緋山酔恭「B級哲学仙境録」 天皇論 Ⅲ 天皇と神話



B級哲学仙境論


天 皇 論


 




天皇論 Ⅲ




大嘗祭



大嘗祭(だいじょうさい・おおにえのまつり)

までの流れと、大嘗祭について述べます


大嘗祭は、新嘗祭(収穫祭)なので


神に供える稲を出す斎田が

亀卜(きぼく・亀の甲を火で焙り、そこに出来たひびで判断する占い)

によって2ヶ所選ばれる


この斎田をもつ国を斎国(いつきのくに)という


斎国は、悠紀(ゆき)・主基(すき)の国の2ヶ所である


悠紀の国は京都より東(東日本)

主基の国は京都より西(西日本)から選ばれる


前の天皇(明仁)のときには

平成2年(1990)の11/12日に「即位の礼」が執り行なわれ

11/22~23日に大嘗祭が行われているが


この年の4月に、亀卜により、悠紀の国には秋田県

主基の国には大分県が選ばれている




前の天皇の「大嘗祭」は

皇居に造営された大嘗宮で22日午後6時すぎに始まったとされる


大嘗宮には9千平方メートルの敷地が用意され

39棟の建物が建てられた


中心となるのが悠紀殿と主基殿

悠紀殿と主基殿の間には、廻立殿(かいりゅうでん)があり

これらは屋根つきの廊下で結ばれた




午後6時半、天皇は廻立殿(沐浴用の建物)で身を清める

このとき天皇は、天の羽衣(あまのはごろも)という

浴衣(ゆかた)を身につけたまま湯ぶねに入り

これを湯の中で脱ぎ捨てるという

〔悠紀殿と主基殿で2度儀式があるので

廻立殿での入浴も2回、天の羽衣も2着用意〕



斎服(白の装束)に着替えた天皇は廻立殿を出て、東の悠紀殿へ向かう


前後には侍従が並び

後方には白の十二単をまとった皇后や女性皇族が従う


天皇は悠紀殿の外陣から内陣へと入り

ここで約3時間「悠紀殿の儀」を行う


この間、雅楽調の歌や悠紀(東日本)の風俗歌が流される




そのあと再び廻立殿で身を清め

23日午前0時半から、午前3時過ぎまで


西の主基殿で悠紀殿と同様に「主基殿の儀」を行う


これで大嘗祭は終了となる




秘儀(非公開)なので不明なところもあるが

悠紀殿・主基殿では


天皇は、神(天照)に

神饌(しんせん・神の食べ物。ご飯、海の幸、山の幸)

