緋山酔恭「B級哲学仙境録」 神とはなにか? ユダヤ教編 ②



B級哲学仙境論


神とはなにか?編


 




神とはなにか?

ユダヤ教編 ②




ユダヤ人とキリスト教



4世紀はじめにキリスト教が、ローマ帝国の国教となって以来

ユダヤ人に対し、様々な迫害、弾圧がなされてきたといいます


ユダヤ人に対する殺戮・略奪・破壊・差別などの

迫害行為を「ポグロム」といいます


イエスを十字架にかけたのはユダヤ人であると敵視され

大火や疫病が広まるとその責任を押し付けられたそうです



中世末の西ヨーロッパでは

ユダヤ人の財産没収や投獄が繰り返され

その結果として、ユダヤ人が東方へと移っていったといいます


土地の所有を認めず、あらゆる職業から締め出し

行商やキリスト教で禁じている金融業や高利貸し業に追いやり

さらに憎しみをつのらせていったそうです



キリスト教では利子の所得を禁じていますから

ユダヤ人を「利子所得の戒しめを犯した罪深き者」

とさんざんに非難してきたましたが


13世紀以降、ローマ教皇自身がこれを破り

罪を犯し続けてきたとされます



12世紀末に開催されたカトリックの公会議において

ユダヤ教徒と親しく交わること

ユダヤ教徒がキリスト教徒に対して

なんらかの支配を及ぼすことが禁じられ


これによって

キリスト教徒とユダヤ教徒との婚姻、同居、食事などができなくなり

ユダヤ教徒がキリスト教徒を雇用することや

告発したりすることもできなくなります



13世紀はじめには、差別バッチをつけることが強制され

裕福なユダヤ人は財産を没収され

追放されることも繰り返されたといいます



また、イスラム教徒の占領する聖地エルサレムを奪還すべく

1096年から2世紀にわたってなされた十字軍時代には


宗教的な熱狂があおられたこともあり

ユダヤ人への偏見や迷信が増幅され


ユダヤ教徒がキリスト教徒の子どもを誘拐し

血の儀式に用いて殺しているとか

キリスト教徒が飲んでいる泉に毒を流しているなど

といった告発がなされ

ヨーロッパ各地でユダヤ人の大量虐殺が起きているそうです



15世紀の魔女狩り・異端審問の時代にも

多くのユダヤ人が犠牲となっているといいます




7世紀以降、ローマ教会は

「ユダヤ教徒はイエスを殺した罪深き人間ではあるが

イエスの教義が正しいことを証明するための生き証人であるゆえ

罪深き人間として生き続けなければならない

よって彼らの信仰を赦すべきである」

という主張をしてきましたが


中世の魔女狩り時代には、これをくつがえし

ローマ教会自体が、ユダヤ人狩りを行い

改宗を拒否した者を殺していったわけです



16世紀の宗教改革で誕生したプロテスタント諸教会でも

魔女狩りや、異端審問は、変わりなく行なわれています


魔女論の古典とされ絶対的権威を誇った「魔女の鉄槌」

〔魔女裁判の方式を述べた書

魔女は裸にして牢獄につなぎ自白させる

自白しなければ拷問にかけることなどが記されている〕が

プロテスタント諸国でも受け入れられています



また、ルター〔1483~1546・ドイツの宗教改革者

プロテスタンティズムの確立者。単独教派としては

世界最多の信徒7千500万を有するルター派教会の祖〕は


「ユダヤ教のシナゴーグは火を放して焼き尽くしなさい・・・

ユダヤ人の住む家屋は取り壊されるべきである・・・


ユダヤ人は家畜小屋のようなところに押し込め

この国土で彼らが主人ではないことを思い知らせようではないか・・・


これら有毒な苦虫たち(=ユダヤ人)から

彼らの持ち物(財産)を取り上げてしまいなさい・・・


そして二度とこの地に帰ってこないように国外に追放してしまいなさい」

と述べています


なんのための宗教改革なんだか、アホすぎますね(笑)




