緋山酔恭「B級哲学仙境録」 神とはなにか? ユダヤ教編 ①



B級哲学仙境論


神とはなにか?編


 




神とはなにか?

ユダヤ教編 ①




ユダヤ教とは?



ユダヤ教とは?


預言者モーセ(モーゼ)が、神より授けられた「律法」を基礎とし

唯一絶対神 ヤーウェ(エホバ)を

天地万物の創造者、宇宙の支配者、人類の救済者とする信仰てす


本来は、ヘブライ人(古代イエスラル人)の信仰です



このユダヤ教を母体に生まれたキリスト教では

ヤーウェと、キリストと、聖霊(神の働き)を一体とする

「三位一体説」(さんみいったいせつ)をとるわけです



ヘブライ人?


ヘブライとは「進みゆく」「越えてゆく」の意味をもつ動詞

イブルから転じたイブリーに由来する言葉だといいます


イブリー(ヘブライ語)で

「(ユーフラテス)川の向こうからきた者」の意味だといいます




旧約聖書と伝承によると


前18世紀頃 イスラエル民族の祖とされる アブラハム

〔人類の祖アダムから20代目・ノアの箱舟のノアから10代目

はじめアブラム(群集の父の意)、のちに神の命で改名〕

によって信仰の基礎ができたとされます



アブラハムは75歳のときに、一族を率いて

メソポタミア(イラク)から、カナン〔パレスチナの古名・

現在のイスラエル、パレスチナ自治区、ヨルダン〕に入っています



アブラハム → イサク → ヤコブと続き

ヤコブの12人の息子が「イスラエル12部族」の始祖となります


≪ユダヤ≫は本来、イスラエル12部族の

ユダ族に与えられた土地を指したといいます



なお、アブラハムはあくまでヘブライ人であり

イスラエル人ではありません (もともと一緒ではありますが)


イスラエル(神の勝者の意)という名称は

あるときヤコブが、神の使者と一昼夜格闘し


神が最後まで戦いぬいたヤコブを祝福して授けたこと

が旧約聖書に書かれています



イスラエルは、イシャラー(勝者)と、エル(神)の複合名詞だといいます



ヤコブは、飢饉により、神がイスラエル民族に与えた「カナン」から

一族を率いてエジプトに移住します


そこでイスラエルの民は400年間奴隷生活を強いられます







モーセによる民族解放



前13世紀に、モーセ(モーゼ)が登場します


旧約聖書によると

エジプト王は、イスラエル人が増えたことに不安を感じ

イスラエル人の全ての男子をナイル川に放り込むように命じます


モーセを隠して育てていたモーセの両親もいずれ発見されることを考え

全てを神にまかせて、モーセをかごに入れて川に流します


これを王女が見つけ、ナイル川が自分に授けてくれた子であると信じ

名前をモーセ〔水の中から引き上げたので

マーシャー(引き上げる意)に由来〕と名づけました


モーセは王女の養子として

第1王子のラメセス2世とともに王宮で育てられました


成人後、ラメセスより自分の出生を知らされます



モーセは、エジプトの神々に忠実な者かどうかを試されることになり

王より「奴隷であるイスラエル人の居住地へ行き

そこで見たとおりのことを報告しなさい」と命じられます


しかし、そこで足の悪い老人が

ムチで打たれているのを見たモーセは

それを止めようとしてエジプト人を殺してしまいます


露見を恐れたモーセは、ミディアン(南パレスチナ)に逃れ

ミディアンで、祭司の娘 ツィポラと結婚し

羊飼いとして長い間暮らしていました



初老になった彼は、ある日、羊の群れをつれて シナイ山に登ると

ヤーウェが現れます


燃える柴が、声を発し「エジプトで苦しむイスラエルの民を解放せよ

約束の地 カナンに導きなさい」と命じてきました

〔ヤーウェの出現は、燃える柴だったり、雷雲だったりする〕



●  シナイ山

モーセが神より十戒を授けられた山

聖書に登場するシナイ山の場所はよく分かっていないが

ジェベル・ムーサーと呼ぶシナイ半島南部の山(2285m)が

古くからこれにあてられる




このとき、モーセが「イスラエルの民にあなたの名前を問われたら

何と答えればよいのですか」と神にたずねると


神は≪私はある。私はあるという者だ。イスラエルの人々には

私はあるという方が、私(モーセ)を

あなたたちにつかわせたのだと言いなさい≫

と語っています


さらに神は、モーセに神の杖を与え

モーセの手に皮膚病をおこし、元に戻す奇跡を見せます



しかしモーセは、自分が口べたなことから

他の者に使者を命じるように求めると

モーセに、アロンという雄弁な兄がいることを知らせます


モーセは、神の命に従い

妻と子供たちを連れてエジプトに戻りますが

途中、砂漠で、弟(モーセ)を探すように

神に命じられた兄のアロンと出会っています




エジプトではラメセス2世が王となり

父王以上の迫害を行なっていました


モーセは神から授かった杖で

ナイルの川を打ち血の川にするなどして神の力を説き


また神も、エジプトじゅうをカエルで覆い尽くしたり

ブヨ・アブ・イナゴなどに襲わせたり

家畜に疫病を起こさせるなどの災いをもたらします


それでも、イスラエルの神を信じないエジプト人の子供全員が

神によって突然死させられます


ここに至って、王は、イスラエル人のエジプト出国を許可します



そして、イスラエルの民60万人は

430年に亘る奴隷身分から解放され


モーセに率いられ

神がイスラエル人に授けた

約束の地 カナン〔乳と蜜の流れる土地、緑あふれるカナン〕

を目指すことになったわけです





このあとが、有名な「紅海割れ」の話です


モーセたちがエジプトを出ると

王は心変わりして兵を差し向けてきました


紅海(葦の海)に追い詰められたイスラエル人の中には

「奴隷のままでもエジプトにいた方がよかった」

と不平をもらす者も出ます







そのとき、モーセが手にもっていた神の杖を振り上げると

水が割れて、彼らは海を渡ることができました


彼らを追ってエジプトの兵士や戦車が渡ると

海はもとに戻り、王の軍隊は海に沈みました




また、人々が喉の渇きから絶望な思いを抱くと

モーセが、杖で岩を打ち、水を湧出させたりもしています



そして、シナイ山で、神より十戒石版を授かります

(エジプトを出て50日目)