を1つ1つ捧げていく


これを終えると五穀豊穣と国家安泰を神に感謝する


そして天照に捧げたご飯と御神酒(おみき)をいただく

つまり天照とともに神饌を食べるとされる




なお、悠紀殿と主基殿には、布団(衾・ふすま)が敷いてあり

坂枕(さかまくら)という枕が置かれているが


これは神のために設けられたもので

神霊が降臨する場所(神座・かみくら)であり

この中に天皇が入ることはないという




しかし神座が寝床であることに合点がいかない

天照が寝るというのもおかしい


そこで「かつては天皇が寝たのではなか」とも言われている




記紀(古事記・日本書紀)によると

高御産巣日神(たかみむすひのかみ)は


赤子の邇邇芸命(ににぎのみこと)を

「真床追衾」〔まとこおうふすま・真は床の美称

追は覆う意で真床覆衾とも書く。衾は現在の掛け布団のようなもの〕

にくるんで降臨させている



大嘗祭の中心は

本来、神とともに神饌や御神酒をいただくことではなく

天孫降臨を再現するものであるらしい



天照から地上世界の支配権を託された邇邇芸命は

真床追衾にくるまれて降臨した


これをなぞることで天照から地上(日本)の支配権、王権を

神授される これが大嘗祭であると言われている



「即位の礼」によって即位したといっても、正式な天皇ではなく

大嘗祭によって正式な天皇になるとされる








三つの「神勅」



日本書紀には、「天孫降臨」のおり

天照は、孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)に

稲の穂と、八咫鏡(やたのかがみ・天照の御神体)を授け

3つの神勅を下したとある




① 天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅


豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は

これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地なり

よろしくいまし皇孫(すめみま)ゆきて治(しら)せ、さきくませ

宝祚(あまつひつぎ)の栄えまさんこと

まさに天壌(あめつち)とともに窮(きわまり)なかるべし


≪ これから向かうたくさん稲の実る地上世界は

私の子孫が治めるべき土地である

さあ邇邇芸命よ、行って、しっかりと治めなさい

つつがなくお行きなさい。天つ日嗣(ひつぎ・天皇の位)は

天地と共にいつまでも栄え続けるでしょう ≫




② 宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅


吾が児(こ)この宝鏡を視まさんこと、まさに吾を視るがごとくすべし

ともに床を同じくし、殿を共にして斎鏡(いわいのかがみ)となすべし


≪ この鏡を私(天照大神)の御神体として

身近に置き、いつまでも祀りなさい ≫


この八咫鏡(やたのかがみ)は

天皇の三種の神器で、最も重要で、伊勢神宮に祀られている




④ 斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅


吾が高天原にきこしめす斎庭(ゆにわ)の稲穂を吾が児にまかせまつる


≪ 私が天上界の庭に実らせた稲穂を、私の子孫にまかせるので

いつまでも作り続けなさい ≫








天孫降臨



天照大神〔あまてらすおおみかみ・

太陽の女神。皇祖神

伊勢神宮の祭神。また全国の神明社の祭神〕


の孫で赤子の 邇々芸命(ににぎのみこと)は


天津久米命〔あまつくめのみこと・武神

天孫降臨の前駆をつとめた。久米氏の祖〕


天忍日命〔あめのおしひのみこと・武神

天津久米命とともに前駆をつとめた。大伴氏の祖〕


天児屋命〔あめのこやねのみこと・

中臣氏とそこから分かれた藤原氏の祖

藤原氏の氏神 春日大社の祭神。祝詞(のりと)の神〕


布刀玉命〔ふとたまのみこと・注連縄(しめなわ)の神

中臣氏とともに祭祀を司った忌部(いんべ)氏の祖〕


天宇受売命〔あめのうずめのみこと・猿女(さるめ)の君の祖

猿女の君は、神楽(かぐら)の舞などに奉仕した女官〕


伊斯許理度売命〔いしこりどめのみこと・鏡作部(かがみつくりべ)の祖

鏡作りの神で、天岩戸開きの神話では八咫鏡(やたのかがみ)を作った〕


玉祖命〔たまおやのみこと・玉作部の祖。玉作りの神

三種の神器の一つ 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を作った〕


思金神〔おもいかねのみこと・智恵の神

天照から邇邇芸命の智恵となり、政治を助けるように命じられた〕


天手力男神〔あめのたぢからおのかみ・天岩戸を開いた神〕


豊受気毘売神〔とようけびめのかみ・食物の女神

伊勢神宮の外宮(げぐう)の祭神〕


天岩戸別神〔あまのいわとけのかみ・

櫛石窓神(くしいわまどのかみ)ともいう。皇居の四面の門を守護する神〕


らに伴われ


筑紫(九州)の日向〔ひむか・現在の宮崎県と一部の鹿児島県〕の

高千穂の 久士布流岳(くしふるだけ)に降臨したとあります





天児屋根命が藤原氏の祖とされているように

邇邇芸命の「天孫降臨」に従った神々は

当時の豪族の祖

また品部〔しなべ・鏡作部(かがみつくりべ)や玉作部など

大和朝廷に隷属した人々の組織〕の祖となっています




ちなみに「高千穂の久士布流岳」という名の山が

実際に存在しないことから


これを、宮崎と鹿児島の県境にある霧島火山群の

第2の高峰 高千穂峰であるとする説と


この高千穂を、宮崎県北西部の高千穂町〔高千穂峡がある〕

であるとする説があり


皇紀2600年〔西暦1940年(昭和15)にあたる〕には

両者が自説を主張して争ったそうです




江戸時代の国学者 本居宣長(もとおりのりなが)は

復古神道の提唱者であり

(復古神道とは、仏教や儒教といった外来の思想と融合した神道を批判

天照の時代に帰れと説く)


30余年を費やし古事記の注釈書

「古事記伝」(44巻)を完成させていますが


「古事記伝」には

「其(それ)とおぼしき、二処に有(あり)て、いとまぎらはし」とあり

これは古くから問題になっていたようです



また、大分県の火山群 九重(くじゅう)連山

〔主峰の久住山(くじゅうざん・1787m)は100山〕は

一説によると、くしふるの峰の

クシフルがクジュウになったと言われています






それから、天津神(あまつかみ)は

高天原にいる神々

または高天原から天降った神々とその子孫の総称



これに対し、国津神(くにつかみ)は

天孫降臨以前に

葦原の中つ国(あしはらのなかつくに・地上世界。日本)