16世紀半ば以降は、ユダヤ人居住区を厚い壁で隔離するゲットーが

イタリア、ドイツ、ポーランド

ボヘミア(チェコ西部の地方。チェコの中心部)などで

本格化したとされます




こうした延長線上に、ナチスの暴挙があったわけです


ナチス政権は、ナチズムに迎合する

ドイツ・キリスト者を介して、教会への干渉をはじめます



ドイツのキリスト教会は、各領邦ごとの統一組織となっていましたが

ナチはこれを一元化し、帝国教会をつくること

また教会法にアーリア条項(ユダヤ人排除政策)を

導入することを企てたといいます



ドイツ・キリスト者に対し

牧師たちは牧師緊急同盟を組織し

1934年には、バルメン宣言を決議します


ドイツ・キリスト者の国粋主義的な神学を批判

宗教改革の理念にもとづく教会と国家の関係を述べ

信仰制度は国家権力に左右されないことを宣言し

告白教会を誕生させています



告白教会がナチの教会政策ばかりでなく

非人道的政策の批判をはじめると

告白教会の指導層、教会役員、牧師らが次々に投獄されたといいます



告白教会はプロテスタント諸教会の連合組織です


このため内部分裂もおきて

暫定指導部とルター派教会が対立し

ルター派は独自に指導部を立ち上げています



第二次大戦がはじまると、組織的な抵抗はできなくなりましたが゜

地下活動的な抵抗運動は続けられ

多くの牧師や信徒が犠牲となったと言われています








シオニズムと中東戦争



19世紀後半になると、ユダヤ人の間に

「自分たちの国を建てよう」という意識が湧き上がります


彼らが建国に求めたのが

当時、オスマン帝国(イスラム教スンニ派の国家)の領土であった

故郷のパレスチナです



その地の シオン山が、希望の象徴とされ

シオン山に戻る運動「シオニズム」が展開され

ユダヤ人を東ヨーロッパからパレスチナへと移住させました



●  シオン山

エルサレムの南東にある丘

ダビデが祭壇を築いて以来、聖なる山となった

ダビデの墓も存在する




シオニズムは「シオニズムの父」と崇められ

「イスラエル国家建設の最大の功労者」と言われる

オーストリアのユダヤ系ジャーナリスト

テオドール・ヘルツル(1860~1904)によって開始されたといいます



「ユダヤ人の問題は同化ではなく

独自の国家を建設することでのみ解決される」と考えたヘルツルは

1896年に「ユダヤ人国家」を出版


97年には、彼の努力により、スイスのバーゼルで

第1回シオニスト会議が開催され

この会議で「パレスチナに公法で認められる国家を建設する」

ことが決議されたといいます



ヘルツルは、世俗の人なので、それ以前の論者とは違い

ユダヤ人が安全に生活できれば

なにもパレスチナにこだわることはないと考えていたようです

むしろ、アフリカのウガンダや

地中海のキプロス島を考えていたといいます



ウガンダの計画は、運動の過程で

ロシアや東欧のシオニストに拒否されています


またヘルツルは、ドイツ皇帝の中東支配の野心を利用しようと

皇帝に謁見し、ドイツの中東支配が

いかに有益であるかを語るなどしたそうです



こうしたヘルツルの運動への賛同者は

彼の生前、また第一次大戦(1914~18)以前は少数しかいなく

「夢物語だ」とあざけりを受けたり


彼の世俗的な考えが「神への冒涜である」と批判されたり

「シオニズムは、反ユダヤ主義を刺激するものだ」

と非難されていたといいます



ところが、1917年の「バルフォア宣言」が出され

また第一次大戦後に誕生した

ナチス政権によるユダヤ人への虐殺が進むと

シオニズムは正当なものとして人々に受け入れられ

多くのユダヤ人をパレスチナに移住させていったといいます




●   バルフォア宣言


第一次世界大戦中の1917年に

イギリスの外務大臣 アーサー・バルフォアが


イギリスのユダヤ人コミュニティーのリーダー

ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド

〔英国貴族ロスチャイルド家の第3代当主。動物学者。シオニスト〕

に対して送った書簡に示される


イギリス政府のシオニズム支持表明


パレスチナにおけるユダヤ人の居住地建設に賛意を示し

その支援を約束している



これは、1915年に、

イギリスの駐エジプト高等弁務官 ヘンリー・マクマホンが

メッカ太守〔当時、メッカはオスマン帝国下で半自治区的な存在にあった〕の

フサイン・イブン・アリーと結んだ

フサイン=マクマホン協定(マクマホン宣言)と矛盾している



マクマホン宣言では

オスマン帝国との戦争(第一次世界大戦)に協力することを条件に

オスマン帝国の配下にあったアラブ人の独立を承認するとしていて

フサイン・イブン・アリーは、これを受けて

ヒジャーズ王国を建国したという




一方でパレスチナでの国家建設を目指すユダヤ人に支援を約束し

他方でアラブ人にも独立の承認を約束するという

イギリス政府の二枚舌外交が

現在に至るまでのパレスチナ問題の遠因になっているのです



しかし実際には、マクマホン宣言には、アラブ人国家の範囲に

パレスチナは含まれていないため、この2つは矛盾していない

という話もあります






第一次世界大戦(1914~18)が始まると

イギリスは、ドイツと結んでいたオスマンの帝国領内で

アラブ人たちの反乱を支援し、ユダヤ人にも戦争への協力を要請します



そして、ユダヤ人が連合国を支援した功績として

「バルフォア宣言」(1917)が出され

パレスチナにユダヤ人国家を建設することが承認されました


しかしアラブ側は、アラブ人国家の独立に

パレスチナも含まれていると受け取っていたのです



その後、第二次世界大戦(1939~45)を経て

ようやく国連で、パレスチナをユダヤ地区と

アラブ地区に分割する案が可決され

ユダヤ人側はこれを受け入れ

1948年に、イスラエル共和国が誕生します




しかしアラブ側は、自分たちの土地に

イスラエルが建国される分割案を拒否


アラブ側の攻撃によって「第一次中東戦争」(1948~49)が勃発し

イスラエルは、分割案で与えられた以上の地域を占領します



第一次中東戦争前後、イスラエル軍に占領された地域より

ヨルダンやレバノンやシリアなどの周辺諸国や

ヨルダン川西岸のガザ地区に逃れ

難民となったパレスチナ人は80万前後いたといいます



その後、イスラエルは

全てのユダヤ人にイスラエルへの移住と

市民権を保証する「帰還法」(1950年)を制定し

世界各地からユダヤ人を受け入れています



●   帰還法

ユダヤ人を「ユダヤ人を母とする者またはユダヤ教徒」と定義

全てのユダヤ人にイスラエルへの移住権を与えている





さらに、第二次中東戦争(1956)、第三次中東戦争(1967)