十戒石版は2枚からなるもので

十戒は、ユダヤ教の教義と実践の根本となるものです


このとき、ヤーウェが、神の選民であるイスラエルの民に

カナンの地を与えることを正式に約束し

ここに神との契約がなされます


旧約聖書や新約聖書の「約」とは、神との契約のことです




ちなみに十戒とは、わたしをおいて他に神があってはならない

いかなる像も作ってはいけないまた崇拝してはいけない

神の名をみだりに唱えてはならない

安息日をまもること。父母をうやまうこと

殺人の禁止。姦淫(かんいん)の禁止。盗みの禁止

偽証の禁止。隣人の家・妻・奴隷・家畜などを欲することの禁止

という掟です



ところがモーセがシナイ山からもどると

モーセを待ちきれない者たちが

黄金の雄の仔牛像を作って神として崇拝していました

偶像を前にお祭りさわぎをしていました


これに怒ったモーセは

神から授かった2枚の十戒の刻まれた石板を叩き割り

扇動した者たち3000人を処刑します




モーセは再びシナイ山へ登り

40日間、山にこもり、新たに十戒石板を授かります


これは最初の石板と違い

文字が片面だけに刻まれていたといいます



その後、エドム王の領土やアモリ人の土地にさしかかると

通過させまいとするエドム王とその軍隊やアモリ人たちと戦い

これらを武力=神の力で打ち破ります



モーセは「モーセの二度たたき」のむくいで

カナンの地を遠くながめることはできましたが

その地に足を踏み入れることなく120歳で没します



後継者のヨシュアによって

ようやく神との約束の地カナンにたどりつきます

エジプトを出て40年もかかっています




●  モーセの二度たたき

モーセがメリバ岩から水を湧出させたときの話

モーセは、神の言葉にしたがい神の杖でメリバ岩をたたいた

ところが水が湧き出なかった

そこでもう一度たたいた。すると岩から水が湧き出た

二度たたいたことが神の言葉をうたがった

神への信仰が足りなかったということ

















ダビデとソロモン



しかしカナンには、エリコの民が住んでいました


するとヨシャは「ここは神と私たちとの約束の地である」とし

この民を、女性や子供・乳幼児も含めて全員虐殺します



ヨシュアは、西ヨルダン北部のカナンをはじめ

中部、南部の土地をも短期間に攻略、諸部族に土地を分配しています



カナン定着後、王国が建設されるまでは

「士師」(しし)と呼ばれる指導者が

政治的統一を欠くイスラエル部族連合の軍事、民事

刑事などの諸問題を裁いたといいます



この士師は、神から霊力を与えられている

とされていましたが

王とは違い、対外的脅威が及んだときなどに

臨時的に統率する者で、世襲もされません



旧約聖書の「士師記」には、ヨシュアの死後

サムエル(最後の士師)に至るまでのイスラエル人の歴史が書かれています


士師は、大士師(英雄的解放者)と

小士師(裁判官、仲裁者)に区別されるようです



前1035年頃には、古代イスラエル王国が建国され

預言者 サムエル〔士師。「サムエル記」に登場〕によって

サウルが初代王となります


人望を失ったサウルの次に、サムエルが選んだのが

2代目王 ダビデです


ダビデの子で3代目の王 サロモンは

神殿(ソロモン第一神殿)を建設し、王国は全盛期を迎えます





● ダビデ


在位 前1000頃~前965頃。ヘブライ語で愛された者の意

羊飼いであった少年ダビデは、琴の名手でもあり

精神を病んで悪霊に悩んでいたサウルを琴でなぐさるために

宮廷に呼び出されていました



ペリシテ人〔パレスチナの名の由来となった古代パレスチナの民族〕

と戦うイスラエル軍に従軍していた兄たちに

食料を送り届けるため陣営を訪れ


それがきっかけで

ペリシテ人の勇士 巨人のゴリアテを投石索(とうせきさく)で倒し

サウルに認められます


その後も多くの武勲を立て

王女ミカエルを得て、人望を集めますが

やがてサウルに嫉まれ、宮廷から逃亡します



サウルに不満を持つ人々を集め、ゲリラ戦でサウルに対抗しました


しかし危険を感じ、イスラエルの宿敵 ペリシテ人の都市国家

ガデの王のもとへ亡命、護衛長を務めます


その後、サウルとサウルの子たちがペリシテ人との戦いに敗死すると

ダビデはユダ王国を建設します



東ヨルダンに逃れたサウル軍の将軍は

ただ一人生き残ったサウルの子を擁立しますが、ともに暗殺され

ダビデが古代イスラエル王国2代目王に推挙されました



近隣諸国を征服。エルサレムを得て首都とし

北はユーフラテス川、南は紅海に及ぶ大国を築きました






ダビデの子、ソロモンは、エルサレムにヤーウェの神殿を建設

近隣の国々と友好条約を結び、貿易を促進させ

通商で得た利益で建築工事を盛んにおこない

「ソロモンの栄華」とうたわれました


また、妻700人、側室300人という大ハーレムを築きました



しかし、民は重税に苦しみます


神殿や宮殿、各地の要塞を築くため

北方諸部族に強制労働を課したことの不満


またソロモンの子 レハベアムの暗愚から

ソロモンの死後、北方諸部族がダビデ家に背き

北イスラエル王国を建国します



ここに古代イスラエル王国は

エルサレムを首都とする南のユダ王国と

サマリヤを首都とする北のイスラエル王国に

分裂しました (前925年頃)







バビロン捕囚



イスラエル王国は、前722年に、アッシリアによって滅亡します



ユダ王国は、前586年に、メソポタミア(イラク)で勢力を拡げてきた

新バビロニアによって滅亡します


新バビロニアのネブカドネザル2世は、前597年にユダ王国を攻め

ユダ王国18代の王と19代の王をはじめ1万人を超える

イスラエル人を、首都バビロンに連行します


これが「バビロン第一捕囚」です



前589年には、エジプトがバビロニアの支配下にあるシリア地方に侵入

ユダ王国もこれに乗じて再び反乱を起こしたため

前586年、エルサレムを陥落させ、ユダ王国を滅亡させています


このときも多くの住民をバビロニアに強制移住しています


これが「バビロン第二捕囚」です


ユダ王国の滅亡のときには、神殿が破壊されています


バビロン捕囚により、捕虜となったイスラエル人は

奴隷として、ネブカドネザル2世の建設事業に従事させられたそうです




バビロン捕囚前後には、多くの預言者が出て

「なぜ、神の選民であるイスラエルの民が苦難に遭うのか」

という人々の不満に答えています



前539年、新バビロニア(イラク)が

アケメネス朝ペルシア(イラン)により滅亡し

翌年には、ペルシア王により

イスラエル人の故郷パレスチナへの帰還が許さます







ヘロデ大王と第一次ユダヤ戦争



その後、カナンは、ペルシアに代わって

マケドニア王国、その後、エジプトのプトレマイオス朝

さらに、シリアのセレウコス朝の支配下に置かれています




シリアのセレウコス朝のアンティオコス4世は

エジプトのプトレマイオス朝を圧倒しエルサレムを占領します


ゼウス(ギリシア神話の最高神)を崇拝していた

アンティオコス4世は

エルサレム神殿を破壊、代わりにゼウスの神殿を建設し

ユダヤ人に偶像崇拝を強要したといいます



これに対して、ユダヤ人は、祭司 マタティアを指導者として

前167年に「マカイバ戦争」を起こします


翌年、マタティアが病死すると

彼の子の ユダ・マカイバ(?~前160)が指揮にあたり

前165年には、神殿を奪還します



この25年後には、ユダヤ人は

ハスモン朝〔前140年頃~前37・

ハスモンはマタティアの祖父の名に由来するという〕を成立させ

100年間独立を維持しています





やがて、ローマが台頭。前63年以降、パレスチナに干渉を始めます


ヘロデ〔在位 前37~前4・ヘロデ大王

ハスモン朝の王の側近の子〕は

ローマの支持を得ることに成功、ユダヤ王として承認をうけ

ハスモン朝を倒し


ヘロデ朝〔前37~93頃・ユダヤ教に改宗したエダム人系の国家〕

を建設します


このヘロデ朝は、古代ローマの属州として統治を委任された王国です



ヘロデ大王は、エルサレム神殿の改修、カエサレア港の建設

ヘロディウムやマサダをはじめとする要塞宮殿の建築で名高いです



エルサレム神殿は、バビロン捕囚後に再建(ソロモン第二神殿)