に存在した土着の神々で


伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と

伊邪那美命(いざなみのみこと)の国生み、神生みによって

誕生した神々との子孫


および、天上界を追放された須佐之男命の子孫とされます






なお、邇々芸命にはこんな面白い神話があります


記紀(古事記・日本書紀)神話によると

邇々芸命が

木花之佐久夜毘売(このはなのさくやぴめ)に求婚したところ


姫の父である

大山津見神(おおやまつみのかみ・大山祇神。山の神)

は大いに喜び


木花之佐久夜毘売の姉の岩長比売(いわながひめ)も添えて差し出した


しかし姉はとても醜かったので、邇々芸命は岩長比売を送り返し

木花之佐久夜毘売だけをめとった


大山津見神は

「天孫よ。あなたに2人の娘を差し上げたのには意味があります

姉は岩のように不変という名で、契っていれば

あなたは永遠の命を得られたのです

妹は桜の花が咲くように栄えるという名ですが

花はすぐに散るものです

あなたは妹だけをとどめたので、寿命は短くあられるでしょう」

と言った


これによって神の子孫である天皇の寿命が

人間と同じに有限となったわけです



後世、木花之佐久夜毘売は、富士山の神や安産の神となり

静岡県富士宮市の 富士山本宮浅間大社

〔浅間大神と木花之佐久夜毘売を主祭神に、邇々芸命と大山津見神を配祀〕

をはじめ、全国1300社の浅間神社の祭神となっています


また、神の国にある狭名田(さなだ)でとれた米から

天甜酒(あまのたむざけ)をつくり

新嘗祭〔にいなめさい・新穀を神にささげる祭〕を行ったとかで

酒解神〔さけときのかみ・酒づくの祖神。一説には大山津見神とも〕

と同一視もされています








神 話



日本のような神話的歴史につながる王室って世界には存在しないの?


エチオピア王室がそうだったですが

1974年に帝政が廃止され共和国になっています




もともとどの国も多神教世界だったはずですが

欧米はキリスト教によって、アラブ世界はイスラム教によって

その信仰も、民族の神話も根絶されてしまっています



また中国や朝鮮半島なんかでは

たび重なる王朝の交代や国家の分裂・統合によって

統一した神話がなかったり

時代とともに失われてしまっているのです




ギリシア神話は、量・質ともに

世界のどの国の神話にも類を見ないものですよね


ギリシア・ローマ神話と言われますが

ローマにはほとんど神話はなく


ギリシア神話を借用し

ギリシアの神々にローマの神々をあてたに過ぎません



しかし、ギリシア神話は、信仰としての機能はすでにありません

文学的な遺産としてしか継承されていません



日本の記紀神話は

量的には、ギリシア神話にとても及ばないものの

話に一貫性があります



しかも、ギリシア神話の神々への信仰が

キリスト教によって消滅されてしまったのに対し

日本の神話の神々は、現在でも神社に祀られているのです



さらに神話の最高神の子孫が

現在でも君主として(精神的に)統治していて


しかも皇室神道の祭祀の長なのです


それってすごくない? ってなりますよね(笑)





なお、バラモン教には、ヴェーダ神話

〔リグ・ヴェーダは、神々への讃歌の集大成〕があります



バラモン教が、土着の神を吸収し変貌して

誕生した ヒンズー教は、ヴェーダの他にも


マハーバーラタとラーマーヤナという2大叙事詩や

プラーナと総称される聖典をもちます



マハーバーラタは

前10世紀のアーリア人の部族間の戦争がテーマです


ラーマーヤナはコーサラ国の王子 ラーマが

魔王ラーバナに奪われた王女を奪還する話で




プラーナ聖典の内容は

ビシュヌ、シバをはじめとする諸神の神話

神々への讃歌、宇宙論、儀礼、巡礼地の縁起、神殿や神像の建立法

神々や聖仙の系譜、カースト制度、住期の義務

哲学思想、医学、音楽、文芸論などあらゆる問題にふれているそうです



こうした聖典に、たくさんの神話が存在しています



とはいえ、日本の記紀神話のように

民族の起源としての歴史書となりうるものではありません



民族の起源としての歴史書として一貫性をもつ

という意味においては

ギリシャ神話を含めて

世界に、記紀神話のような神話ってあるのでしょうか?