第四次中東戦争(1973)と

大きなものだけで、5度の武力衝突が起きています



とくにイスラエル側の攻撃で開始された第三次中東戦争のさいは

イスラエルが、ヨルダン、エジプト、シリアなど隣接する

アラブ諸国の一部を占領しています


このうち、シナイ半島は、アメリカの仲介で成立した

エジプトとの平和条約にもとづき82年に返還していますが

シリア領のゴラン高原は依然として占領しています






ガザ地区とヨルダン川西岸地区は、パレスチナ自治区となっています



これらは第三次中東戦争でイスラエルに占領されましたが

1993年のオスロ合意(ノルウェーの首都オスロで行われた

イスラエルとパレスチナ解放機構との間での合意)

によりパレスチナ人による暫定自治が認められています


ヨルダン川西岸地区はパレスチナ自治政府


ガザ地区は2007年以降

イスラム原理主義組織 ハマースが実効支配しています







エルサレム



エルサレム(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地)は

第一次中東戦争以降

イスラエルとヨルダンが東西に分割


岩のドーム(イスラム教)、嘆きの壁(ユダヤ教)

聖墳墓教会(キリスト教)

のある旧市街地を含む東エルサレムがヨルダン領


西エルサレムがイスラエル領となりましたが

第三次中東戦争で、イスラエルが併合してしまいました



80年には、この統一エルサレムを

イスラエルの永遠の首都とする

「基本法エルサレム」を成立されていますが

国際的には承認されていません






エルサレムの意味は?


ヘブライ語の イェルシャライムは

イール・シャローム(平和の町)を意味するという説と

ウル・シャレム(シャレムの礎。シャレムは

セム系諸族の黄昏と美の女神)の意味であるという説があります



かつてユダヤ人の神殿のがあった場所は

イスラム教の聖地となっていて

彼らはここを「ハラム・アッシャリーフ」(神殿の丘)と呼んでいます


ハラム・アッシャリーフの中央には「岩のドーム」

〔ウマイヤ朝の692年に完成。現在のものは1345~50年に再建〕

と呼ばれるモスクがあります



岩のドームは、ムハンマドがここから一夜

天界を巡る旅に昇天したとか

アブラハムが息子イサクを犠牲に捧げようとした場所であるとう

「聖なる岩」を囲むようにして建設されたモスクです







聖なる岩  転写






ハラム・アッシャリーフを囲む東西南北の壁のうち

西の壁を、ユダヤ教徒たちは「嘆きの壁」と呼びます

西の壁には、第二神殿の遺構(昔の建築の残存物)があるとされ

彼らは神殿の喪失を嘆き、再建を祈るといいます


嘆きの壁   転写




●  エルサレム神殿


紀元前10世紀にソロモン王が最初の神殿を創建


紀元前6世紀にバビロニアに破壊され

バビロン捕囚後に第二神殿として再建


その後、紀元前1世紀にヘロデ大王によって大改築されたが

紀元1世紀にローマ軍に破壊され

嘆きの壁が唯一の遺構となっている




嘆きの壁は、長さ約50m、高さ約20mで

最上部まで45段の石が積まれていて

このうち下部の24段(17段は埋まっている)が

ヘロデ時代特有の切り石


上部は後代のものとされています


地上部8~11段は、ウマイヤ朝時代のもの


12~25段は、オスマン帝国時代の1866年に

イギリスの実業家が追加


26~28段は1967年に

エルサレムのイスラム法学者集団のリーダーにより追加






「聖墳墓教会」は、イエスが十字架にかけられた

ゴルゴタの丘跡に建てられたものと信じられています


聖墳墓教会   転写


335年に、ローマ皇帝 コンスタンティヌス大帝が建設した

世界最古の王立の教会の1つといいます

〔現在のものは大方、十字軍時代に再建、修復〕



コンスタンティヌス大帝は

首都をローマからビザンティオンに移し

コンスタンティノープル〔ラテン語。ギリシア語では

コンスタンティノポリス〕とし、キリスト教を公認した人です


〔キリスト教は、313年 コンスタンティヌス帝によって公認され

392年 テオドシウス帝のもとで国教となっている〕








ナチズムとユダヤ人



ナチスは

“ユダヤ人はドイツ人の純潔を損ない社会を堕落させた”

と宣伝しました



ナチの政治家でありナチズムの理論家で

ニュルンベルク裁判で死刑になった

アルフレート・ローゼンベルク(1893~1946)は

著書「20世紀の神話」(1930年)で


キリストは本来、ユダヤ人ではなく、アーリア人であると述べています

(ドイツ人はアーリア人の1つゲルマン民族)


