緋山酔恭「B級哲学仙境録」 靖国論



B級哲学仙境論


靖 国 論






靖国論




靖国神社とは?



靖国神社は、戊辰(ぼしん)戦争

〔1868(明治1・戊辰の年)~69年に行われた

明治新政府軍と旧幕府軍との戦いの総称

鳥羽・伏見の戦いに始まり、彰義隊の戦い(上野戦争)

長岡藩、会津藩との戦いなどを経て、箱館五稜郭の戦いまで〕


の新政府軍側の戦没者を招魂鎮斎するため

明治政府によって創祀された東京招魂社に始まります




招魂社は、明治維新前後

またそれ以後の国事や戦争の殉難者の霊を祀った神社です



そもそもは、幕末から維新の戦乱で

死者を多く出した各藩が設けた招魂場に始まり

明治元年に、これを政府が招魂社としたそうです


東京招魂社もその1つです





明治14年には、「招魂」が

臨時・一時的な祭祀を指すのに対し


「社」が恒久的な場所を意味していて矛盾があるとし

全国百数十社あった招魂社は「護国神社」と改称されます


東京招魂社だけは

その前の12年に、靖国神社に改称されていました


なので靖国神社は護国神社の1つと言えるのです





護国神社は、国家のために殉難した人の霊(英霊)を祀るための神社で

戊辰戦争(新政府側のみ)、西南戦争(政府側のみ)、日清・日露戦争

第一次世界大戦、満州事変、太平洋戦争などの戦没者を祀ります



靖国神社には、戊辰戦争で死んだ

旧幕府軍の兵士は祀られていませんが


戊辰戦争以前に亡くなった幕末の志士 吉田松陰、坂本龍馬

高杉晋作などが祀られています


また、明治維新の功労者でも

西郷隆盛のようにのちに反乱を起した者は祀られていません



それから、日露戦争の英雄 乃木希典

〔のぎまれすけ・陸軍大将

明治天皇の崩御した際、妻とともに自刃、殉死している〕


東郷平八郎〔海軍大将。乃木とともに日露戦争の英雄。86歳で病死〕

といった著名な軍人であっても

戦時の死没者でない者は祀られていません



女性〔軍病院や病院船の従軍・救護看護婦など〕は

5万7千余柱が祀られています


〔神は1柱(ひとはしら)、2柱と数える

古くは、巨石や巨樹に神が依り憑くとされていたからか?〕



シベリア抑留等での死者、戦争終了後に自決した者も祀られています


A級戦犯およびBC級戦犯として刑死(死刑・獄中死)した者は

昭和殉難者として祀られています




以上、靖国神社は

台湾軍人2万8千人(台湾は当時

日本の植民地で日本軍として戦った)を含む


約246万6532人を

祭神〔人名に命(ミコト)を付して神として〕

祀っています







BC級戦犯とは?



本来は

A級戦犯は、平和に対する罪


これに対して

B級は、通例の戦争犯罪(国際法に違反する捕虜の虐待など)


C級は、人道に対する罪(一般の国民に対する非人道的行為)

だとされますが


B級、C級は、BC級戦犯とまとめて呼ばれ

BC級戦犯者は、捕虜や一般人に虐待や殺害などといった

非人道的な行為をなした者で


このうちB級は、命令を下した部隊長

C級は、直接実行した下士官

というのが一般的な解釈のようです





国際法では

禁止されている兵器を使用した者

捕虜を虐殺した者

スパイ、反逆者(敵国のために情報提供や破壊行為をした者)

略奪などをした者

を捕らえたとき、刑罰を科せることになっています





日本のBC級戦犯に対する軍事裁判は

アメリカ、オーストラリア、オランダ、イギリス、中国

フィリピン、フランスの7ヶ国により行われています



軍事法廷が開かれた場所は

横浜やマニラなど49ヶ所に及ぶそうです


被告総数5千7百人、のちに減刑された者も含めて

984名に死刑判決が下されています



しかし、直接事件に関係した者が死亡したり

日本に帰国したことで

無関係な者が被告にされたり


ゲリラが裁判で一般市民と認められ

一般市民の殺害として裁かれたりした者も多かったそうです



それに、日本軍では上官の命令は

どのような場合でも絶対であったため

それに従っただけの者が裁かれたり


食事や衛星を捕虜だけに悪く扱ったわけではなくても

これが虐待とみなされたりもしたようです



アメリカは、横浜、マニラ(フィリピンのルソン島の都市)

