緋山酔恭「B級哲学仙境録」 仏教編 死者と葬法について・先祖供養と先祖崇拝の違い



B級哲学仙境論


仏 教 編


 




死者と葬法




先祖供養と先祖崇拝



死んだら天国に生まれて

永遠の幸福得ると考えている人もいれば

極楽浄土に生まれると信じている人もいます


輪廻するという人もいれば

エネルギー体となって大宇宙に溶け込むと考える人もいます


祖霊に融合するという人も、子供に命が伝わるという人もいます


人の心に思い出として残るだけで

死んだら何も残らない、無であると考えている人もいます



これらは、その人の価値の範囲であり

善悪、正邪、あるいは浅深を論争したところで意味のないのです




念仏宗(浄土宗や浄土真宗)においては

一度の念仏(南無阿弥陀仏と称えること)で

極楽往生(死後、阿弥陀如来の国土である西方極楽浄土に生まれること)

できるという「一念義」と

往生のため日頃からたくさんの念仏を唱えるべきだという

「多念義」との対立がありました



また、念仏以外の諸行の修行者に対して

諸行は阿弥陀の本願ではないが往生は可能とする立場

諸行では往生できないとする立場


さらに、念仏信者は真土に往生するが

阿弥陀の本願でない諸行の修行者は

極楽浄土でも辺土、つまり片田舎に往生する

という立場がありました(笑)




また、キリスト教の世界には

先祖や死者が、生者の運命を左右・決定するという考えはありません


なぜなら人間の運命を含むあらゆることは

全て神の御心(みこころ)によるからです



なのでキリスト教社会においては、日本のように

何周忌、何回忌と、死者をねんごろに祀る風習はありません




それと「先祖供養」と「先祖崇拝」

とは全く別のものであるというです



「先祖供養」というのは

死者への感謝や敬意や慕う気持ちから行われるもので

供物や水や花や香などをささげて礼拝します


これは世界全ての民族に共通する

人間として当然の心情からくるものです



これに対して「先祖崇拝」とは

先祖が生者に禍福をもたらすとして

畏(おそ)れたり、祀ったりする信仰です


幸・不幸の原因を先祖の供養に求め

「先祖の祀り方が間違っている」とか

「先祖への供養が足りない」とか

「あなたが不幸なのは、先祖が苦しんでいて

成仏を求めているからだ」などと教えるものです



またその解決策としては、浄霊したり

先祖の位牌に向かって念仏(南無阿弥陀仏)や

題目(南無妙法蓮華経)を唱えさせたり

墓や仏壇を高価なものに取り替えさせたり

教祖や幹部による供養をすすめたりするものです




先祖崇拝の否定は、キリスト教ばかりではありません


釈迦は、幸不幸の原因を

自己に内在する因果の法則にもとめる自分の教え(仏教)を

「内道」(ないどう)としたのに対し


幸不幸の因を神や先祖といった外にもとめる教えを

「外道」(げどう)と呼んで否定しています



なお、先祖崇拝は、韓国、中国、日本などのアジアや

アフリカに広いといいます






追 善



仏教の「追善」とは、死者にゆかりのある者が

死者の冥福を祈って善根を積むことです


善を積むといっても、結局は、仏事を行ったり

念仏(南無阿弥陀仏)や題目(南無妙法蓮華経)などを

唱えて供養することですが(笑)


追善廻向(えこう)ともいいいます


廻向とは善を行って得るはずの功徳を

他者に廻(めぐ)らし向けることです



仏教では善行の功徳を独占したのでは真の功徳ではない

という考えから


善も功徳も他者に移すことができる

という思想が生まれたといいます



大乗仏教では、廻向の対象が父母や先祖だけでなく

一切衆生にも拡大されたといいます



仏教の追善という考えは、死者に幸福や守護を願うのではなく

生者の方が、死者を供養して幸福にしてあげるということです


死者を成仏させるなんて考えもそこからきたのでしょう




大乗仏教の戒律(大乗菩薩戒)を説く「梵網経」

〔ぼんもうきょう・十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)と

四十八軽戒(しじゅうはちけいかい)を説く

中国でつくられた経典とされる〕には



“若(も)し父母(ぶも)・兄弟の死亡の日には

応(まさ)に法師を請(しょう)じ

菩薩戒経を講ぜしめて、福をもて亡者(もうじゃ)を資(たす)け

諸仏を見ることを得て、人・天上に生ぜしむべし” (第20軽戒)