ゲルマン民族の大移動




この本はナチズムの聖典と称され

日本を含む各国で翻訳されたといいます


アーリア的伝統とユダヤ的伝統の闘争の歴史を

そのまま世界史と位置づけ

アーリア人の優越性を述べ


イエス・キリストは本来アーリア人の聖なる象徴であり

これをカトリック教会がユダヤ的なキリスト像に

ねじまげたとしているのです





● アーリア人


アーリアンは

サンスクリット語 アーリア(高貴な)からきた言葉


元来、中央アジアの遊牧民でイランに定住


さらにインドに侵入、インダス文明を滅ぼし

インドを支配してカースト制度を確立


アーリア人が先住農耕民を征服する過程で

これを正当化するものとして

バラモン教やカースト制度が成立したとされる



また一部が中央アジアからヨーロッパに移住し

現在のヨーロッパ語族

〔ヨーロッパの人々が話すほとんど全ての言語がこれに属している〕

を話す人々の源流となっている




アーリア人(アーリアン)とは

本来 ヨーロッパ語族に属する言葉を話す人々をさしますが

民族(共通の言語や文化をもつグループ)と人種が混同され


アーリア人種について

ヨーロッパで論争がさかんに行われてきたといいます



これを政治的に利用したのがナチなわけですが

ナチは、アーリアンの身体的特徴を長身、長頭、金髪などと限定し

ドイツを構成するゲルマン民族こそが、優秀なアーリアンである

と主張しました



そして、ユダヤ人をはじめとするセム族

〔ヘブライ語やアラビア語などを話す諸民族

アラビア人、エチオピア人、ユダヤ人など〕を排除したのです





ちなみに、語族とは

共通の祖語から派生したと考えられる諸言語のグループです


日本語は何語族に属するの?

色んな説があるようです



1、日本語族 (日本語と琉球語を含む)


●  琉球語

奄美・沖縄・宮古、八重山各諸島で話されている諸方言の総称

琉球方言ともいう


日本語と、口頭では互いに全く通じ合わないほどの違いがある


ただし、原日本語から発展した

同系の言語であることは証明されているという


日本語とは別の言語と見なす立場と

日本語内部の一方言と見なす立場とがある




2、ウラル・アルタイ語族

(朝鮮語やモンゴル語と同じ)




3、マライ・ポリネシア語族

(マライとはマレー半島のこと)




4、トラヴィタ語族

〔 トラヴィタは南インドとスリランカの民族で

アーリア人とともにインドの2大主要民族

前2千年頃のアーリア人の南下までは

インドの主たる住民であったという 〕




5、その他

ウラル・アルタイとマライ・ポリネシアが重なって成立したとか

ペルシア語や英語が起源だという説もある






話を戻します


ヒトラーの代表的な著作「わが闘争」では

歴史を人種間の生存闘争であり

強者が弱者を征服する過程であるという

世界観(社会ダーウィニズム)を用いて


ユダヤ人排斥を正当化し

ユダヤ人を地上から抹殺することこそが

ドイツ民族の使命だと述べています



ヒトラー自身、ユダヤ人の血を引くという話もあり

手塚治虫の漫画『アドルフに告ぐ』ではそれがテーマとなっています


ヒトラー自身そのことを気にして

顧問弁護士にあったハンス・フランク(後のポーランド総督)に

調査を命じたようです


ヒトラーの父、アロイス・ヒトラーは、私生児として生まれています



フランクの調査によると


アロイス・ヒトラーは

母の奉公先である

フランケンベルガーという裕福なユダヤ人の家で生まれています


母が召使をしていたときに生まれたとされています


ヒトラーは自分の祖父がユダヤ人ではないかと懸念し

調査を中止させたそうです



ただ、ヒトラーの祖父が

ユダヤ人だった可能性はないとする戦後の調査報告もあります


それによると、住民台帳に記載されている

フランケンベルガー家は、地元バイエルン系のカトリック教徒であり

しかも当時は没落していたそうです





ナチによるホロコースト(大虐殺)の犠牲者ってどれくらいいるの?


諸説あります

250万~400万人、400万人以上、600万人

900万~1100万人などです


その一方、500万とか600万というのは

誇張された数字だという主張もあります




虐殺されたのはユダヤ人ばかりではないと聞いたけど?


