緋山酔恭「B級哲学仙境録」 神とはなにか? 主体性について



B級哲学仙境論


仏教編


 




主体性について



かつては、青少年の第一の娯楽は「漫画」でした


漫画というのは主人公に

憧れを抱いたり、自己を投影することが可能です



ところがゲームが、インベーダーゲームのようなものから

バーチャル的な体験もできちゃうものに変わっていき

青少年の娯楽の主役を奪っていきます



ゲームにおいては、自分が主人公となり

冒険も、恋愛も、格闘もできてしまうのです



さらに、メディアの主役も、雑誌やテレビから

SNSやYouTubeへと移行してきました



こういった現象は

単なる技術革新の話ではなく


主体性(自分は主役である)を獲得する手段が変化し

主体性が実現しやすくなった

ということです




移行するにしても

それに価値を感じなければ移行しないし

価値の裏付けには欲求がなければなりません



なので、人間には、本質的に

主体性への欲求があるということです




SNSに、メッセージや写真を投稿して

「いいね」を欲しがる≪自己承認欲求≫

からくる≪存在証明≫も



誹謗・中傷的なコメントばかりを書いて

他に行き場のない自我を保つことも



主体性への裏返しと言えるはずです




「尊厳論」において


【 酔恭  人間に尊厳があるなら

サルにだって猿権(えんけん)という尊厳があるだろうし

犬にだって犬権(けんけん)という尊厳があるだろう

という話になる(笑)


だって、猿にだって、犬にだって、すずめにだって

地球を分割する権利はあるはずだからね




竜太  なるほど(笑)

でも、サルには尊厳はないと思うよ


生命として生まれてきた以上

動物にだってこの世界で快楽や平穏を得る権利はあるとは思う


だけど動物が生命維持や子孫を残すことだけのために

毎日の時間を費やしているのに対して

人間はそれだけではなく、自分の生き方を持っているでしょ


たとえそれが他者からの洗脳による無知に根ざしたものだったとしても

「信念」を持って生きることができる

誇りを持って生きることができる



仲間を守って死ぬとか、戦争に行って身代わりになって死ぬとか

さらには拾ったお金交番にとどけるとか

こういった行為は生命維持だけを考えるとじつに非合理だよ


でもそこにこそ"尊厳の根源"があるんじゃないかと感じる




酔恭  確かに、動物は「いかにに生きるべきか」が

種(種の保存)に任されているのに対し

人間の場合、個人(自己保存)に任されているような気もするね




竜太  実際には人間も種の保存の原理で存在していたとしても

信念や誇りを感じて生きることができるでしょ


尊厳という概念が生み出された根源に

"人間は生き方を持っている  信念を持って生きることができる

誇りを持って生きることができる" ということがあるはずだよ 】


と書きましたが

主体性とは、尊厳という概念に近いのかもしれません





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