緋山酔恭「B級哲学仙境録」 仏教編 仏教の論理学(因明)について



B級哲学仙境論


仏 教 編


 




仏教の論理学(因明)



科学とは?



哲学は、人文科学の1つとして位置付けられています


「科学」ってそもそもなんなの?


もともと広く体系的な学問をさす言葉ですが

狭義では自然科学をさします


一般的には後者の意味として用いられます



広義の科学は、自然科学と人文科学に2分されたり

自然科学と人文科学と

社会科学(2分するときは人文科学に含める)に3分されます


現在では3分するのが一般的です




自然科学とは、自然現象を対象とし

そこに見出される法則を研究する学問です


物理学・化学・生物学・地学・天文学などで


広義には医学、農学、工学などの

「応用科学」と呼ばれる分野を含みます




社会科学は、国家、政治、経済、法律などといった

社会的諸事象を対象とした学問で


経済学・政治学・法律学・社会学・歴史学などがこれです




人文科学は、人類の創造した所産(文化)を研究する学問

またそれを可能にする人間の本性を研究する学問だといいます


哲学・芸術学・文学(文学作品を研究する学問)・

文学史学・語学・神学・宗教学・言語学などがあります



最近では、新たに「形式科学」という分類も生まれています


形式体系に関係する科学の総称で

論理学、数学、システム理論、計算機科学、情報理論など

といったものがそれだとされています




心理学は自然科学なの?


人間の本性を研究する学問ということからすると人文科学

自然の1つである人間を研究する学問ということからすると

自然科学と言えるようです



言語学も

人文科学、社会科学の要素も含みます



言葉は物差しのように分けられない

ものごとをきっちりと分けられないのです





小学校で習う理科は?


物理学・化学・生物学・

地学〔地質学・鉱物学・ 気象学・海洋学・古生物学など〕・

天文学などといった自然科学の内容をまとめたものだそうです




化学っていうのは?


バケ学というように、モノが化ける、モノが変化することに着目し

その変化のしくみなんかを説明する学問です


紙に火をつけると燃える

これはなぜか? といったように

化学反応を調べる学問です




物理学は?


物質の構造や性質や運動

また自然現象を支配する法則なんかを

研究する自然科学の最も基本的な学問です


対象は、素粒子から宇宙に至ります




科学技術は?


ニュートンは、りんごが木から落ちるのをみて

万有引力という法則を発見したわけですが


こういった法則を利用して

色々なモノを作り出すのが科学技術です


水力発電所では、水が落ちる法則を利用して

電気を作っています







ストア派



哲学の本質、目的、方法といったものを哲学する

「哲学の哲学」と呼ばれているものもあります

≪メタ哲学≫です


(メタとは「超」とか「高次」といった意味を持つ英語の接頭語)




英語のフィロソフィー(哲学)は

もともとはギリシア語で「知を愛する」という意味の言葉だったといいます



ギリシア哲学の一派 ストア派というのがあります


ストアというのは

古代ギリシアで市民が集う所に建てられた列柱廊建築です


 列柱廊建築 ストア    転写



 列柱廊建築 ストア    転写




ストア派の名称は、この派のゼノン(前335~前263)が

アテネの広場にあった公会堂 ストアポイキン

(彩色柱廊。ゼノンはここに学園を開いたという)

で講義したことに由来するそうです


ストア派は、前3世紀から前2世紀にかけて

強大な影響力をふるった学派だといいます



このストア派が

「論理学、自然学、倫理学の3つの分野が

相互に結びつき

1つの知恵を愛し求めることで

愛知(フィロソフイー)となる


愛知とは、客観的な知識ではなく

人間が正しく生きるための実践的な知恵である


この知恵を得た者が賢者で

自然の秩序に従って生きることが賢者の知恵である」

と説いたそうです





ストア派って、他にどんな思想を語ったの?


ストイック(禁欲的の意)という言葉があります


これはもともとストア派の哲学者や

ストイシズム〔ストア主義。喜びや悲しみの感情を押し殺して

平静な態度で運命を受け入れる人生観や心情〕を

信奉する人たちをさすものだったといいます



するとストア派の思想は、運命論的なものだったのかな?