このなかには

ジプシー(ロマ人・移動型生活をする民族)、戦争捕虜

反ナチ分子や共産主義者や無政府主義者などの政治犯

身体障害者、精神障害者、同性愛者、浮浪者

アルコール依存症患者、一般犯罪者、カトリックの聖職者

エホバの証人(ものみの塔)の信者

さらにはこれらをかくまった者なども含まれ

犠牲となった人たちの出身国は28に及ぶとされます






ナチは、たとえユダヤ教を捨てても

祖父母4人のうちの3人までがユダヤ教徒であったなら

完全なユダヤ人とみなすという「血の理論」を打ち出し

あらゆることに制限を加え、市民権を奪いました



ユダヤ人の商店に対してボイコットする組織をつくり

ユダヤ人を公職から追放し

ユダヤ人との結婚を禁止するというように




1938年の11/9日の夜から早朝にかけては有名な

「ナチの水晶の夜」が起きています


この事件は、同月7日にパリのドイツ大使館の書記官が

ユダヤ人系ポーランド人の少年に暗殺されたことを

理由になされた弾圧です


SA(エスアー・突撃隊)がユダヤ人居住区を襲撃

シナゴーク(ユダヤ教の教会)191ヶ所を焼き払い

76ヶ所を打ち壊わしています


また750ものユダヤ人商店が破壊され

ガラスの破片により街路が覆われ

水晶のように輝いたといいます


この迫害で91人のユダヤ人が死に

2万6千人が収容所に送られています


さらにヒトラーは、ユダヤ人に賠償金10億マルクを課しています




これ以後、全てのユダヤ人商店が閉鎖され

ユダヤ人は全職業から締め出されて

強制労働するしか生きる道がなくなってしまいます


また、財産を没収され、多くのユダヤ人がドイツを出国したといいます




第二次大戦がはじまると迫害が激化し

ポーランドなどヨーロッパの占領地にゲットー

〔ユダヤ人隔離地域・ポーランドのワルシャワゲットーは

ナチが創設したゲットーの中では最大規模〕を建設し

ユダヤ人を封じ込めました


ゲットーでは、飢えと不衛生により

腸チフス・結核・インフルエンザなどの伝染病が蔓延し

命を落とす者が続出したそうです



さらに、ユダヤ人根絶政策が実施され

絶滅を目的とした強制収容所(絶滅収容所)に輸送して

過酷な強制労働に従事させたあげく

銃殺、絞首刑、注射、毒ガスなどで殺害したのです



ホロコーストの象徴とされている

アウシュビッツの収容所(ポーランド南部)には

150万人以上が連行され、その9割以上が犠牲になったといいます

医師による人体実験もなされたといいます



各強制収容所へ輸送されたユダヤ人などは

労働者、人体実験の検体、価値なしなどに分けられ

価値なしとされた女性、子供、老人などは

そのままガス室に送られたそうです



また、囚人服には、ユダヤ人、政治犯、一般犯罪者、同性愛者

ジプシー、エホバの証人などを区別するマーク(バッジ)がつけられ


ドイツ人を頂点とし、ヨーロッパ人、スラブ人(ロシア人など)と続き

ユダヤ人や同性愛者やジプシーなどが最下層に置かれ


下層であるほど労働時間、食料の配給、宿舎の設備など

あらゆる面で過酷な状況が強いられ、死亡率も高かったとされます



それに、食料の奪い合いが

個人やグループ間で日常的に行われていたといいます




どのような労働をさせられたの?


戦争のための資材や兵器の生産

毒ガスや栄養失調や病気などで死んだ者を

焼却炉などに運び処理する仕事

他の収容者たちの監視役


それから懲罰部隊といって

体力を消耗させ短期間のうちに死亡させることを目的に

石切りの作業や道路の舗装などの労働を

させられた者たちもいたそうです



労働力は、領土を拡大してゆくことで豊富に得られる

と考えていたようで

労働者に十分な栄養や休息をとらせて

労働力を再生産するといった考えはなかったようです



当時のドイツの学校では

「身体障害者を1人養うのに1日○○マルクかかります

ジプシーは1人○○マルクかかります

では、これらの人たちを全て殺せば国にどれだけ利益があるでしょう」

なんて教育がなされていたといいます






【 ジプシー ・・・・ ジプシーは、国をもたず移動型生活をする民族


ジプシー(英語)は、イジプシャン(エジプト人)がつまった形だという

フランスでは、ボヘミアン(ボヘミア人)やツィガンと呼ぶ


ツィガンは、ドイツ語のツィゴイネルやイタリア語のツィンガロなどと同様

マニ教の一宗派アツィンガノイに由来し、異教徒の意味


ジプシー自身は、ロマ、ロム、ロマニチェル、ドムと自称するす

これらは人間の意味



ジプシーはどれくらいいるのか?


移動型生活をする民族であることや

他の漂流民と区別しにくいことから総人口を知るのは難しいようであるが


ヨーロッパに270万、西アジアと北アフリカに200万

南北アメリカに200万、世界に700~800万という報告がある


逆に日本のようにジプシーがいない国は一部だという



ジプシーは、ロマ語を話す民族である


ロマ語が、ある時期のサンスクリット語に多くの共通点がみられることから

ジプシーの起源をインドの北西部にもとめる説もあるという



ジプシーは、木の枝と布を用いたテントや

また家馬車に住み移動生活を続けてきたが


第二次大戦以降、ほとんどのジプシーがキャンピングカーに乗りかえ

定住者も多くなったという



また、移動型生活をする民族といっても

移動の範囲はふつう一定の地域に限られているらしい


単位は1つの家族の場合もあるが

ふつう数家族から10数家族・100人程度が

つかず離れずに移動しているという


また、民族の独自性を守るため、他の民族との婚姻はしないそうである




ロマ語を学ばない子どもや

ジプシー社会から出ていく青年が出てきたり


また、移動生活をするジプシーは

定住生活をするジプシーを伝統と誇りを捨てた者たちとみなし


定住するジプシーは、移動するジプシーを

不安定な生活をする野蛮な者たちとみなして

反発しあう風潮も出てきたりしたことから


1970年代には、各国にそれぞれの組織をつくり

世界ジプシー連盟を結成するに至ったとされる




ナチにより、アウシュビッツやその他の収容所で

50万人以上のジプシーが殺害されたとも言われているが

ホロコースト以前に、ジプシーに対する迫害の歴史はあったのか?



16世紀半ばのイギリスで

ジプシーは死刑である という法令が出されたり


18世紀半ばのオーストリアで

一ヶ所に定住させキリスト教に改宗させよ

という法令が出されていたりしているという



この他にも、ヨーロッパの国々で集団追放がなされ

これによって南北アメリカや

オーストラリアにたくさんのジプシーが移ったとされる



ェコ、ルーマニア、コソボ、ハンガリー

ブルガリアといった東欧の国では、ロマ人への迫害が強く


チェコでは居住区を壁で囲んだり、ロマ人への襲撃もなされたという



1977年には、国連が、各国政府は自国の領域内にすむジプシーに

完全な権利を与えなければならないという決議を採択



ジプシー連盟は、各国政府やヨーロッパ会議に

上下水道、電気、ガスなどを整備した

駐車場を多く設置することを要求している





ジプシーの宗教は?


