緋山酔恭「B級哲学仙境録」 天皇の国 日本



B級哲学仙境論


天皇の国

日 本






天皇の国 日本




「天皇論」を論じるとすると

天皇制廃止についてどうか?

あるいは

天皇の戦争責任云々になりますが

天皇の戦争責任云々については、政治家や政治学者が論じれば

いい話です



一方、天皇制廃止については

天皇ってなに? ということをちゃんと理解せずに

ごちゃごちゃ言っても

時間のムダです




なので、まずは天皇という存在が

どのようなものかということを明らかにしていくために

色々調べて書いたわけです




天皇論 Ⅰ



天皇論 Ⅱ
万世一系




天皇論 Ⅲ
天皇と神話




天皇論 Ⅳ
神武東征




天皇論 Ⅴ
応神天皇と
八幡神




天皇論 Ⅵ
南北朝時代




天皇論 Ⅶ
日の丸・君が代




天皇論 Ⅷ
旧宮家断絶と
日本民族の
危機






そこでまず言えることは

天皇は、一神教世界で

イメージされる「神」ではありませんよね


どうみたって人間ですし

≪全知全能≫には程遠いです




では、我々と一緒か?

というとどこか違います


それを日本人独自の感覚で

「神性」ととらえたのかもしれません





それではなにが違うのでしょう?


それは我々とちがって色んなものがくっいているのです

天皇という存在にのっかっているのです




それが「民族の神話」であったり

「国家の歴史」であったり


さらに「習俗」(初詣やお祭り)や

「文化」(神社や鎮守の森)だったりするのです







我々は奈良に行ったら

ふつうに春日大社に参拝に行きますね

そのとき祭神なんて意識しません



しかし、調べてみると

天児屋命(あめのこやねのみこと)といって

中臣氏とそこから分かれた藤原氏の先祖で

藤原氏の氏神で

祝詞(のりと)の神様で

天照大神の天岩戸隠れのときに活躍し

天孫降臨のとき、邇邇芸命につきしたがい

天上界からきた神々の1人なんだ・・・

と理解するのです



このとき「天皇」がいるといないのでは

どうですか?

感じ方が違いますよね

情緒的な話ですよ・・・



「天皇」がいれば「神話」や「歴史」

また「神社」といった文化が生きてくるわけです

「初詣」や「お祭り」といった習俗が生きてくるわけです





もちろん、天皇がいようがいまいが

我々の暮らしには

なんら問題ないでしょう



ただ、日本を楽しんで死んでいきたいですよね

せっかく日本に生まれたわけですから・・・



「天皇」という制度があるから

こうやって書いていても

「ちょっとは意味あることをしているんだろうな-」

という意識がもてるんですよ

自己満足でも(笑)




また「天皇制があーだ」

「戦争責任がこーだ」と語ったとき

意味あるモノになるわけです


神話を読むにしても

神社の歴史を調べるにしても

天皇という存在があれば、自分の意識として違ってくるのですよ



つまり天皇という存在は

日本という国に対する学術的意欲をもおこさせる存在でもあるわけです

第二次大戦を含めてね・・・



こういうことが分かっていないと

「天皇制は民主主義の理念にふさわしくない!!」

って話になっちゃうわけです





例えば、小さな丘に祀られている祠(ほこら)から

里山や田んぼといった田園をながめる自分を想像してください


日本の田園風景に溶け込んでいるんですよ

こんな小さな祠でさえ・・・・



創価学会の信者が

「日蓮以外の宗教は不幸の原因です」

「今の不幸は、過去世に間違った宗教をしていたからです」

なんていったところで


こうした情緒的なモノを撲滅することはムリなんですよ

いくら池田大作さんが立派でえらい人であっても・・・





天皇制が「正しい」とか

「間違え」とか

「近代国家にふさわしい」

「ふさわしくない」とか

また「天皇を尊敬すべきだ」とか

「すべきじゃない」とか

そんな話でなく



天皇という基礎のうえにのっかっている

あらゆる文化的な存在

また身近な自然に

我々はなんらかの情緒的な感情を感じつつ

この日本にこうしてあるということなのです







記紀神話によると

邇々芸命の妻 木花之佐久夜毘売

(このはなのさくやぴめ・全国1300社の浅間神社の祭神)は


邇々芸命の子を身ごもごりますが

邇々芸に「お前とは一夜しかともに過ごしていない」と疑われます


そこで木花之佐久夜毘売は

「お腹の子があなたの子でないなら

無事に生まれてくることはないはずです」と言って

産屋(うぶや)に火を放ち、その中で出産します (神明裁判)


長男の 火照命(ほでりのみこと・海幸彦)は

火が燃え始めたときに生まれ


次男の 火須勢理命(ほすせりのみこと・

日本書紀ではこの神が海幸彦になっている)は

火が盛んに燃えているときに生まれ


三男の 火遠理命〔ほおりのみこと・

火火出見命(ほほでみのみこと)。山幸彦〕は

火の勢いが弱まったときに生まれています




山梨県富士吉田市の

浅間神社

〔 北口本宮(もとみや)と呼ばれる

日本武尊(やまとたけるのみこと)が

背後の大塚に登って富士を拝したことに由来するという


本殿は武田信玄の再建


富士の登山口は、静岡県側に4つ、山梨県側に2つ存在するが

江戸時代には吉田口が最も栄え

浅間神社の門前には百軒ほどの宿坊があったという 〕


の「吉田の火祭り」は

木花之佐久夜毘売が火の神を出産したことにちなむ祭です


富士の山開きの8/26日

富士御影(みえい)という富士山の形をした神輿が

吉田市内をねり


御旅所(おたびしょ)に着いた夕刻

浅間神社と街の各所

それに吉田口の5合目から8合目までの各山小屋で

松明(たいまつ)がいっせいに燃やされるそうです


翌27日に神輿は

御旅所を出発し市内の火を鎮めながら神社に戻り

祭は終了となるといいます


壮大な祭りでしょ


神話がこのように現実化されている国なのです

日本という国は・・・・


その意味では、日本というのは

「神の国」であり、「天皇の国」なのです






民族というのは、文化において成り立ち

文化の本質とは1つには

他の集団との差異、区別、もっというと差別です


千葉県浦安市では

東京ディズニーランドでの成人式が

毎年恒例となっているそうですが

日本民族の成員となるための成人式が


ディズニーランドって(笑)


政治家も、学校の先生も、参加する青年も、その親も・・・

みんな頭おかしいんじゃないのかな?



アメリカ人になるのですか ?(__!)?(!__)?



≪文化≫ってものも

≪民族≫ってものも

なにも解っていないということですよ(笑)



浦安市の属する下総国一宮 香取神宮ですべきが

もっとも本筋に近いはずです



これは、右とか左とか関係なく

中立というか、あたりまえの思考ですよ(笑)





三島由紀夫と天皇の神格





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