されていましたが


あまり立派とはいえないものにとどまっていたので

ヘロデは、ユダヤ人の庶民や司祭たちを懐柔しようと

神殿を改修したといいます




一方で、病的な猜疑心から、王妃の弟を暗殺、王妃、王妃の母

王妃との間の2人の実子を処刑しています


指導的な立場にあったレビ族の祭司たちをも処刑しています




また、ユダヤの伝統よりもヘレニズム文化

〔アレキサンドロス大王のインド遠征以降

東西の文明が交じり合ったギリシア文化


ヘレニズムの名はギリシア語のヘレネス(ギリシア人)に由来

ヘブライズムとともに西洋文明の2大源流とされる〕

に心酔し

国民の反感を買っています




ヘロデ大王は、誕生したイエスを除くため

ベスレヘム(イエスの誕生の地)の2歳以下の全ての子供を虐殺した

という逸話でも有名です





●   幼児(嬰児)虐殺


新約聖書のマタイ福音書によると

星を見て、救い主(=イエス)の誕生を知り

東方から拝もうとやってきた東方の三博士から

ヘロデ大王は、ベツレヘムにユダヤの王となる

救世主が誕生することを知る


そこで、この三博士を遣わしてこれを確かめさせる


幼児のイエスを拝した三博士は

夢のおつげでヘロデの悪意を知る


そこでヘロデのもとへは帰らずに故国へ帰ってしまう


博士たちに裏切られたことに怒ったヘロデは

ベツレヘムと周辺地域の2歳以下の全ての男子を殺害した


しかしイエスとイエスの家族は、父ヨセフの夢に天使が現れ

「エジプトに逃げなさい」という神のおつげを受け

これに従ったために難を逃れた


イエスらはヘロデの死までここにとどまった


美術では、この話にもとづき

マリアがエジプトの洞窟でイエスを育てる姿が描かれる





ヘロデ大王の死後、ヘロデの領土は、彼の息子たちで分割されます

息子の1人ヘロデ・アンティパスが、ペレヤとガリラヤを統治しています


彼は異母兄の妻であった女性を妻にしましたが

これを「姦淫の罪だ」と批判したバプテスマのヨハネ

(イエスに洗礼を与えた)を獄死に追い込んでいます



大王の孫であったアグリッパ1世は

ヘロデ大王が治めたのと同じ版図を統治しますが

初期キリスト教徒を迫害したことで知られます



アグリッパ2世のときに

第一次ユダヤ戦争(66~73)が勃発しますが

彼は後にローマ皇帝となるウェスパシアヌスに

2千人の兵を送り支援しています


なのでアグリッパ2世はユダヤ教徒ではあっても

完全なローマ側の人間であったことが分かります



ローマ軍によりエルサレムは陥落し

神殿は炎上します (紀元70年)



このときアグリッパ2世は、エルサレムを包囲して

ユダヤ人を兵糧攻めにしています


そして投降してくるユダヤ人を磔にし

立てこもったユダヤ人を火を放って虐殺して

さらに神殿を破壊したといいます



エルサレム陥落後も、ユダヤ人は

ヘロデのつくったヘロディオン、マカイロス

マサダといった要塞に立てこもって抵抗を続けましたが

73年にマサダ要塞にが攻略され


第一次ユダヤ戦争は終結しています






第二次ユダヤ戦争



132年には

「自分こそはユダヤ民族を救うメシアである」と主張する

バル・コクバ(?~135・本名 シモン・ベン・コスィバ)が登場します


ラビ(ユダヤ教の律法学者)の アキバ・ベン・ヨセフが

「彼こそ聖書が予言したユダヤのメシアである」と支持します


アキバは、民数記にある

「ヤコブから1つの星(コーカーブ)が出る」という話にちなみ

バル・コクバ(星の子)の名を与えてたといいます



これを受けてユダヤ教の聖職者たちは全面的に彼を支持


民衆からも「異民族の支配から解放してくれる人物である」と

熱狂的に迎えられたそうです


そして、バル・コクバをリーダーとしてローマに反乱を起こします


これが、第二次ユダや戦争(132~135。バル・コクバの乱)です



乱は計画通りに進み、各地でローマ軍の守備隊を打ち破り

ユダヤの支配権をとりもどします


バル・コクバはユダヤ国の大公(ナーシー)に即位し

アキバの補佐のもと、エルサレムで2年半の間

古代ユダヤ人最後の君主として、ユダヤの地を統治しています


彼は「イスラエルの復興」を宣言、コインを鋳造し

神殿の再建を計画したそうです



しかし、135年のローマ軍の攻撃で、エルサレムが陥落し

バル・コクバは戦死し、アキバは捕らえられ処刑

他の指導者たちも処刑されます


ユダヤ国滅亡後、ユダヤ人はバル・コクバを

バル・コゼバ(ほら吹き)と呼んだといいます



ローマ皇帝 ハドリアヌスは

ユダヤ的なものの根絶を目指し書物を廃棄


ユダヤの地名を

ユダヤ人の敵対者 ペリシテ人の名からパレスチナと改称

属州ユダヤを、属州シリア・パレスティナとしています


エルサレムは、ローマ風の都市に再開発され

名称も「アエリア・カピトリアナ」と変更

ユダヤ人の立ち入りが禁止されます



ユダヤ人は、4世紀になってようやく、決められた日にだけ

荒廃した神殿の前に立つことを許されたそうです



ユダヤ人はこれ以前から

すでに広くローマ帝国内をはじめ各地に離散していましたが


これによりユダヤ人は祖国を持たない民族として

長い「ディアスポラ」〔祖国を離れて暮らす国民

撒き散らされたものという意味のギリシャ語に由来

難民とは異なり、祖国に帰還する可能性がない人たち〕

の時代が始まったのです




国を失い、流浪し、迫害を受ける

ふつうなら他民族に同化して歴史から消えていくはずですよね


しかし、彼らは一神教という強烈な信仰をもつという点で

ふつうの民族とは違っていました


ヤーウェがユダヤ人を選び、特別な契約をしたという選民思想が

彼らの民族性を維持させたと言えます




4世紀初めにはキリスト教がローマ帝国の国教となり

以後ユダヤ人は様々な迫害と弾圧を受けますが

それでも信仰を守りつづけ

そしてついにはイスラエルを建国(1948年)したわけです



ちなみに、ユダヤ教徒は

アメリカに600万、イスラエルに500万

ロシアに100万〔ソ連時代に100万人がイスラエルに移住〕

フランスに40万、世界に1300~1400万人いるとされますが

イスラム教徒の1%に満たないといいます








トーラーとタルムード



旧約聖書は


律法書5巻(モーセ五書)