まず、神を、自然の根源的な原理、根源的な自然と考えたようです

そして、この根源的な自然と一致し、神そのものになるというのが

この派の目的だったようです




彼らの思想は


「世界は物質的存在ではあるが、そこに神は秩序を与えている」


「ゆえに、秩序にのっとって生きることが

人生の目的であり、幸福であり

道徳であり、義務であり、さらには神と一致する修練である

神の秩序をみきわめ、情念や思惑にまどわされずに理性的に生きよ」


「賢者は与えられた自分の定めを知り

定め(秩序)のままに生きることで、根源的な自然と一致する」


といったところです


簡単にいうと、運命や宿命を受け入れて理性的に生きることが

幸福で神(自然の根源的な原理)になる方法というわけです



また、ギリシアは都市国家(ポリス)の集まりだから

そういった世界において世界市民として

一定の役割を果たすには義務感を身につける必要がある

とも説いたとされるから

社会的な義務や役割を重視したようです







演繹法と帰納法



ところで論理学というのは?


論理学というのは

かつては哲学の一分野とされていました



論理学とは、正しい結論を得るために

どのような思考方法が妥当であるかを研究する学問です




論理は、前提、推論、結論で成り立りたちます


A=B(前提1)、B=C(前提2) ならば(推論)

A=C(結論)というものです




最もよく知られている論理の形式が

多くの具体的事実から共通点をさぐり、結論を導き出す

「帰納法」(きのうほう)と


一般的、普遍的な事実をおしひろげ、結論を導き出す

「演繹法」(えんえきほう)です




演繹法は、アリストテレス(前384~前322・

古代ギリシアの哲学者)によって考案され


帰納法は、ベーコン(1561~1626・イギリスの哲学者

「知は力なり」とイデア論で知られる)や


ミル(1806~1873・イギリスの哲学者

ベンサムの功利主義を継承)によって確立されたといいます




帰納法、りんご、バナナ、みかん、イチゴといった特殊から

≪果実≫という普遍を導き出していくといったものです




演繹法は、結論をおしひろげて説明します


≪果物≫という概念を認めるならば

りんごも果実、バナナも果実、みかんも果実

イチゴも果実 というように

演繹法は、結論をおしひろげて説明します


≪果物≫という概念を認めるならば

りんごも果実、バナナも果実、みかんも果実

イチゴも果実 というように

普遍を、特殊にあてはめていくものです




演繹法の最も基本的形式が

「三段論法」です


前述した

前提条件 A=B  B=C →  結論 A=C です



演繹法は、A=B  B=C という法則(公理)から

A=C という新たな法則を、導き出していくわけです



演繹法は、前提条件が正しければ

導き出される結論も必ず正しくなります


これは、演繹法は

前提条件 A=B  B=C を

A=C に、言い換えているだけだからです




A社製のテレビが壊れた デジカメが壊れた パソコンが壊れた

だから「A社製は全て壊れやすい」というのが帰納法です


1つ1つの特殊→ 普遍を導きだすのが帰納法です




演繹法は、前提を認めるなら

結論もまた必然的に認めざるを得ないという推理方式です


「A社の製品は全て壊れやすい」(普遍)

だから「A社製のプリンタは壊れやすい」(特殊)というのが演繹法です



「我思う(前提)、ゆえに我あり(結果)」も演繹法です





演繹法と帰納法は、科学的にものごとを考える方法として

現在の科学や数学にも大いに取り入れられています




帰納法の欠点は、統計論を前提とするので

新たな事実が1つでも加われば、結論が簡単に崩れてしまうこと

カーナビが壊れにくいということになれば

「A社製は全て壊れやすい」という結論は崩れてしまうわけです




演繹法の場合、大前提・小前提・結論の

三段論法が代表的なものです


例えば、大前提で「生きとし生けるものは全て死ぬ」

小前提で「人間は生き物である」とすると

結論は「すべての人間は死ぬ」となります


つまり前提を認めるなら、結果も認めざるを得ないという論法です


この演繹法の欠点は、前提に誤りや偏見があれば

結論は間違ったものになることです







ニヤーヤ学派の論理学



古代インドの論理学は、因明(いんみょう)といいます


インドでは王侯たちが、諸宗教、諸哲学の間で論争させ

勝利した方に財政的支援をしたそうですから

因明は教団にとって死活問題だったそうです



この因明を体系化したのは

バラモン六派(バラモン教で正統とれる代表的な6つの学派)