アニミズム的な信仰・呪術的な信仰・死霊への信仰などを持つとともに

各地の宗教を受容してきたようで


このため、宗教を原因とする紛争はさけられてきた

と考えられていている



また、彼らは、草、樹木、鳥獣、魚などを人類共通の財産とみなし

土地をひとりじめにする観念を持たないそうである 】







ラスタファリズムとレゲエ



黒人のシオニズム的運動に「ラスタファリ運動」

〔思想としてはラスタファリズム(略してラスタ)〕があります


1930年代に、カリブ海のジャマイカの労働者階級と

農民を中心にして起こった宗教的運動です



ジャマイカは、カリブ海の大アンティル諸島に位置する

立憲君主制国家で


1962年にイギリスより独立しています

ジャマイカ国民の90%以上は

黒人奴隷または逃亡奴隷の子孫といいます






ジャマイカの宗教は、プロテスタントのバプティスト派が多数派

(プロテスタントが60%を超え、カトリックは5%に満たない)であって

ラスタファリズムは5~10%前後といいます




ラスタファリズムの特徴としてあげられているのが

アフリカ回帰主義です



他には


菜食主義


大麻を聖なるもの見なしたりすること


ドレッドロックス〔本来は長期間ブラシ、櫛、剃刀、はさみを使用せず

頭髪を自然に成長させるままにしておく事で形成される〕


などがあげられます


ウィキペディアより




アフリカ回帰主義?


エチオピア帝国最後の皇帝 ハイレ・セラシエ1世を

ジャー〔唯一神 ヤーウェのこと。ジャーはその短縮形〕の化身

またジャー自身だと信じ

「全てのアフリカ人がいつかアフリカへ帰る」

といったシオニズム的思想をいいます



「ラス・タファリ」という言葉は

ハイレ・セラシエ1世というのは洗礼名で

本名を、ラス・タファリ・マコンネンというところからきています





●  ハイレ・セラシエ1世 (1892~75)


エチオピア最後の皇帝

35年に、ファシスト・イタリアがエチオピアに侵攻し

36年、ハイレ・セラシエ1世はエチオピアを脱出

41年に、エチオピアがイギリス軍に解放されるまでイギリスに亡命


60年には、皇太子を擁立した

陸軍近衛部隊のクーデター未遂事件が起こる


63年に創設されたアフリカ統一機構

(現在のアフリカ連合)の初代議長となる



73年には、国民が食糧難に苦しむさなか

皇帝が飼育しているペットのライオンに肉を与えている

写真が発表されたり


また孫で海軍副総督のイスカンデル・テスタが

銃を突きつけて退位を迫る事件が起きている


74年には、軍が反乱を起こし、立憲君主制への移行を発表するも

時すでに遅く、陸軍のクーデターにより逮捕・廃位


翌年、拘禁中に死去

(暗殺説もある。また97年には、廃位直後に射殺されたと発表されている)




またなんでエチオピアの皇帝なの?


ハイレ・セラシエ1世をジャーとする考えは

カリスマ的演説活動をなした マーカス・ガーベイ

〔1887~1940・ジャーナリスト。企業家。黒人民族主義の指導者

世界黒人開発協会アフリカ会連合の創設者

ジャマイカで初の労働者のための政党を設立

ジャマイカの国民的英雄で

ジャマイカの20ドルコインの肖像になっている〕が


1927年に「アフリカを見よ。黒人の王が戴冠する時、解放の日は近い」

という声明を発表し


30年にその預言どうりに、エチオピアの皇帝に

ハイレ・セラシエ1世が即位したことからきているといいます



その結果、ハイレ・セラシエ1世は、南北アメリカ大陸の黒人たちから

アフリカ大陸を統一し、離散した黒人をアフリカに帰還させる救世主

として崇められるようになったそうです



ラスタファリアン(ラスタの実践者)たちは

ハイレ・セラシエ1世をジャーと信じるとともに

マーカス・ガーベイを預言者とみなします



マーカス・ガーベイの主張は

ヨーロッパの植民地からアフリカを解放することにあり

彼は、エチオピアニズム〔近代になっても植民地化されなかった

エチオピアを黒人の故郷とする立場〕を拡大し

黒人に対してアフリカに帰ることを唱えたとされます


ただ、マーカス・ガーベイ自身は

ラスタファリズムに同調することは一度もなかったそうです



救いを求める下層民を中心に

ラスタファリアン(ラスタの実践者)が増えたことから

34年にイギリス植民地政府は弾圧を開始


弾圧を逃れた人たちは山の奥地に逃げ込み

そこで共同生活をしつつ

ドレッドロックスや大麻による儀式など

ラスタファリズムのスタイルと信仰を確立していったといいます



62年にジャマイカがイギリスから独立するも

社会は不安定で、ラスタファリアンはアフリカ回帰を望んだといいます


そして66年には、ハイレ・セラシエ1世がジャマイカに来訪し

ラスタファリアンから熱狂的歓迎を受けています


セラシエが「ジャマイカ社会を解放するまでは

エチオピアへの移住を控えるように」

というメッセージを主な信者に送ったことから


その後、ラスタファリズムは、アフリカ回帰=シオニズムよりも

ジャマイカ解放=バビロン捕囚からの解放へと移っていったようです




70年代になると、ラスタファリ運動は

レゲエの音楽家を通じて全世界に広がっていったといいます


レゲエは、1960年代にジャマイカで成立したラスタの思想や

メッセージを伝える音楽で


イスラエル民族になぞらえ

「バビロンと戦い、これを打ち破り

ザイオン(シオン=アフリカ)に帰還する」

といったような歌詞がしばしば見られるそうです


但し、全てのレゲエ音楽家がラスタファリアンというわけではなく

レゲエの歌詞の主題は様々らしいです








超正統派とハザール起源説



現在のユダヤ教は、大きく正統派、改革派、超正統派に分かれます


超正統派の人々は、イスラエルで3万人いるといいます


エルサレムに集中し(エルサレム人口の30%)