〔父母、兄弟が死んだときには

法師をまねき菩薩戒経の講義をうけて

追善追福によって死者を救い、死者が諸仏を見ることができ

人間界・天上界に生まれ変われるようにしなければならない〕

とあります







葬法と洗骨



それから「お墓」や「葬法」も宗教や民族で違います

風習にすぎません


世界最古の一神教とされるゾロアスター教では

土葬、火葬、水葬は、神の創造物である大地、火、水に

不浄をもたらすとして禁じ


遺体を「沈黙の塔」という塔の上に放置し

ワシタカ類の猛禽に肉を食べさせる葬法を生んでいます




ヒンズー教では

アートマン(我や霊魂と訳される。固定的、不変的な自己の本質)が

ブラフマン(宇宙の最高原理)と一体となり

輪廻転生から解脱しないかぎり、生死を繰り返す

と説きます


なので墓は存在せず

遺骨や遺灰は、ガンジスなどの川に流します





「葬法」について述べると


キリスト教では

イエスの復活による再臨にそなえて土葬する風習が根強く

かつては火葬は背教的意味をもっていたといいます



イスラム教では、火葬は、神が地獄に落ちたものに対して

なす業(わざ)なので、どのような理由があっても

してはならないとされています


遺体は死後24時間以内に埋葬するらしく

右脇腹を下にして、顔をメッカの方向にむけます


最後の審判の復活ときにそなえて

立ち上がるための杖(木の枝)を両脇にはさむこともあり


墓標もメッカの方向に向けるので

みな同じ方角を向いているといいます



儒教でも火葬は不仁不孝の至りであるとすることから

儒教の教えの強い韓国では「火葬は親(死者)を2度殺す」

と言われ、禁じられてきたそうです





古代インドでは

尸陀林(しだりん・マカダ国王舎城付近にあった森林)のような

死んだ人を捨てる場所があり

集まった死屍は禽獣に食べられるのにまかせたといいます


墓は高僧や王のものであったそうです


日本も同じようなもので

庶民が墓に墓石を置くことが

普及したのは江戸時代中頃といいます




日本では縄文時代より、屈葬(ひざをまげた形で埋葬)

伸展葬(眠る姿勢で埋葬)

蹲葬(そくそう・屈葬の一種でうずくまった形で埋葬)

といった土葬が、併存しながら近代に至ったそうです



このうち屈葬は、母体内の胎児の姿勢で

母なる胎内(大地)への回帰さらには再生を意味するとか


葬るときにひざをまげさせ縛るので

災いをもたらす死者を縛ってこの世にもどらないようにするとか


休息する形で死者のやすらかな眠りを意味するとか

言われています



この葬法は墓穴が小さくてすむ利点もあります

アフリカでは屈葬が一般的だそうです



伸展葬は、世界で最も広く行われている葬法で

遺体を東または西のどちらかに向けることが

広く行われているといいます


これは日が沈む西を他界と考える思想が広いからです




一方、火葬は、火によって死のけがれを素早く浄化し

霊魂を肉体より分離させるという意味があるようです



この他、水葬というのもあります

遺体を川や海に流したり、魚に食べさせるのにまかせる葬法で


北西アメリカ、メラネシア、チベットなどで

奴隷、罪人、身分の低い者

妊娠中に死んだり、子供を産まずに死んだ女性

ハンセン病者などに対して行われていたようです



今では洋上での死者や上陸戦の犠牲者で

遺体搬送が困難な場合にも水葬が行われているそうです


また、火葬して川に流すヒンズー教の葬法は

火葬と水葬が結びついたものと言えます



それから舟や舟形の棺に遺体を入れて流す舟葬は

ポリネシア、ミクロネシア、メラネシアの諸島民にみられるといいます


北欧のバイキングでは舟に火をつけて海に流す

火葬と舟葬が結びついた葬法がみられたといいます



水葬や舟葬には、水の力でけがれを浄化するという意味をもつものと

海のかたなを異郷や他界と信じ

そこに死者をおくることで

やすらかな眠りにつかせるという意味をもつものがあるようです






火葬と遺骨を大切にする文化は、仏教の特徴です


これがインドから仏教とともに中国や日本に伝わったとされます


日本で最初に火葬にされたのは

日本の法相宗の祖 道昭〔629~700・入唐し

日本に最初に禅をもたらした人としても知られている〕とされます


火葬は道昭の遺命によるといいます



ただ、日本で火葬が普及した大きな理由は

衛生的で場所をとらない火葬が

湿気が多く土地の狭い日本の風土に

もっともかなっていたからだと考えられています




日本でも近世には、火葬は残酷な異国の風習だと

儒学者や国学者が唱えだし

明治の「廃仏棄釈」(はいぶつきしゃく・

仏を廃し釈迦を捨てる意で仏教排斥運動)