預言書8巻

〔「前の預言者の書」(ヨシュア記・士師記・サムエル記・列王記)と

「後の預言者の書」(三大預言者の書と十二小預言書)がある

「後の預言者の書」の内容は、主に預言者が民族の危機を警告し

悔い改めて唯一神への信仰に帰りなさいというもの〕


諸書11巻


に区分されています





律法書は前4世紀に

預言書は前3世紀までには正典となり


諸書はほぼ前2世紀には公認され

正式には1世紀末に正典化されたといいます



ユダヤ教においては

なかでも「トーラー」(教え・律法の意味)が重視されます


トーラーとは、旧約聖書の最初の5つの

「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」のことで

「モーセ五書」「律法書」のことです



前13世紀頃のモーセの著作とされ

「モーセ五書」と呼ばれてきましたたが


実際には、いくつかの資料を編纂したもので

バビロン補囚〔前597~前538〕からの帰還後

かなり経ってから書かれ


しかも創世記の第1章「天地創造」は

トーラーのうち一番最後に書かれたと考えられています




ちみもに昔、聖書の暗号が流行りましが

聖書が何冊かの古文書を

継ぎはぎして作ったということは

不都合なとこは消しただろし

書き間違いや言い換えもあるはずです


それに暗号が入ってるわけがないでしょ

という話になりますよ(笑)





また、ユダヤ教においてトーラーとともに根本となるのが

「タルムード」(研究の意味)です



タルムードは、ユダヤ人の聖書に次ぐ精神的遺産で

多くの主要の教派がこれを聖典と認めています


ヘブライ語で書かれ、20巻、1万2千ページにも及ぶとされます




前6世紀~3世紀のラビ(律法学者)たちが

トーラーを解説した書を「ミシュナ」(反復・復唱の意)といいます


なお、神からモーセが授けられた律法のうち

文章化されずに口伝で伝えられたものがあり

ミシュナはこの口伝(口伝律法)を文章化したものを含んでいます



このミシュナをさらに

3世紀~6世紀のラビたちが解説した書を

「ゲマラ」(完成の意)といいます



これらが4~6世紀にかけて

タルムードとして編纂されようです



なお、ミシュナに対して細かい解説が付される過程で

4世紀末頃にパレスチナで編纂された

「エルサレム・タルムード」(パレスチナ・タルムード)と


6世紀頃までにバビロニアで編纂された

「バビロニア・タルムード」

という内容の全く異なる2つのタルムードが成立したそうですが

現代においては、タルムードと言えばふつう後者をさすといいます




タルムードは、2千人以上のラビ(律法学者)の解説を集めたもので

ユダヤ教徒の信仰と日常生活の規範となるものです



なお、タルムードは、他民族に迫害され続けた反動で

独善的選民思想、排他的思想が強調されていて

それがキリスト教の信者などから批判されます







六芒星と五芒星



イスラエルの国旗の中心にみられる「ダビデの星」

〔上下の正三角形を重ねたもの。六芒星(ろくぼうせい)〕の

△が男性、▽が女性で


両者の重なりは

共同体、また地球を表すとか


火と水の結合、霊体と肉体の結合を表すとか言います


また△は神への渇仰、▽は神からの慈愛とも言いいます


青銅器時代には、すでに、魔除け・護符とされていたようです



イスラエル国旗 





似たものに「五芒星」があります


日本の陰陽道では、木火土金水の五行説から

五芒星が魔除けの呪符とされてきました


五芒星は、木は火に弱い、火は土に弱い… という相剋(そうこく)説


また、木から火が生じる、火から土が生じる…

と循環を意味する相生説 があります


また、五芒星の中心部や

まわりの三角形の空間は悪霊が立ち入れない空間らしいです



陰陽道の大家

安倍清明(あべのせいめい・921~1005。平安中期の人)は

「晴明桔梗」という五芒星を家紋に用いています


晴明桔梗 



五芒星は、エチオピア(ソロモンとの関係からという)

モロッコの国旗

長崎市の市章にもみられます


古くは、ピタゴラス教団 でも崇拝されたそうです



モロッコの国旗




長崎市の市章




転 写

長崎市のサイトには

外形は草書の「長」をデザインし

鶴の港を象徴して折り鶴の形を星状に配しています

中の5つの市の字は

安政年間に開港した5港の一つであることを表わしています

とあります







アーク



アークってどんなものなの?


三種の神器を納める聖櫃(せいひつ)で

ヤーウェが、材質・寸法・製作者に至るまで

取り決めて製作を命じています


アカシアの材から出来ていて、全面(内外)に金箔が貼られていて

底の四隅に金環をつけてあり


担ぐときには

そこに金箔をほどこしたアカシアの棒を通すようになっていたいます



箱の大きさは

横112.5センチ×高さ67.5センチ×奥行き67.5センチで

箱のふたに、黄金で作った翼をもつ天使のような形をしたケルビム

(単数形はケルブ)が一対のっていて

ケルブは翼を前にのばして向き合い、ふたをおおっていたといいます




転 写




ユダヤ教三種の神器とは?


1つは「十戒石板」

モーゼがシナイ山でヤーウェにもらった

十戒が刻まれている石板です


アークには

最初に授かりモーセによって砕かれた石の板と

後から授かった石の板、両方が納められていたといいます




1つは「マナの壺」

エジプト脱出から、約束の地カナンに

たどり着くまで40年もかかっていますが


その間、食糧としてヤーウェが天よりふらしてくれる

白いウェハースのようなものが「マナ」です


蜜の味がし、太陽が昇ると溶けるといいます

マナの壺は、マナを蓄えておく黄金の壺です




1つは「アロンの杖」

シナイ山でモーゼがヤーウェより授かった神の杖です


エジプト王の前で、王に仕える呪術者の杖が蛇となったのに対し

アロンの杖も蛇となり呪術者の杖をのみこんだり

ナイル川に浸けると川の水を血のように赤くしたり


紅海が割れる奇跡を起こしたり

メリバ岩から水を湧出させたりしています





アークは、今どこにあるの?