グアム(アメリカ領の太平洋の島)など


オーストラリアは

ラバウル(パプアニューギニアのニューブリテン島の都市)

マヌス(パプアニューギニアの島)など

で裁判を行っています


オランダは、バタビヤ(現ジャカルタ)など

植民地のインドネシア各地で裁判をしています


イギリスはアジア各地に植民地を持ち

シンガポール、マレー半島、ビルマ

北ボルネオ、香港の計20都市で


フランスはサイゴン(ベトナム最大の都市 ホーチミン市の旧名)

で裁判をおこなっています



中華人民共和国の裁判は、犯罪者を処罰することよりも

悔い改めさせることを目的としたため

約千百人の戦犯のうち起訴されたのは45人にすぎず

最高で禁固20年の判決だったといいます



なお、BC級戦犯ではないですが

ソ連のハバロフスクでも軍事裁判が行われ

七三一部隊など細菌兵器に関わった12人が裁かれ

全員が有罪(強制労働25年~2年)となっています


但し10年以上の刑を受けた者も

病死した者と自殺した者の2人を除き

1956年の日ソ国交回復にともない帰国しています





なお、連合国のイギリス、オーストラリア、ソ連、中華民国は

天皇の戦争責任を追及し


死刑にすべきであると主張した国もあったそうですが

マッカーサーの「天皇を日本の占領統治の道具に利用すべきだ」

という政治的判断で、天皇は訴追(そつい)を免れたとされます



アメリカが天皇を除かなかったのは

日本が共産主義国家となるのを恐れたためだとも言われます







御霊信仰



小泉総理は、A 級戦犯が祀られているのはおかしい

という靖国問題に関して


「日本では、死ねば善人も悪人もない

平等に仏や神として祀るのが日本の風習・文化である」

と言いました



しかし、本来、神道で、悪人を祀る場合

仏教のような平等意識ではないのです


仏教では、善人も悪人も、仏や経の力によって

平等に成仏するという「悪人成仏」という考えが強いです


南無阿弥陀仏と唱えれば悪人も平等に成仏するなんてやつです




これに対して、神道では

非業の死を遂げた者の悪霊が


生者に対して悪さをしないよう「鎮魂」して

神として祀るというのが伝統的な考えです


これを「御霊信仰」(ごりょうしんこう)といいます



御霊信仰して代表的なものが

平将門や、菅原道真に対するものです



菅原道真は

天満天神〔道真が雷神と結ばれたことから

天神と呼ぶようになったとされる〕

として

天満宮や天神社の祭神となっていますよね


学問の神として信仰されています



菅原道真(845~903)は

宇多天皇の信任を得、文章博士(もんしょうはかせ)

蔵人頭(くろうどのとう・天皇の秘書的役割)、参議などを歴任し

醍醐天皇のときに右大臣となっています



しかし、藤原時平〔氏長者。左大臣、太政大臣

道真とともに醍醐天皇に重用〕

の讒言(ざんげん)により


大宰権帥〔だざいのごんのそち・大宰府の長官〕に左遷

大宰府で失意のうちに没しています



909年に、時平が39歳の若さで死去すると

その早すぎる死は

道真怨霊の祟り(たたり)であるとの説が流ました


さらに、京都で落雷などの天災が続き、藤原一族の変死が重なると

これを人々は道真の怨霊による祟りであると恐れます



菅原道真は、悪人ではないですが

死後に悪霊(御霊)になったということです


そこで905年、道真の臣下の者が社を建立し

道真の霊を祀ったのが、太宰府天満宮のはじまりで


919年には、道真の悪霊を恐れる政府によって

立派な社殿が建立されます


さらに923年には道真を右大臣に復帰させ

993年には太政大臣の位を授けているのです




【 雷記念日(6月26日)の由来・・・・

西暦930年6月26日の午後

平安京では日照りが続き、公卿たちが清涼殿(の庭?)に集まり

雨乞いの相談を行っていた(雨乞いをしていたとも)