神道国教化政策のなか

1873年(明治6)には、火葬禁止令が出されたそうです


しかし禁止令は2年後に廃止されています



のちに政府は伝染病患者を火葬にすることを命じ

これにより土葬を習俗とする地方でも火葬場がつくられ

火葬が普及していったそうです


それでも1915年(大正4)の調査では

火葬の普及率は36%にすぎなかったとあります






●  洗骨


奄美と沖縄には

近年まで洗骨(せんこつ)という風習がありました


洗骨とは、土葬や

風葬(死体を埋葬せず自然に腐敗するのにまかせたり

禽獣が食べるのにまかせる葬法)

によって風化させた遺骨を洗浄し、再び葬るものです



洗骨葬は、東南アジアの一部から中国南東部

台湾、沖縄、朝鮮半島、メラネシア、熱帯アメリカなど

世界で広く行われているそうです


日本ではかつては八丈島でもみられ

琉球諸島の基本的な葬法だったそうです



沖縄ではどのようになされていたの?


石の囲いや小屋の中に、棺(ひつぎ)を置いて風葬し

一定期間(通常は遺体が白骨化する七回忌をすぎるまで

3年や5年などの場合もあったようである)したら


泡盛(あわもり)を用いて洗骨し

骨壺に入れて再葬するというようなものだったようです


洗骨は、遺骨を洗い浄めることを意味するそうで

遺骨を重んじる文化とされています



かつての日本には、土葬した骨を掘り出し

洗骨しないで改葬(火葬)する習俗も各地にみられたそうです


これは、新た土葬する遺体のスペースを確保するためだったとも

死者の存在を再認識するための儀礼だったとも言われています








盂蘭盆と餓鬼



「お盆」のもととなった

「盂蘭盆」(うらぼん・梵語のウラバンナの音写)の起源を

盂蘭盆経などにみられる目連の母の話に求めますが

この盂蘭盆経は、中国で作られた経典といいます



なお、釈迦第一の弟子とされたのが

「智慧第一」の 舎利弗(しゃりほつ・シャーリプトラ)


第二が「神通第一」と言われた 目連(モッガリーナ)


第三が「頭陀(ずた・衣食に対する貪欲を捨てる行)第一」

と言われた

迦葉(摩訶迦葉・マハーカーシャパ)です



舎利弗と目連は、釈迦より前に没し、迦葉が教団を継いでいます




インドには

安居(あんご・雨期の約3ヶ月。道場にとどまって修行すること)

の最後の7/15日に、人々が亡き親などへの供養のため

僧侶たちに盆器にもった食事をささげる習慣があったので


これが中国に伝わり、目連の母の話がつけ加えられ

盂蘭盆という行事が成立し

これが日本に伝わったと考えられています




盂蘭盆経の話とは?