現在は存在しません

アークの存在をめぐっては様々な説がます


騎士修道会の「テンプル騎士団」の使命は

聖地エルサレムの奪回とともにアークを探すことだった

という伝説は有名です



アークの場所については

ソロモンの名声を聞き

シバの女王が、エルサレムを訪れたさい

偶像崇拝に走っていたソロモンが、女王に与え

女王がシバに持ち帰ったという説



また、ソロモンの子を宿したたシバの女王が帰国し

メネリク1世

〔エチオピアの神話で初代エチオピアの皇帝とされる〕を出産


メネリク1世が子供の頃、エルサレムにやってきて

父のソロモンより、多くの宝物をもらった

その1つがアークだったという説



この他


イエスは、エルサレム近郊のゴルゴタの丘で十字架刑に処され

ゴルゴタの丘と伝える場所には、聖墳墓教会

〔325年頃、ローマ皇帝 コンスタンティヌス1世により建設〕

が立つが、その下にアークが眠っているという説



なかには、古代、日本にやってきた騎馬民族によって

四国の剣山(日本100名山)、また伊勢神宮に

眠っているなんていう説まであります



それから、古墳時代の前方後円墳の形は

マナの壺をあらわしているといった話もあります




ただいずれもこれらは、伝説の域を超えていません


定説ではアークは、ユダ王国が

カルデア人の新バビロニアによって滅亡したとき

カルデア人によって破壊され、金細工が奪われた

とされています




これに対し、旧約聖書に


≪ ヨシュアが率いるイスラエルの民が

水かさの増した川を渡ろうとしたとき

アークを担ぐ祭司たちが川に足を入れると、水がはるか遠くで立ち上がり

その結果、エリコへと渡ることができた ≫


≪ エリコでは「兵は町を一周することを6日間続けなさい

7人の祭司は角笛をふいてアークを先導しなさい」

という神の言いつけどおりにすると、エリコの城壁が崩れ落ちた ≫


とあることから、アークは単なる箱ではなく

武器として機能していたといいます




また、≪ アークはペリシテ人に持ち去られ

彼らの神殿に祀られたが

そこでタゴン神の像を破壊し、彼らの町に疫病を発生させたことで

7日後に雌牛の背にのせてイスラエル人のもとに返された


喜んだイスラエル人はこの雌牛を生贄(いけにえ)に捧げた

しかし、喜びすぎてアークの中を除き70人が焼き殺された ≫とか


≪ アークを運ぶさい、牛がよろめいたのでアークをささえようとした者が

電撃に打たれて死んだ ≫

といった話も旧約聖書にみられるといいます



このとから「祭祀を司るレビ族の者以外がふれたなら

雷の力で焼き殺されるはずだ


破壊しようとしたなら国が滅んでいるはずだ


カルディア人によって破壊されるようなことはない」

といった主張がなされています



また、旧約聖書の新バビロニアの戦利品のリストに

アークが記載されていないことからも

「それ以前に神殿より持ち出され、今も世界のどこかに眠っているはずだ」

と考える人たちがいるわけです




仮にそんな無敵な武器が、日本に眠っているなら

日本は戦争に負けなかったんじゃないの?


アークがあれば百戦百勝だけど

日本人は偶像崇拝しているからダメらしいです(笑)







● シバの女王とエチオピア



シバの女王は、旧約聖書「列王記」に登場する


シバは、アラビア半島の南端

現在のイエメン付近に存在した王国

香料などの交易により6世紀まで繁栄





女王は、前1000年頃、ソロモンを表敬訪問

ソロモンの智恵の深さと王国の繁栄に心服

女王は、香料、金、宝石、白檀などを贈り、帰国したとある



エチオピアは、他のアフリカ諸国と大きく異なり

3千年の歴史を持つ


神話では、ソロモンとシバの女王の子 メネリク1世を初代皇帝とする







歴史的にも、前5世紀に興ったアクスム王国

13世紀に興ったエチオピア帝国

いずれの王もメネリク1世の直系の子孫を名乗った



アクスム王国は交易国として栄えた


最盛期は4世紀のエザナ王の時代

王はキリスト教コプト派に入信。これを国教としている

王国は7世紀にイスラム教が起こるまで繁栄。950年頃に滅亡



その後、ザグウェ朝が興るが

1270年、アクスム王国の最後の王につながる

イクノ・アムラクが

これを滅ぼして、ソロモン朝を創始している


彼が、1975年まで(一時中断するものの)続く

エチオピア帝国(ソロモン朝)の初代皇帝である




エチオピア帝国では、国家事業として

歴史書「ケブラ・ナガスト」(エチオピア版の古事記)が編纂


それによると、メネリク1世は、ソロモンとシバの女王の息子で

現在のエリトリアで誕生


前10世紀頃のエチオピアを統治

エチオピアへアークを運び

後に、ソロモンを訪問したとあるという



イクノ・アムラクから「ケブラ・ナガスト」の

編纂を命じられた家臣のイシャクは


新約聖書、旧約聖書、コーラン

さらにアクスム王国時代から残るアラビア語文献

アレキサンドリア図書館のコプト語の文献をもとに


シバの女王とソロモン王の子であるメネリク1世から

イクノ・アムラクへと続く系譜を作り上げたとされる

〔アムダ・セヨン1世(3代目皇帝・初代の孫)の時代に完成〕




エチオピア北部のゴンダルに住んでいた

ベータ・イスラエルと呼ばれるユダヤ人の集団は

メネリク1世がソロモン王との対面を済ませて帰国する際に

古代イスラエル王国から同行した人々の末裔だと伝えられ

陶磁器の商いを営んでいたという


彼らは1974年のエチオピア革命後

中央革命捜査局から迫害を受け

イスラエル政府によって救出されている





なおエチオピアは、1535年

近隣のイスラム国とオスマントルコの連合軍との戦いで

ポルトガルの支援を受けたことから


ポルトガルはエチオピアへの影響力拡大を企て

カトリック伝道団を派遣して

エチオピア国民をカトリックに改宗させようとした


王族をはじめ多数の改宗者が出て

その結果、宗派対立による内戦が勃発


この宗教対立は、カトリック教徒の

スセニョス1世が退位(1632年)するまで続く


熱心なエチオピア正教徒(単性派)であった

彼の息子ファシラダスは

カトリック勢力を追放し、内戦を終結させている



ソロモン朝の勢力は16世紀以降衰え

諸侯(ラス)が抗争する群雄割拠の時代となり

皇帝が暗殺されたり、皇帝か諸侯の傀儡として存在することもあった


国家としての統一は、無きに等しいものであった


エチオピアを再統一したのが

ソロモン朝中興の主とされるテオドロス2世(1855~1868)である



イタリア王国の侵攻に対して戦った

第一次エチオピア戦争(1895~96)に勝利


しかし、第二次エチオピア戦争(1935~36)に敗れて

イタリアに征服される



第二次大戦中の41年にイギリスによって独立を回復

52年にエリトリアと連邦を組む。62年にはこれを併合


陸軍の反乱が起こり、74年に、帝政が廃止



これにより神話より続く王朝は

「日本とエチオピアしか存在しない」

と言われるほど、歴史のある王朝が幕を下ろしたことを意味する




1974年のクーデターの後

1987年まで社会主義エチオピア


その後、エチオピア人民民主共和国

(エチオピア労働者党による一党独裁制)