落雷があり、大納言藤原清貴と右中大弁平希世が即死した


この落雷は、太宰府に左遷させられ亡くなった

菅原道真のたたりであると信じられ

道真は、雷の神「天神」と呼ばれるようになった 】






なお、京都の八坂神社は

全国の八坂・祇園・八雲といった

約2300の関連神社の総本社です


素戔嗚尊(すさのうのみこと)を祭神しますが


明治時代の神仏判然令以前は

主祭神は、牛頭天王(ごずてんのう)でした


素戔嗚尊の本地(本来の姿)が、牛頭天王とされていたのです


牛頭天王は、疫病や災いをもたらすものとして

京都の八坂神社に祀られます


これにより鎮魂されるというのが祇園信仰です

この祇園信仰も、御霊信仰の1つとされています


【 牛頭天王… 祇園精舎(釈迦の道場)を守護する

とされる日本の神仏習合における神

起源不詳 道教的色彩の強い神だが、中国の文献には見られない 】






それから、日本の農村の伝統行事の一つに

「虫送り」(虫追いなどとも呼ばれる)があります


稲の害虫を追い払い、その年の豊作を祈願する呪術的行事です


「虫送り」では、御霊信仰に関係するとされます


また、神社で行われる紙の形代(かたしろ)に

穢れを移す風習との共通性もみられるとされます



大きなわら人形を担ぎ

鉦(かね)・太鼓をたたいてはやし、村境まで送って行き

人形を川に流す地域もあるといいます


春から夏にかけての頃(おもに初夏)

夜間にたいまつを焚いて行うようです


主として西日本では

イナゴやウンカは、斉藤実盛の化身であると伝えられ

わら人形を実盛と呼び、虫送りは「実盛送り」と呼ばれています





●  斉藤実盛


斉藤実盛は、平安時代末期の平家の武将。越前の人

平曲〔へいきょく・平家物語を平家琵琶を伴奏として語る音曲〕の「実盛」

世阿弥作〔室町前期の能役者・能作者〕の能の曲目「実盛」として知られる


北陸で、木曽(源)義仲と戦って戦死


その際、老年を隠すために白髪を黒く染めて出陣したという


乗っていた馬が田の稲株につまずいて倒れたところを

源氏方の敵兵に付け込まれ、討ち取られてしまったため

その怨念がイナゴやウンカとなり、稲を喰い荒らすのだとされた







なお、神道の特徴として

神が、死や血の穢(けがれ)れを非常に嫌う ということがあります

穢れは「気(生命力)枯れ」のことであるとされているようです


葬式などは、仏教では寺で行うこともありますが

神道では神域たる神社ではなく各家で行います


亡くなった者だけでなく、その身内も忌中(きちゅう・50日)や

喪中(もちゅう・1年)の間は神域に立ち入ることできないので

初詣は寺院に行くことになります



お宮参りは、赤子が無事に誕生したことを

産土神(うぶすながみ・土地の神)に報告する儀式です

生後30日前後に行われるのが一般的です


神道では、出産や月経は、出血を伴うので穢れとされていて

かつてはお宮参りの時期には、母親はまだ穢れが終わっていないので

神に近づけないとされていました



こうした「穢れ」や「祟り」に対する観念は

平安期にはとりわけ強かったようで


臍(へそ)の緒が道に落ちていたことから、平安京全域を清掃した

なんて話も残っていると聞きます


「清めの塩」は、こうした穢れを清めるものです








英霊の考え方



靖国神社の主張は

「英霊は1つの融合霊であるから

A級戦犯者の霊魂(みたま)だけを

そこから分離して祀ることなどできない」

と言っていますよね



死んだら1つの霊体に融合する

といった考えはどこからきているのでしょうか?