特定のエリアに居住しているそうです


生活は政府の援助でまかなわれ、仕事をもたず

日々トーラーを読み、祈りに没頭することに明け暮れているそうです


兵役も免除されているといいます




超正統派のなかでも「ナトレイ・カルタ」(聖都の守護者の意)

という一派の人たちは

現在のイスラエルを「シオニスト国家」と呼び、その解体を求めています



イスラエルの再建はメシアの到来によってなされるべきであり

人為的に行うものではないと信じているからだそうです


イスラエルは、メシア信仰を無視し、しかも政教分離という

近代国家の原則を採用した世俗国家であると批判しているのです



「ユダヤ人が全世界に追放されたのは、神の意志による

神の律法を守らなかったためである

苦難はメシア(救世主)が到来するまで続く」とか


「苦難はメシア到来によってのみそれが終わる

シオニストまたその関係機関が、神を無視して

世界中からユダヤ人たちに帰還を強要するのは

神を無視した重大の罪で、ユダヤ人を危険に陥れるものだ」とか

いった主張をしているようです


人数は5千人以下で、やはりエルサレムに集中しているそうです





また、イスラエルのユダヤ人社会は

東欧からの移住者(シオニスト)とその子孫の「アシュケナジム」


イタリア、オランダ、旧オスマン帝国の領域(北アフリカ・西アジア)

南米からの移住者(大半がイスラエル建国後に移住)とその子孫の

「セファルディム」という二大勢力により形成されいます



セファルディム〔聖書に見られるセパラデという地名に由来

セパラデはイベリア半島と同一視される〕は

スファラディ、スペイン系ユダヤ人ともいい

離散(ディアスポラ)したユダヤ人のうち

中世にイベリア半島(スペイン、ポルトガル)

に住んでいた人たちの子孫です



キリスト教徒による「レコンキスタ」(国土回復戦争)により

最後のイスラム王朝が滅んだ(1492)後

スペインによる迫害で、イタリアなどの南ヨーロッパや

オスマン帝国の領域、および少数ながら

オランダやイギリスに移住した人たちの子孫だといいます



これに対して、アシュケナジムは、ドイツ・東欧系ユダヤ人です

つまり、離散したユダヤ人のうち、ドイツなど東欧に移住したユダヤ人で


アシュケナジムとは、本来は

ドイツに居住したイディッシュ語(ドイツ語の一方言)を話す

ユダヤ人をさす言葉だといいます




イスラエルでは、アシュケナジムとセファルディム

との社会的・経済的格差が問題となっています


アシュケナジムは、シオニズム運動の推進役を務め

一般に教育、文化水準が高く、エリート層の人たちで


セファルディムは社会的地位は低く

失業率も高く、砂漠地方に住む場合が多いそうです


但し、セファルディムは

出生率が高く発言力を増してきているようです




イスラエルの指導的役割をになっているアシュケナジムが

パレスチナに住み、のちに離散したユダヤ人の子孫ではなく

ハザール人の子孫であるという説があります



バザール人とは、トルコ系の遊牧民で

7世紀にカスピ海北岸から黒海北岸にかけての草原地帯に

ハザール王国を建設しています


1016年には、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)と

キエフ・ロシア(最初のロシア人国家)の連合軍に敗北し

領土は縮小したものの13世紀半ばまで、独立を保ち続けたされます



ハザール王国がいつ滅んだかは記録にないそうですが

キエフ・ロシアを滅ぼし(1240年)、ロシアの大部分を支配した

モンゴル族のキプチャク・ハン国によって

この頃滅亡したのではないかと考えられています



このハザール王国で特筆すべきは

9世紀初めに、国政政策により

ユダヤ教を国教と定め、世界史上類を見ない

ユダヤ人以外のユダヤ教国家になったことです


730年に、ブラン王がユダヤ教に改宗します

この改宗は735年のウマイヤ朝の進撃に対して和睦を申し入れ

イスラム教に改宗したことで終わっています



しかし、オバデア王の国政改革(799~809年)で

再びユダヤ教に改宗しています


但し、支配者層はユダヤ教を受けいれたようですが

住民はイスラム教徒が多かったと考えられています



また、ユダヤ教を受容する王国中心部の貴族のグループと

王権が及ばない地方の貴族グループとの対立が生じ

835年頃、内乱となり、支配者側が勝利し

反乱者が皆殺しにされる事件もあったようです



結局、ハザール王国は

滅亡するまでユダヤ教の信仰を維持し続けたようです




ハザールは、なぜユダヤ教を国教としたの?


イスラム帝国(イスラム教)、東ローマ帝国(キリスト教)

という大国に隣接していたことから

双方から敵視されない宗教としてユダヤ教を選んだ

とも言われていますが定説はないそうです




アシュケナジムのハザール起源説については?