91年に独裁が崩壊。暫定政府を経て

95年、新憲法が制定、エチオピア連邦民主共和国が樹立されている


宗教は、キリスト教単性派〔エチオピア正教会〕が50~55%

イスラム教が30%とされる




エリトリアは、62年、エチオピアに併合されたが

70年代から、武装闘争に入り、93年に独立が承認されている


宗教は、イスラム教と

キリスト教単性派〔エリトリア正教会〕が多くを占めるという





エチオピア正教会は、430年以来

コプト正教会(エジプト人口の10%にすぎないが

アラブ世界最大のキリスト教会)の統制下にあったが

1959年にコプト正教会から分離独立


1998年には、エリトリア正教会が

エチオピア正教会から分離独立している


エチオピア教会は単性派最大。エチオピア人口の55%を占める








失われたイスラエル10部族




日本の神道がキリスト教だったなんて話まであります



3代目の王 ソロモンの死後、古代イスラエル王国は

南のユダ王国と、北のイスラエル王国に分裂します


「ユダ王国」は2部族と

祭祀を司る家系で、土地を持たないため

12部族には入れない1部族で構成されていました


「イスラエル王国」は、他の10部族で構成されていました



イスラエル王国は、前722年に、アッシリアによって滅亡し

ユダ王国は、前586年に、 新バビロニアによって滅亡します



前539年に新バビロニア(イラク)が

アケメネス朝ペルシア(イラン)により滅亡し


翌年には、ペルシア王により

イスラエル人(ユダ王国の人々)の

故郷パレスチナへの帰還が許されます



帰還した彼らは、神殿(ソロモン第二神殿)を再建します



ところが、彼らが帰還すると

それ以前に解放されたはずの北のイスラエル王国の民が

見当たらなかったというのです



イスラエル王国を滅ぼしたアッシリア帝国は

前612年に滅亡していて、解放されたはずの10部族ですが


それがパレスチナには戻らずに

不思議なことに歴史から忽然と消えてしまったというのです



これが世界史最大の謎とされる

「失われたイスラエル10部族」らしいです



但し、定説では、捕囚中に滅んだとか

現地の人間に同化したとさています





このようなことから

「失われたイスラエル10部族」が

騎馬民族となり東北アジアを席巻し


紀元前後から朝鮮に侵入

いくつかの国家を形成した


これらの国家の1つが変貌した

南端の伽耶〔かや・任那(みまな)〕の騎馬集団が

4世紀頃に日本に侵入


邪馬台国をはじめとする倭(わ)の国を征服

伽耶と北九州の連合国家を形成した



そして5世紀には、畿内に進出して大和朝廷をつくった


大和朝廷をつくり最初の天皇となった神武は

古代のアニミズム的信仰に代わり、神社神道を創始

ゆえに、日本の神道はユダヤ教をルーツとしている


などといったオカルト的な説なのですが


「日ユ同祖論」といった名前もある

いちおちゃんとした学説らしいのです




その証拠として


ユダヤ教の三種の神器を収めたアーク(聖櫃・せいひつ)は

ソロモン神殿に安置されるまで

幕屋(まくや)という移動式の神殿に祀られていた


日本の神社では、社のある境域を玉垣で囲むが

古代のユダヤ教でも幕屋(神殿)を置いた

聖域を厚い布でおおっていたこと


つまり日本の神社と古代イスラエル人の幕屋が類似していること

などがあげられています



他には

しめ縄は、一説では大蛇を表現していてるとされているが

本当は雷雲を表現している


紙垂(かみしで)は稲光であり

銅鑼(ドラ)の音は雷鳴であって

雷雲をともなって出現するヤーウェを表しているとか


賽銭箱はアークを表現しているとか


神輿は、アークのレプリカで、神輿の屋根の鳳凰は

アークのケルビム(天使)に対応するとか


伊勢神宮の式年遷宮〔しきねんせんぐう・20年に一度

すべての社殿をすぐ近くの敷地に移動させる(新たに建て替える)〕は

幕屋が荒野を移動したことに由来するとか


神事である相撲は、ヤコブと天使の格闘に由来するとか


色々と言われています



【 ちなみに、相撲については

一般的には『日本書紀』の以下の話が起源とされる


大和国の当麻蹴速(たいまのけはや)は

強力を誇って生死を問わない勝負をする者を欲していた

これを聞いた垂仁天皇(11代)が、出雲国から勇士であると評判の

野見宿禰(のみのすくね)を召し寄せ角力(すもう)を取らせた

互いに蹴り合ったすえ

当麻蹴速は、腰を踏み折られて死に

野見宿禰が、勝利した 】





それから

日本語とヘブライ語の類似も指摘されています


アッパレ  APPR   栄誉を誇る

アラ・マー  YL・MH   どうした理由・何?

アナタ  ANT   貴方


アノー  AYNH   私に応答させてください

アリガトウ ALI・GD   私に(とって)・幸運です

サヨウナラ  SYIR・NYRH  サーイル・ニアラー   悪魔は追い払われた


ダマレ  DM・ALI   沈黙を守れ・私に(対して)

ノコッタ  NKIT   征服した

ハッケ・ヨイ  HKH・IHI   投げうて・よろしく


ヨイショ  IH・ISY   ヤハウェは・助ける

ワル  YWL   凶悪な者


伊勢音頭

ヤートコセ・ヨーイヤナ  IH・TQY・SWR・IHWI・IkhNN

ヤハウェは・投げた・敵を・ヤハウェは在る・憐れみ深く





また

旧約聖書によると

モーセが「イスラエルの民にあなたの名前を問われたら

何と答えればよいのですか」と神にたずねると


神は≪私はある。私はあるという者だ。イスラエルの人々には

私はあるという方が、私(モーセ)を

あなたたちにつかわせたのだと言いなさい≫

と語っていますが


皇位継承の証とされる三種の神器の

八咫の鏡には、ヘブライ語で

「私はある。私はあるという者だ」

という言葉が刻まれているなんて話もあります





さらにこんな話が続きます


原始キリスト教団には

エルサレム神殿に向かっての礼拝や割礼(かつれい)など

ユダヤ人の風習を守ろうとする

ヘブライスト(エルサレム教団)と



ユダヤ人の風習にこだわらない

ヘレニスト(アンティオキア教団)が存在した


前者の筆頭がペテロで、他の12使徒もこちらである

一方、後者の筆頭がパウロである


のちに使徒会議によりエルサレム教団はユダヤ人に

アンティオキア教団は異邦人へ伝道することが決定する


これによりアンティオキア教団は成長し

キリスト教はローマ帝国の国教と認められ

世界宗教へと発展していった


一方、エルサレム教団は歴史から消えてしまった




消えた原始キリスト教団のヘブライストはどこへ行ったのか?