のうちの ニヤーヤ学派です



ニヤーヤ学派では、知識(認識)の手段、知識(認識)の対象

疑惑、動機、実例、定説、論証肢、検証、決定

論議、論争、論詰(ろんきつ)、誤った理由、詭弁

誤った非難、勝利の決着 の16項目を研究し



16項目に通達することによって

輪廻転生より解脱できると説いたといいます



認識の手段、つまり正しい認識・判断をもたらすもの

としては、知覚、推理、聖典の言葉をあげ

この考察が重視されたといいます



知識の対象としては

アートマン(固定的、不変的な自己の本質。霊魂や我と訳される)

身体、業(ごう・自己に蓄積された行為の集積体、業エネルギー)

輪廻 の考察が重視されたようです



後代には、最高神 イーシュヴァラ

の存在を証明するためのさまざまな論証がなされたようです


【 イーシュヴァラ・・・

バラモン教が変貌して誕生したヒンズー教では

世界を創造し支配する最高神 シバの異名とされた

また、自在天あるいは大自在天(マヘーシュヴァラ)

として仏教に取り入れられている 】




また、いかにして論争に勝利するかを研究し

竜樹(りゅうじゅ・ナーガールジュナ。150~250頃)や

陳那(じんな・ディグナーガ。480~540頃)

といった仏教側と

激しく論争したそうです



竜樹は、全ては空で実体がないという立場から

言語による認識の固定化を批判し

一切の言語的論争、論理学は無意味であるとして

ニヤーヤ学派を批判したといいます



この批判をきっかけに、ニヤーヤ学派は論理学を発展させ

これに並行して仏教側の論理学の研究も進んでいったそうです





● 竜 樹


インド大乗仏教2二大教派の1つ

中観派(ちゅうがんは・空の哲学の形成に努めた教派)の祖

大乗仏教では釈迦に次ぐ重要な人物

日本でも八宗(平安時代までの日本の全ての仏教宗派)の祖と呼ばれ

日本の諸宗は全て竜樹の影響を受けている







陳那および唯識派の論理学



ニヤーヤ学派が体系化した論理学を改良したのが

陳那(ディグナーガ)だとされる

陳那は、有相唯識派(うそうゆいしきは)の祖とされる人です


インド大乗仏教の2大教派の1つ

唯識派〔瑜伽(ゆが・ヨガ)を重んじたことから瑜伽行派ともいう〕は


事物の全ては

心の本体である「識」によって仮にあらわれた存在であり

ただ識のみがあるという立場をとります



唯識派には様々な異説が生じました


このうち、有相(うそう)唯識派は


認識を司る「心王」(しんのう・識のこと)と

心王にともなって働く「心数」(しんじゅ)は

ともに「有」(う)=実在と説きます


(有とは、因と縁によって作られたものではなく

それを超えた不生不滅の実在ということでしょう)



【 心数・・・・

心所ともいう。心王にともなっておこる種々の精神作用

怒りや貪りなど様々な感情を起こす心の働き

その数が多数なことから心数と呼ぶ 】






古いインドの因明(論理学)では

「五支作法」という論証の形式が用いられました


2~3世紀頃には確立されていたようです


五支作法とは、宗(しゅう・主張)、因(理由)

喩(ゆ・実例)、合(適合)、結(結論)からなります


(宗) 心は無常である

(因) 因によって生じるからである

(喩) 物質のように

(合) 物質は因によってつくられ無常であり、心もまた同様である 

(結) それゆえに心は無常である


「合」と「結」を省いた論式は

三支作法と呼ばれ、新しい論理学として用いられたといいます




仏教では、陳那(480~540頃・ディグナーガ )以前の

ニヤーヤ学派の論理学を古因明

陳那以後の因明を新因明と称しています




陳那は「集量論」(じゅりょうろん)

「因明正理門論」(いんみょうしょうりもんろん)を著し

因明を体系化したとされます



「集量論」によると、量(認識の手段)として

現量(直接知覚)と、比量(推理知)のみを認め


一部の学派が認める

声量(こえりょう・聖言量ともいう。聖典にもとづく知)や

比喩量(類似による認識)は、比量に他ならないとしています



また、比量には

為自比量(いじひりょう・自分のための推論)と

為他比量(他人に示すため推論

為自比量の知を他人に示すために言葉で説くこと)