古事記と日本書紀



「古事記」は、40代天武天皇(在位673~686)が


諸家に伝わる

「帝紀」(天皇の系譜の記録。内容は天皇の名、没年

治世の年数、治世中の重要事項、山陵の所在、后妃や皇女の名など)と


「旧辞」(きゅうじ・神話や伝承の記録。歴史書)に


正しい史実とかけ離れた虚飾が多いことから

自らこれを検討し真実の歴史を

後世に残そうとしたことに始まるとされます



天武天皇の命で、当時28歳の稗田阿礼(ひえたのあれ・

記憶力抜群の人であったとされ、女性説もある)が

「帝紀」と「旧辞」を習い


これを誦するところを

文官の太安万侶(おおのやすまろ)が筆録、編集し

43代元明女帝の712年に完成しています




「日本書紀」は、古事記の作業が思ったより

手間がかかることを知った天武天皇が


皇子である舎人親王(とねりしんのう)らに別に編集させたもので

44代元正(げんしょう)女帝の720年に成立しています




古事記が、帝紀と旧辞だけを基とし

しかも諸説を1つに統一しているのに対し


日本書紀は、諸家の家記、政府の記録、寺院の縁起類

中国の史書、朝鮮側の資料など多くの資料を活用し


しかも諸説を統一せず、本文の他に

別の説を「一書(あるふみ)」という形で併記したり、注として記しています


ときには「後人が手を入れて正すのに待つ」

とさえ書かれているといいます



このため日本書紀のほうが資料としての価値は高いと言えますが

国家の歴史書としては体裁が悪いということです






例えば、古事記では初めに登場する三神は

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

高御産巣日神(たかみむすひのかみ)

神産巣日神(かむむすひのかみ)です




日本書紀の本文では

国常立尊〔くにのとこたちのみこと・古事記では6番目に登場〕

国狭槌尊(くにのさづちのみこと)