失われたイスラエル10部族を追って移動したのである


飛鳥時代には、その末裔である秦氏

〔はたし・百済(伽耶また新羅とも)からの渡来人

原始キリスト教徒がルーツではなく

ネストリウス派キリスト教徒のユダヤ人が

ルーツだとする説もある〕が日本にやってきて


天皇をユダヤ教(神道はユダヤ教の一派のようなもの)から

キリスト教に改宗させ

以後、神道はユダヤ教ではなくキリスト教の影響を受けることとなった



神道の禊(みそぎ)は

キリスト教のバプテスマ(洗礼の全身を水に浸す浸礼)に由来する



天照大神(あまてらすおおみかみ)とは

ヤーウェのことであり、同時にヤーウェと

三位一体のイエスキリストである






但し、ユダヤ人はY染色体はハプログループJ です


日本人に対するY染色体の調査で

Jグループに属する人は見つかっていないといいます


つまり「日ユ同祖論」は間違えということです



日本人の起源
ハプログループ




古代史の嘘 Ⅰ



古代史の嘘 Ⅱ






●  割礼(かつれい)


性器の一部を儀礼的に切除したり切開したりすること


男子を対象とする場合が多く、男根の包皮を切除する

女子の場合はクリトリスや小陰唇を切除す


古くから未開社会、文明社会を問わず諸民族で行われてきた

現在でも、ユダヤ教徒やイスラム教徒は行っている



ユダヤ教では神との契約のしるしとされ、男子が生後8日目に行う


イスラム教では生後一週間から12歳くらいまでに行われる

7歳くらいが適齢とされている



旧約聖書によると、アブラハムが99歳

その子 イシュマエル(アラブ民族の祖)が13歳のとき

一族の男性全てが割礼している


このとき、アブラハムがイシュマエルを割礼している


ユダヤ教やイスラム教では

アブラハムに習うことから割礼がなされるという


但し、コーランでは割礼について何もふれられていないので

イスラム法学者の間に、割礼を義務とする立場と慣行とする立場がある



ユダヤ教徒であったイエスも割礼を受けたとされるが

パウロが

「イエスの教えは律法を守ることではないから割礼は必要ない」とし

心の割礼を唱え、割礼を精神化したことにより

キリスト教徒の割礼は消滅したとされる




割礼の意味としては、血と生命の供儀(未開社会)

忍耐力を示すもの、性器の神聖化など様々なようだが


基本的には一種の成人式で、類似の行為として

入れ墨、皮膚に切り込みを入れて身体に模様を描く「瘢痕」

抜歯、小指の第1また第2関節からの切除

耳たぶや鼻に穴をあけたりすることなどがみられる





また、これとは別に、処刑をまぬがれたイエスが日本に渡り

天狗(外国人のイエスの顔を、当時の日本人が天狗と思った)となり

106歳まで生きたという話もあり


実際に、青森県三戸郡新郷(しんごう)村に

キリストの墓まで存在するといいます








カバラ



カバラ(カッバーラ)は、ユダヤ教神秘主義です


「神秘主義」とは

広義には、広くオカルト的な要素をいいますが

狭義の神秘主義は、神や宇宙の原理といった

究極的、絶対的な存在と、接触したり、合一しする立場をさします



原始的な神秘主義は、シャーマニズム

つまり神がかり〔憑依(ひょうい)〕です


日本のいたこ(東北)やゆた(沖縄)はシャーマンにあたります




教義がととのった宗教のものとしては


バラモン教の「梵我一如」

〔 自己の本質であるアートマン(我)が、宇宙の根本原理

つまり全てを成り立たせている原理のブラフマン(梵)と

同一であると悟れば、我と梵が合一して、輪廻転生から解脱できる〕



密教の大日如来との合一による「即身成仏」

〔 手に印を結び(身)、口に真言を唱え(口)、心に本尊を観じる(意)

という「三密加持」により

仏の身口意(しんくい)の働きが

修行者の身に入り、行者がそのまま仏となる〕



日蓮の南無妙法蓮華経による仏性の顕現

〔 自己に内在する仏界の生命が

宇宙の仏界であり、究極的な原理あり、幸福のリズムである

「南無妙法蓮華経」と

日蓮の曼荼羅を介して合致し、自己の仏界が顕現する〕


というものがあります




一神教の世界にも神秘主義は存在し


ユダヤ教のカバラ(カッパーラー)


イスラム教のスーフィズム


東方正教会のへシュカスモス


カルメル会(カトリック修道会)の十字架のヨハネの神秘主義


などがあります




シャーマニズムの神がかりが

意識の明確さに欠けるのに対し

こちらは比較的、知覚や認識能力を失わないことから

宗教体験として重視する立場もあるようです
カバラ(カッパーラー)とは「伝承」を意味するといいます

ユダヤ教神秘主義です

ただ、カバラは、神との合一や接触というよりも

神の本質や宇宙の神秘を認識することを目的としているようです





伝説によると、アブラハムが、メルキセデク

〔聖書に出てくる族長時代の祭司的王。神話的な理想の王〕から

天界の秘密を継承されたのが、カバラの起源だとか


モーセは、神の啓示をトーラーに記したが

どうしても文字にできない部分は、口伝により後世に伝えた

これがカバラの起源だとかいいます




最古のカバラは、メルカバー

〔「聖なる神の玉座」とか「神の戦車」と訳す〕といって

非常に抽象的な内容のエゼキエルの書を根拠に

エゼキエルの体験を追体験するもののようです


具体的には、瞑想状態となり、神の戦車に乗り込み

天使とともに神の玉座に達し

神に直接仕えるというものらしいです




●  エゼキエル


祭司であったが

第一回捕囚(前597年)でバビロニアに移されて

5年目に、幻を見て預言者となり

偶像崇拝のむくいとして王国が滅亡し

神殿が破壊されると説いたという


前587年にエルサレムが占領され、翌年に神殿が破壊、炎上すると

今度は、エルサレム再建の幻を見て

「神への正しい信仰により、理想の王が与えられる」と説き

民族再興の希望を語ったそうである

ユダヤ教の父と称される人





カバラの根本経典とされる

「セーフェル・イェツィーラ」(形成の書)は


アブラハムが直接天使より伝授されたものとされますが

成立は3~6世紀だと考えられています



この書には「生命の樹」(セフィロトの樹)と称する

仏教でいう曼荼羅みたいなものが示され

10個のセフィラ(球)と

それを結ぶ22のパス(小径)が明かされています



   
 転 写    転写




 転 写




但し、一般には、中世ヨーロッパで発展したユダヤ教神秘主義を

カバラと呼ぶそうです


ユダヤ教神秘思想が「カバラ」という呼称で統一されるようになったのは

歴史的には中世に至ってからだそうです



12世紀に至り、北スペインやフランス南東部のプロヴァンス地方に

カバラの秘密について語る者が現れ


以後、ヨーロッパ世界に急速に広まっていったといいます



この時期、カバリスト(カバラの実践者)たちは「創世記」や

「出エジプト記」などの文字を、数字に変換したり、並べ換えるなどにして


表面的な言葉の奥に隠された真の意味を探りだすことに没頭したとされ

カバラ奥義書が、数多く執筆・編纂されていったそうです



また「生命の樹」の解釈を通じて

人類の過去・現在・未来を探求したり

メシア(救世主)出現の年代を計算することなどに

情熱が向けられたといいます




「セーフェル・イェツィーラ」に

12世紀~13世紀に成立した

「バヒルの書」(光明の書)と「ゾーハル」(光輝の書)を加えて

カバラの三大経典とされているらしく


このうちとくに、ゾーハルに集約された

カバラ哲学を中核として

ユダヤ教の神秘思想は展開されていったようです




「ゾーハル」は、13世紀のスペインの

ラビ(ユダヤ教の律法学者)

