる強力な父性原理を

もちあわせていたのではないでしょうか?



また、オウムの教義や修行の内容自体は

非常に幼稚、稚劣ではあったものの


釈迦やイエス、あるいは日蓮などといった

過去の遺物にぶらさがらない独自性を持ちました



そんな麻原の要素が

若者たちをひきつけたのではないでしょうか・・・



そして麻原の≪狂信≫と≪慢心≫が

とんでもない事件を巻き起こしていくことになったのです








しかし、ダーキニーと呼ばれた麻原教祖の愛人たちが

教団施設に居住していたなんて事実からすると

ヒトラーのような狂信の人ではなく


単に「力」をもったがゆえに、おごり、勘違いをし

欲求を暴走させていっただけの弱い人間だったのかもしれません



ダーキニーは30人ほどいたといいますが

麻原好みの女性が選考され、麻原本人が直に面接し

麻原により左道タントライニシエーション(灌頂)が行われ

処女だった場合、ダーキニーになることができたといいます



麻原教祖は、ダーキニーたちとイニシエーションと称して性交して

精液を飲ませる行為を

神の血液を与える神聖な儀式として行ったり

また愛人同士で麻原の精液を口移しさせたりもしていたといいます



また、麻原は、自分の性器が小さいことを

「大きい性器を持ち合わせている者」は

前世での性的カルマが根深いためで

解脱に至るのに苦労すると信者たちに説法したといいます








●  ダーキニー



ヒンズー神話では

シヴァの妃 カーリーに仕える鬼女で


ダーキニーは、幻力を持ち

墓場に集まって肉を食べ、酒を飲み

音楽を奏して乱舞し、性交する宴をなします


また、カーリー(またはシヴァ)に

人間の心臓を生贄として捧げるとされます



なお、人に害をなす鬼女ですが

うまく扱えば恩恵をもたらすともされています



仏教には、夜叉女や羅刹女のたぐいとして取り入れられ

漢訳は、荼枳尼天(だきにてん)です



中期密教では

大日如来が化身した大黒天によって調伏されますが

死者の心臓であれば食べることを許可されているといいます


また、大黒天から「キリカク」という真言を授けられたとされます


大黒天の眷属(けんぞく)として、人間の死を6ヶ月前から予知し

死ぬまではその人を加護し、死ぬのを待って

その心臓を食べ、神通力を得るとされているそうです


人間の心臓には「人黄」という生命力の源があり

これが荼枳尼の呪力の元だといいます




神通力を得るため、また神秘的な力により大願を成就させるために

荼枳尼天を本尊として行う荼枳尼法という修法(しゅほう)があります


この修法は真言密教で行われましたが、外道視されてきたらしいです





左道密教(インドの後期密教)では、

霊能力をもつとされる

賤民カーストの女性たちのグループを

荼枳尼網(だきにもう)と呼び


彼女たちを万物を発動させる女性原理

さらには悟り生む智慧である般若波羅蜜とみなし


性的瑜伽(ゆが・ヨガ)することで、つまり性行為をすることで

悟りに至れるとされたといいます




日本では、ダーキニーは、狐の精であるとみなされ

稲荷神〔=宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ・倉稲魂神)〕

と同一視されました


狐は、古墳や塚に巣穴を作り

ときには屍体を食べることが知られていたこと


また人の死など未来を知り

これを告げると信じられていたことからだと考えられています


なお、宇迦之御魂神は

本来、食物神で、狐はこの神の神使(しんし)です




稲荷信仰には、神道系と仏教系の2系統があり

荼枳尼天を祀ることで有名なのが

豊川稲荷〔愛知県豊川市・曹洞宗 妙巌寺。本尊は千手観音

商売繁盛の神様として知られている〕です








ダーキニーなんてのが事実であるなら単なるバカでしょ


単なるバカでもともと気の小さな人間が

力をもったことで勘違いし

事件を起こして、捕まって


死刑にされるのが怖くて、気が狂って大小便を垂れ流していた

ということになります



ホントにそうなのでしょうか?




ほとんどの宗教が

釈迦やイエスにかこつけ、そこにぶらさがっていますよね


釈迦といったって一人のインド人ですよ(笑)

イエスはユダヤ人です



結局、たいそうなことを言っても

そんなのにぶらさがっていない

とやっていけないわけです




しかし、オウムでは

シヴァという日本ではなじみのない

ヒンズー教の神を持ちだしてきて


この神と、日本で唯一の最終解脱者 麻原教祖

というのを信仰の対象にしたのです



シヴァが麻原に神がかり

麻原が神の言葉を伝えるといった

従来の神様系にみられる思考とも違います



それから水中クンヴァカをはじめとする信者の修行内容も

一般の我々の思考からは、非常に違和感を感じるものでした




このように、パラダイム(支配的な考え)にぶらさがらず

独自のことをやる人というのは

むしろ≪ずぶとい≫ですよ(笑)





≪水中クンヴァカ≫とかいう

水中に長くもぐっている修行がオウムにはあります


この修行で苦しがる信者に対し

「今世なんて死んだって、狂ったっていいだろ!!」

と怒鳴っている

麻原の肉声をTV番組で聞いたことがあります




世間では

「麻原は死刑になるのがこわくて狂ったふりをしていた」とか

「死刑にされるのがこわくて、気が狂ってしまった」などと言われています



しかし、信者としたら、当然

≪わざと教祖は、自分から気を狂わして

我々に修行のありかた、救済者としてのありかたを示している≫


≪解脱している尊師にとって、人間としての尊厳を捨てるなど朝飯前だ≫

などととるはずですし


死刑が執行された今となっては

麻原は、さらにキリストのような存在として

崇められていくことになるでしょう




麻原教祖が、もし、そこまで計画して

すべてのこと(選挙もサリン事件も)をなしたとすれば

バカどころか、稀にみる狂信であり天才であったと言えます


しかしそれはないでしょうね




なぜ?