安居のとき、目連が神通力によって

亡くなった母親の姿をみつけると、餓鬼道に堕ちていた


餓鬼道は、欲張りな人、けちな人が死後に堕ちるとされる


餓鬼道に堕ちた人は、食べ物や飲み物を得たいと願っても

それが火に変じるとか、喉が細くて飲食できないとかで

つねに飢えと渇きに苦しむ


骨と筋だけの姿で、腹は山のようにふくれ上がり

喉は針のように細く、皮膚は黒いとされる




目連は、母に水や食べ物を差し出したんだが

口に入る直前に火となって、母親の口には入らなかった


そこで釈迦に救済を求めると

「安居の最後の日にすべての比丘に食べ物を施せば

母親の口にもその一部が入るだろう」

と言うので、そのとおりに実行した



比丘たちの飲食の喜びが、餓鬼道の者たちの口に伝わり

母親の口にも伝わって救われた


という話です



子供を餓鬼というのは

食べ物をほしがるからかしらだといいます





餓鬼はプレータの意訳で

音写訳は、薛茘多(へいれいた)です


バラモン教では、死者を火葬してから1年後

死者の霊を合霊祭により

祖霊に融合させたそうです


それまでの死者の霊をプレータと言ったようです



火葬後、祖霊に昇格する前の霊は不浄とされ

合霊祭までに様々な儀礼を行い霊を浄化させていったそうです



ところが合霊までに子孫が絶えてしまうなどして

儀礼がなされないと、霊は攻撃的となり亡者としてさまよう


儀礼により供物を得られない霊は

飢餓に苦しむ者の姿をしているとなったそうです


こうした考えが、仏教に取り入れられたようです




お盆に行われる「施餓鬼」(せがき)は

餓鬼や無縁仏に飲食を施す法会(ほうえ)です



それから「心中」や「足抜け」や

「廓内での密通」など吉原の掟を破った

遊女が病気で死ぬと


裸にし、荒菰(あらごも)に包み、吉原遊廓の近くにあった

≪投げ込み寺≫と呼ばれた

浄閑寺〔東京都荒川区南千住にある浄土宗の寺院〕

に放り込まれたといいます


浄閑寺の他にも

同様な≪投げ込み寺≫が各地の宿場にあったようです



身よりのない遊女や行き倒れた者の遺体なども放り込まれ

無縁仏として葬られたそうですが


これは、人間として葬ると祟るので

犬や猫なみに畜生道に落とすという迷信からきたものとも

考えられているようです







●  中有とガンダルヴァ



小乗部派の一切有部(せついっさいうぶ・

インド仏教最大の教派)では

「中有」(ちゅうう・死んでから次の生をうけるまでの期間の自己)

の存在を説いている



その期間については

49日、7日、無限定などいくつもの説があったらしい

この期間 死者はさまよっている状態にある



中有のときは、意識から生じる身(意生身)を持ち

香を食するそうで、ガンダルヴァと呼ばれたという




ガンダルヴァ〔乾闥婆(けんだつば)などとと音写

食香(じきこう)とも訳される〕は


本来はバラモン教の神で

神々が飲む神酒ソーマを守り

医薬にも通じた半神半獣だったという


特に女性の妊娠、出産に神秘的な力を示す神であったという




のちに、インドラ(帝釈天)に仕え

宮殿でインドラをはじめとする神々に

音楽を奏でる伎楽神団となったという



天女アプサラス〔水の精とも

また戦死者の霊をインドラの待つ天界へと運ぶ〕

を妻とするされるが


ガンダルヴァもアプサラスも複数いて

女性のガンダルヴァも存在するらしい



ガンダルヴァたちが奏する音楽に、アプサラスたちが舞う


また、酒肉を口にせず香(ガンダ)だけを食べて生きるとされた




ガンダルヴァ(乾闥婆)は

仏教に取り入れられ

緊那羅(きんなら)とともに帝釈天の前で

音楽を奏でる伎楽神とされ


のちに持国天王(四天王の1人)の

眷属(けんぞく・家来)にもなっている




●   緊那羅


天の伎楽神。特に美声を持つ歌神

1本の角を持ち、神、人、獣かはっきりしない


人に似て人でないという意味から人非人や疑神、半人半神

非天とも漢訳される


半人半獣(馬頭人身)や半人半鳥の姿で表現される






スッタニパータとともに

原始仏典のなかでも釈迦の直説(じきせつ)に

最も近いといわれるダンマパダとにこのようにある


"自己に打ち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている

つねに行ないをつつしみ、自己をととのえている人

― このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは

神もガンダルヴァも、悪魔も、梵天もなすことができない"


〔NHKブックス 中村元・田辺祥二著「ブッダの人と思想」〕





一方、ガンダルヴァは、肉体が滅び

新たな肉体を得て再び生まれてくるまでの霊的存在

一種の霊魂、中有(ちゅうう)の実体をも

意味するようになったわけである



生をうけた瞬間が「生有」(しょうう・有は生存の意)

生をうけて死ぬまでが「本有」(ほんぬ)

臨終の瞬間が「死有」(しう)で


中有を加えて「四有」(しう)という


四有は輪廻転生の内容である




また、中有の期間を49日とする説から

7日ごとに死者の冥福を祈り

49日で忌み明けとなるという習俗が生じたとされる




中国仏教では、初七日から四十九日までの7日ごとの法要に

儒教に由来する百箇日、一周忌(一年目)

三回忌(死んだ年も入れて数えるので2年目)を加えた

十仏事が登場し



日本では鎌倉期には、七回忌(しちかいき・6年目)

十三回忌、三十三回忌が出現し

江戸時代には六十回忌もみられたという




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