モーセス・デ・レオン(1250~1305)によって著された


トーラー(モーセ五書)の解説書で

生命の樹の10のセフィラ

原人アダム・カドモン(最初の人間アダム以前の存在)

様々な天使、多くの天国、宇宙創造の秘密

悪の起源などが書かれているといいます



中世ドイツのカバラは

神のガボード(栄光)を見る神秘体験が重視され


この体験は、祈祷、献身、瞑想、禁欲につとめ

魂が高められることで成就できるとされていたようです





南フランスやスペインの

カバラ哲学は「生命の樹」に集約されるようです


それによると1から10までのセフィラ

〔王冠、知恵、理解、慈悲、公正、美、勝利、栄光、基盤、王国〕は

唯一神ヤーウェの多様な相(姿)、属性を意味し


至高の「王冠」(ケテル)は神の最初の現実世界への顕現であり

最下の「王国」(マルクト)は最後の顕現で物質世界を意味する

といいます



あるいは、セフィラは、ヤーウェの創造で

「生命の樹」は、神の創造の段階を描いたものだとかいいます



カバラ修行者は、この10個のセフィラを通して

神を把握できるそうです


生命の樹という一種の曼荼羅を観想し

生命の樹にのっとって


ケテルからマルクトを自在に行き来することで

宇宙と人間の全ての秘密に通じることができるといいます




なお、生命の樹は、エデンの園の中央に植えられた木で

ヤーウェが、アダムとイブを


天上の楽園 エデンから追放した真の理由のは


知恵の樹の実を食べた人間が

永遠の命を得られる生命の樹の実も

食べてしまうのではと恐れたためだという話もあります



ユダヤの伝承では、知恵の樹の実と

生命の樹の実とをともに手に入れると

神と同様な存在になるとされているそうです




生命の樹は、近代の西洋魔術の集団

〔霊を呼び出す「召還」・占い・幽体離脱・瞑想などを行なう〕

に取り入れられ

タロット占いと結びつけられたりもしました


〔 タロットの起源を古代エジプトや古代ユダヤに求める説もあるが

学問的な根拠は無く、歴史的には14世紀終わりか15世紀初めに

フランスやイタリアに登場したようである 〕




また、カバラでは

ヘブライ語アルファベットにはそれぞれ数値があり


アルファベットを並べた単語や文書にも一定の数値があるとし


ある単語や文章を、同じ数値の別な単語や文章に置き換えるなどの

文字変換法(ゲマトリア)を駆使し


旧約聖書の隠された深い意味を探ったり


いくつかの単語の頭文字をとったり

単語を真ん中で折り返すように並べるなどして

新しい文字を作るようなこともなされているようです






●  カバラの宗教運動



16世紀には イツハク・ルリア・アシュケナジ

〔1534~72・エルサレム出身のラビ(律法学者)、カバリスト〕

が出現し

後世に大きな影響を与える「ルリア神学」を唱えます



彼の神学は

「世界は、創造の始まりから混在していた悪によって

完成を妨害されてきた


ユダヤ人こそ、悪から世界を救い

未完成の天地創造を完成させるための使命を帯びた選民である


サタンはユダヤ人を徹底して迫害し、メシアの到来を妨害して

神の創造が未完成のままに留まるように活動している


地上の暗黒は、絶頂に達していて、メシア到来の機は熟している」

というものです




カバラでは、地上の悪が絶頂に達したとき

天国に置かれているメシアの魂が、地上に人の子として現れ

全ユダヤ人を救済するといったメシア思想があるといいます



彼の死後半世紀ほど経つと「ルリア神学」は

カバラを代表する思想となり


1665年には、サバタイ・ツヴィ(1626~76・サバタイ派の祖)により

ユダヤ教最大のメシア運動が起こります



サバタイ・ツヴィは、トルコのスミルナ(現イズミール)出身で

カバラに傾倒、自分が「救世主である」と自覚します


これを「自分はエリアの再来である」と主張した

若きカバラ学者(ラビ)で預言者の

アブラハム・ナタン(ガザのナタン)が支持したことで


サバタイ・ツヴィは1665年、聖地エルサレムで

「自分こそメシアである」と宣言


2人の兄弟をユダヤとイスラエルの王に任命して

自分は「地の王の中の王」を名乗ったそうです




このニュースはすぐにヨーロッパ、アジア

アフリカのユダヤ人コミューン(共同社会)に伝えられ

人々に熱狂をもって迎えられ


シナゴーグ(ユダヤ教の教会)では

ツヴィへの祈りが捧げられたといいます


彼をメシアとして信奉する人たちをサバタイ派といいます



こうして、ツヴィのメシア宣言から1年たたないうちに

彼によってユダヤ教世界は統一され

彼は全世界を26人の高弟に分割して分け与えるなどもしたようです



しかし、オスマン帝国に危険視され、捕らえられ

イスラム教への改宗を迫られると

彼はあっさりと改宗してしまったといいます



この最大の裏切りを、預言者のナタンは

「ツヴィは、サタンの勢力が巨大なため

悪の王国の内部に侵入したのである


彼の戦いは、ローマへの反乱(132~135)の

バル・コクバのときのような単純な地上での戦いではなく

霊界(セフィロト界)にわたって展開されている


悪の一部になりきった者のように振舞い

着々と救済の準備を進めているのだ」

と、サバタイ派の人たちを納得させたといいます



改宗後もツヴィは、ひそかにユダヤ教との関係を続け

シナゴークに現れたり、信者を集めてカバラを教えたりしたため

トルコ政府によって、アルバニアに追放され没しています




その後、何人もの自称メシアを生み

18世紀には「ハシディズム」(ハシドは敬虔な者の意)

という宗教運動が起こります


この運動は現在でも継続されているといいます



ハシディズムの創始者は

イスラエル・ベン・エリエゼル(1700頃~1760)

というウクライナのラビで


ハシディズムはウクライナ地方に始まり

急速にヨーロッパに広まり

のちにイスラエルやアメリカに及んでいるらしいです



ハシディズムとは、カバラを大衆に広める運動で

伝統的なシナゴーグに対し


シュティブルという独自のシナゴーグを持ち

ツァディーク〔義(よ)き人の意〕と呼ばれる霊的な指導者のもと

エクスタシー的な状態の中で

全ての思考と感謝を神に集めて祈るものだといいます


正統派からは異端、知識人からは狂信と軽視されつつも

現在に至っているといいます




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