17世紀の東欧に、ユダヤ人が数10万人もいたことは

西方からの移民では説明できないなどということを根拠に

アシュケナジムは

ハザール系ユダヤ教徒の子孫であると主張されたりします


〔 西方からの移民・・・・

13世紀のクラフク公国(ポーランドの一部)のボレスワフ5世

14世紀のカジミェシュ3世(ポーランド王)

15世紀のヴィータウタス(リトアニア大公国の大公)による

ユダヤ人保護政策によって

西欧から

ポーランド王国や隣国のリトアニア大公国へユダヤ人が移住している 〕



しかし、16世紀初頭のポーランドのユダヤ人の人口は数万で

それが17世紀半ばに数10万に増えたことを

ハザール人の移住で説明するには

ハザールの国家解体から17世紀まで

どのように数十万もの人口を維持し得たのかの説明ができない

という反論もあります







カシュルート



ユダヤ教徒やイスラム教徒って食べ物にもタブーが多いですよね


旧約聖書には、食べていい動物といけない動物の規定があります


そこでユダヤ教では、カシュルート(適正食品規定)が定められています



旧約聖書に「鱗とヒレのない水中に棲む生物は一切食べてはならない

それは不浄のものものである」とあることから


タコやイカ、エビやカニ、貝類、クジラやイルカ、ワニは食べはいけません


このためヨーロッパでは

タコやイカは「悪魔の魚」(デビルフィッシュ)などと言って嫌ってきました


クジラもこの戒律によって食べることがありませんでした

そのことも日本の捕鯨禁止運動へつながっているとも言われています



また「翼のある汚れた生物」として

ワシやタカなどの猛禽類、カラス、ダチョウ、フクロウ、カモメ

ハクチョウなどの鳥、虫〔イナゴとイナムシ(バッタ類?)は除く〕

は食べてはいけません


但し、それほど厳格ではないユダヤ教徒であれば

鶏肉はを食べる人もいるそうです



「足にかぎづめのある生物」(ネコ、犬、オオカミなど)

「地を這う生物」も不浄とされ、食べてはいけません。



それから、ウシ、ヒツジ、ヤギ、シカなど

ひづめが割れていて

反芻(はんすう)する動物は、野生であれ

家畜であれ食べてよいことになっていますが


ひずめが割れていても、反芻しない

ブタは不浄とされ食べていけないとされています

〔但しブタは原則的に禁止だが、イスラム教ほど厳しくない〕



ラクダは、ウシやヒツジと同じ偶蹄目で、反芻しますが

見た目でひずめが分かれているように見えないため

食べてはダメなんだそうです


ウサギも反芻しているように見えますが

ひずめが分かれてないので食べてはダメらしいです



それに「子山羊をその母の乳で煮てはならない」

という聖書の言葉から、肉とミルクなどの乳製品を

同時にとることもタブーだそうです



また動物を食べるときも、血と一緒に食べる者は

けがれているとされています


血を食べるは肉食獣と同じ行為とされています


家畜の血は神のもので、野生動物の血は自然のもので

血を食べるのは、神に属するものや自然の生命力を

奪う行為だとかいいます


このため、祭壇や大地に血を注いでから

はじめて肉を食べてよいとされているそうです


血を神や自然にかえさないと生殖や生命力が

枯渇するとされているみたいです





イスラム教では、ブタを食べることが最大のタブーです

但し、ヒツジ、ヤギ、ウシ、鶏の肉は好んで食べているといいます


また「アラーの御名においてアラーは偉大なり」と唱えつつ

頸動脈とのどを切開し、血を出して絶命させたものだけが

正式に屠殺された肉と認められています



イスラム教国で売られる肉の袋にはハラルマークが印刷されています

ハラルとはイスラムの教えにかなったものの意味で

衛生上の検査もなされたものらしいです



絞殺死、撲殺死、転落死、刺殺死の動物はタブー

また、異なる宗派の者が殺した肉も食べないそうです


魚についてはコーランに細かい規定はないそうですが

習慣的に鱗のあるものしか食べないといいます




ムスリム(イスラム教徒)の禁酒も有名ですね


コーランには

「神を忘れさせ、礼拝を怠らせ信仰の大きな妨げになるから

酔わせるものを摂ってはならない」と書かれているので

酔わせるものとして=酒・煙草・麻薬・賭博・買春はタブーです


飲む・打つ・買うは、酔わせるものとして全て禁止なのに

宗教に熱狂・陶酔してしまっているのだからおかしなものですが(笑)



それから犬を不浄みなし、犬の唾液が体についたら

七回洗うように決められているらしいです





ヒンズー教は?


聖職者は肉や魚を食べないようです


採取するときに虫を殺す可能性があるとして

根菜類も食べない者もいるそうです


高いカーストの者ほど肉食をさけ、菜食主義を守る傾向にあるとされます


とくにウシの屠殺は神殺しにつながるとして禁じています


これは、最高神シバの乗り物が、ナンディといわれる牝牛であることから

ウシをシバ神のシンボルとしてみなすこと

また乳製品の供給者である牛を母親とみなすことからだと言われています



それから、インド南部では米が主食で

北部ではナンなどのパンが主食ですが、神の御手は右手とされていて

左手は不浄として食事のときは使いません





仏教ではどうかな?


肉食はタブーに思われていますが

本来は、托鉢によってもらいうけたものは

拒否できないことになっているそうで

肉も同様とされているといいます


但し、殺生(せっしょう)を禁じているので

自分のために殺されたと知った肉は断ったとされます


小乗教が伝わったスリランカや東南アジア諸国の仏教徒は

今もこの習俗を伝えているそうです



これに対して、中国や日本といった大乗仏教の国では

いつしか僧侶の肉食をタブーとするようになったとされます




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