日本人は、一神教の民族ではないので

死後についての考え方は、人によって様々です


死んだら天国に生まれて

永遠の幸福得ると考えている人もいれば


極楽浄土に生まれると信じている人もいます


輪廻するという人もいれば

大宇宙に溶け込むという人もいます


祖霊に融合するという人もいれば

子供に命が伝わると考える人もいます


自分の残した業績が永遠の命として残ると考える人もいるし


人の心に思い出として残るだけで死んだら何も残らない

「無」であると考えている人もいます


星になるなんて漠然思っている人もいるでしょう




ただ、日本の古来からの霊魂観では


≪ 天寿を全うし、死後にちゃんと供養してくれる子孫がいる者は

子孫の供養を受けながら次第に肉体が朽ちてゆき

霊魂が肉体より分離する


この間に霊魂は死のけがれを落としてゆく

それとともに霊魂は個別性をも失ってゆく


やがては祖霊という先祖たちの融合霊に取り込まれ

全体的な霊体となる


祖霊は村里を見下ろす丘や天空にいて子孫の生活を見守っている ≫



≪ これに対し、自殺、水難や火災などによる事故死

また異常な死に方をした者

一定年齢に達せず夭折した者

祭祀を営む子孫がいない者は先祖になれない ≫



≪ 戦死、事故死、また自殺など非業の最期を遂げると

霊魂は肉体を突然に失う


安定する場を失った霊魂は浮遊霊となる

浮遊霊は肉体と一体の状態にもどりたがって

他人の肉体に入ろうとする


そこで死にそうな人や一時的に霊魂が不安定な人を見つけると

その霊を追い出して肉体をのっとる ≫


といったものです



こうした、霊魂観は、日本古来の神道的な考えに

外来の仏教や儒教の思想が取り込まれて形成されたといいます


信仰として整ったのは中世から近世にかけてのことらしいです



この浮遊霊となった霊魂を平安時代には物の怪(もののけ)

中世にかけては怨霊や御霊(ごりょう)

近世には無縁仏や幽霊と呼んだとされ


これらは鎮魂して神として祀ったり

仏教では念仏や読経によって供養したそうです





それから招魂社の「招魂」とは

死者の霊を招いて祀ったり、鎮めたりすることです


古代の日本人は、神は、天空や海のかなたなど

人間とは離れた場所に住んでいて


祭事のときに、山、巨岩石、巨樹に依り憑くと考えていました



なので古代の信仰では

神々の依り憑く巨岩石や巨樹

また神が依り憑いて鎮まった小山や森などが

神の社=神社 だったのです



祭り(祀り)もそのつどそこに神を招いて行っていたとされます


これが建築技術の進歩で

里に神社がつくられるようになったといいます


そこには、いつも神に見守っていてほしいという

人間の心情があったと考えられています




こういった霊魂観からすると

靖国神社の各人の霊魂は

そもそも戦死による浮遊霊ということになります


そして、これらを招いて鎮魂し

英霊(融合霊)に合祀して、神として祀ることで

霊魂を神社(現世・この世)につなぎとめ


天皇や国家の安穏を守る仕事をしてもらう

というのが

靖国の英霊思想ということになります



となると、≪慰霊≫によって極楽往生させる

あの世に成仏させるといった考えとは、根本的に違うわけです


英霊はあくまで「神」ですからね







分祀はできる?



靖国神社によると

≪分霊はできるけど、分祀はできない≫と言うけど?