豊斟渟尊〔とよくむぬのみこと・古事記では7番目〕とあります



さらにいくつも「一書」があり、別の説が書かれています


一書では、国常立尊は国底立尊と、国狭槌尊は国狭立尊と同じである

ことなどが記され


別の一書では三神を

可美葦牙彦舅尊〔うましあしかびひこじのみこと・古事記では四番目に登場〕

国常立尊、国狭槌尊

としたり



天常立尊〔あめのとこたちのみこと・古事記では5番目〕

可美葦牙彦舅尊、国常立尊

としています



さらに、可美葦牙彦舅尊と国常立尊の二神とか


別の一書では、国常立尊のみ

というのもあります



また、最初の神は、国常立尊と国狭槌尊の二神で

これとは別に、高天原〔たかまがはら・天上界〕は

天御中主尊、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)、神皇産霊尊の三神

というのもあります





それから、古事記では

伊耶那岐命(いざなぎのみこと)と

伊耶那美命(いざなみのみこと)により「国生み」がなさます


そのあとさらに2神は、様々な神を産んでいくわけですが

伊耶那美は、火の神 迦具土神(かぐつちのかみ)を産んだことにより

焼かれて死んでしまいます



伊耶那岐は、伊耶那美を慕って

黄泉の国〔よみのくに・よもつのくに。死者の国〕に行きますが

伊耶那美を連れ戻すのに失敗します


伊耶那岐は、黄泉から帰ったあと、黄泉の穢れ(けがれ)を落とすため

日向(宮崎県)の橘(たちばな)の小戸(おど)の

阿波岐原(あわぎはら)という河が海へと注ぐ入江で禊(みそぎ)します

〔神道ではこれを禊の起源としている〕



このときも、伊耶那岐の脱ぎ捨てたものや

垢から色んな神様が誕生しています


そして最後に顔を洗ったときに

最も高貴な三神〔三貴子。天照大神(あまてらすおおみかみ)・

月読命(つくよみのみこと)・須佐之男命(すさのおのみこと)〕が誕生します


左目を洗ったときに太陽の女神で皇祖神である天照大神が

右目を洗うと月の神である月読命が

鼻を洗うと嵐の神などと考えられている須佐之男命が生まれています






日本書紀一書⑥では

火神誕生から三貴子誕生まで古事記とほぼ同じですが

本文では三貴子は、伊耶那岐命と伊耶那美命が生み

伊耶那美命は死ぬことはないので、黄泉行きの神話はありません



別の一書では、伊耶那岐命が左の手で

白銅鏡(ますみのかがみ)をとって見たときに生まれたのが

大日孁貴〔おおひるめのむち・天照のこと〕

右手で見たとき生まれたのが月読命

首を回して後ろをみたときに生まれたのが

素戔嗚尊(すさのおのみこと)とあります






さらに

古事記では、天照が天上界である高天原

月読が夜の国〔夜の食国(おすくに)〕

須佐之男が海原を治めるように

父である伊耶那岐から命じられていますが


日本書紀本文では

月の神は大日孁貴に次いでうるわしかったので

日の神と並んで天上界を治めるように天に送られ

須佐之男は乱暴でしかもいつも泣きわめくので人民が早死にし

山が枯れてしまったので根の国に追放されたとあります


一書では、月読は青海原の潮流を治めることを命じられたとあります






天地開闢(てんちかいびゃく)から

初代 神武天皇即位 以前の時代を「神代」(かみよ)といい

古事記と日本書紀の神代をあわせて「記紀神話」と呼びます


古事記が、33代にあたる推古天皇(628年)までなのに対し

日本書紀は、第41代天皇である持統天皇(703年)

までのことが書かれています







天皇の没年齢も

古事記と日本書紀に違いが見られます



21代まで、100歳を超える天皇は

日本書紀で12人、古事記で8人です







古代の天皇があまりに長寿なのに対して

古代暦は、1ヶ月が、30日(新月から新月また満月から満月)の陰暦

ではなく、15日(新月から満月また満月から新月)であった

という考えが広いです


1ヶ月が半分なので、1年も半分

神武天皇127歳まで生きたというのを

現代の暦に正すと63.5歳まで生きた

ということになり、つじつまが合うわけです


この1年に2歳年をとる暦を

「倍暦」「二倍年暦」「半年暦」「春秋暦」などといいます



但し、没年齢に、日本書紀と古事記で

かなりの差がある天皇もいることから

どこまで没年齢に、信憑性があるか疑問です








天地開闢 (てんちかいびゃく)



●  造化三神 (ぞうかさんしん)


古事記に最初に登場する天地創造の三神


天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

高御産巣日神(たかみむすひのかみ)

神御産巣日神(かみむすひのかみ)


天之御中主は宇宙の中心

産巣日のムスは生成、ヒは霊力で

生成エネルギーを意味するという





続いて、世界がクラゲのように漂った状態のときに


葦牙(あしかび)が、萌え生えるように

宇摩志阿斯訶備比古遅神

(うましあしかびひこぢのかみ・うましはうるわしい意味)


天之常立神(めのとこたちのかみ)

が誕生しています




以上の五柱の神は性別はなく(独神)です



高御産巣日神と神御産巣日神の他は

そのまま身を隠し

以降、古事記には登場していません




但し、根元的な影響力をもつ神として

「別天津神」(ことあまつかみ)と呼ひます





次に、国之常立神(くにのとこたちのかみ)

豊雲野神(とよくもののかみ)の二柱の神が生まれています


この二柱も、性別はなく、以降、神話には登場しません




さらに、このあと

五組十柱の神々が生まれます

男女のペアの神です


〔 以上、神代七代(かみよななよ)の神と言うが

こられの神々には親はいない

七代といっても、前のペアが後のペアの親ということではない 〕



この最後のペアの

伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と

伊邪那美神(いざなみのかみ)

が「国生み」をします












●  高御産巣日神



高木神(たかぎのかみ)ともいう


子に、思金神(おもいかね・知恵の神

天孫降臨で邇邇芸に付き従った1柱)と

万幡豊秋津師比売命(よろずばたとよあきつしひめ)がいる


(男女の差別のない独神なので、単独で生んでいるよう)


娘の万幡豊秋津師比売命は

天照大御神の長男・天忍穂耳命(あめのおしほみみ)の妻となり

天孫の邇邇芸命を生んでいる


高御産巣日神は、天孫降臨や神武東征の神話で活躍


高御産巣日神が本来の皇祖神だとする説や

高御産巣日神を男神、神産巣日神を女神とする説がある






●  神御産巣日神



大国主神が、兄の八十神(やそがみ)らに殺され

大国主神の母が、神産巣日神に願うと


神産巣日神の娘である

蚶貝比売(きさかいひめ・赤貝の精)と

蛤貝比売(うむかいひめ・蛤の精)が遣わされ


「母の乳汁」を塗って、大国主を治癒している

(これが女神説の根拠)



大国主命の「国造り」を助けた

少名毘古那神(すくなひこなのかみ・小人の神)

も神産巣日神の子である



『古事記』で語られる神産巣日神は

高天原(天上界)に座し

出雲系の神々を援助する祖神的存在であり

他の神々より「御祖」(みおや)と呼ばれている



また、須佐之男命が

大気都比売神(おおげつひめ)を殺害したとき


比売の死体から生まれた五穀を

神産巣日神がそれを回収したとされる





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