があるとしています




それから

共通性である共相〔ぐうそう・共通する特徴や性質

青いものに共通する青性、りんご・バナナ・みかんに共通する果実性

全ての事物にみられる無常性など〕は、比量によって認識され


事物の固有の特徴や性質である自相は

概念によらず直接実在を認識する現量により認識される


共相のみが言語による伝達が可能で

言語の使用は指示されるもの以外のものを排除することで

成り立っている  と考えたようです




つまり、A子さんのことを他人に伝えるには

犬っころみたいな顔してて、おてんばで

大飯喰い・・・と ≪共通性≫を重ねていくしかないということです


A子さんの固有の特徴や性質は、伝達不可能ということです





因明正理門論は、討論の方法を記した書です

陳那の確立した「因の三相」などがみられるといいます


因の三相とは、論証因がみたすべき3つの条件で


例えば「あの山には火がある。なぜなら煙が見えるからである」

という文のうち論証因が「煙」です


この煙が、① あの山において存在する (遍是宗法性)

② 煙は火を有するものにのみ存在する (同品定有性)

③ 煙は火を有さないものには存在しない (異品遍無性)

の3つをみたしたときに、主張が論証されるというものです



陳那はこれを自らの論理学の原則とし


為他比量(他人に示すための推論)とは

具体的には、三支作法

すなわち 宗(主張・立論)、因(主張の理由。論証因)

喩(実例)によって論証することとしています


あの山に火がある(宗)。なぜなら煙がある(因)

例えばたき火のように(喩)




また、喩には、同性質の実例(同喩)と

異性質の実例(異喩)の2つをそろえるとさらによいとしています


前者は、煙のあるところには火がある。たき火のように

後者は、火のないところに煙はない。水のように

ということらしいです






陳那の弟子

商羯羅主(しょうかつらしゅ・シャンカラスバーミン。450~530)は

陳那の論理学の入門書として「因明入正理門論」を著しています


陳那の「因明正理門論」とともに

玄奘(げんじょう・602~664)によって漢訳されています



因明入正理門論は、仏教徒やジャイナ教徒によって

多数の注釈書ができたと考えられていて


このうち中国法相宗の祖 基(き・632~682。玄奘の弟子)の注釈書

因明入正理門論疏(いんみょうにゅうしょうりもんしょ)が


中国や日本に因明学を定着させたそうで

この書が日本の法相宗などで研究されたようです





陳那の孫弟子の

法称(ほっしょう・ダルマキールティ。600~660頃)は

陳那の集量論の注釈書である「量評釈」を著し


因の三相をみたす正しい因(立論の根拠・主張の理由)を

自性因、結果因、非知覚因の3つに限定しています



「自性因」は、同じ存在のある本質を

別の本質によって論証するための根拠で

「これは樹である」という立論に対して

「なぜなら桜であるからである」がこれにあたるそうです



「結果因」は、別々の存在の間にある因果関係にもとづいて

論証するための根拠で

「あの山には火がある」という立論に対して

「なぜなら煙があるからだ」がこれにあたるそうです



「非知覚因」は「この樹には花が咲いていない」

という立論に対して

「なぜなら見られる条件がととのっている

のにもかかわらず花が見られないからだ」

がこれにあたようです



非知覚因については

これによって陳那ができなかった

否定命題(否定的になされた主張)の論証を

因の三相のもとで可能にしたとされます



なお、法称およびそれ以降の論理学は

中国や日本へは伝わらなかったといいます







中観派の論理学



一方、中観派(ちゅうがんは)では

「空」(全てが変化してやまない。一瞬一瞬変化していて実在性はない)