分霊(ぶんれい)というのは

祭神の分霊(わけみたま)を他の神社に招いて祀ることです


多くの神社は、有名な神社から祭神を

「勧請」(かんじょう・分霊のこと)しています


例えば、宇佐八幡宮から八幡神の分霊を

石清水八幡宮に勧請したり

さらに岩清水八幡宮から別の八幡宮に勧請したりというように・・・



神道では、祭神の霊魂(みたま)を

ロウソクの火を移すように無限に分霊することができ


しかも神威が損なわれないということですから

宇佐八幡宮(八幡宮の総本社)の八幡神と

そこいらの八幡神社に祀られている八幡神とに

本来 神威の差はないということになります





伊勢神宮に祀られている

天照の御神体の八咫鏡と

宮中の賢所に祀られているそのレプリカには


神威の差はないということになります




分祀とは、分霊の意味で使われることもありますが

靖国問題でいう分祀とは

1つの神様である英霊から

A級戦犯者の霊魂だけを切り離して祀るということです



靖国神社は「英霊とは、多くの人の霊魂が

1つの座布団の上に座っているようなもので

そこから特定の霊魂を切り離すなどということはありえない」

と言っています



全国の大半(約8万社)の神社を統括している

「神社本庁」も、靖国神社を支持することを表明し


祭神の分離という意味の「分祀」は

神社の祭祀の本義からありえない

という見解を述べています


つまり、神道の祭祀からいえば

神を切り離すなんてありえない概念だというわけです






しかし、古代の日本人は

神霊は、異なった霊能を持つ

いくつかの霊魂が集まってできていると考えていたのですよ



いくつかの種類の霊魂とは

荒々しさ、猛々しさの霊能を持つ「荒魂」(あらみたま)と

柔和や慈しみといった霊能を持つ「和魂」(にぎみたま)に大別できます



荒魂と和魂は、ふだん1つの神霊として統一されていますが

別々の神格として活躍した例もみられます




日本書紀によると

神功(じんぐう)皇后

(15代応神天皇の母にして

三韓征伐を成し遂げた日本最大の女傑)は


三韓征伐に出発する際

「私(天照)の和魂が天皇(お腹の中にいる応神)の身を守り

荒魂が先鋒として船を導くだろう」

という天照大神の神託を受けています


また、住吉大神からも同様の神託を受けています



戦いでは、天照大神と住吉大神の荒魂は、日本軍の先鋒となり

和魂は皇后に従って軍船を守護したとされます



外征より帰国した神功皇后は、明石で待ち伏せていた

忍熊皇子(おしくまのおおじ・応神の異母兄)を破って

難波へ帰還しようとします


ところが難波の港を前にして

船が海中でぐるぐる回って進めなくなります



そこで、武庫の水門〔むこのみなと・兵庫の港・神戸港〕に向かい


神意をうかがうと

「我が荒魂は皇居に近づけてはならない。広田の国に祀りなさい」

という天照大神の神託を受けます



これを受け、山背根子(やましろのねこ)の娘 葉山姫(はやまひめ)を

斎宮(さいぐう・神に仕える者)として


天照の荒魂を祀ったのが

広田神社〔兵庫県西宮市・主祭神は、天照大御神荒魂〕だとされます




また同様に、神功皇后が帰途

住吉大神より「我が荒魂を穴門(長門)の山田邑に祀りなさい」

という神託を受けて


穴門直践立(あなとのあたえほんだち)を神主の長として

住吉大神の荒魂を祀ったのが

下関の住吉神社(大阪・博多とともに日本三大住吉)だといいます


これに対して、大阪の住吉大社では和魂を祀っているそうです






また、古事記によると

大国主神(大国主命)と一緒に国造りを行っていた

少彦名神(すくなひこなのかみ・小人の神)が

常世(とこよ)の国へ帰ってしまい


大国主神が「これからどうやってこの国を造って行けばよいのか」

と悩んでいると


海の彼方から光輝く神が現れ

自分を大和国の三輪山に祀りなさいと言います


大国主神が「どなたですか?」と尋ねると

「私は、あなたの幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)である」

と答えています



この神が、日本最古の神社であり、大和国の一宮でもある

大神神社(おおみわじんじゃ)の祭神 大物主神(おおものぬしのかみ)です



大物主神は、日本書紀の一書(あるふみ)では

大国主神の別名とあり


大神神社では、大国主神が

自らの和魂を大物主神として祀ったとしているようです



幸魂は、幸福をもたらす霊能で、奇魂は、奇跡をおこす霊能のようです






それから、荒魂は人間に害をなすと考えられた面もあり

奈良時代末期になると、霊魂(みたま)が祟りとして出現するという

前述した「御霊信仰」が生まれ

平安時代になると、疫病が御霊の祟りとされるようになったようです



政治が「まつりごと」と呼ばれるように

祭祀と同一視されたのは

このような荒魂や怨霊・悪霊を鎮めることが

国家事業であったからだといいます



そして、鎮魂することで

荒魂は、和魂となり守護霊となるなどとされたり

なかには菅原道真のように神になる者も登場したということです




のちの神道では

人間の霊魂も四魂(しこん)からなる

荒魂、和魂、幸魂、奇魂からなるとされ

「一霊四魂」などというようになります


一霊は、直霊(なおひ)で、この直霊が

大宇宙の中心である

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ・古事記に最初に登場)