日本というちっぽけな世界

さらにさらにちっぽけなオウムという世界で

キリストのような神になったところで

なにか麻原にとって意味がありますか? ということです





麻原教祖が

あまりにも幼稚な思考で

オウムという集団を動かし

選挙にしろ、サリン事件にしろ失敗していく


そこで

≪それはわざとで、麻原には、なにか深い計画があるのではないか?≫

とさえ勘ぐってしまうのでしょう(笑)







サイコパスと宗教家



連続殺人犯(シリアルキラー)のなかには

とても知能指数の高い人物がいます



犯罪心理学によると

彼らは、サイコパス(反社会的人格)と呼ばれ

自分対する高い理想像をもっています



しかし現実社会では、認められず

望むべく社会的地位や収入が得られず


理想像と現実の間にギャップが生じると

それを別のなにかで埋めようとするというのです



シリアルキラーにおいては、それが連続殺人であって

「自分はこれだけのことができるんだぞ」というのを

社会に示して、自己顕示欲をみたそうとするのだそうです


なかには、わざと現場に証拠を残したり

警察に挑戦的な文章を送りつける人物もいます




能力のある人なら

それだけ高い理想像を持つのは当然ですし

理想と現実とのギャップに苦悩しつつ生きている人は

数限りなくいるはずですが


ヒトラーにしろ、宗教家にしろ

他者を洗脳し、盲従させ

そうした他者から崇拝されることで

ギャップを埋めようとする


そこに、我々とは異質のものがあるのではないでしょうか?








オウム事件の真相



宗教の信者は

なぜ、自分の教団の教義が絶対に正しいと

信じているのでしょうか?


ほとんど人たちが

他の宗教の教義など知らず、また勉強せず

また比較せずに

そのように思い込んでいるのです



結局、彼らのような人間にとっては

最初にそこの宗教に入ったから

そこの宗教の教えが絶対なのであり


仮に、別の宗教に入信していたら

その別の宗教の教えが「絶対正しい」となっていたのです


なので根拠になれば、なんだっていいのです




宗教の『信じる』とは

ホントは、神仏の真理を信じる というのではなく

自分の根拠と決めたモノを信じる

というだけであり


宗教の信徒というのは

自分の「存在根拠」を維持するのために

信じたいものを信じている

というだけであって


ホントは、教えが

正しいとか、間違えているとか

なんてどうだっていいのです




そもそも正しいとはなにか、間違えとはなにか

ということさえ

よくわかっていないというか

考えることもしません





なお、ひとたび、信じてしまうと

なんだってよくなくなりますが


これは、自分の存在根拠が崩壊してしまうから

信じた教えが絶対であり

なんだってよくないというだけのことです






よく、「オウム信者は、麻原に、洗脳されていた」

とか言って

麻原教祖ばかりを悪くいいますが


信者に、自分の根拠を欲する欲求があるから

洗脳されるのです





オウムでは


人間の世界は、物質的進化の極点に達している

今後は、霊的進化への反転が生じる


現在の人間は物質的欲望に縛られて

動物化しているため

これを粛清し

その後に霊性のレベルの高い神的人類から成る

ユートピアを建設する


なんて教えていたようです





ウィキペディアをみると


オウム事件で、死刑となった

井上嘉浩氏(よしひろ)が

中学三年生のときに

このように↓書いていたことが判ります



俺たちは本当に幸せなのかな?

この世界、金さえあれば何もかも手に入ると考えている大人たち


朝夕のラッシュアワー

時につながれた中年達


夢を失い

ちっぽけな金にしがみつき

ぶらさがっているだけの大人達


工場の排水が

川を流れていくように


金が人の心を汚し

大衆を飢え死にさす


時間に

おいかけられて

歩き回る一日がおわると

すぐつぎの朝


日の出とともに

逃げ出せない

人の渦がやってくる


救われないぜ

これがおれたちの明日ならば


逃げ出したいぜ

金と欲だけがある

このきたない

人波の群れから


夜行列車にのって





人が、お金を求め

そのために、時間を費やすのは

お金によって

自分の根拠を築いたり

維持するためですよ(笑)



このことをやめてしまうと

言葉によって組み立てられた世界に

依存するしかなくなるのです




そして

そうした信者が増えていったことが

麻原に勘違いをおこさせ

暴走させることになった

というのが、一連のオウム事件の真相でしょう




井上嘉浩氏が裁判で語った

「麻原の意志に背けば殺される」

「麻原が独断でやったことである」

というような

単純な話ではなく



信徒の「自分の根拠」に対する欲求が

麻原を支えていたからこそ

麻原の暴走がおきたということです





結論をいうと


一連のオウム事件の真相の根っこには


信者たちが


1、存在の根拠というのは、なんだっていい

ということを知らなかったこと


2、お金を稼いで

自ら自分の根拠を築こうとせず


言葉のバーチャルな世界に

存在の根拠を求めていったこと


があったということです




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