の論証がこころみられています




仏護(ぶつご・ブッダパリータ。470~540頃)は

相手の論理の矛盾をつき誤りを認めさせる

帰謬(きびゅう)論証法を確立し「帰謬論証派」の祖となっています



帰謬法とは、ある主張Aが偽であると仮定したとき

その推論に不合理が生じた場合

主張Aは真であるとする論証法で、背理法ともいいます




この仏護の立場を批判し

陳那の三支(主張・理由・例)による推論方式を取り入れ

積極的に「空」を論証しようとしたのが

のちに「自立論証派」の祖とされた

清弁(しょうべん・バーバビベーカ。490~570)です



清弁は、≪ 推論式自体は、世俗(常識的真実)であるが

勝義(絶対的真実)である「空」の論証を目的としたとき

世俗と勝義をつなぐものとなる≫

と主張したようです




さらに、この清弁を批判したのが「帰謬論証派」の実質的な祖

月称(チャンドラキールティ。7世紀中頃)です



月称は、空に対立する思想があれば帰謬法でのぞめばよいとして

空の積極的な論証をこころみた清弁を批判


のちの中観派の分裂のきっかけをつくったといいます


月称の学説は、チベットにもたらされ

チベット仏教の中心的立場となっています





なお、竜樹や聖提婆(しょうだいば・

竜樹の弟子で実質的な中観派の祖)らを初期中観派


仏護、清弁、月称らを中期中観派といいます



中期中観派の時期は、唯識派と激しく対立したそうですが

8世紀以降の後期中観派では


中観派優位の立場で

「瑜伽行中観派」として統合されることになります



また、中期中観派の清弁らが

唯識派の陳那の論理学を導入したのに対し


後期中観派では、陳那の孫弟子の

法称(ほっしょう・ダルマキールティ)

の論理学、認識学を取り入れたといいます







チベット仏教と論理学




清弁の自立論証派の系統を継ぐとともに

法称の論理学、認識学の影響をうけ


唯識派の立場を中観派に取り入れ「瑜伽行中観派」の祖となった

シャーンタラクシタ〔寂護。725~784頃。ナーランダ寺の学匠〕は


チベットのティソン・デツェン王にむかえられ、サムイェー寺を創建


大乗の戒律を6人のチベット人に授け

チベット初の出家僧団を設立させています




また、彼の弟子で

ナーランダ寺院の学匠

カマラシーラ〔740頃~797頃。漢訳名 蓮華戒〕は


有名な「サムイェー寺の宗論」で

中国禅の摩訶衍(まかえん)に勝利しています




瑜伽行中観派は

外界は心がつくりだした幻であるという

唯識思想を認める中観派だといいます



外界の事物は知の認識対象として

仮として存在する

(空ゆえに、一瞬一瞬、仮として存在する)という

本来の中観派立場に対して



知は内なる心のつくり出した形象を認識する

という立場をとるといいます






中観派の最終期は11~12世紀で

チベットにおいて「帰謬論証派」の

月称(チャンドラキールティ。7世紀中頃)の学説が復活します



アティーシャ〔982~1054

インド東部ベンガル地方のサホル国の王子

ビクラマシー寺管長

1042年、西チベットのガリ国の王の招きでチベットに入る〕

は、低迷していたチベット仏教を復興、改革します


このためチベットでは

彼の時代以後を「後期仏教伝播時代」といいます



アティーシャは、中観派の思想のなかで

とくに月称の学説を重視しました


また、小乗・大乗・金剛乗(密教)の統合という

最終期インド仏教の理念を継承し

「菩提道灯論」を著しています



この書は、小乗、大乗、金剛乗の全てを悟りに至る道とし

中観派の空観による智慧の獲得を重視しています



「菩提道灯論」は彼の弟子となった

ドムトゥンがおこしたカダム派

〔唯識思想を認め、中観派の立場をとる

15世紀におこったゲルク派に吸収

このため、ゲルク派は新カダム派と呼ばれた〕

の基本経典となっています





チベット仏教最大の宗派であるゲルク派の祖にして

チベット仏教史上最高の天才、最大の思想家と称される

ツォンカパ(1357~1415)は


アティーシャの理念を受け継ぎ「菩提道次第論」を著しています



彼は、正統派の戒律に反する性的な実践を一切排除


空観により密教を解釈し

戒律を守り、空の哲学を根本とし


性瑜伽を瞑想にとどめ

女性との性瑜伽により得られるとされていた

悟りの境地とは、空を体得した境地に他ならないとし


密教をもそれに矛盾せず実践できるという教義体系


つまり小乗、大乗、金剛乗(密教)の全てを悟りに到る道として

統合した教義体系を確立させます



ツォンカパも月称の学説を基本としています




阿頼耶識と如来蔵




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