につながっていて


四魂を統括しているとか

人は死ぬと、その荒魂は墓に祀られ、和魂は位牌に祀られるとか

いった教義や


また、全ての人が神の子孫であり、神の分霊(わけみたま)である

なんていう教義も創造されています







靖国問題の本質



靖国神社によると

「A級戦犯者も一般の軍人も死んだら全て神であり

神に身分の差はない」

そうですが


それでは、天照と、けがれの神が同じように尊い

差がないということになります(笑)


それでは、神道の教義もへったくりもない



「国家神道」は

昭和の敗戦によりGHQ(連合国最高司令官総司令部)

によって解体されます


それにともない1946年に

「神社本庁」という宗教法人が設立されています


神社本庁は、地方機関として全国47都道府県に神社庁を置き

伊勢神宮を本宗とします


加盟する全国の大半(約8万社)の

神社(単位宗教法人)を統括しているそうです




国家神道が解体され

各神社はそれぞれ1つ1つの宗教法人となったわけですが


神社本庁という仏教でいうところの総本山に属しているため

様々な干渉を受けているらしいです



20年に1度の伊勢神宮の式年遷宮

〔しきねんせんぐう・20年に一度、すべての社殿を

すぐ近くの敷地に移動させる(新たに建て替える)こと〕の際には


自社の社殿の修繕費さえ捻出できないのに

巨額の費用が割り当てられるようなことがあったり

(氏子の数が多い神社ほどその額は大きい)



また、祈願収入の減少から

神札や御守をインターネット販売しようとしたり

霊園を経営しようとしても

神社本庁の通達に添わない事業の場合

≪異端≫とみなされ、停止や改善を求められるそうです



さらに、勧告に従わない場合

神社本庁は、たとえ世襲宮司家であろうと

代表役員(=宮司)を一方的に解任できる権限を持つので

神社本庁から離脱する神社も多くなってきているようです





これに対し、靖国神社は、もともと神社本庁に加盟していません


だから誰にも干渉されずに、教義や信条や儀礼なんかを

自由につくることが許されているのです



つまりこれは、靖国神社も

創価学会や幸福の科学なんかと同じということです




結論を言えば

こうした靖国神社の教義や考えに対し

「A級戦犯を分祀すべきだ」と言ったところで全く意味がありません


分祀するのが正しいとか間違っているとか

あるいは分祀が望ましいとか望ましくないとかという問題ではなく


靖国のつくった「分祀はできない」という原理を

信じるか信じないか

また、受け入れるか受け入れないかというだけの話なのです








桜咲く九段で



宗教的な原理や教義についてあれこれ

書きましたが


そういうことは抜きにして


【 「靖国で会いましょう」と言って

日本のために命をささげていった人たちに、報恩、感謝したい


それには、靖国がいちばんだ 】


というのが、多くの日本人の心情です

あたりまえの感情です



なぜ、我々は

論理より感情論を優先することができるのでしょうか?










彼らは、17~18歳の神風特攻隊員で

この写真が撮影される翌日の

1945年5/27、彼らはアメリカ戦艦に特攻攻撃しています

(ポツダム宣言受諾は8/14)



犬を抱く青年の最後の手紙が

5月の末日、父母や兄へのもとへ届いています



【 最后(さいご)の便り致します

其後(そのご)御元気の事と思います

幸雄は栄ある任務をおび

本日出発致します

必ず大戦果を挙げます

桜咲く九段(靖国)で会ふ日を待って居ます

どうぞ御身体を大切に

弟達及び隣組の皆様に宜敷く 】




戦争自体を美化するわけではないですよ

そこは間違えないでくださいね


彼らの心そのものが美しいのです


ここに日本があるのです

美しい日本があるのです


我々日本人が

存在の根拠として誇れるものがあるのです


その意味(我々に日本人たる根拠を与えてくれる

また守っていてくれているという意味)

において、彼らは「神」なのです





天皇の国 日本




Top page


三島由紀夫と天皇の神格





 自己紹介
運営者情報




 時間論




 幸福論




 価値論




 心と
存在




言葉と
世界




食べて
食べられ
ガラガラ
ポン





Suiseki
山水石美術館